銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

平原綾香の『誰も寝てはならぬ』(緊急割り込み)

2009-08-30 20:35:11 | Weblog
 今日は緊急割り込みで、歌劇トゥランドットの中の有名なアリア『誰も寝てはならぬ』について述べたいと思います。この歌を2000年にメトロポリタンオペラで、見たときから大好きになっていました。その日は三ヶ月のNY滞在の最後の方で、版画の制作で、疲労困憊、『一階の席なのに、もったいないなあ』と思いながらも目が開けていられないのです。ほとんどの場面で寝ていたのに、このアリアが始まった途端にはっきりと目が覚めました。

 主人公のカラフ王子はひざを屈する形でこれを歌っています。それが座席の間から見えました。そして、衣装は後日、荒川静香が使ったように、青と白が身体の中心で、色分けされているものです。ただし、王子ですからビーズやスパンコールの飾りは無し。

 そのときから私は一人で歌っていましたが、荒川静香がトリノ・オリンピックでこれをテーマとしたことから、人前で歌うようにもなりました。銀座の画廊でも三回ぐらいはこれを既に歌っています。普通の場合は、クラシックを歌うと、そのメロディを知らない人が多いので、受けないのです。ところが、琵琶湖周航(?)歌のようによく知られている歌(私の世代での話しですが)だと、馬鹿に受けます。その歌のメロディが単純でも、誰もが知っている歌を歌うと受けます。

 しかし、素人歌手にとって、単純な、しかも誰もが知っている歌を歌うのは非常に難しいのです。ぼろが出やすいのです。美空ひばりのように玄人で、しかも表現力のある人だと、『酒は涙か、ため息か・・・・・』のような、楽譜に直せば非常に単純な歌でも、人を感動させられます。

 だから、私はメロディがやや複雑なセミクラシックを歌うのが好きです。が、受けない事も覚悟をしなければなりません。ただ、それに日本語の歌詞をつけたらよいのだろうなあ・・・・・と考えていました。ソルヴェーグの歌については既に、自分の歌いやすいように歌詞をつけました。

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 ところが今日、驚いた事に、このトゥランドットの『誰も寝てはならぬ』が鶴岡八幡宮から聞こえてきたのです。午後一時から三回ぐらい、女声で歌われました。この時点では、距離にして40メートル、高低差にして40メートル離れていますし、間に重層的に葉っぱがあるので、声がくぐもっていて誰が歌っているかは分からなかったのです。

 私は鎌倉市内で治療院を開いている主人へ電話を掛けて、「誰が歌っているか見てきてください」と頼みました。普通の場合は、私はあまり、物見高い方ではなくて、ミーハーチックではないのです。それで、音が聞こえてもほとんど、見に行きません。今回トゥランドットの『誰も寝てはならない』を歌っていたので、特別に興味が沸いたわけです。

 主人の方は朝な夕なに、八幡宮を通るし、大きなパフォーマンスがあるときは、帰宅を一時間ぐらい遅らせて、みて帰ってくるので、頼みやすかったのでした。

 主人はケータイにメモをしてきてくれました。渡辺美里と、平原綾香が、主な女性歌手です。『誰も寝てはならぬ』は元歌は、男声(テノール)ですが、山の下から上がってきたのは女声ですから、どちらかが歌っているのだと、信じて、それを見に行きたくて、夜の七時に、投票をかねて、山の下へ降りていきました。

 司会は葉加瀬太郎です。彼が思いがけないほど、司会者としてもさばけた(かつ、くだけた)人であることには、初めて接して驚かされました。

 ただ、残念ながら、七時以降には、私の目的とする曲目は演奏されませんでした。で、私は、隣に立っている奥さんに聞いたのです。すると、「ああ、それは平原綾香です」とすぐ教えてくれました。で、私が「少し、ヴァリエーションを加えていましたね。最高音部は低くしていて・・・・・(これもポップスへ近づけて誰もが歌いやすくするための、工夫だと思いますけれど)・・・・・」と言うと、

 その奥さんも「ええ、そうですね」と応えた後で、お互いに音楽好きな事が共感を呼んだのか、もっと大切な事を教えてくれました。「ところで、それは、9月7日にリリースされるようですよ」と。

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 私はびっくりしました。この曲は大好きです。でも、人前で歌った限り、『まだ大衆的には受けないだろう』と考えていたのです。でも、平原綾香が歌うのならぴったりです。彼女はジュピター(原曲はホルストの『惑星』から)を既にヒットさせています。

 クラシックを、自分のものにして、一種の和製ポップスとして歌っています。それなりにファンがいるから、CDを買う人は多いでしょう。そこから輪が広がっていき、大ヒットになる可能性があります。

 それは、私には非常に嬉しい事でした。西欧音楽のダイレクトな咀嚼に当たるからです。

 日本は目の国と言うか、美術の優れている国です。
 だけど、音楽と言う意味では、メロディラインがずっと長い間、単純でした。邦楽のメロディと言うのは劇的ではありません。民謡もそれほど、メロディラインが複雑ではありません。

 メロディの複雑さをマスターしようとすれば、どうしても西欧音楽の影響を受けないと駄目だと感じます。その影響を受けて、普通の人へ伝達をする存在として、平原綾香はぴったりです。聞くところによると、彼女は音楽一家に生まれたそうです。そして、私の観察によれば、食事も正しく豊かなものを食べて育ちあがったと思われるお嬢さんです。その人が、西欧のメロディを、100%自分のもののして歌う、・・・・・それが素敵です。しかもジャストと言ってよいほど、適宜な存在だと思われました。これがもし、佐藤しのぶが、「男声の歌ですが、挑戦してみました」と言ってCDを出しても、ヒットしないでしょう。意外性がないし、大衆的な、分かり易い仕上がりとは、ならないでしょうから。

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 私は、その情報を人づてに得たわけです。そして、家ヘ帰ってきて、パソコンを開き、グーグルの検索で、平原綾香の頁を開き、そのCDが「ミオ・アモーレ」と言うタイトル(・・・・・アルバムは、my Classicsというタイトルですが・・・・・)で、8月26日に発売をされている事を知りました。

 そして、それを試聴したりしながら、詳細に検討したら、同時に『カタリ・カタリ』も収録されている事がわかりました。彼女の言葉で、「両方とも男性の歌ですが・・・・・」と書いてあります。

 だけど、だけど、これをいっちゃうと、皆様に、またまた、嫌われるでしょうが、『カタリ・カタリ』も、私が三十代から四十代に掛けて、大好きだった歌なのです。偶然ですが、中年期に好きだった曲と、老年期に好きになった曲の二つが入っているCDとなりました。これは、買わざるを得ません。

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 私は『預言者は世に容れられず』と言っていただいた事があります。で、ちょっと先んじすぎていて、大勢の人の賛同を受けられないという思いをした事は多いのです。で、最近の私は、務めて、過去の事だけを話そうと思っているのです。しかし、心配して・いる事は多いのですよ。あれを言いたい、これを言いたいということは、たくさんあります。特に今回の選挙に関して言えば、『小選挙区制の弊害が、今回ほど、現れた事はないなあ』と思っています。怒涛のごとき、一党独裁へ入っていった。

 これで、日本の政治は大丈夫だろうか?・・・・・と、心配しています。でも、このみの歌の曲目で、世間(または世間をこれから誘導するであろう、平原綾香)に先んじていたのは、嬉しかったです。単純な事であり、誰にも迷惑を掛けない事ですから・・・・・
     2009年8月30日   雨宮 舜(川崎 千恵子)
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