銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

夜の女王のアリア・・・・松前澄子先生(慶喜公の曽孫)に「明るくて丸いいい声です」と言われている私

2024-02-22 23:41:27 | 音楽

 ええと、この一文、24~25にかけて、3倍ぐらいに加筆しております。どうかよろしく。そして25日の午後四時になって、あれなんか間違えたぞと、気が付きました。急いで直しておきます。下の方ですが、森麻季さんの演技上の役名を誤記していました。ごめんなさい。

 このブログは最近写真を、冒頭に置くことにしています。本日は、オーケストラの指揮者です。オペラ魔笛で、指揮をした人です。男性だけど、優美な人です。マダム優美、マダム優美と、最近のブログで、ある女性について、書き、連呼していた美形好きの川崎さんが、好きそうなお顔です。世代を重ねて、音楽に従事していると、こういうお顔になるみたいです。

 これは、魔笛の舞台ではなくて、NHKの【クラシックTV】に、出て、バッハについて、解説している鈴木優人さん(バッハ・コレギウム・ジャパン、指揮者)です。左は、日本音楽コンクールの何かの部門で一位だった人でしょう。ピアノ科かな? 

 魔笛を見ている時は、舞台でカーテンコールと、アンコールの挨拶が三回、あったわけですが、写真を撮るなどとは、まったく思いつきませんでした。それだけ、感動していたのでしょう。テレビの方は、録画してあるので、何度も、繰り返して、見て、このお顔が、一番素敵なので、使います。他にも使える写真(特に、パンフレットから、千住さんの、美術などでの)があるかもしれないので、後で、探しておきます。

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 いや、今日は、ブログを書かないつもりでした。だが、そのつもりで、夜の9時半から、録画番組を見て遊んでいて、日本酒も、半合ぐらい飲んでいるうちに、元気を回復し、ある思いを語らせていただきたいと思い始めました。

 実は、ちょっと楽しかったというか、誇らしげに感じたという話です。ごめんなさい。「他人の自慢話なんて、聞きたくもないさ」と、あなたは、おっしゃると思いますが、今のわたくしって、困難ばかり押し寄せてきている状態ですから、時々、訪れる、こういう楽しみを、唯一の餌として生きていると、申し上げさせてくださいませ。

 どんな、攻撃に出会っても、平静に過ごしている秘密が、これです。その一端を語りたいです。

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 モーツァルトの魔笛については、1999年の11月の末に、ニューヨークシティホールでの、公演を見ています。実は、それを見る数日前に、アイーダをメトロポリタンオペラ劇場で見ています。その体験があまりに素晴らしかった(本物の象さんも登場したし、お隣の女性客二人が、たぶん、中学か高校の音楽の先生で、音楽知識が豊富で、主役の歌手がマンハッタン島のどこで、教えているかとかプリンストンでも教えているのだとか、教えてくれたなどという、休憩時間中の、会話がとても楽しかったし、終焉後B1のショップで、アイーダの父を演じた歌手の自伝を買いサインをもらったりお話ししたりした)ので、もっとオペラを見たくなったのですが、アイーダの切符が手に入った経緯が、大変特殊なものだったので、もう、メットの切符を買うのは無理だろうと考えて、隣の、、シティホールの切符を、切符売り場で探したら、魔笛が、手に入ったのでした。1999年のわたくしはまだ、ネットはやっていなかったのです。だから、アナログもアナログで、劇場の切符売り場で、当日のものを買うのでした。あ、は、は。

 ここですが、アナログとデジタルを正反対に使っていましたね。長時間外出したうえに、このブログを書いたので、疲れ切っていたのでしょう。意味が通らなかったのをお詫びします。

 私は美術が専門です。オペラは、「せっかく外国に来ているので、日本で見るよりも切符が安いから見ましょうね」と、言う感じで、見るので、音楽は100%の素人です。日本で見ると、三万円を超えます。しかし、現地で見ると、一万円前後で、いい席で、見ることができます。だから、海外に滞在している限り、演劇とかオペラは(そして、ミュージカルも)見るべきでしょう。

 だけど、ニューヨークに、180日いたのに、オペラ3回、演劇一回しか見ていません。本当に版画制作、版画修行・一筋に暮らしていたのでした。演劇は脚本も若い時に英語で読んでいる【セールスマンの死】だったから(ユージン・オニール劇場で)、よくわかったけれど、つらい内容のお芝居です。58歳だったから、ちゃんと見ていられたけれど、81歳の、今だったら、もう、つらくて、見られないでしょう。

