銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

雪洞祭り2017に於いて感じた事 その2・・・・・岡田武史、竹中直人、+五百住乙人、松浦安弘、小杉小二郎

2017-08-10 21:14:51 | Weblog

 これは、前報(後注1)の続きです。そちらの中で、この文章で、書いて居ることも一緒に書くつもりだったのですが、疲れて、書ききれなかったので、こちらに、回しました。前報は、ほぼ、画家だけで、統一して居て、しかも文体が、文章体でしたが、今回は、いつもの会話体へもどします。やや、のんびりとした姿勢で、書きます。

副題1、『岡田武史監督(=オーナー)のぼんぼりは、8年間で、書体が、格段に、進歩していた。真面目な岡田氏は、書道にも挑戦し、マスターなさった模様である』

 私が、「ぼんぼりを出したらいかがですか?」と、言っていただいたのは、2002年ごろです。その頃は、岡田監督は、ぼんぼり祭りには、出品されて居なかったと、感じています。私の記憶ではそうです。しかし、献灯を、始められてからは、たちまちにして、強い印象を与えられました。既に、とても有名な人物だったので、私は、wikipedia などは、チェックしなかったのですが、『おお、凄いインテリだなあ。それに、言葉から、オーラが立ち上っている・・・・・もしかしたら、このぼんぼり祭り全体で、最も力強いコンセプトを内包しているぼんぼりかもしれない』と、思ったものです。

 きょう、初めて、グーグル検索をしてみると、岡田武史・名言集という項目が多々あって、この方の発言が、人の心を打つものとして、すでに、有名なものであることを知りました。【神は、細部に宿る】という年もあったのですが、今年は、【大局観】でした。

 本日、感じ入ったことは、『おお、岡田監督は、書道をマスターなさったのだ』という事でした。8年間、みていなかった間に、書体が、見事なものへと、変化していたのです。このぼんぼり祭りは、書体の、美しい献灯者は、いっぱいいます。各お寺の、トップの方、歌詠み、俳人、などなど、・・・・・それらの方に比べて、書道の、練習程度は、短いというか、何と言うか、ですが、しかし、反対に、力強さがあるのです。名流の書体だと、言う方でも、慣れ過ぎておられる。一種の手抜きと感じるぼんぼりがある中で、強さと、風格のある書体で、【大局観】と、書いておられると、『ああ、大局観って、やはり、大切なものだったのですね』と、納得をさせられるのでした。以前は、へなへなした書体でした。本日、wikipedia を開いて見て、小学校時代は、野球、中学・高校時代は、サッカーに没頭をしておられたと、知り、そういう生徒なら、書道など、マスターすることもなかっただろうと、納得をしましたが、最近の、10年間は偉いです。ぼんぼり祭りに、献灯を依頼されて、一度ぐらい、見にいらしたのでしょう。それで、ご自分の言葉を生かすためには、書体が大切であり、書道をマスターすべきだと、お考えになったと、思いますよ。まさか、奥様の代筆であるはずもないでしょう。

 この点で、特に、注目をしたのが、15年以上、献灯をされている方で、『やや、流しておられるなあ。一時期より、気概がこもっておりませんね。お年のせいもあるだろうが』と、思う方も多くあったので、岡田監獄の真面目さが、際立つなあと、・・・・・・

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副題2、『竹中直人氏、今年は、大活躍ですが、ちょっとだけ、不思議なポイントがあって?!?!?』

 さて、岡田監督のすぐそばだったのですが、人だかりが、しているぼんぼりがあったのです。傍を通れないほどの大人気です。で、ぼんぼりは見ないで、後ろ側を通ったのですが、ふと見ると、お客さんが、ぼんぼりと一緒に自分の写真を撮っていて、そのそばに、竹中直人さんが立っているのですね。

