銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

大口病院事件・久保木看護師は殺していない筈。上條陽子、山川栄子、江見絹子、熊沢俶、井上ひさし、吉家ツネ子、久能木あゆみ

2024-08-13 22:20:05 | 政治

 今は、15日の午前6時です。以下の文章を推敲・加筆をしていきます。 加筆部分を紫色のフォントで、書きます。そして、総タイトルを変更しました。私が久能木あゆみさんと、親しかったことは、誇りの一つですが、こういう嫌なウソを含む殺人事件と、一緒に彼女のことを書くのは、忌避します。2018年から6年間、そうしてきたのに、今回は、タガを緩め、彼女との会話の数々をさらしたのは、ひとえに、伊藤玄二郎と、その言うことを聞いた、清川まどか、清川病院院長に対する深い怒りがあるからです。

 その件については、後ろの方で、また、詳しく書きましょう。ここでは、大口病院事件が、なぜ起きたかという事を書きたいのです。あの事件は、私と久能木あゆみさんとの交流を、悪利用した・言論・弾圧事件だったのです。そして、だれを助けるためだったかというと、例のごとく、前田祝一・清子夫妻、安野忠彦・智紗夫妻、大原光孝(奥さんが家出している事実上の独身者)さん、白井達雄・ひろ子夫妻、などを助けるために起こされたのでした。で、NHKテレビがその経歴や、写真を、放映をされた被害者三人は、この雪ノ下で、私に対する、異常ないじめを、繰り返し、かつ、推進する連中を助けるために殺されたのです。

 この2016年は、富沢夫妻、平木伸明・裕子夫妻、渡辺賢司夫妻は、まだ、明瞭には、動いていなかった時期です。

 という前置きをほんもんの前に入れて、初稿の冒頭に戻ります。

これは、総タイトルを、変更しています。8月2日に、中野泌尿器科で、起きたことを書こうとしていたのですが、今晩中にそこまで、到達できなかったので、総タイトルを変更しました。

副題1、『私が、書く文章は、注文を受けたものではない。ただ、自然に頭の中に浮かぶことを書くわけだ。でないと、いつまでも、同じ考察を続けて、堂々巡りになり、日常生活の運びに、災いをもたらすからだ・・・・・しかし、最近、とみに困ってきたのは、私が書いたことを利用して、再、再・攻撃をされることだ』

 昨日書いたことは以下です。

ウクライナとガザの戦争は、超富裕層に武器消費という儲けを与えているが、と、同時に、人口軽減の役に立つと、彼らが思っているから終わらないのだろう

2024-08-11 22:55:35 | 政治
 
 その最後の方に総タイトルとは違う、ものすごいことが書いてあるのに、皆さまは、お気づきになりましたか? 私のブログって、だいたい同じです。最後の方に、驚くべきことが登場するのです。頭脳がね、温まってきたというか、なんというか、助走期間を経て、すごくすごく深い記憶をよみがえらせるのです。

 前報は・・・・・簡単にまとめると、・・・・・暗殺の一手法として、不要な手術を施して、暗殺したい人間を、肉体的に、弱体化させ、その後、早期に死に至らせるという方法があるという事を書いています。時には、入院中に殺してしまうこともあります。

 でね。この目的のために、鎌倉市では、すべての大人に、癌であるかどうかの検診が無料(?)で受けられる、伝票が、配られます。私という一人の人間を暗殺するために、莫大な、医療費を、鎌倉市は、無駄に払っているわけです。わたくしは、一回受けただけです。理由は、あれを利用して、暗殺ができるなと、思っているからです。で、それが始まった初年度に、胃の検査だけ受けた(バリウムを飲んだ)が、それ以降は、一回も受けていません。