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 その点、【魔笛】は、見ているのが、楽なお芝居です。

 ただし、わたくしは、まったく予備知識のない形で、見ました。しいて言えば、映画【アマデウス】の中で、【魔笛】が出てきて、モーツァルトが、どういう時期にこのオペラを書いたかを、知っていたということと、夜の女王のアリアに、驚嘆をしたことがあったと、言うことだけです。

 モーツァルトは、フリーメーソンだったという説もある様に、政治にも目覚めていました。

 フィガロの結婚は、最後の四重唱が、音楽として素晴らしいです。しかし、筋を追えば、はっきり言って、当時の反体制主義のオペラです。王侯貴族の処女権行使を、批判している筋です。

 映画アマデウスでは、モーツァルトの、そういう政治的傾向よりも、彼が父に対して抱いていた恐怖、また、嫉妬深い同僚のサりエリの罠によって、どんどん、貧乏になっていく時代の作品だと、解説されています。

 宮廷での出入りが、禁じられた時代のモーツァルトが、それでも、めげないで、汚い庶民向けの劇場で、庶民向けのオペラとして、魔笛を、公演すると、言う背景が語られています。

 私が、本日気が付いたのは、彼が、宗教を、テーマにしていて、教祖様が、登場するのですが、その教祖ザラストロは、エジプトの、神、オシリスとイシスを、崇拝しているのです。

 当時の宮廷とは、キリスト教(当時のカソリック)と、深く結びついていたので、宮廷と決別したモーツァルトは、当時のキリスト教を嫌いだったのでしょう。庶民がその実態を知らないオシリスとイシスと言う神様を、この舞台に呼び込んでいるのです。フーム。それが、限界の反乱だったのでしょうか?

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 松竹定款という形で、歌舞伎座に入れなくなった、わたくしは、本日=2024年2月22日、モーツァルトの生涯と、その思想と、その苦しみを真実理解いたしました。

 私は松竹に対して、喧嘩をしているわけではなくて、ただ・・・・・異様な謀略事件の真犯人は、警察の特殊部隊だ・・・・・と、言っているだけです。平成のやつ墓村事件も、保美死刑囚が老人五人を殺したわけではなくて、警察の中にいる特殊部隊が殺したのだ。そのアイデアは、常に、いまだ生きている井上ひさしから出ていると、言い続けています。

 山田浩二死刑囚が犯したとされる中一の、二人の生徒殺し、小林遼が、やったとされている、おおももたまきちゃんの死後轢断事件、までは、実行者は、警察の特殊部隊です。

 しかし、やまゆり園事件と、京アニ放火は、ちょっと、ひねってあります。死者が一人もいないのに植松聖と、青葉真司は、大量殺人を犯したことになっています。私の見るところ、植松聖と青葉真司は、一人も殺していません。前の事件の、ヴァリエーションとしての、事件です。そういう風に圧倒的な真実を書いている私のブログを否定するために、実際には誰も死んでいないのに、大量の死人が出たということにしたのです。それを否定すると、

 今度は、NHKカメラの目の前で、一般人が殺人を実際に犯すという謀略を生み出しました。やまがみてつやという安倍晋三氏を、殺した一般人は、保美死刑囚、山田浩二死刑囚、植松聖死刑囚と、同じく、事前にリクルートをされ、よくよく、委細を教え込まれて、命令通り、行動した、教唆命令を受けている人間に過ぎないのです。間に千葉景子さんを挟んで、いのうえひさし 👉 伊藤玄二郎 👉千葉景子 👉、山上哲也の伯父と、なって教育を受けたのです。

 そう書いている私のブログを閉鎖するための、松竹定款と、歌舞伎座へ入らせないといういじめでした。

 私は、本日、本当にしみじみと、モーツァルトの苦境と、悲しみを理解し、それでも、許しの心を、ザラストロに、歌わせる、強い強い精神力に打たれました。血肉として、理解をしました。

 ところで、わたくしは、シューベルトのピアノ曲を今は、最高に好きであり、それは、1955年から、始まっている傾向であり、ほぼ変わらないと思います。が、40代ごろまで、モーツァルトは、軽すぎると、思っていました。

 でもね、ひそかに、苦しみを抱えていたからこそ明るい曲を書いたのだと、考え始め、これからは、本当に大切に聴こうと思っています。

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 ところで、今回、【魔笛】を上演した皆様には、失礼な言い草になるとは思いますが、やっぱり【フィガロの結婚】の方が音楽としても、劇としても優越していますね。

