主人が退院しました。2024-7-16日に説明を聞いた、レベルよりは、病気が軽かったということでしょう。肺に向かう穿刺手術の穴は、思いがけず、高い位置に開けられていました。今、ばんそうこうでふさがれています。それを、写真に撮りたいと、言いたいのですが、主人が、私の・・・・妻としての対応が・・・・悪いといって機嫌が悪いので、「ブログのためにあなたの体の写真を撮らせて」、なんて言ったら、さらに、怒るでしょうから、撮影しません。ともかく無事に生還しました。
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副題1、『コシノ・ジュンコ女史が、スーパー東急で、私の目の前を歩いていたことがある。実は、どこかでブログに彼女のことを書いているので、私がブログで、批判的に書いた人が目の前に現れたら、私がダメージを受けるであろうとする主義で、現れたと思った。でも、別に・・・・私はダメージを受けませんよ・・・・・と考えていた』
この一週間以内に、コシノジュンコさんの言葉を読んだのです。・・・・・過去のことは、一切考えない。未来だけ。・・・・・これは、つまり、私の文章に対する批判だと思いました。テーマや、内容がコシノジュンコさんにとっては、ばかばかしい・・・・・という批判でしょう。「ありとあらゆる方面から、攻撃が来ています」と言っているのの一環です。
文章世界における有名人としては、太田治子さんも、二週間前かな? 朝日新聞土曜日の付録、be 版に登場したばかりです。話題は雑誌【かまく春秋】について。こちらをとり上げたいのですが、そんな時間がないうちに、主人が退院しました。土曜日です。
しかし、コシノジュンコさん問題に関して、これは、タイ・私への攻撃だなあと、思ったことがあり、それは、水曜日と、金曜日でした。金曜日の、コシノジュンコの件をどう描くかなあと、考え込んでいた私は、鎌倉駅の、身障者用トイレ(有名なタレントがファンと一緒にセックスをしていたという種類のトイレです。わたくしは、泥棒除けの、持ち物が多いので、普通の個室は使いにくいのでした。まあ、ともかく、その手洗い流しに置いた、全財産入りのバッグが、たった五分間で、盗まれたのです。さあ、これは、大事故、大事件です。が、それを、今、この章内で、書くのではなくて、伊藤玄二郎が、どれほどに、医療関係にタイ・私いじめよう手配を行っているかという問題で、コシノジュンコさんに戻ります。
わたくしが東急にわざと、現れた彼女を批判した文章を書いたころは、私の文章は、適切だと読者に思われる時期だったでしょう。しかし、朝ドラ、カーネーションが、放映をされたり、その後のメディアの扱いにおいて、圧倒的な力の差が出てきたから、もう、比較のしようがないです。
それは、わかっているけれど、どうして、2024年7月の今、コシノジュンコの言葉が出てくるのだろうと、不思議に思いました。
ところで、コシノジュンコさんは、テレビ放映だと、東京のいいところに存在するタワマンに住んでいるらしいのですが、鎌倉の人でもあると、うわさに聞いたことがあります。でね。噂の場所に、小篠という表札があったので、ああ、ここかと、思って通り過ぎていました。普段はね。
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副題2、『今、JRが鎌倉駅から三分のところ(旧警察署、跡地)に高級なホテルを建てています。そのビルの北側から、200mぐらい東に向かった小路の北側に、その小篠という表札の出ている、大きなお宅があり、その建物のメイン部分は、医院です。』
私は、その個人クリニックと、自分とは、全く関係がないと思っていました。ところが、7月31日の水曜日、主人から電話がかかって来て突然に関係ができたのです。
::::::::::ただ、そのエピソードに入る前に、人間の脳の動きについて、主人との会話の中で、気が付いたことがあるので、それを先に、申し上げさせてくださいませ。主人は心臓の大手術をしています。これこそ、画像を見せていただいたところ、本当に死ぬところだったのです。針灸医として、これを食道がんだと、自己診断をして、自分で治すつもりだったので、血栓が非常に大きくなっていたのでした。
