銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

巷房で出会い、話が合ったMr中村=光文社の名前を出した途端、私の仕事の邪魔をしないでと怒鳴ったMrs笠松=元筑摩書房

2024-04-13 19:49:13 | 政治

  このブログは、最近、冒頭に写真を置くことを、よくしております。本日は山折哲雄氏の謝辞をまずおきます。

 二行目に、出てくる名前・笠松敦子が、本日の文章の主役です。私はすべて、嘘を書いてはいないと、言うことの証拠として置いておきます。本文をお読みいただければ、このあとがきが、集英社新書の【ブッダはなぜ子を捨てたか】から、取ったものだとお分かりいただけるでしょう。

 次に彼女から、送呈された書物を置きます。立派な本ばかりです。そして、この一文は、国際キリスト教大学1966年卒の人物たちから、猛反発を食らうでしょう。でも、それを、腹の中に入れて、覚悟の上で書いています。つまり、終活の一種として書いている文章だからです。なお、これは、20年前から分かっていたことですが、ここで、これらの事実を表に出したのは、立花隆氏が、エフェソスの思い出を、書物に直した、【エーゲ海・・・・・云々】を、ちくま文庫として、再発刊をしたのが、筑摩書房だと2024-4-11にはじめて知ったからです。再刊は2020年のことです。すさまじい言論弾圧を、すでに、定年退職したMr笠松が、現在の社員に命じて、やらせた仕事だと、他の例から見て分かるからです。

 ということはです。「神戸の土師淳君を殺したり、その裁判資料を、家裁から廃棄させたのが、井上ひさしだ」と、私は言っていますね。酒鬼薔薇聖斗とは、のちに続く、植松聖、山田浩二、青葉真司などと同じく見出されてリクルートをされて、教え込まれた通りに動いている、仮想の犯罪人で、だからこそ、私は鎌倉エージェントと連動している人たちを、殺人事件に協力した人たちだと規定をしています。まあ、象徴的な意味でです。現場で、手作り鉄砲を撃ったのは、山上哲也ですが、彼も、伊藤玄二郎 → 千葉景子 → 伯父の弁護士、などのラインで、リクルートをされた、人物でしょうし。

 本日も、笠松夫妻を、その範疇に入れます。Mr笠松は、東大卒だと思います。で、彼を使役している、または、指導している存在が誰か、伊藤玄二郎や、井上ひさしだけではなくて、他にもいると思います。東大卒の人物がいあるとみています。が、現実に見えているのは、笠松夫妻だけなので、二人の実名を挙げて、やっていることを書きます。つまり、安倍晋三氏殺しまでこの夫妻が、関連していると、言ってるわけです。

 ところで、この文章の後半に、前田祝一・清子夫妻が出てきますが、彼らは、この山の、見かけ上の(第二位)ボスです。しかし、第一ボスだった時期もあるかもしれません。でね、あの二人が、フランス語、フランス文学専攻者として、もし、笠松夫妻と、隠れた形で交流をしていたら、あの二人が・・・・・威張りまくって・・・・・この山の人々を、指導をして、・・・・・私に敵対させている・・・・・のも理解ができます。あの二人は、常に、こう思っていたでしょう。『馬鹿め! あんたが親友だと思っている笠松夫妻は、こっちの陣営に所属をしているんだよ。馬鹿め!』と。

 でもね、キャサリン妃の、一月の手術が、実際には、自殺未遂=切腹・・・・・の救済だったとか、彼女は、数年以内に、癌が悪化したという外部発表のもとに、殺される可能性があるなどという文章は、私以外に、(公開の)文章として、書ける人間はいないでしょう。

 あなた方二人は、私を小ばかにしてるでしょう。実際に電話内で、Mr笠松から、ひどい対応を受けています。だけど、私はこう考えています。なんと、頭の動かし方が方道理なのだろう。難しい入試を突破するために、能率的に受験勉強をこなしてきたのだろうが、それだけの、範囲でしか動けない頭ですねと、考えて内心で、軽蔑しているのですよ。(苦笑)

 という前置きと、総タイトルを入れて、土曜日深夜に書いた、原文の冒頭に戻ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 たくさん書きかけ途中のことがあります。重要度は、隈研吾氏と伊藤玄二郎の関係、腸詰屋と、川喜多かしこ女史の遺族(?・・・・血縁があるかどうか?は不明だが、遺産を相続した可能性がある人物)、カラックス監督の侮日映画メルド(映画TOKYOの第二部)、千葉景子さんと死形状公開、キャサリン妃について、などですが・・・・・