 竹中直人さんは、ユーモア系の、演技と態度を売り物にしている、俳優ですから、サービス精神が、あります。それで、お客さんの要望に、応える態度があるので、今まで、見たどの有名人よりも数多く、周辺に、お客様が集まっていました。で、表側に回ったのですが、良く見えない程、お客さんが密集していました。それで、ちらっと見たのですが、力がこもっていて、色が多数使って有りましたね。普通、色を厚塗りすると、夜には、黒く見えるだけなのですが、竹中さんの、ぼんぼりのある場所は、集中的な、大きなライト(野球場にある様なものの、小型化されているもの)が当たっているので、オレンジ色のお洋服を着た人物は、美しく見えました。

 同じ様な立場の人として、榎木孝明さんが、います。

 私は、有名人である竹中直人さんの、wikipedia など、開いたことはないのです。ところが、先日、何かの、特番で、竹中さんが、多摩美周辺を、思い出の場所として歩く番組があって、竹中直人さんが多摩美出身であることを知りました。榎木孝明さんが、美大(こちらは、武蔵野)出身のかつ、俳優と言う意味で、双璧ですが、『今年の竹中さんは、ちょっとテンション高過すぎですね』と、思わせる処があり、それが、後で、『あれっ!?!?!』と思う処に繋がって行きます。

 さて、私は、あまりにも多い人だかりのせいで、竹中さんの絵をしっかりと、見ることができないまま、先へ進みます。

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副題3、『その後、私は、竹中さんのぼんぼりの在った、舞殿傍から、本殿まで、丁寧にぼんぼりを見て歩く。ここには、私が、ファンである、有名画家の絵が、多いからだ。そこで、いろいろ感じたことは、本当は前報で、語りたかったことだが、こちらで、語ろう』

 舞殿の西側は、文化人とか教養人が、展示をされて居ます。お正月には、コモ樽の壁ができるあたりです。

 見物客の邪魔にならないように、斜めの位置から、でも、三脚を使って、熱心にかつ、丁寧に、ぼんぼりを撮っている人が居て、「誰の作品を?」と、思うと、五百住乙人さんの作品でした。この方は、洋画家ですが、鎌倉宮とか、八幡宮から作品を依頼される際には、まるで、日本画みたいな、作品を描く人です。本年は、帽子をかぶった少女の立像で、いい作品です。話題にはなっていないみたいだが、玄人好みの、いい作品です。この方と中村嘉津雄さんは、レベルが高い絵を献灯する方ですが、今年の中村さんの方は、ちょっと、意味が、分かりにくかったです。何の山だったのだろう? 富士山だったのだろうか?

 松浦安弘さんは、非常に長い献灯者です。常に画題が、南欧の風景です。10年前はカラーでしたが、最近(?)は、無彩色らしいです。これは、透かす効果を考えての事でしょう。

 ここで、夜になって加筆をします。松浦さんは、新制作の会員だと、思います。では、なぜ、渡辺幸子さんが、出品していないか? また、何故、島田章三さんが、出品をなさっていないか? しかし、そこに踏み込むと、決定的に政治問題に入って行くので、ここでは、ひとまず、口にチャックとして、先へ進みます。

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副題4、『なれと言う事と、このお祭り内で、見られる階級と言う事を、ここで、再び語ってしまおう』

 有名な画家と言うのは、小品を描いても、高い画料を取って、絵が売れるものです。それで、このお祭りに出品するぼんぼりなどは、ちゃかちゃか、ちゃかっと片づけてしまうという傾向もあるのです。

 それに関して、名前は上げずに語りますが、たいへん、有名な画家が、下の方の悪い位置に飾られていたことがありました。『不思議な設定だなあ?』と、思ったし、それを、お怒りになったのか、次の年から、出品がなされなかったのです。ただね、その後、「あの方の作品のうち、一部は、同じ美大出身の奥様が描いている」と、言ううわさを聞いて、『そういううわさが広まっているので、あのぼんぼりは、悪い位置に飾られていたのかなあ?』と、思いました。