 それは、魔笛を作曲したころのモーツァルトが、フィガロを作曲したころよりも、経済的、精神的に、苦境にあり、肉体的にも限界に達するほど、衰えていたことが関係していると思います。死ぬ年(=1971年)に作曲をしているので、無理もないのです。

 でもね。スケールが小さいことが、今回は、かえって、成功へ向かわせました。大成功だったと思います。

 公演そのものは、四日間ある模様です。同じ会場で、23日の金曜日だけ、休演で、四日間連続して、公演があるというのは非常に珍しい形式です。芝居でも同じですが、(文学座とか、民芸という新劇の場合です)が、あるところで、一回、公演したら、別の街で、次の公演をすると、言う形式が多いでしょう。

 これは、たまたま、東急デパート渋谷本店の、建て替えがあり(ただし、次にデパートが、再開するかは、微妙である)BUNKAMUARAの、オーチャードホールが使えないという形があり、渋谷から、東横線で、四つ目の駅にあたる都立大学を、最寄駅とする、パーシモンホールを、一時的に使うことにして、オーチャードホールの、普段のお客様たち(越年コンサート、ジルベスター)に来ている人たちへ宣伝したので、切符四千枚が完売だったと思います。また、企業の協賛もあって、全体で、一億五千万円ぐらいで、まわったのではないかしら。今回だけでも採算がとれたとは思いますが、このまま、京都とか、大阪とか、神戸、愛知、札幌で、公演したら、オペラ文化が、本格的に成就するということになります。それは、慶賀に堪えません。

 この金銭的な、成り行きですが、歌舞伎で、菊之助が【マハーバーラタ】というインドの、叙事詩に基づいた、新作歌舞伎を上演しました。この衣装がたいへん豪華です。ポリエステルの生地で、金箔を、張り付けることができるかどうかを知りませんが、もし、全部絹を使っていたとしたら、大変高かったでしょう。ただ、二度目の公演があったので『ああ、よかったですね。10回も公演したら、衣装代のもとは取れるでしょう』と思った次第です。歌舞伎座は、2000席以上あるでしょう。いや、間違いました。1808席だそうです。その上、23日ぐら公演しますよね。だから、チケット代は、今回の魔笛とは、桁が違うと言うほどの、収入でしょうが、でも、裏方の数も多いので、新作は、再演されないと、採算が取れない可能性があります。

 だけど、魔笛の場合は、座席数が、歌舞伎座より圧倒的に少ないし、公演日も少ないので、「よくなさったわね」と、言うべきでしょう。同じ魔笛でも、カンパニー(座組)が違うと装置も衣装もすべて、作り直すので、それは、なかなか、大変です。オペラが、当たり前のものとしては、なかなか、根付かない一つの理由でしょうね。

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 実は、ニューヨークシティホールの、美術はホックニーでした。有名人でした。ホックニーは、一幕目の夜は、夜で、黒を使っていたので、あまり特徴が、わからない装置でしたが、明るくなる、ザラストロが、登場する場面になると背景がエジプトでした。全体に、まっ黄色でした。砂漠の砂をイメージしていて、ヤシの葉が、緑いろで、衣装は、エジプト風でした。エジプトの壁画に出てくる様な衣装を男性も着て出てきたのです。

 しかし、今回ザラストロの方は、100%現代風な衣装を着ています。背広=スーツです。ネクタイは、していないのですが、グレー系統のスーツです。衣装担当は高橋ゆうすけという人で、三宅一生の下で、メンズを担当した後で、独立をした人だそうです。

 ここで、わきへ飛びますが、教育大学出身なのに、音大へ、入りなおした池田理代子が、「オペラの満足感は、使っている(生地)のメートル数にかかっているのです」と言っていたけれど、まあ、その通りではあります。例えばオネーギンなどは、ルネ・フレミングが、当時のロシア風な長いスカートで出てきたのを忘れられません。その後、何度も、近代化された衣装のものを、プレミアムシアターで、見ましたけれど、フレミングと、ホロストコフスキー版が忘れられないです。