カテーテル手術は大成功で、今、自分一人で、外出できていたし(ただし、今度の肺の病気の結果は、彼の体力を相当、低減化させたはずだ。これからどうなる?)、自分一人で、食事は、できるし、素晴らしい大成功医療手術でした。ところが、小さくなった粒が脳に回ってしまって、言語中枢のどこかをふさいだのです。で、
ここから先は、科学の問題として、語りたいので、お医者さん批判ではないとして、聞いてくださいね。ただ、ただ、夫婦ともに、chemist だから、わかる脳の不思議と理解の可能性を語っていくのですよ。でないと、立派な心臓外科医、宍戸医師にご迷惑が掛かりますから。
主人は、連想が、発生しやすく、かつ、連想した後の言葉をよく使うので、私との間で、意味が通じません。大体、私が想像して、質問をして、それに対して、イエス、or ノーの答えを導き出し、それで、正しいところに着地します。
この日主人は、「ベッドの下にある、接着剤の袋を持ってきて」と、言います。不思議な要求だなと思いました。ホームセンターなどで買う場合は、接着剤は、箱に入っています。または、紙の台紙の上に、乗っかっていて、上にアクリルの透明なカバーが付いた形で、売っています。100円ショップでは、接着剤の量が少なくなっていますが、同じ形式です。これは、壁の釘に、吊り下げるという形で、商品展開をした方が、お客が分かりやすく、したがって売り上げが伸びるという傾向のせいでしょう。
こういう形で、押し問答を五分以上続けたのですが、実際には、何を彼が欲しがっているかが、どうしてもわかりません。で、私の方が方針を変えて、「色は、何色?」と聞くと「白!」と答えます。で、白いものを探すと、やっと見つかりました。それはレジ袋だったのです。レジ袋って、石油が原料です。接着材も石油が原料のものが多いでしょう。で、主人の連想がつながっているのっです。
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副題3、『若い人には、聞きたくない話であろうが、老人になると、おしっこの出方が、勢いがなくなり、果ては自力では、出せなくなる人の出てくるのだ。新聞の広告にこのケースを直す方法の雑誌(通販)が、よく出ているのをご存じだろう。尿が出なくなると、死へつながる。父のケースもそうだった』
父は、パーキンソン氏病でした。そのリハビリのために一週間に五日ほど、4つの社交ダンスクラブに通っていたのですが、東横線の横浜駅が古い時代で、ホームが狭くて、人とぶつかったのでしょう。転んだのです。パーキンソン氏病だから、両手が、瞬時に動かないのです。それで、脳がまともにホームにあたって、それで、脳の前部に、大出血を起こして、言葉を出せなくなり、かつ寝たきりになりました。しかし、あれも、天の采配として、よいことだったのです。父は、パーキンソン氏病の、将来を悩んでいました。しかし、死が脳挫傷によって、早まったのです。神様のなさることは、全般的にみると、よいことなのでした。
神様のなさることは、全般的にみると、本人にとって良いことだったのです。
しかし、延命措置は、よくありません。体中がチューブだらけになっていて、その差し込み口を、あっちこっち、新しく切開するために取り替えられないシーツが、ほぼ、全部茶色になっている(血液は、すぐ変色するのです)、ような姿でも、生き延びたのは、たった一週間です。
言葉が出せないから、痛いとは言わなかったけれど、いたかったはずです。
尿というのは、体が働いて、分子量の大きいたんぱく質などを小さな分子にして外へ出すのですが、自力で出せなくなると、体という総合的な化学変化が止まるのです。
しかし、40年後の今は、医療が発達していて、自力(=筋肉の働きで、暴行を絞る)で、尿を出せなくなった主人もカテーテル(細いチューブ)で随時、暴行に入ってきた尿を外へ出せる様になっているのです。それで、もう、6年は、生きています。父が、大きな装置を使っても一週間しか生きられなかったのに、すごい医療技術の進歩です。
