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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

国展と、新制作展は、どちらが上ですか? 私と渡辺幸子さんとの確執の始まりは?△

2015-06-26 20:24:54 | 政治

 最近の私は、常にツィッター方式で書き、書きぬけた順に、総タイトルを変える傾向があります。この一文も、最初の総タイトルは、『気取りすぎ、鎌倉夫人が、いじめて来た時に、どう対応したらベストだったのか、今、考えてみる。』でしたが、27日の午後1時にコンテンポラリー(=臨時)に、『猫が、人間の保護者か?、それとも、人間が、猫の保護者か?』と、変更をさせていただきました。そして、その一時間後に、上のものへと、変更しております。そして、28日の夜、推敲をしていました。夜の10時に、2万字に達したので、「そこで、終わり」と強引に致し、恒例の△印を、総タイトル横に付けました。続きは、明日公開をいたします。

副題1、『本日は、下品な(これは、一回目のものを指す)総タイトルをつけておりますが、あとで、変更する可能性があります』

 ええと、不規則な睡眠が続いていて、かつ、外出が続いていて、心身共に不調であります。普通ならこういう時にはブログを書かないのが最近の生きる手法の一つです。ところが、朝の7時ごろからずっと、心に引っかかっている文案があって、それを、外に出してしまわないと、先へ進めない感じがあるので、ブログを一本書き上げてしまいましょう。前報(後注1)の副題2~4までに、気になって気になって仕方がない処があります。書き足りないところがあると思い至っていて。

 間違ったことを書いたというわけではないのです。あれは、あれで、それが、真実です。しかし、物事は、他の方向から考えてみると、違って見えることがあります。M夫人と、詳しい会話を交わしたことはないのですが、他の人と似たようなことがあったので、そちらで、検証しなおしてみましょう。そちらもいじめてきた人(=画家の渡辺幸子さん)、そのものとは、対話はないのですよ。後日の対話はないです。しかし、相手が画家なので、画廊のオーナーとか、その他が絡んでいて、いろいろな、情報が後から入って来て、本当は、こちら(=川崎千恵子)の方が、彼女(渡辺幸子さん)より、強かったのかもしれないということが解ったケースです。 それをこれから書いていきましょう。

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副題2、『新制作(展)と、国画会(国展)と、どちらが上なのでしょうかね?』

 日本には、フランスでいうサロンと言うのが、非常にたくさんあります。公募団体展と言うものです。しかも、その内部でのヒエラルキーが、特別に、がっしりとしています。茶道や華道、仕舞、謡曲などの世界で、家元制度が発達しているので、それが、取り込まれているからです。

 まず、日展と言うのが、官展と言って、諸費用を文部省が出してくれる形で始まり、それに対して、主にフランス帰りのモダンな人々が最初に二科展と言うのを作って、別派運動を展開しました。後者の方を在野の団体と言います。日展の方は、日展の方で、下部組織である一水会や、白日会ができたし、在野の方は、在野の方で、分派活動が繰り返されていて、新制作、国展、独立、二紀、モダンアート、女流展、版画協会展、自由美術、他、数十団体があります。

 でね、それぞれの団体にスター画家とかスター陶芸家が居て、それが、ひっぱる力によって、会のカラーが決まってきますし、会の消長も決まってきます。新制作は、猪熊ゲン一郎さんと言う方が、牽引をしてきて、私に言わせると、白を多用する傾向がある、集団です。そして、独立とは絹谷幸二さんが、牽引をしてきて、どちらかと言うと、茶色が、主体となって、作品を作る作家が多い団体です。今は違うかもしれませんが、私が熱心にそれらを見物していた時期(1980~2002年まで)は、そうでした。国画会には、国画会なりに、棟方志功(数年でやめているはず)とか、富本健吉とか、森本草介と言うスターが居ます。私が見るところ、国画会が、一番、絵の種類、または潮流が雑多で多数あり、自由度が高いと、見ていました。

 で、私は国画会内部での、引きも先生もいないのに、自主独立の人間として出品をして、最初の年から入選したので、やはり、美術の世界の人間だとは思います。国展には、1991年から、2002年まで、油絵か、版画のどちらかが入選をしていました。

 美術の専門外で、しかも、この日本では、大切な大きな仕事をしている女性の方が、私に向かって、「もう、世に出ていらっしゃるから」と、言ってくださったのですが、そういう意味でいえば、国展に、連続入選をしているというのは、美大を出ていない私にとっては、一種の指標となるものでした。未だに、応募用紙が送ってきます。しがみついていれば、それなりに、何かになったかな?