 で、検診を受けて「膵臓がんですよ」とか、「肺癌ですよ」という診断を受けたら、不要な手術をされてしまい、退院後早期に、死ぬ・・・・・という形で、ターゲットを、この世から、抹殺していくのです。退院後と、ここでは、言っていますが、時には、入院中に死ぬケースもあり、後者の方は点滴を使うと、推察していて、それを書いていたら、大口病院で、三人の入院患者が、点滴を利用して殺されました。

 久保木あゆみという女性看護師が逮捕され東京高裁で、無期懲役が確定しているそうです。しかし、NHKは、その裁判を、12時、19時、21時の主要なニュースでは一切報道をせず、

 また、検察、弁護側ともに、控訴せずという形で終わっています。

 これは、どういうことかというと、点滴に異液を入れて、実際の殺人を犯したのは、CIAエージェント(この時期だと、すでに、瀬島隆三は、死んでいますので、警察の特殊部隊のはずです)で、久保木あゆみ看護師は、偽名のはずです。本職は、婦人警官あたり(いわゆるプロで、女性でも刑事職に上っている人材あたり)でしょう。

 男性の方は、保美死刑囚、山田浩二死刑囚、植松聖死刑囚、青葉真司・裁判中・容疑者など、全員ともに、何らかのバーター取引で、彼ら自身が納得をしたうえで、犯人像を引き受けるという、しっかりとした、約束が成立しますが、女性の場合は、そういうことで、納得をさせえる人材を見つけるのが困難なので、女性刑事、または、婦人警官である人間に、偽、本籍、偽住民票、偽パスポート、偽・看護師国家資格を与えて、犯人役を引き受ける様に説得(または、命令)をしたのです。

 最高裁まで、控訴が無かったのは、私が、この事件の久保木看護婦とは嘘の犯人であり、林文子市長が、「あそこの病院には、人間関係に問題があったのです」などというのは、ひどい話だ。

 とか

また松尾崇鎌倉市長を通じて、伊藤玄二郎 +まだ実際には、生きている、井上ひさしが、「そうする様に、市長に提案しましたね」と、書き始めたので、過去の同様例を、引き出されるのを恐れて、久保木看護師についてのニュースそのものを控えさせたのです。

 あのね。久保木看護師というのは、ほぼ、架空の人間です。だからどうにでもできると鎌倉エージェントは考えています。が、林芙美子しちょうとなると、

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 ここから先、私は、このブログ管理者が、数えたところ(ワードだともっと少なくなるが)、15000字を使って、自分が久能木あゆみさんと親しかったから、この事件が起こされたと、語り始めます。

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副題2、『私が、2016年の9月の直前に書いた、石川和子さんは、癌を理由に、実際は、殺されたのだと、言う文章との関連から、この大口病院は、起こされたのだと、書き始めている。』

 副題2の二重ガッコの中に書いたことも、事実ですが、と、同時に、アメリカでの、連続殺人事件を描いた書物を、銀座福屋書店で、買って、筋弛緩剤による、医師の27人連続殺人事件について、ブログを書いたことも、この大口事件が起きた素地だと考えます。その書物が盗まれていますので、この論考は、正しいと思います。

 リンク先が何本もあるはずです。今は、時間がないので、探しませんが、見つかったら、ここに置きます。

 この論考は、たぶん正しいのですが、それが、通っては、闇の勢力(警察の特殊部隊・・・・特に殺人を専門とする)がいることが国民に分かってしまいます。それで、この事件では、犯人が、いないという形に、するつもりだったのに、それができなくなったのです。

 で、横浜市長が、「あの病院には、人事をめぐるごたごたがある」と、発言をすることが続きました。しかし、私は、これについても、「嘘だ。伊藤玄二郎たちが、こういう案を考え出して、鎌倉市長、松尾崇君を動かして、横浜市長を手名付けたのだ」と、書いています。