 魔笛に戻ります。たった四日間の公演で、ヨーロッパで当時人々が履いていた長いスカートを、再現するわけにもいかないでしょう。おかねが足りなくなるので、プロの公演と言うよりも出演者たちの発表会になってしまうし。高橋ゆうすけは、メンズ担当だったそうで、ザラストロと、その家来の、スーツ姿は、ピリッとしていました。ただ、悪の道化役、モノスタートスの衣装だけが、スーツではなくて、どことなくスカンクを連想させるのは、ほほえましかったです。この遊びに、あなたは、気が付いた?」と問いかけられていると思いますが、もちろん、私は、気が付きました。

 さあて、美術・千住博です。映像担当・ムーチョ松村です。

 私は、この二人が何をどう担当しているのかが、さっぱりわからなかったです。最初の背景、自然の森は、写真でしょうか? それとも、絵でしょうか? それから、途中の、漢字や、数字の乱舞も、千住さんの絵でしょうか? それとも、千住さんはアイデアを出し、プロジェクション用映像は、ムーチョ村松さんが作っているのでしょうか? まったくわかりませんでした。

 まあ、こういう技術は、チームラボの、猪子さんと、ある部分で、相似形だと思うので、千住さんは、以前猪子さんとはなしあったことがあるのでしょうか? ともかく、圧倒的な、映像でした。二次元ではなくて、三次元的(渦を巻く形)で、映像が動いていく場面が、三度は、訪れて、ちょっと息をのみました。

 この三次元的に画像が動いていくところは村松さんの、分担だろうと思いますが、

 ともかく、美術には驚かされました。「プログラムや、チラシの中で、千住さんが大きく扱われているのは、千住さんが、有名人だからでしょう!」なんていう風に気軽に考えていたのですが、違いました。オペラという総合芸術の中で、非常に大きな役割を果たしていました。以前から、指揮者の、鈴木優人さんと、親しいのではないかなあ? そんな感じがしました。気合入っている仕事だったから。

 そして、この美術と映像があったので、人件費が少なくて済みました。と、言うのは、大道具が全くなかったからです。また、歌舞伎と比較しますが、歌舞伎だとリアルな物体としての大道具があります。それは、家屋の場合は、庶民の家、または、武家屋敷、お殿様のお屋敷などの、類型としての、基本形がありますが、ともかく、演目ごとに壁の色などが、違います。ふすまの絵なども、異なります。庶民の家なら、のれんなども違っています。それを、人力で、舞台の上に、引き出したり、回り舞台で引っ込めたりします。特に広いお屋敷を、使う際は、ゴザを敷いて、お座敷の感じを出します。【先代萩】で、小さな家来【乳母、政岡の子供】が、小さなお殿様の身代わりとして、毒入りお菓子を食べてしまい、かつ、その毒入り菓子を、持ってきた敵方のお女中(高官ですよ)に殺される時など、何枚もの、茣蓙を敷いて、御殿の広さを演出しています。それを、数人の黒子が、出て来て、巻いて、引っ込めたりします。しかし今回だと、そういう働きをする人間は不要なのです。ムーチョ村松さんがいじっているパソコンだけで、済んでしまうから。で、この公演が、経済的に赤字を出さないで、済むでしょう。それは、将来の発展のために、とてもいいことなのです、

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 音楽については、満足したとだけ、言っておきましょう。特にパパゲーノの大西宇宙(タカオキと、読む)は、ごく最近、NHK BS クラシック倶楽部に出て来て、「へえー。美形ですね」と、思った記憶があって、・・・・ちょうどタイミングよく出会ったという形だし、ザラストロの、平野和さんも声はいいです。まさかとは、思うが、平野忠彦さんの息子ではないかなあ?

 鈴木優人さんて、あの真面目そうな顔にもかかわらず、遊び心もあるのですね。舞台中央直下に置いてある、エレクトーンだと思われる楽器から、鈴の音や、笛の音を出すときのパパゲーノとのやり取りなどを、見ていて、そう感じました。

&&&&&&&&&&&&&ここから先は、全文を、25日の午前中に加筆する部分です。

 ところで、このブログの初日にも二日目にも、バッハ・コレギウム・ジャパンに関して、何も述べませんでした。それは、ね、私が、1997年の秋以来、交響曲を聴かないという生活になっているからです。ショパンがだめだと何度も語っているでしょう。それは、近親憎悪と言うのか、感情の揺れ動かし方がとても、自分に似ているというか、なので、聞くと、切なくて、切なくて、たまらないのです。哀切の感情に見舞われ過ぎて、それもつかれる原因なので、聴きません。