 国画会については、語りたいことがいっぱいあって、それをまだ、全部は語り切っていないのですが、ここでは、そちらへは、進まずに、『国展と、新制作展は、どちらが上でしょうかね』と言う疑問を提出するだけにいたしましょう。

  むろんの事、こんな疑問を提出したら、美術界の人は、『アホみたい。何やっているの?』と、猛反発をなさるでしょう。それは、承知しています。美術はスポーツではないので、記録を争うものではないからです。だから勝敗をつけるものでもないです。しかし、私と、渡辺幸子さんと言う画家の間での、確執を語る際には、それが、必要になってきます。で、そういう提案を、ここで、させていただいています。

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副題3、『渡辺幸子さんからは、ICU同窓会展に誘われたので、外人記者クラブで、年に数回お食事を一緒にするチャンスができた』

 渡辺幸子さんは、グーグルで、『渡辺幸子 画家』と入力すると、たくさんの項目が出てきます。彼女との付き合いの始まりは、新制作の神奈川支部が、関係しています。私が鎌倉に転入してきてから、小関敏雄先生(横浜国立大学の教授にして新制作協会の会員。最晩年は、逗子のかぐのみ幼稚園を拠点として、後進の指導に当たっておられた)の研修会へ参加することとなり、そこに、同じ新制作協会の会員である田沢茂先生(鎌倉を中心とした閨秀作家グループを率いている方で、そのグループは、背の高い、体格の良い女性が多かったので、アマゾネス軍団と呼ばれていた)のグループが、一緒にお酒を飲む機会が、秋の神奈川女流展の際にできるので、それで、知り合ったのだと推察していますが、酒席を同じくしたことはありません。と言うのも彼女は、当時は、神奈川女流展には参加していなかったからです。ただ名簿を見て誘ってくれたのか、それとも、私がICU卒だと、鎌倉美術展や、神奈川女流所属の作家などの噂話を聞いて興味を持ったということなのかもしれません。

 で、大学が同じと言うことで、渡辺幸子さんの方から、近づいてきて、急速に親しくなった間柄です。で、彼女に誘われて、ICUの大学同窓会展と言うのに参加することとなりました。画家は個展に来てくれるお客を求めているものですから、機会があれば、人と交流をして、知遇を深めようとするものなのです。で、渡辺さんの個展には何度も見に行っています。

 そのICU展と言う名前の大学同窓会展は、実質的なトップが、石塚雅彦さん(元日経新聞論説委員で、その後、早稲田大学の教授となった)で、氏が、一時期理事長を務めていた外人記者クラブで、準備会をするのが常でした。打ち上げもそこでいたしました。お酒は飲まないのです。で、本当のことを言うと、そこのお食事は、味や料理法としては、最高級と言うほどのものでもない。アメリカ式キュイジーヌと言うわけで。でもね。普通の人は入れない会員制クラブです。しかも、有楽町駅の真ん前の高層ビルの高層階です。だから、自分をエリート視できる場所です。そのグループを私は、2003年に辞めています。原因は、次の節で。で、エリート風テーストからは、離れています。

 もしかして、私って、あほな選択をしているのかな? (苦笑) 国展もやめているし、このICU展もやめているので、上昇気流に乗るチャンスを逃がしている?・・・・・うーん。そういう意味では、チャンスの前髪はつかまないというか、つかめない人が、私ですね。常に求めているのが、純粋だということだから、それで、損をしているのかな?

 だけど、ICU展をやめたのを後悔は全くしておりません。私ね、19歳のころ、ほぼ、二年間をかけて、ロマンローランの、【ジャンクリストフ】を、読み上げています。フランス側の出版では、全11巻です。もちろん日本語訳で、岩波文庫で読みました。私は女ですが、どうも、ジャンクリストフ的な生き方が好みの様ですね。ジャンクリストフって、損ばかりしている人生なのですよ。

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副題5、『しかし、渡辺幸子さんが、2003年に、私の出品作を見た途端に、突然激怒してきて、ひどいいじめをして来たのだった。私は、常に考える人だから、その原因も、理由もすべてわかっていたが、渡辺幸子さんの方には、そういう冷静さは、無かった』

 私と渡辺幸子さんは、ものすごく違うのです。ただ、共通項もあるのですよ。年が二歳か、一歳しか違わないとか、中学期に、横浜本牧(かの女はフェリスで、私は付属と、)の同じエリアに通学していて、元町とか大桟橋とか、が、遊び(または、お散歩)エリアですね。だから、モダンでおしゃれです。あ、思い出した。上條陽子さんも、ほぼ、同じ時期にあのエリアに通学している女性画家です。彼女は共立。わかりますか? 三人とも、おしゃれ感覚が鋭いでしょう? ただ面立ちは、上條陽子さんも、渡辺幸子さんも洋風で、彫りが深くて、モダンです。私は平板です。(苦笑)

 もっとも、違うことは、現実にどう向き合い、何を望むかと言う点です。私ね。中学期以降は、べたべたの過保護のもとで、育ったらしいのです。だから、現実には疎い方です。お金を儲けるのにはどうしたらいいかとか、出世するのにはどうしたらいいかと言う点では、何も知識がないし、頭も働きません。だが、哲学とか心理学と言う側面では、非常に鋭い人間で、渡辺幸子さんとも、話しているうちに、『実際には、こちらが年上だ。私の方が彼女の保護者にあたる』という感覚を持ちました。

 どういう具体例があるかと言うと、彼女は、田沢茂氏との関係にひどく悩んでいました。田沢先生と言うのは学歴がない人だったと思います。で、指導するにあたって、心理的な駆け引きを駆使するのです。で、渡辺幸子さんが、抱いている、同じグループ内の・・・・・(お姫様扱いを受けている)・・・・・桜井陽子さんに対する嫉妬心とか、競争心をうまく利用するタイプなのです。そういうタイプなので、小関先生は、田沢先生を、強く嫌っておられました。