 こういうブログによって、いよいよ追い詰められた、真実のアイデア提出者たちは、準備しておいた、犯人を表に出すことにしました。

 逮捕された犯人(と役割を、肯定し、引き受けた、婦人警官)の、名前を見て、私は、この事件の全貌がはっきりとわかったのです。

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副題3、『この大口事件の、真犯人として、久保木あゆみ看護師なる人物が現れた時に、私は、18歳年下の、久能木あゆみさんと、自分との関係をまたからかわれたなと、感じた』

 こういう例は枚挙にいとまがない。上條陽子さんと、私は、1981年だったと思うが、毎日新聞の学芸欄に出ているコラム、今週の個展(6人)の中の二人だった。だけど、圧倒的な差がついている。この前、県民ホール(大)の方に行ったら、催し物のチラシがたくさんあった。その中で、11月3日に、県民栄誉賞の授与があるとの案内が出ていて、2023年度の栄誉賞を上條陽子がとっているとあった。

 上條陽子さんは、私が女流展に出品していたころ、上條さんが、二次会を主催するメンバーの一人だった。冷静に言えば美術家連盟の理事、または、芸術院会員選挙に票が欲しいから、積極的に部下を募っていたという事はあろうが、明るい方で、私の方も好きであった。で、女流展の上下関係から、私の文章の中では、常に、上條先生として、先生付で登場する方である。

 上條先生は、私の事も相当に気に入ってくださっていて、「あなたの本が面白すぎて、電車を乗り過ごしちゃったわよ」と電話で言ってくださった。しかし、電話が盗聴をされているので、上條先生が別の日に、私に嘆いた、馬越陽子さんとの微妙な(他者から、ライバルだとみなされる辛さを聞いたのだが)関係が、対私への弾圧へと悪利用をされることとなる。京橋の画廊で、馬越陽子さんに私が待ち伏せされ、・・・・・自分が画家として、どんなに立派で、偉いのか!・・・・を、とうとうと、聞かされることとなった。この件について、正しく、かつ詳細に触れていくと、この文章が終わらなくなるので、この件は、ここで終わり。

 上條陽子さんが敵にどんどん利用をされて、あまりにも嫌なことがあったので、上條先生から、今では、上條陽子と、他人(かつ有名人)として、敬称なしで、表記することとなっている。

 もっとも、いやなこととは、山川栄子さんと関係している…ここから先は、山川栄子さんと、私との関係を書こう。

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副題4、『山川栄子さんは、私と親しかったがゆえに、美術界で、どんどん重んじられていった。それを上條さんから、対私への、軽蔑の論拠として使われたときに、上條さんとの別離を決意したのだった』

 山川栄子さんとの出会いは、二人の娘同士が同級生だったことから始まります。娘が中一の夏休みに、転入してきて、すぐ、栄子さんのお嬢さんと仲良しになったのです。

 山川さんの、お嬢さんって、とてもきれいな方です。で、10年後資生堂の社長秘書になります。で、うちの子の方ですが、この山川栄子さんが、「お宅のお嬢さんって、御成中学の中で、松嶋菜々子に似ているって、評判なのよ」といってくださったほど、全体像が美しいらしいのです。顔が、松嶋菜々子に似ているわけでもないのですよ。でね、美形同士で、仲良くなると他人からの嫉妬を防げますね。それも、山川さんのお嬢様に、楽な思いをさせたと思いますが、それとともに、精神的な大人であるわが娘が、山川さんのお嬢さんの、カウンセラーみたいな役割も果たしたらしいのです。

 親に似ているわけでもないのですよ。どうしてこうなるかというと、父親と母親の形質がひどく違う場合、日本人同士でも、一種の混血状態になり、美形が生まれるらしいのです。ブログに敵対者として登場することの多い大原光孝さんだって、「お宅のお子様がたは、美形ですね」と、昔、いってくださったほど。

 実は敵方の代表として登場する平木伸明家の、お子様(男の子だけ二人)も、美形です。特に下のお子様に10年ぶりぐらいに出会って、その超が付く立派なお顔に驚嘆をしました。タレントや、俳優の中にもいないほどのお顔です。渡辺謙 + ダビデ像と言ったらいいかなあ? 体もトランプ大統領風の胸板の厚いからだでね。ただ、ただ、驚きました。