本日は、まったく違うことが脳内に浮かんでしまったので、それに言及します。まあ、一般の方には、それがどうした? という話でしょうが、関係者、特に、CIA-ジェント達には、『ほーっ。そこまで、わかっているのか?』と驚かれること、必定の話です。

~~~~~~~~~~~~~~

副題1、『銀座の画廊、【巷房】で光文社の、編集者、中村某氏と、話が合った。私が、無償で、真心こめた、一種の美術評論をしていて、銀座界隈で、非常に信頼をされていたころの話だった。「銀座で、川崎千恵子を知らないのは、潜りですよ」と言われるほど、ユニークで、真心こめた、美術評論をしていたころだった。しかし、それが、お金をとって、美術評論を書く人々の脅威となって、激しい弾圧を、酒井忠康氏、秋山裕徳太子、野見山暁次氏が、針生一郎氏、瀬木慎一などから、受けた。ほかにもいるのだが、ご本人から謝罪めいた言葉をもらっている人は除外する。その中村氏とのエピソードを電話で、笠松敦子さんに告げたところ、「わたくしの仕事の邪魔をしないで!」と、絶叫をされた。驚いた。これに類するひどいエピソードが10回ぐらい経験している。だけど、リアルな世界では、喧嘩をしない主義のわたくしは、電話でもけんかをしない。で、ずっと、ずっと、我慢をしてきたが、2024-4-11に立花隆の【【『エーゲ 永遠回帰の海』書籍情報社、2005年、ちくま文庫、2020年、須田慎太郎(写真)】が、ちくま文庫から、2020年に出ていることを知り、とうとう、一部だが、明らかにしたい。・・・・・と、思い始めた・・・・・つまり、何を?と聞かれると、「もっとも、身近だと、感じていた人に、ずーっと、裏切られてきていた」と言う事だ。2008年ごろから、敦子さんが裏切ってきているのには、気が付いていた。でも、死ぬまで、語らないつもりだった。いわゆる、墓場まで、持っていく話にするつもりだった。しかし、負債そろって、裏切りの人だったのだ。いやあ、ただ、ただ、なんとも言えませんね」というだけだが、光文社の中村氏が種になっている話だけは、ここで語っておきたい」

 今では、筑摩書房の社員(だけど、相当上位でしょう。もしかすると社長とか、重役でしたか?)笠松某氏が、私の進路を激しく妨害していたのだったと、言うのを最近、公開したばかりです。

 これは、非常につらい話です。というのも彼の細君である、笠松敦子さんと、私は、もっとも、頻繁に電話を交わし、大いなる友人のつもりでしたからね。これは、ICU卒の中での話です。実は、文章をネットを利用して発信する前までは、別の人がしょっちゅう電話をくれて、彼女が、息子に「お母さん居る?」と開口一番言うので、息子が「失礼な人だね」といったほどです。しかし、私は無論気にしませんでした。ICUって、アメリカナイズされているところがあるので、親しさの示し方では、一般的な日本の常識が通じないところがあるのです。息子にも何も説明をしませんでしたが、いいお友達だったと思います。ところが、パソコンをやらない人なので、その人へ、私は、メルマガを配信することは無くて、メルマガを配信する相手に交流の比重が移っていきました。

 そのメルマガを配信する相手の中で、最も大事な人の一人が、笠松敦子さんだったのです。彼女は大学新卒時、筑摩書房へ入社したのですが、誕生したご長男に、育児に大きく手がかかるという状況が出来した上に、二年後、ご長女様を誕生させます。頑張り屋だから、普通だったら、やめないで、子育てと、勤務を両立させたと思いますが、そのころ=1970年代に、新しい障害として、出来した、自閉症対策をも、開発すべく、動くので、忙しくて、サラリーマン=筑摩書房編集者を、やめたのです。

 この自閉症ですが、私の孫の一人にも出ています。今では、呼び方がスペクトラムとか、言う語彙変換が起きていて、それも、私のブログを、理解不可能にする措置の一つだと、推定しています。が、ともかく、頭の良い両親のもとに生まれると、見ています。