 それとは、少しニュアンスは違いますが、交響曲も今はだめなのです。音楽に浸りすぎると言うか理解しすぎると言うかなので、交響曲を聴くとものすごく疲れるのです。2024年に仲道郁代+読響+小林研一郎で、北欧のなにか? もしかするとシベリウスを、ミューザ川崎で、聞いたのですが、仲道さんが、ご自分のピアノを、ミューザに運ばせているのですが、そのロゴがヤマハの普通のタイプとは、全く違うものだったと言う事だけが、印象に残っていると言う体たらくです。2024年だったと思うが。

 日本には、俳人と言う種族と、歌人と言う種族が居るでしょう。私も、俳句会に参加していたのですよ。1998年より前には。すると、俳句が出来るのです。すっす、すっすと、俳句が出来るのです。別に俳句会の日に限らず、普段の日にもできるのです。脳がそういう風に動く様になるのですね。しかし、1998年から、2024年まで、25年間も作っていないと、もう、俳句脳ではないのです。だから俳句は今はできません。脳に浮かんでこないのです。

 魔笛には、前奏曲もあるのです。それに、バッハ・コレギウム・ジャパンは、音量も大きい。だけど、最初から最後まで、オペラ全体を、とらえると言う形で、音楽として、バッハ・コレギウム・ジャパンを、独自で、把握することはありませんでした。ごめんなさい。だから、何も言う事はありません。

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 演出について、一言、夜の女王と、ザラストロが、握手する場面です。それって、新解釈らしいけれど、客を幼稚化してみていませんか? もちろん、お客様は、ああ、楽しかったと、思って帰ると思うけれど、わたくしは、何か、小ばかにされた様な感じがしました。

  一方で初台の、新国立劇場では、【トゥーランドット】を何度も公演する模様です。そのさい、特に、2017年の中村恵里さんが、りゅーを演じた時の演出が、新解釈で、わがままな王女様が自殺をすることになっているのです。これは、美術装置も、素晴らしく(階段を多用している形・・・・お金をかけたかどうかはわからないが、しろから、グレー、黒までの無彩色で統一し、合唱団が、迫力を生むにあたって、大変、効果の高い装置と美術だった)大いに話題になったみたいで、私も大満足です。でないと、りゅーが、奴隷そのもので、終わってしまい、アジア人蔑視が、形をとったみたいに見える筋ですから、日本人としては、許容しにくい筋なのです。まだ、マダムバタフライの方が、アジア人としては、奴隷状態ではないと、考えることができるのですが、リュウは、中国人女性を想定していると思われるのですが、まったく、報いのない形で、只死んでいくと言うのは、つらいものですよ。で、王女様が自殺すると言う、新解釈の方がいいです。それをスタッフキャストの名前と、ともに蛇足というところに置いておきます。

 新国立劇場は、何度もトゥーランドットを、公演している模様です。私は、2000年にメトロポリタン劇場で、一回見たのですが、ともかく、筋を嫌っているので、日本で、見たいとは思わない演目です。

 魔笛に戻ります。あの、超人的なアリアを歌う夜の女王は、特殊な方なのだから、毒親のままで、いいのではないかしら。歌手はフランス出身の、モルガーヌ・ヘイズです。

 お嬢ちゃま(=パミーナ)は、森麻季さんでした。今回の公演は、要所、要所に、マスコミで、すでに有名な人が配置されているので、それもまた、聴衆が満足した由縁でしょう。ここですが、森麻季さんについては、オペラを見てから、30時間程度何も書かなかったのです。それで、疲れ切っている24日の深夜、最後の最後に書いたら、役名を王子様と取り替えてタミーノと書いてしまいました。その時になんか変だぞと、自分で思ったのです。しかし、とても寒い夜だったので、二階で、パソコンを売っている私は、一階の、寒い部屋に置いてあるプログラムを、取りに行くのを、嫌がったのでした。ごめんなさい。大笑いです。

 私は美術に関する文章を書く時も同じなのですが、マスコミにすでに乗っていて、一般人にまで、名前が通っている人については、触れない主義なのです。それが悪い方に働いてしまいました。尚、名前を間違えタミーノの方、つまり、主役中の主役である、王子タミーノを、演じたイルカー・アルカューレックは、イスタンブール生まれ、ウィーン育ちだそうです。

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 さて、以上の文章は、まったくの素人である、私が、うんちくを披露してしまったと、言う形ですが、本日、私が、誇りに思って快感を感じたのは、カーテンコールが終わったとたんに、夜の女王のアリアが、歌えてしまったということなのです。特に二つ目のアリア、【復讐の心は地獄の炎のように】が、口をついて出てくるのです。