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副題5、『山川栄子さんからは、お嬢さんの、鬱屈をうちの娘が解放してあげたことへの感謝として、いろいろな恩恵を受けた。しかし、それが、全部、女の嫉妬が原因で、ぽしゃっていくのだった。運命とは時に過酷である』

 山川さんは、実家がお金持ちらしいです。で、お姉さん二人も山川さんと江ノ電を同じくする街に戸建住宅を構えて、住んでいます。これは、鎌倉へ転入後、60年以内の人にとっては、非常に有利なことです。

 お姉さん二人が開拓してくれた、鎌倉の上等情報を利用できるからです。彼女は末っ子だから、そういう風に他人が用意してくれた場所にすっきりと乗っかることができるし、好きみたいでした。

 その上等情報の一つが門戸を開放していない塾に招き入れられたことだった。夏休み懇談会が、高浜虚子の旧宅で開かれる(お孫さんがその塾にいるからだったが)そういう塾に入ることができた。望んでもいないのに、山川さんが、お世話してくれたのだった。ICUとは、当時はその名声が、燦然と輝く大学で、特に上流階級に幅が利く大学だった。横須賀では全然、知る人がいなかったのだけれど、鎌倉では、有効だったのだ。また、お茶大付属高校は、現在の朝ドラの主人公が、卒業した高校で、鎌倉にも吉野直子さんの、祖母殿をはじめ、いっぱい同窓生がいる。こちらも幅が利くのだった。

 これは、自慢として言っているのではない。この後、前田清子さんに、がっつーんと、やられるので、その苦しさの説明のために言っているだけだ。

 そして、だれにも言っていなかったが、横浜国立大学・付属中学では、入学式総代、卒業式総代だったし、鎌倉の上流社会でも、新参者として、劣等感を感じることはなかった。山川栄子さんは、ご本人が立教の卒業生だ。こちらも、女性としては極めて適切な大学だと思う。東大とか、慶応となると、相手が狭まってくる。また、女子大卒は、それなりのカラーがある。それを、嫌う人もいるだろう。で、その塾の中に、御成中学PTA会長がいた。わたくしはどこでも、評判になる人間だから、その人は、すぐ、私のことを把握して、1985年度の四月、広報委員長に任命した。で、その第一回目の会合だが、真正面に座っている平役員が、すべての案件に、反対するのだった。わたくしは、顔色も変えずに議事を進めていたが、内心で、『どうしてこうなるのだろう?』と不思議には思った。それで、『たぶん、鎌倉では、小学校ではPTAをしていない(そもそも住んでいなかった)から、地盤がないから、信用されていないのですね』と考え、次に『やめるべきだなあ』と考えた。ただし、やめると、この広報委員会の次の回で、言ったらやめられない。それは、単に駄々をこねているとみられるからだ。PTAを熟知している私にはよく、わかっていた。で、その日のうちに、担当教師と、PTA副会長を、江ノ電や、タクシー^を使って、自宅訪問をして、「やめるつもりです。申し訳ございません」と謝罪をした。

 後日、前田清子さんの讒言が原因だったと知り、それは、そもそも、北久里浜の水道山を無料で、自分のものにした瀬島隆三たちの【地積変更届け】が原因であるから、私は、CIAエージェントたちについて書き続けることとなる。前田清子さんは、私に対して、どれほどの損害を与えたことだろう。心理的に、物質的に、金銭的に。だが、CIAエージェントたちは、だからこそ、前田家にご褒美を与えるのだった。真実を語る私は、殺さねばならないと思っているからだ。