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副題4、「これを言うと、ますます、私や、主人さえ、医療上の手当てで、いじめられてしまうと思うので、言いたくないのだが、
レジ袋の中身は、尿をカテーテルで、自動的に随時に外へ出した際に、それをためる袋だったのだ。これは、正式名称をウロガードといって、テルモという会社(100年以上前に創業)が作っている。湘南鎌倉総合病院では、メモリが、2400CCまで、ついている立派なものを使っていて、それを、そばに立っている点滴用の柱にぶら下げてあった。わたくしは、一瞬、主人がどうして新しい、しかも、もっと小さい(かつ透明度が低い)袋に変えられるのかが、不思議で、瞬間的に、悩みが起き始めた。
CIAの手が、伊藤玄二郎を通じてか警察を通じてか、通称木村さんという大富豪(大町在住で、若いときは電通勤務だった。早稲田卒で、明治の元勲の子孫を名乗っている。今は、シンガポールに、富裕層の資産管理を行う会社を設立しているファンドマネージャー)からかは、わからないものの、今回の医療行為に関して、妨害と、いじめ行為が、行われているとは察していて、
・・・・・・ああ、穿刺手術が二度も延期になって、主人が心理的にがっかりしたし、痛みも消えないといっていたが、まあ、穿刺手術は、26日に行われ、それはよかった。しかし、今度は、尿をためる袋に、いじめ行為が移動したのか?と、考え、「つらいなあ」と思った。
ここですが、途中経過を抜かして、結論まで言ってしまうと、退院が近いので、2400cc入りの大きなものではなくて、お洋服に隠れる小さいサイズのものへ変更して、置きましょうという話であって、意地悪ではなかったのです。
ただし、その話の、土曜日(四日後)に退院なのに、どうして妻に教えて貰えないのだろうと思ったし、金曜日の朝10時だと主人が言う、回診に間に合う様に、午前9時半に病院へ行ったのに、先生は、午前九時に回診を終えられたそうで、私は会えませんでした。
その日の深夜に、次の悲しすぎる出来事が待っています。
実は、金曜日(=2024-8-2)に、私としては、非常につらい思いをすることが、午前中に、湘南鎌倉総合病院であり、いったん鎌倉市内の泌尿器科に、尿の袋へ付けるチューブの代金を支払いに戻り、午後七時に、鍵も全財産も入ったトートバッグを身障者用トイレの流しわきに忘れてしまうのですが、
ここで、湘南薬品という、お店で、1000円借りて、娘にカギを貸してもらいに、武蔵小杉に行くのですが、(本当は湘南薬品の名前を出したくないのですよ。しかしまだお返ししていないので、かえって、お名前を明らかにした方が、警察や、伊藤玄二郎から,湘南薬品がいじめられることがないと信じて明らかにしておきます)
JR武蔵小杉駅に降りた時にも、すったもんだの大騒ぎがありました。その前、湘南薬品で、千円を借りた時には、湘南鎌倉総合病院に入院している主人の所へカギを取りに行こうかと考えたのです。で、170円の切符しか買っていないのです。スマホをパスモに変更していますが、またもや、盗まれたみたいで、それは、使えず、切符です。でね。考え事をしているので、鎌倉駅で、抜き取りを忘れるのです。
これをしょっちゅうやるので、今では、防衛のために、必ず、領収書ももらうことにしています。170円でも領収書をもらいます。ところが武蔵小杉駅の改札口で、切符がないことに気が付きました。領収書を見せて、差額の400円だけ支払いたいというとだめだといいます。
ともかくJR東日本は今とってもいじわるです。「で、娘さんのマンションって、住所は?」と聞かれたので「木月です」というと、その駅員さんは、木月という町名を知っていました。「でも、どうやって木月に行くの?」と、次に聞かれたので、「歩くつもりです」と言いました。すると「歩けないよ」と彼が言います。「うん、そうね・・・・(でもお金がないので、バスも乗れないし、東横線武蔵小杉駅まで歩いて、そして、元住吉に出れば、歩けます。12分ぐらいで)」と、考えました。わたくしの中学の同期生、成岡庸司君がCIAエージェントとして、JR東日本を支配できる仕組みがあると思います。すると駅員さんは、こういうシステムがあるから、ここに署名をしなさい」と、言って紙を出しました。その紙には「無賃乗車なんとかかんとか」と書いてありました。