 だから幸子さんは、田沢先生に引っ掻き回されているという趣が、ありました。桜井陽子さんという人が、これまた美人で、しかも親にもご主人にも子供にも恵まれているというタイプです。そして、武蔵野美大の出身だし、余計なことは言わないし、余計な失敗もしないというタイプだから、新制作でも、あっという間に、会員になりました。とても、若い時期にです。桜井さんが、もし、渡辺さんに優越している点があると仮定すれば、それは、色彩感覚ですね。彼女の色の扱い方には、透明性があります。渡辺さんの方は、色彩と言う意味では、魅力ぜろ。しかし、新制作展には、出品しない小さな作品を描く場合は、いい色彩感覚を示す人なので、田沢先生の指導がいけないのではないかと、推察していました。大向こう受けを狙って、難しい色彩配分をやらせていると、見ていました。

 また、桜井陽子さんが、恵まれているが故の、心づかいのなさを、示してしまう人なのです。なんというか、ポーンと【でくの坊】が突っ立っているという感じを、他人の方が、彼女から、受ける。それで無視されているとか、軽蔑をされているという感じを受けるのです。・・・・・そういうタイプの人です。一方の渡辺幸子さんですが、最初期の、JALスチュワーデスです(CA)。あれって、上司から、心づかいのあれこれを叩きこまれるのですって。「もう、いやンなっちゃう。銀座のホステスを見習って来い、なんて言われるのよ」と別の人が嘆いていました。だから、渡辺幸子さんの方が、桜井さんに対して、『嫌だなあ。悔しいなあ』と、思う事はいっぱいあったと推察しています。でも、問題は、それを、絵の指導と称して、田沢先生が使うことなのです。駆使すると言っていいほど、「ああせよ、こうせよ」と、渡辺さんを混乱させることを言うのでした。

 私は自分自身が、田沢先生から、「僕の、弟子にならないか?」と、ある画廊で、実際に誘われています。私は、その人物と三分間、一緒にいるだけで、すべてがわかってしまうタイプだから、「聞きしに勝る洗脳ぶりだ。くわばら、くわばら、三十六計、逃げるが勝ちよ」と、早々に、その画廊から、逃げ出しました。ところが、渡辺幸子さんは、そういうお誘いに心酔してしまうのです。だから、どこか、意外なほど、幼稚なところを残している人だと、私は考えていました。または、自分の頭では、ものを、考えない人。ともかく、私は渡辺幸子さんと、田沢先生の関係って、高浜虚子と、きく女の関係に似ていると思っていて、温厚で、愛情深いご主人が気の毒でなりませんでした。

 一方で、渡辺幸子さんからは、私は、「お金を無駄に使っている」と、ずいぶん叱責をされました。ただ、愛情ある叱責と言う類でした。だから、その頃は、お互いに、持ちつもたれつの対等の関係だったのです。この際の対等と言うのは、友情や愛情の交換が対等だったという意味でです。社会的なランクがどうのこうのと言う話ではない。

 ところで、もっと、書ける体力はあるのですが、猫が、『一緒に寝ましょう』と誘ってきます。私に言うことを聞かせるために、トイレにまで、ついてきて説得をしてくるので、仕方がないので、ここで、ブログを書くのは、中断をさせてくださいませ。昨晩、三時間しか寝ていないので、ここで、就寝をした方が、健康のためには確かにいいのです。はい、猫だって、私のお姉さん役を時には果たすのですよ。

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上までが、26日に書いて、これ以降は、27日に書きます。

副題6、『人間の方が、猫の保護者であるのか? それとも、猫の方が、人間の保護者であるのか?』

 この節は、スピンオフ中のスピンオフであって、本文との関係は薄いのです。だが、保護者を求める人間の心理と言う意味では、本文と通底するところがあるので、これを書かせていただきたいと、思います。私は、最近、株主総会に連続して行っています。で、外出がいつもより多いです。うちの猫は、すでに、12歳なので、人間の年齢に換算をすると、40代のおばさんにあたるのですが、飼い主の私に対しては子供として、接して来ます。で、外出が多かったので、接触する時間が足りなかったので、帰ってくると、なついてなついて来て、遊んで、遊んで足元にまとわりつき、せがみます。彼女とのゲームはライオンごっこと言うもので、結構なエネルギーを必要とするものなので、体力的に余力が残っていなかった私は、ダメダメという感じで、一週間程度、ライオンごっこをしてやっていませんでした。

 すると、見事に変化が表れて、夜の8時半に、主人と一緒に一回、彼女は寝るのですが、その時のお誘いかけが、派手になったのです。そっと、二人で、主人の寝室に向かうのが普通ですが、最近では、居間のドアのところで、大声で、主人に向かって、「早く寝ようよ」と、呼びかけているのでした。で、夜の九時ごろ、主人の部屋の前にある洗面所に用事があって、通って、中を覗くと、主人は熟睡中で、その傍らに、まだ、目がぱっちりと開いた、猫が、こっちを、非常に複雑なニュアンスで見ています。その意味するところは、『あれ、悪いところを見つけられちゃったかしら?』と言うものです。で、私がそれを受けて、「あら、いやだ。お父さんにばっかりべったりと、引っ付いて。このごろ、お母さんと寝てくれないのね」と小さな声で言いました。それが、25日(一昨日)の事で、それを26日の夜には、どうも覚えていたらしいのです。