 というわけで、山川栄子さんが与えてくれた恩恵のうち、第一番目のものは、前田清子さん(多分嫉妬もあったと思う)によって、無に帰した。

 実は二番目のもの、小関利雄(元横浜国大教授、新制作会員)先生の画塾、礫に入れてくれたのも山川栄子さんだった。しかし、ここでは、小関先生との、深い関係を以前から持っている熊沢俶(同じく新制作の会員)さんの嫉妬に出会って、退出せざるを得なかった。

 何が原因かというと、男としての小関先生に色目を使ったわけではない。そうじゃあなくて、理解力が強いので、小関先生が教えたことを次の回(一月後)までの、油絵の小品として、持っていくのだった。それを先生は、大喜びをしてくださった。そして、私に対して、あれこれ、批評や教えをくださった。80歳を過ぎていた先生は、そういう行動が、熊沢俶さんの怒りを買っていることには、気が付かなかった。二人は、同居しているわけではなかったし、で、熊沢さんは、怒りの矛先を私に向けたのだった。頭の良い人(教育委員会の偉い地位にいた)熊沢さんが礫の開催時間8時間(小関先生と、夕食を一緒にとるためだが)中、ぎりぎり、ちびちびといじめてくるのに耐えるのは、大変だった。耐え難かった。別に、あなたの居場所を奪おうとしているわけではないのよ」と思っているのだが、それは、熊沢さんには、通じなかった。

 ところで、山川栄子さんが与えてくれた、三番目の恩恵に入ろう。礫に入っている人はみんな当時は神奈川女流展に作品を出品していた。で、私も出品し始めたのだが、トップの江見絹子さんに、これまたひどくいじめられた。不思議に思って、ある賢い女流画家で、20歳ぐらい年上の人に相談をした。すると、「あなたには、育ちの良さというものがあるのよ。それはね。おとなになった人には、もう追いつけないものだから、嫉妬されるのよ」と解説された。

 その後、1997年になって、有名な手相鑑の、日傘雅水さんから、目から鱗という新知識を得た。もう、午前七時になったので、超簡単に言うと私には性的魅力があるという事らしい。それが、手相の金星帯というところで、わかるらしかった。わたくしは自覚はなかった。ただし、江見絹子さんの、いじめが初めて、理解可能になった。江見絹子さんの写真って、世に出回っていない。有名人なのに、顔の写真が出回っていないのは、実は、不細工な顔をした人だからだ。

 だけど、お嬢さんは、荻野アンナさんという、才媛(慶応の教授)にして、美女である。理由は、夫がフランス系アメリカ人で、しかも水先案内人というエリートだからだ。山手の丘という、横浜一の高級住宅街に住んでいるお金持ちだ。その結婚は、江見さんの、性的魅力がもたらしたものだったと、理解した。江見さんは、私の中に同類を見出して、一種の近親憎悪として、憎んだのだった。だが、東京の女流展とか、国展に入選する様になって、江見さんのいじめ顔を見ることはなくなった。つまり、神奈川女流展を、私の方が、やめたのだった。

 こうして山川栄子さんが与えてくれた恩恵はことごとくぽシャッた。

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副題6、『ここで、50年前に付き合った吉家ツネ子夫人との、関係を思い出さないといけなくなった。山川栄子さんとの関係は、吉家夫人との関係に似ているからだ。そして、吉家夫人の背後に、すでに1980年には、井上ひさしがうごめいていたこともわかっている。したがって、共産党は、CIAの家来ですという事となり、神戸の水道山に首から下の遺体が、放っておかれた児童連続殺傷事件の犯人、酒鬼原聖斗の声明文とは、井上ひさしが書いたと断言していい。そこまでわかってきた』

 山川栄子さんの方では、あの人には恩恵を与えたのだから、言うことを聞いてくれるという判断があったと思う。で、結構呼び出しがあった。「ね、お茶しない?」と、誘われる。彼女は、鎌倉駅から、西南の、江ノ電の、或る駅に住んでいて、鎌倉駅まで、20分で出てこられる。わたくしは、鎌倉駅の北東北に住んでいて、駅まで15分だ。だから、鎌倉駅で出会うのは、両者、負担が同じだという事。主に、ロンディーノでお茶したかな。スターバックスはまだないころだったし。