 私はお歌をマスターするばあい、絶対に楽譜が、欲しい人です。ところが、この楽譜を持っていません。どうしてかというと、1999年ホックニーの美術で、シティホール(NY)で、魔笛を見た時に、すごい曲ですねと、思って、絶対に歌えないだろうと、思ったから、勉強する気にもならなかったのです。それに、コロラチュラソブラノ用の難曲中の難曲だと、解説されているではないですか? ありとあらゆるところでね。だから、取り組むつもりが一切なかったのです。

 ところが、上にあげた、NHK BSで、放映をされている【クラシック倶楽部で】 佐藤美枝子さんか、大村博美さんか、小林厚子さんか? の三人のうちの誰かが、このアリアを歌ったのです。ほかにもソプラノ歌手は出たのですよ。しかし、曲目が、日本歌曲だとか、ドイツリードに限定をされているので、この三人以外ではないと、感じています。

 この三人のうちの誰かが、非常にいい声で、オペラアリアを歌い、とくに、この夜の女王のアリアを歌ったのです。録画してあるわけですが、このころレコーダーが言うことを利かなくて(だから、20日に新しいものを買って、テレビを二台見ることができる様にしたわけですが、)ブルーレイとか、CDVDとか外付け、USBハードディスクに落とすことができなくて、内臓HDDがいっぱいですと、すぐいうものですから、消去してしまったのですが、ともかく、すごい歌唱なので、五回ぐらい聞いたのです。すると、私が、耳から聞いて歌える様になっちゃったのです。もちろん、歌詞は、覚えないし、正確に初めから終わりまで、覚えたわけではないのですが、もっとも特徴のあるメロディは、覚えてしまったのです。そして、パーシモンホールで、カーテンコール三回が終わったとたんに、そのメロディが、口の端をついて出るのでした。

 とても小さな声ですよ。だけど、音程とかは、間違えていないのです。それで、前後左右、四人ぐらいの人は、気が付くわけですが、今回も、誰も嫌な顔はしないのです。ただ、自分としては最高のレベルの声ではないなあと、思うわけです。

 今回は、大勢の人が気が付いて、こっちを見ました。大勢の人というのは、遠くまで、声が届いたというわけではないのですよ。私は混んでいるクロークに寄ろうと思っているので歩き方が遅いのです。しかし、周りの人は、クロークに用事がないらしくて、サッサ、ササと帰路に就くので、大勢の人に、追い抜かれて、そのたびに、見つめられ返したのですが、咎める目は、なかったのですよ。あの人たちは、こう考えて居たと思います。「あら、ちゃんと歌える人が居るのね。きっと音大出よ。でも、そうだと仮定ると森麻季さんとか、本日の女王役(外人)よりは、下手なわけでしょう。だって、上手だったら、すでに、有名な歌手になっているから。となると、自分が負けているのに、非常に楽しそうにうたっている。それだけは、変ですね。しかも、白髪ですよ。すごい高齢者なのに、夜の女王のアリアを歌っている、不思議な人間ですね」と、考えながら、でも、とがめないで、通り過ぎていくわけです。

 私は芸術というものは、理解すればするほどに、参加すべきだと、考えているのです。もちろん、せりふ劇(新劇)などは、参加できません。だけど、歌舞伎のきめ台詞など、父は、よく自宅で、繰り返していました。「しらざあー、言って聞かせやしょう」というのは、九世海老蔵の助六だったろうと想像しています。

 で、せりふ劇は、復習するのが、難しいです。だけど、お歌は復習が、易しいのです。短いから。それにオペラアリアって、歌舞伎のきめ台詞と同じで、特に強烈な印象を与えるので、覚えやすいのでした。

 オペラを見て帰ってきた深夜(というのは、次の日の午前4時)に、楽譜を買うことにして、コンビニでの申込番号を取得しました。

 SAMPLEという妨害用文字が大きく出ていて、今のところ、正しくはわからないのですが、ヘ長調です。そして、最高音は、ハイFだそうです。今、グーグル検索で調べました。上のGまでは出るということを前から確かめていたのですが、ただ、SAMPLEという、大きな、アルファベットで妨害を受けているので、本日は、不確かですが、上の第一線に乗ってる音符が、ちらっとみえて、それは上のAでした。私は、今、81歳ですよ。しかも、音大出身ではないです。中学高校の音楽の先生には、ひそかにかわいがられていたと、言う記憶はあります。それは、すべて、芸大卒の先生で、しかも、40代のころも、芸大出身の先生に、鎌倉で、個人レッスンは、つけてもらっていました。だけど、あの頃は、精神が堅かったので、上のFまでしか出なかったと思います。