 でね、夜の11時ごろ、今度は私の寝室のドアの前に立って、一緒に寝ようよと、うるさいのです。で、一昨日の私の言葉を覚えているらしいと、私の方が悟って、一緒に寝ることにしました。猫のごときに動かされて、ブログを放り出すなどとは、言語道断ですが、実は、これから先に書くことは、昨日の体力では無理だったので、それで、良かったのでした。ともかく、パソコンに、急なるお断りの、文言を入れて、まず、トイレに行かないとと、一階へ降りていくと、なんと、彼女も、とんとか、とんとか、一緒に降りてきて、トイレの中まで入って来てまで、「早く。早く」とせがむのでした。で、結局、歯磨きもしないで、寝るほどでした。そして、彼女は、彼女の定席である私の、枕の左側に入り直し、・・・・・右側に置いたのにですよ・・・・・ごろごろ言いながら、二人で、仲良く寝るのでした。そして、たぶんですが、私が、熟睡に入ると、出ていくのです。『はい。ここで、千恵子さんを寝かせつける役目は終わりましたよ』という感じで。で、その時間帯では、保護者役が、猫の方に移動をしていたのです。これが、渡辺幸子さんと、私との関係にみられた現象です。保護者役の移動と言うか、精神的な強者がどちらであるかの問題です。

 結構なレベルで、親しかったのですよ。それは、彼女は出世主義だから、どこでも、気の休まる場所がないのに、私とは新制作と、国画会と言う、所属がちがうので、ソサイエティが、違うのに、ほぼ同格で、同種類の場所に生きているわけだから、彼女の悩みは、すべて、私なら適切に理解ができるからでした。同じ種類のことは、桜井陽子さんには、口が裂けても言えなかったはずです。

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副題7、『渡辺幸子さんは、てきぱきと、お金の使い方について、私を叱るのだった。それは、学生時代に、父君が破産をして、それで、ICUを中退しなければならなかったので、こう成ったとの事だった』

 私は、いろいろな人から、お金の使い方については、お叱りを受けて来ている人間です。でもね、破産をしたり、借金をしたことはないのですよ。たまたま、全財産を入れた巾着を、早朝四時にコンビニに置き忘れた直後の、一週間は文無しでした。が、それ以外は、ぎりぎりでも、借金をしたことはないのです。

 ただね、一点豪華主義の典型で、創作に関することについては、莫大なお金を使う方です。特に、三度ほど、外国で、三か月ずつ、修業をしています。その時にも莫大なお金を使いました。どうしてかと言うと、三か月しかいられないので、徹底的に集約して仕事をするからです。その内容は、もっと年が若かったら「留学をしました」と、言う程度の深みのあるものです。実際に美大の大学院にも一学期間入っているし。ただ、50を過ぎてからですから、研修と言う言葉が当たっているでしょう。

 でね、私の場合の、創作と言うのは、内から沸き起こるものだから、「絵を、100号を描きます」とか、「150号を描きます」という種類の創作ではないのです。しかも、直接的には、賞とか、お金には結びつかないものです。

 渡辺幸子さんの方では、創作とは、画家としての出世のためのものだから、私との電話の最中でも、左手で、子機を持ち、右手で、ブラシ(太めの絵筆)を動かしているというほどの、休みのないものです。電話の中に、ざっと、ざっ、という音が入ってくるので、「渡辺さん、今、ブラシ使っている?」と、問い合わせると、「ええ、描いているわ」と言うことで、時計を見ると、夜の10時だから、「お夕食は?」と、問うと「今、ミネストローネスープを作っている」とのことでした。ミネストローネスープって作るのが最も簡単な料理です。ご主人様は、夜の10時半の食事で構わないみたいでした。

 私はその夜に、渡辺さんと、自分がどれほど違うかと言うことを、本当に、知覚をしました。生きる手法も、生きる目的も違う。これが、2003年の、望月画廊での、ICU展での確執(=喧嘩とも言えない一方的ないじめ)へと、突入する前提条件です。

 その頃、私はハードカバーの美しい本、『主婦が個展をする。しかも、ニューヨークで』を自力で作り上げていて、心の中で、深く満足をしていました。本と言うのは、私の様に、表紙の図案制作から、本文も書くとなると、一種の総合芸術です。だから、深く満足をしました。タイトルだけを、見るとノウハウ本みたいですが、まったく違うのです。一種の哲学的エッセイと言うべきもので、謹呈して、読んでくださった人は、みなさん、ほめてくださいました。しかも面白いと言って。で、ある達成感を持ち、それで、『そろそろ、国画会への、参加をやめよう』と考え始めました。

 国画会は、在野の団体の方です。しかし、芸大卒が多いところであって、他の団体に比較しても、モダンな運営をされているはずの団体です。しかし、私の、民主主義的な感覚からいうと、そこは古すぎるところがあり、『こんなところは、自分には合わないのだ。美大を出ていないから、一種の指標として、ここに、入選することが大切だったが、会員にはなれそうにもないし・・・・・すでに、その時に、会員をどういう風にして作るかの裏話を教えてもらっていました。すでに亡くなっているが、逗子在住の売れっ子画家の方からです。・・・・・上からの引きと言うことが大切で、ICU卒であって、国画会内部の学閥と無縁なうえに、若くもなく、美人でもない自分に、『あいつは、かわいいな』と思って、ひいきしたり推薦したりしてくれる、上位の人間はいないのです。