 こういう交流は、1970年から、1974年まで、東本郷住宅(という分譲マンしょん)で、吉成夫人を相手にして、経験があった。吉成夫人は、そのお子様を二人とも医者にした。で、今住んでいるご近所様から、奥様ではなくて、おお奥様と言われているそうだ。

 なお、総タイトルに、吉成夫人と敬称を付けていて、ほかの人は、名前だけなのは、お子様が医者になったので、そうしているわけではなくて、吉成夫人の、名前を忘れてしまったからだ。

 なんと午後零時に、布団に入ってから 突然に、苗字も下の名前も、思い出した。吉成夫人ではなくて、吉家夫人だった。苗字さえ忘れているとは、1980年から始まった吉家夫人の、復讐を目的とした数々のセリフに、私が、深く深く、傷ついていたことを証明する。

 なお、義家夫人を実名で書くのは彼女は、1980年には、すでに日本ペンクラブの会員になっていて会員歴44ねんである。で、文筆家として、私より偉くて、一般人とは、もう言えないからだ。意地悪な復讐を、今度は、こっちがしているという事ではない。それは、ご安心いただきたい。

 それほど、吉家夫人には傷つけられた。しかし、吉家夫人にしてみると、「違うわよ。最初に喧嘩を売ってきたのはあなたでしょう?」となるだろう。だけど、人って、小さな傷を負わせられ続けると、突然爆発する。

 ただその陰に、私の体が、異常に弱くなっているという事情がある。だけど、見かけ上は、どこにも異常が見えないので、誰にもそれは、説明ができない。

 実は、1980年にトルコ旅行をして、その時、初日の昼イスタンブールで、四時間ほど、仮死状態に陥り、蘇生手術を施されてやっと生き返って、血圧が、40から80になったほど弱いのだった。で、帰国後、横浜球場そばの人間ドックで、お医者様が「骨の状態から、もう、90代の骨ですし、体中の弁(数千個あるそうだ)が、ほかの人みたいな、スピードでは、開閉しないので、駅などでは、立ち眩みに気を付けなさい」と、言われている。

 イスタンブールのシェラトンホテルの、従業員が賢いので、気絶している私を見つけて(それは、ルームサービスに返事をしたものの、出てこないので、異常を察してくれて)医者を手配してくれたのだった。それは、過去に何度も説明をしている様に、芳香族炭化水素の重合実験というのを1965年に行ったのだが、先生が設計した水銀シール(動く栓、回転するモーターの軸を、自由に動かして、かつ、中の液体や、気体を閉じ込めておくもの)が、先生の予測を超えて、弱くて、中に気体を閉じ込めえなかったのだった。だから、毎晩、体に悪いとわかっているトルエン類を、500㏄(かける、気体化倍数22.4倍、)吸ったこととなる。

 吉成さんの想像を超えて、弱い体なのに、頑健な吉家さんは、一回だけ自宅に招いてくれたが、それ以外は、もっぱら、我が家で、遊ぶ態勢だった。

 当時、夫族は、土曜日も勤務があった。で、土曜日も吉家夫人と、子供たちのお仲間、5,6人が我が家に来た。途中で、外へ遊びに行くが、つまらなくなったら、おやつが出る室内に戻ってくる。

 私は、その頃は、普通の事でも言いえなかったし、

 しかも、相手が気を悪くするはずだと思うことは言えないのだった。

 実は金属バット殺人事件が起きた時に、それを痛感したのだが、加害者って、直前までは、被害者なのだ。あの犯人である次男は、親から、いろいろ説教をされていて、苦みや傷がたまりにたまっていたのだと思う。