 私は1995年ごろまでは、八幡宮様とは、とても親しかったのです。どうしてかと言うと、今は、鶯吟邸と呼ばれている、お屋敷を八幡宮様がお買いになる時期で、たくさんの、神官が、我が家に、地境を見にいらしたのですね。高枝切りと言うか枝払いも、15人ぐらいの専門家(とびしょくか?)が来て、三日ほど、やって帰りましたしね。

 我が家は、鶯吟邸の、一部と、参拝者用駐車場の、西側については、ほとんどのラインで、地境地主です。で、気軽に、八幡宮の方と語り合える状況に、その頃はありました。偉い方からもっと若い方(会社に例えると、重役から、課長さんぐらいまで)に話しかけられる立場だったのです。で、今もそうだったら、「あの方は、あそこに置いてはいけませんよ。ご存じないかもしれませんが、美術界に置いては、カクカクシカジカの、実績のある方だから」と、おせっかいを申し上げるところですが、伊藤玄二郎が間に入って、とんでもない、いきさつが、始まっているので、今では、とても、そんなことは言えませんね。

 だけど、酒井忠康氏は、どうして、その手のご忠告を、八幡宮様に対してなさらないのでしょうね。面倒な事には首を突っ込まない主義なのかしら? それが偉い人として、美術界に、君臨できる奥義なのかしら? そして、名声と、お金が常に、降りて来る? ごめんなさい。つい皮肉が出てしまいました。非常におおきく、いじめられていますので。(苦笑の極み)

 まあ、酒井さんは、40年近くのご出品なので、慣れきっておられて、きっと、見物には、もう、いらしていないので、私が抱いた様な疑問も、酒井さんは、抱いておられないのでしょう。

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副題5、『小杉小二郎さんの、作品が、画然と変わって居て、このお祭りを、夜に、見に来た事がある筈だと、推察された。もしかして、私のブログが、影響を及ぼした? かな?』

 小杉小二郎さんですが、奥谷博さん以上に、専門家向けの画家です。しかし、マスコミ露出度(ただし、テレビではなくて、紙のメディアだが)は、大きい方で、従って、一般の人の間にも知名度が高い方です。

 でね、軽い気持ちで、簡単な抽象画を描いておられたのです。それを私は残念に思いました。と言うのも私は、抽象画を専門とする人間だから、小杉さんと同じく、抽象画を最初は出していたのです。しかも、油絵よりも評価が高かった、特殊な、手法の深彫りのカラーの版画を。

 それは、銅板の端がたいへんとんがっているので、八幡宮様から、頂ける和紙が、切れてしまうのではないかと、心配で、自分で摺らず、摺り師さんにお願いをしたら、一日の仕事で、11万円を取られて、かつ、片付けをしないで、帰られてしまったのでした。無論、一枚だけ摺ってもらったわけではないのですが、ヘイター方式と言う特殊な版画は、摺り代だけで、一枚、一万円以上取られるのですね。それに、片付けが、相当大変なので、あの一日の経験は、とても、嫌な経験でした。この際のかたづけと言うのは、一メートル正方の、大きくてあついガラスの板二枚にべっとりとついている、二種類の、違うインクを洗わないといけないうえに、二種類の30cm近い太いゴムのローラーについているインクも洗わないといけないからです。かたづけだけで、3時間は、掛かります。

 そんなに大変な思いをして、準備したのに、八幡宮境内で、それを見る、お客様は、「ふん、」でもないのです。色はきれいなのですよ。そこには自信があります。シャルボネと言う会社(フランス製)のカーマインと言う赤は、紫に近い色で、油絵具の、その色名とは、まったく違った発色であり、かつ、版画インクと言うのは、透明性が高いのです。だから、ろうそくをすかして、ほんのちょっと、紫がかかった赤と、少量のこげ茶と、黒が混ざった画面は、色だけは、素晴らしいと自画自讃しました。しかし、どんなに色がきれいでも、マスコミ有名人ではない、私のぼんぼりは、単に素通りされるだけの、存在なのでした。訴求力が無いのです。