 でも、1980年代からずっと、こういう展覧会向けの大作を描いてきた人間が、私です。生きる体制が、そうなっているので、その決意をする前に、その年度様に、新しく作った、大作も、あるわけです。でも、国画会に出品しないと、無駄になるわけですね。で、もったいないので、ICU展に出しました。それまで、私は、ICU展には小品しか出しませんでした。それは、他の人が小品しか描かないからです。ICU展と言うのは、アマチュアの集まりだから、せいぜい10号までしか描かないのです。で、それに合わせるつもりで、小品を出してきていました。

 ところが、発表の場所がないから、この2003年だけは、ここに、大作を出したわけです。別に他の人に対して威張るとか、優越しようとかいう気は、全くないです。しかし、渡辺幸子さんは激怒したらしいのです。私が裏切ったということで。

 どうして、そういう事になるかと言うと、彼女は、いろいろ、ぶっちゃけた話というものをしてくれていましたが、その中に、ICU展を軽く見ているという話はありました。「〇〇コンクールのスケデュール上、あれ(=ICU展)が負担なのよ。でもね、お客様を開拓すると言う意味では、やめない方がいいでしょう。だから、出すけれど、本当に負担だから、鎌美に出したのを回すわ」とよく言っていました。鎌美とは、鎌倉美術家協会の略で、うちの父も一時期出していました。具象系の絵が、主に飾られていて、日展系の先生が、牛耳っている世界です。で、半分程度アマチュアのムードがあるので、みなさん、小品を出します。

 ICU同窓会が作っているウエブサイトに、渡辺幸子に関するインタビュー(後注2)と言うのがあって、それが、グーグルの検索でも、トップに出てきますが、その中にも、彼女自身が語っていることですが、この会では、彼女は制作上、飽き足らない気持ちを抱き、悶々としていたのでした。そういう時に、田沢先生と出会い、田沢先生オンリーと言うほどにのめりこんだのです。で、田沢先生信仰と言うほどに、田沢先生に、左右をさせられていた頃でしたが、それと、同時に、鎌倉美術家協会にも、依然として、出し続けて居て、「そちら用に書いている絵があるから、それをICU展に回すわ」と言っていました。それは、幸子さん固有の考え方だから、『それで、いいわ』と思っただけで、反対も賛成もせず聞き流して置いて、自分は、国画会用の絵を出したわけです。

 その100号を見た途端に、渡辺幸子さんは般若になったのです。多分絵が良かったのです。彼女の絵とは全く種類も傾向も違う絵ですが、それが良いということは、絵が好きだったりわかる人は誰でもわかったでしょう。

 それが、彼女の対抗心に火をつけたこともあるが、『自分が、「ここは、軽んじている」と言った後で、彼女は、ここを重視している。それって、裏切り行為でしょう?』と彼女が、思ったことも大きかったでしょう。火曜日か、水曜か木曜日に二人が、望月画廊(今はやめてしまっているが、一時期は盛んに活動をしていた貸画廊専門の画廊)で、初めてであった日に彼女は邪見にも、私のバッグ類をバーッとソファーから払い落して、「駄目よ。こんなにぐちゃぐちゃに置いては」とか、いろいろ怒鳴ってきたうえに、画廊から帰宅したら、裏側で、電話を使って、さらに、とんでもないいじめ工作をし始めていたのでした。その裏側の方については、後ほど、語りますが、100号を出品しただけで、これほど、いじめられるというのは、本当に腑に落ちない話であって、驚き入りました。

 で、『何故か?、何故か?』と、考え抜いたのですが、彼女は新制作を、国画会の上に置いているのだと思います。それも極端に上に置いているのでしょう。私は、自分の事は包み隠さず、彼女に話してありますから、国画会連続入選を告げてあります。そして、私の方は、それが、新制作連続入選とほぼ、同格だと思っていたし、私は絵を描く際に、彼女の様に、2週間か1週間に一回ほど、田沢先生に直してもらうという事をしないわけですから、自分の方を、より自立した、おとなであると思っていました。だから、彼女が私の100号を見て驚くということに、かえって、驚き入りました。

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副題8、『外野から見た、新制作と、国画会の優劣と、画家として内部から見た、両者の優劣には、差がある』

 外野、(つまり、美術系の作家ではない人が、外部)から見たら、そりゃあ、いまだに、新制作の方が上かもしれません。私は2003年以来、公募団体展を見に行っていません。2003年は、女流展にだけは出していました。だけど、それ以降は、どこにも出品をしておらず、したがって、見にも、行っていないのです。で、知らなかったことで、ごく最近に、知ったのですが、六本木の新国立に移動した後の、新制作は、会員だと縦横4mまで、の大作を出品していいのだそうです。そうなると、他の団体とは、迫力が違うので、新制作の方が上に見えるのでしょうか? デモね、それだけ、新制作の会員数が少ないということともなるでしょうから、そうなると、じり貧に陥る可能性はあります。会社でもそうですが、よほど、しっかりとした改革の気持ちを持っていないと、じり貧になっていきます。見ていないので、はっきりしたことは言えませんが、会員優遇策に溺れすぎて、昔の名前に頼っていたら、危ない未来が訪れるかもしれません。

 私は現在、国画会への出品をやめています。それに、北久里浜の水道山の件から、島田章三批判も開始していますので、国画会を貶してもいいのですが、・・・・・新制作と比較をして、国画会が、下だ・・・・・という発想は、画家(=今は作家と言う)は持ってはいけないと思うのです。外部の人がそれを言うのは構わないです。美術評論家とか、鑑賞者が、それを言うのは構わない。だが、その種の解釈って、創作をするものは、持ってはいけない。それが、創作をするものの矜持でしょう?

