銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

猫ががん死して、初めて分かった、ヘレンさんの過去と苦しみ

2009-08-31 20:11:29 | Weblog
 ヘレンさんの家を辞して、私とベッティさんは、駅の方に向かっていました。私はその頃は、ものをはっきり言えない人でした。でも、この件だけはヘレンさんを批判をしたいと思っていました。

 ヘレンさんは殺虫剤を、猫本人にかけてしまうのです。ヘレンさんの家へ遊びに行ったときに、それを目撃した私は、『これだけは、困った事だなあ。どうして、猫好きなヘレンさんは、猫が毛づくろいという事をして、体をなめる事に気がつかないのだろう。殺虫剤は毒薬でもあるのに』と長らく思っていました。『猫ノミぐらいどっちでもいいじゃあない。それよりも殺虫剤の方がよほど怖いわよ』と思っていました。

 私たちはテレビや新聞からの情報に左右されやすいのですが、じっくり考えてみると、意外な真実も見えてきます。戦前の日本では人糞を肥料にしました。それで、回虫の卵なども空気中にたくさんあって、寄生虫を体内に抱えている人も大勢いたのです。しかし、その頃は、ガンもそれほど多くなく、ましてやアトピーとアレルギーなどもいまほど多くはありませんでした。

 どこかの学会で、清潔すぎる生活が、アトピーやアレルギーを引き起こすと発表をされたそうです。ある程度の不潔さが有った方が、免疫力が増すというか、・・・・・

 ノミやシラミと言う生き物のもたらすドクと化学薬品のもたらす毒とでは人間にとっては、化学薬品の方が怖いような気がします。「ノミやシラミが平気」と言うと、皆様が誤解をなさるでしょうが、先週、一週間以内に、ムカデにかまれて初日はものすごく痛くて、次の日から4日か、5日間かゆくてかゆくてたまらなかった私は、ともかく、その毒が去れば、後は、ちょっとしたかさぶたができているだけなので、虫毒の方が軽いと思うのです。しかも、次にムカデにかまれたときは免疫があるはずで軽くなるのです。かくいう私も、今回が二回目でした。だから、以前のときより軽かった気がします。

 大学で化学を専攻しただけに、余計にそう思っているのです。

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 で、三十年前の当時は、人生経験も少なく、自信も少なかった私は、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで、ベッティさんに向かってだけ、「ヘレンさんがあの粉を振り掛けるから、ショウグンは死んだのよね」といったのです。

 するとベッティさんが例のごとくの、ざっくばらんではっきりした物言いで、「あら、ヘレンさんって、DDTに麻痺しているのよ。だって、アウシュビッツの生き残りなんですもの」といったのです。

 びっくりしました。あらゆることにね。まず、そんな大それた秘密をあっさりと明かしてしまうベッティさんに。だってベッティさんは純粋な日本人なのです。ふっとした拍子に、つつしみとか、恥じらいと言うものも見える人なのです。それがそんな大きな秘密を軽く言ってしまうということに。

 でも、今ではベッティさんに感謝しています。今の私は相当に図太くなっています。平家物語の中の「見るべきほどの事は見つ(見果てた)」ではないが、人間のいろいろな側面を知ってしまい、かつ、人間が、『どんな人も、隠された不幸のたねと言うか芽を持っている』ということも知り始めました。

 経済的にも社会的な身分と言う意味でも大変に恵まれたヘレンさんには、幼い頃に、
 普通の人には、経験のしようもないほどの大きな不幸に直面していたのでした。

 ・・・・・・『そんな過去があるのに、今あんなに平静で平和でいられる。日本文化を愛し、理解し、そして、猫を可愛がる。珍しい短尾の猫をアメリカに持って帰ることに今は情熱を注いでいる、中流の上といえる階級の婦人である。たたずまいも志も美しい。それなのに、普通の人にはわかりそうな、簡単な事である、DDTの毒性を軽んじて、毎日数度、猫の体にふりかけてしまう。

 それは、彼女が子どもの頃、体に大量のDDTをふりかけられていて、DDTの毒性に麻痺していて、気がつかないのだ。でも、猫は体重は少なく、許容量が人間より少ない。それで、ショウグンはあっという間にガンで死んでしまった。タイから持ってきたという、前からいた大人の猫、二匹も痩せている。

 でも、『この殺虫剤の毒のことは、今は、アウシュビッツのことをしってしまったからこそ、注意できないなあ』と感じた私でした。

 「ヘレンさん、そんなに、たくさん粉をかけては駄目よ。だから、ガンになっちゃうのよ」なんていったら、大変失礼と言うか、残酷な事を、私がしている事になります。

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 私は映画やテレビで、若い頃に見たアウシュビッツの捕囚の人々の映像を思い出しました。うつろな目をしながら裸にされて、「清潔のために、これからシャワーを浴びます」と言う嘘をつかれて、ガス室に送られた人々の映像です。

 そんな事は遠い遠いヨーロッパの事で、自分の日常生活とは全く関係がないと思っていました。

 このことは、猫好きなヘレンさんが可愛がっていた短尾の猫が、彼女の留守中に急死するという事件が無ければ知らなかったでしょう。特に預かった人が、責任を感じて解剖をしなければヘレンさんは、あの内臓入りのガラス瓶を私に見せなかったでしょうし・・・・・

 すべては偶然ですが、人間が歴史の中に生きている事を知らせてもらった貴重な経験でした。そして、人は見かけによらぬもの・・・・・と言う事も・・・・・

 普通に見える人にも、影に大きな事が隠されて場合があるのです。三人と言う形の会合は、秘密を打ち明けるのには、ふさわしくありません。社交に傾きます。だから、三人であい続ける限り、私はこのことを永遠に知らなかったでしょう。

 そして、ベッティさんが、坊ちゃんへの愛ゆえに、小学校のPTAから姿を消したときから、私はヘレンさんに会うのを遠慮しています。そのまま、三十年以上が過ぎました。でも、京浜急行のバスが、NAVYと後ろに小さく書いてあるワゴンに追突をされた途端に、私はタイムスリップをして、こういう事をすべて思い出したのでした。 2009年8月31日    雨宮 舜(川崎 千恵子)
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