 ところで、私は吉家夫人に恩義があった。だから、月曜日から土曜日まで、ほぼ毎日、我が家に来て、だべって帰ることを、拒否したり、たしなめたりすることができなかった。

 我が家の斜め上の階に、安部夫人という女性がいた。ソニーに勤務していたというのが自慢だったが、性格がすこぶる悪かった。当時の東本郷住宅は、総戸数、200戸だった。日本航空のパイロットだという高収入の人もいたし、おじいちゃんが布団綿打ち直し職人で、一家、孫も含めて六人で住んでいますという家もあった。まだ、こういう風に他人と近い距離で暮らすことへのルールもできていない時代で、いじめ、マウンティング競争、など、また、不倫ゆえの妻の家出等もあった。

 安部夫人とは、本当のボスが別にいて、彼女は、それに仕えて、家来なのだけれど、ほかの人間をいじめまくるにおいては、グループ内で一番だった。ボスはにやにや笑いながら、彼女を自由に動かしているという形。ぎゃんぎゃん騒ぐのが、グループ内一だったのもこの雪ノ下の山の構図、特に実質的な支配者安野夫人と本当は家来なのに、表面的には、一番だと、されている前田夫人の関係とそっくりだった。

 彼女の性格が悪いという事は、夫がソニー勤務の人ではないことと、夫の卒業大学名などを明かしていないことでも、知れた。当時は、高卒というのは、女性としては、一般的なランクの学歴であり、会社で、大卒の男性と社内恋愛で、結婚をするというのが、一般的なケースだった。

 だからソニーに勤務していたというのが本人の自慢だったら、夫もソニー勤務のはずなのだ。性格がよければ、当然に選ばれている筈だから。大卒と高卒では同期入社でも、二歳の年の差があり、結婚に向いている相手である。

 内館牧子さんが、こういっている。高卒で、三菱重工横浜造船所(現在のみなとみらい地区)に勤務したのだが、結婚に至らなかったので、一生できる仕事として脚本家を目指したと。

 内館牧子さんのケースが、性格が問題だったのか、別の問題があったのかは知らないが、彼女は24歳までの6年間にオフィス内勤務独身男性に、選ばれなかった人なのだ。

 さて、この東本郷住宅二号棟の住民の構図は、こちら雪の下の山の構図とそっくりで、御成中学PTA活動で、前田夫人が私の悪口を言いふらしまくったせいで、私が、広報委員長の席を辞退しないといけなくなった様に、私は、一号棟、二号棟、三号棟の、普通の人からも挨拶をされない様になった。つまり、とさかをつつかれまくって、血だらけになっている弱いめんどり状態になった。

 そこに果敢にも割り込んで、私と仲良くなってくれたのが、吉家夫人だったから、私の方が彼女に恩義を感じないといけない立場だった。ところで、どうして、吉家夫人がそれほど、勇敢だったかというと、彼女は、元幼稚園の先生だったからだ。彼女は、幼いながら、人間の本質を示す子供たちをずっと観察してきたから、人間というものをよく、わかっていたのだった。

 で、安部夫人みたいなタイプは、実は気が小さいのだと知っていた。それで、話し合っているうちに、私も安部夫人を全然気にしていないことが分かった。お互いに大笑いをしたのだった。そして、雑談中に私がICU卒だと知ると、吉家夫人は、びっくりした、夫の吉家氏は、外語大卒で、その縁で、吉家夫人は、ICUがどういう評判をとっているかを知っていた。1970年代には、珍しいご夫婦だった。それで、とっても、高度な会話が始まった。とても楽しかった。吉家夫人と私の体力に、差があること以外は、楽しい交友だった。