 以前から気が付いていた、渡辺幸子さんには哲学がないということをこの時ほど、明瞭に、感じたし、感じ直したことはありませんでした。だって、美術の世界で、公募団体展を作るのは、気の弱い作家が、うまく、生きるための方便であって、それが、美の本質ではないのです。

 画家とか、創作者と言うのは自立の気配が大切で、自らが、寄らば大樹の陰で安住するというのは、本質ではない。そんなものを金科玉条に信じているのは、どこか、弱いところを持っている存在だからでしょう。「駄目ですよ。渡辺幸子さん。それでは」と、思っています。

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副題9、『こちらが、どうしても、改善できない弱点を攻め込んでくる渡辺幸子さんの、意地悪度・指数の高さには、恐れ入りました』

 彼女は後注2で、示しているインタビューでも、CA・・・・・(元の名前をスチュワーデス・・・・・このスチュワーデスと言う名詞が消えたのも井上ひさし発のアイデアだろう)・・・・・だったので、女の世界で、生き抜いてきた人です。女とは、何度も言っている様に、産む性であるので、男より強いのです。で、昔風に言うと、業が深いです。で、意地悪も激しいです。そういう世界で、何年も働いてきた人だから、「いざ、いじめよう」と覚悟をして、それを、始めるとすさまじいです。

 で、よく考えた上で、狙ってきたのが、『土曜日には、私(=川崎千恵子)が、鎌倉の家から、外出ができない』というポイントでした。私は家族から絵を描くのを反対をされています。どうしてかと言うと、あまりにも集中が激しいので、自分たちが見捨てられていると思っていて、それで、絵を嫌いぬいています。

 で、サラリーマンの息子が家にいる土曜日は、絵の用事では、外出ができないのでした。2003年は、逗子のアトリエで、夜も寝るという生活を解消したばかりだったので、特にそうでした。金曜日の夜に逗子に寝るのだったら、外出時に、そばには家族が誰もいないので、自由に外出をできます。しかし、金曜日の夜に鎌倉の家で寝て、朝、みんなで一緒に食事をした後で、昼食も一緒に取り、そのあとで、「では、銀座の望月画廊へ、出していた作品の搬出をやりに行きますね」と言うことは、家族に向かっては言えない時期だったのです。

 土曜日とは展覧会の最後の日で、搬出と言う作業をします。五時まで作品を展示していて、そのあとで、それを、壁からはずし、自分が持って来た保護材に包んで、家に持って帰ります。で、銀座の画廊を出るのが、早くても六時半だから、どうしても、鎌倉まで帰り着くのが、夜の八時になってしまうので、隠れて、それをするというわけにもいきません。

 で、業者さんに、その作業を頼んでいます。搬入も、前の週の土曜日にするのですが、それも業者さんに頼んでいます。お金がかかるけれど、仕方がないのです。今は、息子は結婚をして家を出ていますので、私は外出が自由にできます。

 でも、一方で、泥棒が入り始めたので、今も、別の意味で、外出が自由ではありません。(苦笑) 何万点とある荷物の、どれを盗まれるか、分からないので、次にそれを、使おうとした時に初めて、盗まれていることに気が付くという始末です。ともかく元へ戻れば、土曜日は、グループ展の場合は、大体において、すべてのメンバーが集まって、楽しい挨拶をかわす、習慣があります。ICU展では、その時に食事をしたりお酒を飲んだりはしないのですが、一般的なグループ展では、すぐ、お食事をしたり、お酒を飲んだりします。画家とは、みんな、孤独な生きざまをしているからこそ、そういうお祭りには、お酒を飲みましょうとなるのでした。ただ、ICU展は、メンバーの男性陣は、ほとんどがサラリーマンなので、お酒は飲みません。

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副題10、『芳名帳のコピーをもらえるのは、グループ展では当たり前の習慣だと思うのだけれど、それを、渡辺幸子さんが、阻止して来たのだった・・・・・その陰にさらに言えば、いろいろあって、私は、その頃、魔の刻を、迎えたのだった』

 私が、逗子で一人暮らしをしていたころは、何でも、自由に、できました。だから、望月画廊での、土曜日の様子はわかっています。ICUとは、学内でカップルができる人も多くて、土曜日には、パートナーがお手伝いに来ているケースもあるので、誰の奥様は、どういう感じの淑女だとか、誰の旦那様は、どういう感じの紳士だとかいう事もわかって来ます。

 で、搬出はお金を払って、それ専門の業者に頼みます。彼らは、ベテランなので、保護材も持っているし、壁から外すのも全部やってくれます。だから、ICU展の他のメンバーに迷惑をかけることはありません。ただ、もう一つ、他人には頼めないことがありました。それは、芳名帳の写しをもらうという事です。グループ展と言うのは、大体が、芳名帳の写しをもらいます。それが、基準です。で、この会でも、事務局長さんは、毎回、写しを作ってくれて、渡してくれていました。ところが、この年に限って、貰えないことと成りました。