 今は、精神が、自由なのです。だから、上のAまで、出るのでした。これが、ひそやかな快感という話です。で、わたくしは、こういう快感を餌にして、生きているのですよ。だから、普通の81歳よりも精神は、若いと思います。苦しみもあるが、喜びもある人生です。自分一人の内部では、見事にバランスが取れている人生です。

 で、本日もすでに、21時間おき続けていて、ブログを一本書きました。お酒を飲んだのに、書けたのですから、うれしいです。これが、二つ目の快感です。

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 最後に、最高のひめゴトを書き表しましょう。実はね。私は、上で書いている様に40代で、個人レッスンを受けているのですが、その時の先生は、鎌倉・婦人子供会館で、合唱を指導なさっていた松前澄子先生です。澄子先生に個人レッスンを受けたのが、先生が、50代だったでしょうか? その時、先生は、芸大卒ですから、私に、日本歌曲【カラタチの花】などをレッスンをつけてくださったのです。

 私は、その体験の前に、横須賀で、幼稚園のPTA会長をしていた時の打ち上げで(例年、大宴会となる)で、二曲歌って、大喝さいを浴びているのです。20代から、30代の若いお母さま方がね。「川崎さんってすごい。まったく普通の人じゃあない。今まで、なんで、川崎さんがPTA会長なのか、訳が分からなかったけれど、今日はわかった。全然普通の人じゃあない」と、口々に言って、階段で、私の肩を触ったり、背中を触ったりして、私の、実は秘めたる、然し、輝かしいエネルギーを受け取って帰ろうとしたのでした。いわゆるオーラです。普段は、全く弱々し気で、ひとに負けているばかりみたいですが、お歌を歌わせると圧倒的な、オーラを示すのでした。つまり、超人的に、普通の人の、上なのです。ただし、40代での話です。

 鎌倉に引っ越してくる前に、夜八時ごろの満員の京急車内で、突然、トスカのアリア、【歌に生き、恋に生き】が出て来ちゃったのですが、立錐の余地もないサラリーマンたちが、誰も文句を言わないし、こちらを見つめもしないで、じっと聞いてくれていたのでした。それは、1983年より前なので、スマホも携帯もない時代です。

 私は人を信じる人だから、松前先生に、「パーティで歌える歌を教えてください。カタリみたいな」と頼んだのですが、ピアノで、伴奏を請け負っている方と、松前先生は、崩した歌い方をお嫌いだったので、順番を追って、教えていただいていたというわけです。

 ところで、松前澄子先生がすごいところは、小柄でいらっしゃるのに、声量豊かで、しかも、美しい声なのです。私は、ほんのちょっとの期間(と言うのは、講演会を聴いただけの先生などですが)接した先生を含めると、5人の芸大出身の先生と、出会ったわけですが、先生ご自身が、歌を歌って、見本を示してくださったのは、松前澄子先生だけです。他の先生は、50を過ぎると、もう、声が出ないと言う方が多かったのでした。

 で、私は、澄子先生の歌声を、何十回と聞いているわけですが、澄子先生は、お家柄がいいので、専業主婦として生きることを選んでいらっしゃって、藤原歌劇団とか二期会に所属することはなかったでしょう。いい声だけどです。それも先生が、崩した歌い方をお嫌いになる由縁だったと思います。舅にあたる方が、柔道でも、有名な松前重義氏でした。第四代東海大学学長です。ところで、今、歴代東海大学学長名を調べたところ、現在は、18代目で、また、松前姓であり、途中でも、ふたり松前姓の方が、居て、そのどちらかが澄子先生の、ご主人です。今、自分でもわかるはずの芸術家の名簿を持って居るのですが、また、また、盗まれていました。