 で、私は『だめだ。こりゃあ』と、自分で思い、四年目ぐらいから、傾向を変えることとしました。何人かの人が、時節(特に政治状況)をひねった、自嘲気味の、添え言を主体として、それに、絵を、添えられていて、それは、大衆的訴求力があるのです。で、それを真似しようと思いました。何らかの絵をイラスト的に描いて、そこに文言を添える形式に改めました。『画家として、選ばられている筈だけど、お客様に受けない限り、何にもならないでしょう』と、思ったからです。ただ、私は、その、人気を集めている、四、五人の皮肉やさんみたいな、自嘲気味の苦いユーモアなんて、思い浮かびませんから、ブログや、メルマガで、普段書いて居ることを最も短く凝縮した、二行ぐらいの文章に、まっとうな、絵を添えたのです。絵の方は、ひねらない挿絵を添えたのです。ただ、文章は、このブログを凝縮したものだから、絶対に訴求力はあったでしょう。

 すると、私のぼんぼりの前に、数人が滞留してくれる様になったのです。素通りから、見たり、読んだりしてもらえる作品になったのでした。或る時など、「あ、この人覚えている」と、30歳ぐらいの女性が言ってくれました。ありがたかったです。

 絵としては、すごく素直な絵なのです。それは、鎌倉のぼんぼり祭りの特徴に合わせた方針であって、画家として、銀座の画廊で、個展をする際などに、こういう作品を展示したら、アウトです。『どうしたの? あの人ったら、中学生か、小学生並みの絵を出して』と、言われちゃうでしょう。

 ここで、小杉小二郎さんに、入ります.抽象画の世界で、知名度の高い方です。しかし、8年前までは、このぼんぼり祭りには、実際には見に来られたことがないと、思われ、時間もお金もかけない抽象画を、サササッと描いて、提出しておられたのです。で、私の大金を掛けた版画と、同じ長さの時間で、シュッ-と、一般の方は、通り過ぎてしまうわけです。それを横目で見ながら、私は残念で仕方がないわけですね。

 『小杉小二郎なら、絵が好きな方なら、その知名度の高さを知っているだろう。柱に張ってある、名前を見て、から、上のぼんぼりに目を移動させたときに、今回の作品については、これは? と、残念に思うだろう。もっと、時間を掛けて、心を込めて、お描きに成ったらいいのになあ』と思ってね。で、その手の事を思って、このブログに書いたのですが、それは、時期としては、10年は前ですね。

 というのも、私は、2010年に、政治的な問題(鎌倉エージェントからのいじめが激しくなって、音による攻撃が、あり、それには、八幡宮様も多大に、関与された)から、ぼんぼりを出さなくなるのです。2010年には、紙をいただいたのですが「もう、献灯しませんので、紙をいただくのは、来年からは、辞退します」と、言うのです。

 だから、小杉小二郎さんに対して、不満を持ったりしても、それを文章化したのは、10年は前の事でした。10年前の、私とは、今の私とは、まったく違っていました。だから、不満を持っていても、小杉さんに対して、「もっと、時間を掛けて制作をしてください」などとは、言えるはずもないです。でね、単純に、「夜ご覧になりに来られたらいいのに」と、書いたと、思います。このぼんぼりは、夜、どう見えるかも、キチンを把握して、制作をした方が良いからです。そして、8年間のブランクを開けました。そして、小杉小二郎のぼんぼりを見てみると、以前とは、画然と違っていたのです。

 制作するのに、時間がかかっっていますねと、判る作品であり、かつ、夜どう見えるかの効果も、勘案した作品でした。

 うーむ、吉右衛門さんと、獅童さんについて、語らないといけないのに、また、眠くなってしまいました。続きは明日書きます。

 

 なお、このブログの、2010年より数え始めた延べ訪問回数は、4165647です。

 

後注1、

八年ぶりに、訪れた、鶴岡八幡宮の、ぼんぼり祭りについて、ちょいと語りたくなった。奥谷博、小杉小二郎、五百住乙人、松浦安弘、守屋多々志  2017-08-09 20:22:37 | Weblog

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