 渡辺さんがカッコ内のごとく、提案したのだそうですが、「どうせ、みんなが土曜日に集まるのだから、写しは要りません」と言うことと成って、貰えないのだそうです。そういう連絡を誰かからもらいました。

 私はびっくりして、事務局長さんに電話をかけました。ここで、この事務局長さんを、仮名N氏と呼ぶ事にさせてくださいませ。その時、75歳で、引退したサラリーマンで、恰幅の良い紳士です。その方に電話で「すみませんが、私は、土曜日に望月画廊には、行かれませんので、コピー代を出しますので、私にはコピーを送ってくださいませんか?」と、頼んでみました。すると駄目だとのことです。その時点で、非常に、奥深いものが、既に、事務局長さんに伝わっていると、感じました。つまり、私が、渡辺さんを裏切った、【出し抜きや(=腹黒い女)】であって、それを、事務局長さんも、信じているのだということを。

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副題11、『墓の中まで、持っていくはずだったエピソードを、ここで、初めて曝そう。関係者は、みんな、70歳を超えているし、中には、80歳近い人も、居るわけだし。だから、片足を棺桶に突っ込んでいると言ってもよい人達で、生臭さも消えているだろうし』

:::::::::::::ここで、今まで、書けなかったことを、ここで、語ります。と言うのも「渡辺さんを、攻撃用弾丸として使った、私に対する、政治的ないじめが、複数回、起きていて、それが、また、『死ねよ。おまえ』と言う類の、すさまじいものだから、これを語らないとならなくなった」と言うわけです。私論を、説明にする際に、因果関係さえ、不明瞭になるからです。

 それはね。「ある方(男性=こちらは、仮名O氏と呼びます)から、一種の強すぎる、かわいがりを受けて、それを奥様が悲しんでいて、それに困った」という話を、以前に、渡辺さんにしているので、それを、渡辺さんが、この時に使ったらしいということでした。彼女の方が、先に、私を、裏切って、墓にまで、持っていくはずの秘密を、事務局長Nさんに話していると、言うことが推察できました。それほど、Nさんの急激なる不親切ぶりは、異常でした。

 それは、こういう事情です。奥様の方(=O夫人)がグループICU展のメンバーである方との、言うに言われぬ、ひそやかな、しかし、苦しみを与えられるエピソードでした。当時の私は、本を作ろうと夢中であった時期で、アドビ・イラストレイターをマスターしたいと思っておりました。それは、アドビ社でも講習が受けられるそうですが、CSIIのバージョンに関しては、すでに、終わっていて受けられないとのことでした。リカレントと言うパソコン教室が、教えてくれるそうですが、54万円かを支払っても、すでに、私が知っていることである、ごく基本的なことを教えるだけなのだそうです。

 私は、本を作るのですから、表紙の装丁やら、本文の、頁設定やらを、アドビの、インデザインと言うソフト(または、アプリ)を使ってやるのですが、そのソフトは、普通の人はあまり持っていません。だから、普通の人に教えを乞うわけにもいきません。

 だが、基本的な部分では、イラストレイターと同じなので、イラストレイターを駆使できる様になっていれば、本を作るぐらいなら、なんら、不足はないのでした。

 それを外人記者クラブでの、お料理を一緒に食べる会で、話していました。当時は、逗子で、一人暮らしをしていた時期で、夜遅くまで外出することが可能でした。すると、ご親切な先輩O夫人が、「うちの主人が、それができるから、教えてあげるわ」と、言ってくださいました。で、お礼については、「かくかく、しかじかでいいと」いう話でした。でも、私は、パソコンの講習を他でも、受けていて、アドビ関係は、レッスン料が、高いのを知っていたので、できるだけ、いろいろな、珍しい色や形のお菓子を豊島屋で買って、持っていきました。

 しかし、レッスンが始まると、ミスターOが、信じがたいほど、親切なのです。親切すぎるのでした。言葉でだけなのですよ。別に、私の方を抱くとか、私の手の上にミスターOが、手を重ねるという形ではない。だけど、なんとも言えない微妙な、感じが、言葉の中に、あって、私も困惑しきりでしたが、見ていると、途中で、奥様が、それを嫌がって、席を立って、二階へ行ってしまいました。この時ほど、私はどうしたらいいのだろうかと、困ったことはありません。失礼ですねという感じを出して、途中で帰宅すれば、それは、結局はご主人を辱めることと成るでしょう。そして、結果として、O夫人を悲しませます。

 ところで、ここで、挿入ですが、最近の、我が家だったら、夫婦喧嘩は、よくします。特に逗子の一人暮らしをやめて、この家に帰って来て、激しい弾圧を受け始めてからは、どうしても、それをやらないと、生きていけないという夫婦げんかが増えました。で、室内盗聴をされているので、ひどく夫婦仲が悪いと思われていて、