あのね。皆様、私は迷ってしまって一時間近く歩きました。
ここで、体力がなくなりました。で、これから先は、省略形で、書きます。
それから娘に会えなかったのです。それで、またもや、知らない人=鎌倉とは、別の人に千円借りるとか、
真夜中に、湘南鎌倉総合病院を訪ねるのだから、事前に電話で断っておいた方がいいと考えて、公衆電話から電話を掛けます。が、途中で、びしっと切られます。
これは、我が家でも、一日に何十回と起きる現象です。原皮膚科にかけても起きるし、中野泌尿器科にかけても起きる現象です。相手が湘南鎌倉総合病院という大組織でも起きる現象です。どういう目的で起きるかというと、私が悪い人間であると相手が思うために、電話が切られるのです。これも、尾行が付いていると、私が考えるゆえんです。
この時に娘のマンションに行くのに、武蔵小杉から行ったために迷ってしまって、元住吉駅にたどり着いたのが、10時近かったです。それでね。大船から病院まで、歩かないといけないので、(タクシーは、1100円です。それは、今はない)・・・・・元住吉のコンビニで、おにぎり一つと納豆まきを買いました。410円、170円 210=円バス代、公衆電話代、三回分、170円、東横線切符代、230円、横須賀線切符代、320円、
大船駅について、歩道を歩き始めたのが、夜11時28分です。フラワーセンターの横をおにぎりを食べながら歩きました。病院まで、50分歩き続けました。武蔵小杉でも迷って小一時間類他の二、本日二度目の、長時間の歩きです。
そして、これからどうするかを考えました。主人は寝ています。起こさないで済むためには、救急外来の待合室(大きくて、椅子が、120客ぐらい置いてある)で、仮眠をとりながら待つのが一番だと思いました。
しかし、八階の詰め所にすでに、電話をかけているので、八階の詰め所までは行きました。詰め所で、先ほど電話で失礼をした看護師に会いたいと思いましたが、すでにいないとのことです。
で、次善の策として、「鍵のかかる引き出しを、合いかぎで開けて貰えないだろうか?」と、言いました。しかし、「それはできないです。鍵やお財布を、本人の同意なしで、看護師が渡すことはできないです」と言われました。
それは、2024年8月3日の午前1時の事で、同じ日の午前10時に退院する予定の病人を起こさないといけないかどうかの瀬戸際でしたが、
そこへ突然に、太った体格の男性看護士が現れて、「病院は、ホテルではない」と、言い放ちました。ここが、この文章のハイライトです。
私は自分が弱い立場にあり、損失を被っているポイントを、ほとんど書きません。だって相手は、反省をせず、さらにそこを、つついて来るからです。だけど、今日は書きました。これが、私のヨブ記だからです。
ちょっと、文学少女じみてしまいました。ヨブ記ってつらい読み物です。だけど、若いときに読んでおいてよかった。今では、81歳ですけれどね。ヨブは、苦しみ、私も苦しむ。わたくしは、一人ではない、ヨブという同類がいるのだ・・・・・と、思い、自・苦笑しています。
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さて、いったん止めて、外の園芸用土を見に行きました。せっかくふるいでふるって、柔らかくしてあっても、突然の驟雨に出会うと、べちょべちょになってしまってふわふわ感が薄れます。それを避けるために、雨に濡れないところにしまってあるかどうかを確認しに行ったのです。そうしたら、前田家で、午前零時38分なのに、オレンジ色の玄関灯を着けて脅かしと、嫌がらせをやってきていました。
前田清子さんと連帯している安野家は、どうだろうと、普段は見えないのでわざわざ見に行ったら点灯してありました。
私の小型トートバッグに入った全財産が盗まれたことも、初因はこの二人にあるのです。それを大喜びをしているのが、この二人です。見事な一致状態です。その発見をする五分前には、ヨブと同じくらい、高いところにいた、私の、こころ、が、ずしんと、汚い汚い雪ノ下の【鶯がやつ】に落っことされました。
ここで、このれん