 笠松家では、たぶん東大卒の父親と国際基督教大学卒(この学校は大学紛争で、1967年の入試が、なかったのです。そこで、大きく評判を落とすのですが、それ以前の卒業生の、やっていたことは、日本社会が、右肩上がりの経済的成長を遂げるのに、大きく貢献をしています。知る人ぞ知る、優秀大学だったのですよ。一般には、眞子様ご入学で、知名度がやっと上がったというところでしたけれど。うちの孫の両親は、笠松夫妻ほどには、優秀ではないのですよ。でも孫が頭がいいのは確かで、将棋などをいとこ同士でしても、一番年少(小6)でも、年上の高校生まで、負かしてしまうほどですって。

 元へ戻ります。そういうお子様が、生まれると、【Gifted=ぎふてぃっど】と言います。うちの息子も成長しました。で、私は笠松夫妻を、理解力の高い人だと、見たわけです。

 ところがね。私をも、ブログやメルマガをも、まったく理解していなかったのです。たとえば、山折哲雄氏の、【仏陀はなぜ、子供を捨てたのか(集英新書 2005年刊)】は、タイミングを考えると、私のブログから、アイデアが、生まれて、注文が、山折氏に入った新書でしょうが、彼女は、それの担当編集者として、私にそれを送ってくれているのに、一切それを言わないのです。

 ただ、彼女からは、いろいろ、ご自分が担当した本を送ってもらっているのですが、山折さんだけは、後書きの最後の、4行で、彼女に対する感謝の言葉を述べています。ちゃんと名前を記して述べてあります。プルーストの全集だったりすると、もらったのが、13巻(最終巻)なので、索引や註が大量=92頁にあるので、後書きが見つかりません。

また、吉田秀和氏の【たとえ、世界が不条理だったとしても】では、初出の朝日新聞社の編集者への謝辞だけだったり、・・・・・ともかく、結果として、山折さんの集英新書に、彼女の名前がとどめられていました。

 今、彼女からもらった本をひっくり返して、矯めつ眇めつ見ているのですが、しみじみと、悲しいです。

 あの電話をもらった日は悲しくなかったのです。・・・・・なんだ。笠松敦子さんって、思っていたよりも下品な人だわ。私のことを、そういう風に<<<さもしい人間だ>>>と考えるなんて、笠松敦子さんのスケールが、小さいということでしょう。・・・・・と、考えて平気だった。しかし、今、こういう風に彼女からもらった本を、並べてみると、光文社の本がないのです。

 でね。中村さんと笠松敦子さんが組んで、出版したであろう、20年前の出版物でも、フランス語からの、翻訳本だったら、ロングセラーである筈で、今でも、扱っているはずです。ノンフィクションとか学芸本としてね。

 しかし、見当たらない。ということは、彼女は光文社の中村さんを知っているのだが集英者ほど付き合いはない。それなのに、こういう命令をする。それって、出版業界・全体に、「川崎千恵子の著書を出してはいけない」という、風潮が流れているっていうことですか?

 驚いた。ちょっと、心臓がどきどきするほどの驚きです。ちょっとここで、名前を上げたいのですが、阿刀田隆氏、安西篤子女史、赤津侃氏などから、それぞれ、「驚いた。こういう場所で、これほど、頭の良い人に出会うとは」とか、「面白かったです。引っ越し先は、この住所です。よかったら、連絡をください」とか、「あんたは、筆力があるからね」と、言われている私が、かくも、(親友だと思っていた)笠松敦子さんに、軽蔑をされていたとは? 

 あのね、私が、CIAや、警察にいじめられているという関連の文章を投稿する前のメルマガ時代には、日経新聞のエリート社員で、一年時の18人だけの英会話のクラスで一緒だった男子学生に、ICUのクラス会で、「あなたのエッセーの方が、芥川賞なんかよりもずっと、面白いよね」と、言われています。

 この日経新聞の人は、人文系の文章を書く人では無くて、経済専門でしょう。それでも、ほめてくれていたのに、文章を読む専門家であるはずの、笠松夫妻が、私の文章を読まず(著作を送っても読まず)、ただ、ただ、誰かからの讒言を信じて、私を軽蔑していたなんて、・・・・・?!?!?

 彼女が送ってくれた上製本(厚手の表紙であり、箱入りもある)を、前にして、心臓が締め付けられる様です。潜在意識の中では、わかっていたのですよ。だけど、彼女が、送ってくれた本を前にしてみると、突然に、リアルな世界でも、どれほどに、私の人権が損なわれていたかを、悟らされてきて、ちょっと、続きが書けないです。3時間以上、パソコンから離れます。家事をしているうちに復活ができるかな?