 猫の事で、盗んでいる方の、石川和子さんと柳沢昇が、私の猫が彼らより、私の方を選んだ時に、パニックに陥って、『あそこ(=川崎千恵子の家)の旦那に、奥さんを叱ってもらってください』と頼んで、やって来た警官が、『あんたに用はねえんだ。旦那に用なんだよと、使っていない方の玄関のドアノブをガチャガチャやったの時に、室内盗聴の結果が、安野家や、前田家、そして、この柳沢昇+石川和子夫婦にすべて、直結的に、入っているのではないかと思ったものです。それほど、警官は、私が出たドアとは、別のドアを、激しくたたいたり、ドアノブを壊さんばかりに、いじって、主人を読んだのでした。どうも、夫婦別居らしいと、柳沢昇たちが、警官に告げていたらしいのです。私が、柳沢昇と、石川和子夫婦、および、その時やって来た二人の警官に対して、激しい怒りを持っている事案でした。

 だけど、このレッスンの際に、悟ったのは、私達夫婦って、とても健全だということです。一方、上流階級として、一見、仲が良いこちら、O夫妻の間には、これほどの、大切な部分で、『言いたいのに、言えないこと』が、奥様の方に、あるのでした。ご夫婦の間に、大切な部分で、何もコミュニケーションが取れない場合があるというのを目前にしたのでした。こういう経験を踏まえたうえで、本当の誠実さとは何だろうと、常に、自らに問うていますよ。私はです。

 私なら、「ぶっちゃけた話、あなた、ご親切すぎますよ。ちょっと変なレベルで」と言うか、もし、それが言えなかったら、テーブルの下で、主人の足を蹴るとか(苦笑)して、『自分にとって、そういう行動を取られるのは、困る』という意思表示をするでしょう。後で、ご主人の方を良く知っている方が、「あそこの旦那さんは、女性に対して、過敏な方なので、奥様は、過去にもいろいろご苦労をなさった」と、聞いていて、そういう事だったのかとわかりました。

 そして、今の私だったら、「こういう事は、私の手には負えないわ。無視して忘れよう」と、思い切り、それが、できるかもしれません。だけど、当時は、まだ、純真極まりない時期だったので、奥様の苦しみを思うと、放って置けませんでした。で、奥様が、毎週鎌倉へいらっしゃっているのを、知っていたので、その時に、奥様と私だけで、お茶をして、しこりを解いておきたいと願いました。しかし、電話をすると、すでに、けんもほろろであって、修復が不可能であることが解りました。すごく苦しみました。私が本当に苦しんだのは、奥様がかわいそうであって、それは、一種のお母さんみたいと、よく言われている私にとって、耐えがたい事でした。そこに苦しんだのです。

 その次の段階として、奥様との和解が、できないと、ICU展で、どういうことになるのかが解らないという不安がありました。でも、私がミスターOを、誘惑したわけでも何でもなくて、ただ、アドビイラストレイターの講習を受けていただけですから、これは、本当に運が悪いという出来事でした。

 で、共通の友達である、渡辺さんに、このケースを打ち明けて相談をしたのです。彼女から、何度も、田沢先生との、同調できない苦しみを、聞いていました。それも、ちょっと、どうしようもない事への相談でした。だから、私もそれと、同種のレベルとして、これを相談してもいいかなと思ったのです。

 ところが、望月画廊で、私の100号の絵を見た途端に、激しい怒りにかられた彼女は、私をやっつける為なら、何でもやるわと、なったらしくて、事務局長さんにこの話をしたのです。きっとそうだと、感じ入りました。だって、どう考えても事務局長さんが、芳名帳のコピーを渡すのは義務だから、それをしないというのは、何か、すさまじいことが裏にあるのです。

 でも、最後まで努力する私ですから、「じゃあ、貸してくださいませんか。郵送して下さったら、自分でコピーを取って返送します」と言ってみました。すると、「大切なものだから、紛失すると困るから、それはできない』とのことです。で、今度は、「じゃあ、こんどの木曜日にお玄関先まで、お訪ねいたします。ほんのちょっとの時間、貸してください。そうしたら、近所のコンビニで、コピーを取ってきます」と言ってみました。すると、「駄目だ」とのことです。そこで、万事休すとなり、私は、『このグループ展に所属するのは、もう、止めよう』と決意しました。 

 特に渡辺さんの怒りは、私の絵が、とても出来が良かったことにもあると察していました。それは、根源的な問題です。彼女はこのグループのトップは自分だという意識があって、同じICU展の他のメンバーである、某大企業の社長をしている、別の紳士R氏が、ロビーに部下を呼びつけて、お仕事の続きをしていたのにも激しく、批判をしていました。他人が、特に社長さんが、画廊のお当番と言う自分にとっての苦役の最中に、本業が忙しいので、部下を呼び寄せるというのも、私は、ありだと思いますが、渡辺幸子さんは、許せないのでした。

 彼女がどれほど、女王様気分で、君臨をしていたかがわかります。一方で、「別の展覧会に出したのを流用するわ」と言う風に、ICU展そのものを軽んじてもいるのに・・・・・ああ、何をかいわんやです。

 なお、これ以降は、20000字制限を超えたので、別の章へ移しました。あしからず、ご了承くださいませ。

なお、このブログの2010年より数え始めた延べ訪問回数は29356644です。2016-6-27~8に掛けて、これを書く。雨宮舜(本名 川崎千恵子)

後注1、

ボストンマラソンの自爆犯が、何故、今、裁かれるのか?・・・・・・・絶歌シリーズの4

2015-06-24 21:41:34 | 政治

 後注2、

http://www.icualumni.com/interview/guest038.html

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