 すでに、24時間起きています。それで、寝ます。とちゅうですが。

 なお、数時間、義家夫人のお名前、吉家ツネ子を思い出せなかったのは、相当に脳が弱っている証拠ですね。住所録にももうお名前が記載をされていないのです。

 一方、吉成夫人とは、大学時代の男性の友人の妻で、今はご夫婦ともに、イギリスにいて、私はあったことがありません。園芸が、上手な方で、見事なイングリッシュガーデンの写真を見せて貰ったことがありますが。なんという混同でしたでしょうか。吉、という字だけで、間違えてしまいました。お許しくださいませ。

 

@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。

 事件が発覚してから、二年もたって逮捕された久保木あゆみ看護師とは、久能木ゆみさんと感じが一時違うだけです。

 ところで、私が、ここ、鎌倉雪ノ下に引っ越してきたのは、久能木さんと教育実習を終えて、3年後だったかなあ。驚きました。ぎゃあ、ぎゃあ、大声で叫ぶ主婦たちの井戸端会議を目にして。そして、自室にいても、その内容が分かるほど、ここは静かでしたからね。今は、樹木が大量に伐採されたので、だいぶ下の音が聞こえてくる様になりましたけれどね。40年前は、自室にいても聞こえちゃうのです。内容が分かってしまうのです。いやあ、もう、たまらないほど、下品で、聞くに堪えないです。例を上げましょうか? 前田清子さんの言葉だけでも。

 ともかく、私は内心で、いやあ、・・・・・あれ(井戸端会議)が引っ越してくる前から噂に聞いていた、この山の癌ですね。私はあの人たちの井戸端会議には、絶対に参加しないようにしよう・・・・・と決意しました。

 ところが安野夫人が誤解をしたのね。これ以降、彼女の幼稚さと未熟さには、何度も驚かされますが、お砂糖を借りに来た一件が、最初の問題点でしたね。全然付き合っていないのに、玄関ベルを押されて、「うちの子(中二です)にお客が来たの? お紅茶を出したいと思うのだけれど、お砂糖がないのよ。お砂糖貸して?」と言われたのです。

 その瞬間、三つのことが分かりました。*1)、彼女は本当の母親ではない。・・・・実の母親が、ちゃんと、

 まあ、あの主婦たちの会話の下品さには、本当に驚きました。どうしたの? 一戸建、住宅しかない、しかも、公簿上は我が家は、88坪です。地境地主は、鶴岡八幡宮(ただし、駐車場ではあるが)です。一応北久里浜よりはブランド力が高いだろうと思って引っ越してきたのに、全くこっちの方が低いです。

 で、悪人たち(伊藤玄二郎 + 井上ひさし + 警察庁)は、次に、旧姓西大寺さんの名前を、使って安倍晋三氏殺しを実行したのです。山上てつ也の、粗末な銃弾が、安倍晋三氏を殺したことは確かです。

 しかし、裏にある真相は、やまゆり園事件で、19人が死んだとか、青葉真司の放火で、京アニのスタッフが、36人も死んだというニュースの方が嘘なのです。だから、衆人環視のテレビカメラの前で、人が殺されることが、必要だったのです。

 NHKは、ちょうびじん 記者を、現場に待機させていました。そして、奈良県ですか? またはJRですか? 現場ロータリーを、跡形もない形で、改悪をしたそうです。

 これはかまくらでは、いたるところで、発見できる現象です。

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副題2、『実は前報の最後で、すごいことを書いているのです。・・・・・わたくし自身が、暗殺の対象となるところだった・・・・・と。場所は清川病院で、「あなたは、肺結核です」と、宣言しかねなかった先生は、清川まどか院長です。

 ただね。まどか先生は、すんでの、ところで、気が付いたのです。六か月前の写真と、現在の写真で、病巣の大きさが全く同じであるという事を。

 で、悪人たちが計画をしていた・・・・・川崎千恵子に、自分は肺結核だと思い込ませ、手術に向かわせろ・・・・・そして、右肺を半分除去するのだ・・・・・で、体力が弱って、数か月以内に死ぬだろう・・・・・という罠は、回避させられ、私も助かったけれど、まどか先生も助かったのです。

 

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