 本当にものを書くのに役立つ資料が盗まれ切っています。現代の学長は、澄子先生のお子様で、医学部教授だった方ではないかなあ? 最近、松前先生には電話をかけて居ません。先生は、90歳を超えていらっしゃると思うので、電話もかけません。で、知りません。その最近ですが、文化庁の在外研修生で、パリへ行くことになった1998年から、グワーッと言う形で、美術に浸りきったので、もう、レッスンを受けているほどの、余裕が無くなったのです。レッスンを受けていると、予習もしないといけないし、復習もしないといけません。発表会もあるし。で、ついていけないと判断をしたのです。先生は、私に対して、腹式呼吸が出来ない事とか、リズム感がないことなどは、叱ってくださったけれど、声の質については、「あなたの声は、本当にいい声です。明るくて、丸くて」と言って頂きました。

 その後、2013年にICU教会で賛美歌を歌っていた時に、大勢の人と一緒に歌うと、緊張しないので、非常にいい声が出るのですね。するとある女性(多分先輩)が、近寄って来て、「あなたは、天与の美声を持って居る。だから、霊南坂教会のクワイアに入りなさい。四期卒の関さんが、そこにいるから、慕っていきなさい」と言われたのですが、実行をしていません。

 今だったら、いろいろ、あきらめちゃっているから、そこに所属しても、お勉強ができると思うけれど、2013年は、いろいろな事をあきらめて居なかったから、「素敵な話だけど、所属はできない。ついて行かれない筈だ」と、思ったからでした。一流のところに所属できるのはうれしいことです。だけど、それだけ勉強しなくてはいけないという責任はあるのです。それは、わかっているので、このチャンスを捕まえませんでした。

 松前澄子先生の母君、池田謙(かねと、読む。俳号は佳音=かねとはつおんする)夫人にも俳句で、かわいがっていただきました。この方は、江戸時代は、岡山藩の城主で、ご主人が、第14代当主(=侯爵)か、その弟君と結婚をなさって、戦時中は上海にいらっしゃったのです。銀行マンだと思う。うちの父は撫順にいて、今のオイルシェール(頁油岩)を探していたのです。でも、当時、中国とか、満州にいた知的エリートは、非常に厚遇をされて、特高などに追い回されることもなく(ただし、中国の人は怒るでしょうが)、文明度、文化度が、高い生活を送っていたのでした。ただし、731部隊などがあったわけですから、中国の人は、本当に怒っていると思います。

 だから、私は、子供のころから、日本人離れしていると、言われています。でね。前田清子さんとか、安野智紗夫人が作り出し、たった、15軒以内での、上下関係など、あほらしくて、見るに忍びないですよ。

 もう一度言います。池田家の、江戸時代の藩邸の御門は、今国立博物館内に、移転をされて、一応保護されています。年に数日公開されるはずです。東大の赤門は、たぶん加賀藩前田家の物でしたね。池田家の門は、赤門よりも大きいかな、黒門と呼ばれています。明治政府内にも、立派な建築物は保存すべきだと、考えた人が居るのでしょう。でも、池田家にしろ、徳川家にしろ、松前藩にしろ、徳川親藩だったのではないかなあ? そうなると、明治維新は大変でしたね。そして、終戦時(実際には敗戦時)にも財閥解体、華族制度廃止、と言う、名家にとっては、不合理な制度が押し寄せてきたのです。

 しかし、そういう不条理な目に出会いながら、決して、他者に威張ることも、いじめることもなく、常に対等に扱ってくださった、澄子先生と、かね様には、懐かしさが、いっぱいです。今の私の声を聴いていただきたい。そして、私の歌う、夜の女王の、アリアも聞いていただきたいと思いながら、電話をかけません。我慢をして置きます。ただ、ただ、思いだけを空気にのせて、南へ運ばせます。

(蛇足 1)

 トゥーランドット、

2019年7月18,20,22日 版

新解釈、新国立劇場。スタッフ  指揮  大野和士・・演出 アレックス・オリエ・・美術 アルフォンス・フローレス・・衣裳 リュック・カステーイス・・照明 ウルス・シェーネバウム・・演出補 スサナ・ゴメス・・舞台監督 菅原多敢弘

キャスト トゥーランドット・・イレーネ・テオリン・・・・カラフ・・テオドール・イリンカイ・・・・リュー

中村恵理・・・・ティムール・・リッカルド・ザネッラート・・・・アルトゥム皇帝・・持木 弘

 王女が自殺すると、言う解釈、すごい出来で、わたくしも大満足をした。これは、ニューヨークメトロポリタンオペラで、2000年に、違う解釈のものを見ているが、筋としてあまり好きではないと、思っている。 だけど、王女が、自殺するのだったら納得できる筋となる。

(蛇足 2)

 


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