~~~~~~~~~~~~~~~~~

副題2、『そんなに苦しい間柄なのに、なぜ、私と笠松敦子さんは、2023年の秋まで、電話交換をしていたのか? それは、お互いに利用価値があったからだ』

 笠松敦子さんは、フランス文学専攻です。だから、川名昭宣君(須賀敦子などと親しい河出書房新社の編集者・・・・私に対しても20回近く、爪で、手のひらをつねるという形で痛みを与えた恐ろし人)とか、私の現住地のご近所様前田祝一氏とか清子夫人と、実際に付き合っていた可能性もあります。

上は、バルザック研究に役立つと書いてあります。現在6,600円で、売っています。初版時は、3000円台でした。これが、また、腸詰屋とも関係がある本なのですが、本日は腸詰屋には触れず、笠松敦子さんが、もし、前田夫妻と付き合っていたら、前田夫妻から、讒言を聞く可能性があります。また、井上ひさしと、伊藤玄二郎とも、付き合っているでしょう。特にご主人の方はね。

 そして、伊藤玄二郎たちCIA-ジェントは彼女と私が交わしている電話を盗聴して、私がどこまで、裏側を知っているかを探りたいと願っています。で、笠松敦子さんに「演技してください。仲良しみたいに」と、依頼していると思います。

 そして、知らせたいことを、笠松さんを通じて、知らせようと考えています。8050ママのご長男が、亡くなったかもしれないという話は、笠松さんが、「年賀欠礼をもらいましたよ」と教えてくれたので、わかったことです。

 私の方は、どういう風に彼女を利用しているかというと、主に死亡通知です。「古村浩三夫人が、主人はなくなりました。2016年と、言うけれど、信じられない。どうか、それが正しいかどうかを教えて」と、電話で願っています。以前は同期生の消息は、メルマガでお知らせがあったのですが、最近来ないので、オミットされたかなあ? とは思ったのですが、

 林真理子、日大理事長のあまりにも激しい嘘の羅列で、宮川泰助、紗枝両選手が、古村夫人の塾の出身の筈だということを確認したくなったのです。宮川泰助選手は、実際に関西学院大学の学生に向かって激しいタックルをいたしました。が、内田監督の影響下でそれを行ったわけでは無くて、古村浩三邸で、伊藤玄二郎、古村夫妻らに説得をされて、それを行ったわけです。。

 古村家に電話をかけても、そういう真実を教えてはもらえないとは、思いました。が、電話に出ないということでも、私のブログ文への強化に役立つと思って、電話をかけると、驚いたことに古村夫人が出ました。しかし、「主人は、亡くなりました。2016年です」という仰天すべき嘘を聞くこととなります。で、私は、それが真実かウソかを確かめるために笠松さんに電話を掛けます。そういう意味で、利用をしたのです。

 笠松敦子さんは「わたくしは、そういう話は聞いていないけれど、活発にお付き合いしているわけでもないから、聞き漏らしたのかもしれません」と答えます。その返事は、OKです。

 でもね、大学側へ、100万円寄付しましょうという企画で、笠松敦子さんは、古村君と、組んで、五人の、幹事役の一人だったのです。そういう立場の人に、古村家側が、死亡通知を出さないわけがないです。だから、古村浩三夫人の「主人は死亡しました」の方が嘘でしょう。ただし、本日語りたいことは、日大問題ではないです。で、これは、ここまでの話としておきましょう。で、ここで、笠松敦子さんとは、離れます。

 私は、日大関係者、(家族も含めれば)何十万人を救う人です。ありとあらゆる、苦しみをおう人を救う人間なのです。それなのに、そういう私を、馬鹿だの、虫けらだのと、筑摩書房内部でも、社員に告げている・・・・・(だから、秋元松代全集第二巻の付録だけ見せてくださいと電話をかけているのにけんもほろろだった)・・・・・ミスター笠松って、東大卒であろうに、何と頭の悪いことであろうかと、言っておきます。

 さて、この文章は、日大を分析するのではなくて、立花隆の最終局面を分析する文章です。で、ここで、大竹しのぶに入っていきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする