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銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

芸大、北野講座は、誰の提言で、開講されたか?が、大問題だ。△△

2011-06-19 03:41:35 | Weblog

 今、月曜日の、午後23時40分です。17000字を書いて、やっとここで、とめるかというところに到達しました。初稿を書き始めてから48時間目でやっと完成です。

 ただし、それでも、大きな連載ものの一編に過ぎないのです。
この日本を覆う暗雲を解明しようとしているのですが・・・・・
 でも、一応完成したと思うので、タイトルの右側に、三角印を、二つつけておきます。どうかよろしく。
 なお、副題1~18までは、睡眠障害の1以降の各文章内にあります。下へスクロールしていただければ出てきます。

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副題19、『なぜ、簡単に芸大大学院、北野講座はできたか?
          強者の恣意こそ、核燃料が大量に売りつけられた原因だ』

副題20-1、『水商売あがりか?、それとも、名門高校出身か?』
副題20-2、『が、それでは、平沼高校に対して失礼ですね』
副題20-3、『問題は、2010年に大騒ぎだった国立大学付属高校の新設ラッシュだ。
               だが、それが今は収束をしている。なぜだ?』
副題20-4、『文部科学省は、超ガードが固かった。2010年初夏のこと』
副題20-5、『翌日、横浜の事務スタッフから電話があったが』
副題20-6、『私が弾圧されると言う流れから、
          事実そのものを変更していく流れへと変化して来ている』

副題20-7、『恐怖心と、鸚鵡返し法』
副題20-8、『国際的軍産共同体が、この山を支配していますね。完璧に』

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副題19、『なぜ、簡単に芸大大学院、北野講座はできたか?
          強者の恣意こそ、核燃料が大量に売りつけられた原因だ』

 前報で、猫騒動に深くこだわっています。「それは、あなたの個人的な恨みではないの?」とのご質問があるやも知れずと、気がついたので、大切なことを加筆する必要を感じました。

 それは、この国には強者の恣意というのがまかり通っていて、それゆえに、核燃料もかくも大量に輸入させられてしまっているということです。その強者とは、メディアです。新聞やテレビです。それが、政治の主導権を握っています。驚くべきことに、この国の政治は永田町が、動かしているわけではないのです。メディアが動かしているのですが、そのメディアが偏っています。つまり、徹底的に、或る一方向を、発展させるように振舞います。今まで、なかなか、そこまで触れられませんでしたが、この6月13日の主人を通すM氏からの妨害、および、それに連動した、警察の動きで返って、覚悟が決まり、はっきり発言することができるように成りましたが、メディアこそ、この原発推進(または、核燃料輸入推進)を可能にしている洗脳集団なのです。

 そして、メディアが、そう動けるのを、支えているのが文化人たちです。特にこの数年美術畑の人間が、はぶりを利かせて来ました。それは、長らく不遇であった純粋な美術の世界の人間にとってはうれしいことです。が、どうしても解せないのは、突然に、芸大大学院北野講座(名称は正しいものは別でしょうが)が開かれた由来です。

 これは、とても、変な形です。でも、今まで、誰も批判をしたり追求をしたりしてこなかった問題でしょう。なぜかというと、一種のアメリカンドリームの達成として、庶民に歓迎をされているから、それを、けなすわけには行かなかったのです。大衆の反発を食うことを、世間のそれこそ、メディア内人種は、恐れるのでしょう。

 しかし、その大衆が今、最も困っていることこそ、原発のことなのです。今のままで、なお、輸入を続けたら、この国は70年後ぐらいには、人が誰も住めない国になります。しかし、それを反対できず、ずるずる進むのは、先ほども言ったように、しっかりした政治家を生み出しえない風土が、すでに出来上がっていて、その代わりのメディア人種が、王様になっているからです。で、全テレビ局を制覇し、年収が13億円を超えるという北野武監督こそ、そのトップにいる象徴的人材ですが、彼が原発容認であり、推進派です。
 これが、日本国民にとっては、大迷惑、大困難をもたらす一つの機能なのですが、

 彼の社会的ランクを、永劫に高めたのが芸大大学院・教授への就任ですが、これが、絶妙に解釈できた日があって、それこそ、猫騒動のおかげだったのです。
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副題20-1、『水商売あがりか?、それとも、名門高校出身か?』

 我が家ではおとこたちはサラリーマンのルールで生きているわけで、陶芸教室夫婦のあまりにもわがままな態度に、怒り心頭で、「被害を防ぐために猫を出さないようにしよう」といい出しました。だが、私が猫好きなので、猫の自由を制限することがかわいそうで、なかなか、室内飼いに限定することができなかったのです。で、数年間にわたって、ごったごったしたのですが、とうとう私も堪忍袋の緒が切れて、猫を外へ出さないこととなりました。すると彼女が再び遊ぶのを、やりたがって、それを、主張しに我が家へ訪れて来たのです。

 普通ならこう言う場合は、「この間はごめんなさい。私も謝るから、猫だけは外に出してよ。自由を制限するのは、かわいそうだし」というもでしょう。ここで、この間、何が二人の間に、あったかということの詳細は昔すでに、過去に書いていますので、後で見つけ出せれば、ここにでも、その日付を書き表します。

 が、呆れるほど横柄な態度と、命令口調で「猫を出しなさいよ」と言うから、怒った私が、ぴしゃっと、「あなみたいな人はいままで、出会ったことは無いわ。とくにお茶大の付属高校ではね」と言い放ったのです。

 彼女自身が、以前から私に言うのには、パーティ・コンパニオンをしているときに、伊藤玄二郎と知り合ったそうです。が、私は彼女が外で、「伊藤玄二郎とは元愛人という関係だから格別の支援をしてもらえるのよ」といっているのを伝聞として聞いているので、『彼女は、伊藤玄二郎とは、平沼高校時代の、同級生か、先輩後輩の間柄だったのではないかな』と思っているのです。

 大変に大柄で、ズぼっとした人で愛嬌もないし、とてもではないが、かわいくてきれいな女性が雇われるはずの、パーティコンパニオンに、就労できるとは、見えませんので、伊藤玄二郎氏が、平沼高校時代に所属していた陸上部の関係で、高校時代から、親しかった人ではないかと推定しています。たとえば種目として、砲丸投げとか、槍投げの選手だったら、あの大柄な体の全体重をかけて投擲すれば、いい成績が出そうですし。

 だってね。自分の会社の名前『鎌倉春秋』を彼女に与えているのですよ。これは、相当に信頼しあった間柄でしょう。パーティコンパニオンとして、たった、一日付き合ったぐらいで、そこまでやりますか。普通はしないでしょう。だって、どんな女か、性格も育ちも、バックグラウンドもわかりませんよ。一日だけ付き合ったパーティコンパニオンなんて。そんな女性に、会社の名前を渡しますか? 危険極まりないことです。

 だけど、高校時代(=10代)から知り合っているのなら、性格が良くわかっているから安心です。彼女は目上の人間には、ひたすら恭順の意を示すのだろう(つまり、インテリではないので、批判精神は持っていない)と推察できますので、上の立場の人である伊藤玄二郎には、かわいいくてたまらないタイプなのでしょう。そして、知的な職業についている男性は、特に、ずぼっとして、ずぼらで、鈍感なタイプの女性の方が、心休まると考えるのも、よくあるパターンです。

 ところで、ここまで踏み込んで推察をするのは、ともかく、それが、あたっていようがいまいが、迷惑をかけられるからなのです。私だって人間であり、考える葦のひとりです。『近隣だというだけで、それ以外の縁が何もない人間に、どうして、これほどの、迷惑をかけられ、支配をされるのだ』と思えば、謎解きに励むのは当たり前でしょう。違いますか。どうしたら、このいやな状況を改善し、迷惑をかけられないで済むかを、考案するのは当たり前の発想です。だから彼女の、ことがいろいろと、推察をされて来るのでした。どうして、こんなに非常識で威張りかえっていられるのだろうと、考え込むのです。

 ところで、平沼高校って、横浜市内では名門です。旧制第一高女だから、特に女性には人気のある高校です。だけど、名門高校の卒業生だったら、なおさらのこと学校のランク付けには敏感でこだわるはずなのです。だからこそ、お茶大付属高校の方が上であり、彼女が充分に傷つくであろうと、言うことは予見をしていました。それでもあえてそれを、口に出したのは、それほど、迷惑がひどかったということです。

 私ね。もし主婦として、地域社会で、でしゃばろうとしたら、結構井戸端会議を牛耳ることができるのではないかというほど、頭の回転も速いのです。この井戸端会議というのが特殊な地形と環境を持っているこの山では、とくに曲者で、あじさい畑欺もう事件も過剰で不自然だった初期の井戸端会議が原因で起きています。
 だけど、たいていは、相手のことを思いやってあげるから、人をいじめる役目を果たしている井戸端会議にも、参加をしないし、たとえ、参加しても口を慎んでいます。それで、どうも、馬鹿にされるというか軽んじられたらしいのです。

 だけど、娘も言うが、「お母さんが切れたら本当に怖い」と。別に怒鳴ったり、殴ったりするわけではありませんよ。でも、実質的には、私もまた、一家のゴッドマザーなのです。母は、家族だけではなくて、親戚やら、ご近所様(特に最晩年で歯老人ホームのスタッフ様)にまで認めてもらえるそつのないゴッドマザーでしたが、

 その母が、老人ホーム内で、とくに90歳を過ぎてからは、私を恐れ、敬い、甘えてくれました。私の本来もっている強さと、大人(人間としての成熟)ぶりに、気がついてきていたのです。
 「お姉ちゃん(長女である私は母からそう呼ばれていました)、いつの間にそんなに修行をしたの?」と質問をしてくれましたし。

 そうです。修行を重ねているから、ちょっとでも変なことがあれば、その因果関係はすぐ見抜くことができます。だって、普通の人間関係だたら、別に親しくもない相手が断ったり、嫌がっていることは、すぐ止めるのが普通でしょう。でも止めないのだから、こちら側が考えるように成りますよね。『何でこの人はこう言う態度をとるのかな?』と。だから、ずいぶん前から、彼女の背後にいる、伊藤玄二郎という男性のことも、相当なレベルで、わかって来てはいたのです。

 だから、「ご自分のことを、勝気だと思ったり、誰に対しても、勝ちたいと思っている人は、私には近づかないでください。あなたは、ぜったいに勝てないから」と、今に成ったら、彼女に言ってみたいけれど、後の祭りです。あ、は、は。そこまでは、言いすぎですが、ともかく、彼女はその「お茶大の付属、云々・・・」には傷ついたらくて、それを伊藤玄二郎に話したらしいのです。

 さあ、それからのことです。大学付属高校が、ばんばんでき始めました(?)。恐るべき勢いででき始めました(?)。のはずでしたが?????
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副題20-2、『が、それでは、平沼高校に対して失礼ですね』

 私は土曜日の深夜は徹夜をしました。で、上の副題20-1までを書き終えて、満足してねたのです。『ああ、やっと、真実を捕まええたわ。これで、ブログの読者が因果関係を把握できるでしょう』と思って。で、さっぱりしたし、猫が一緒に寝てくれたので、午前7時から8時半までのたった、1時間半でも、熟睡感を持って目覚めたのです。が、脳って、私の場合は、寝ている間も働いているみたいで、起きた後で、『あの副題20-1の判断はまずいのではないかしら?』と思い始めました。

 まず、「彼女の学歴として、平沼高校の名前を挙げるのは失礼だわね」という基本的な概念もありますね。でも、ここでは、核燃料を売りつけている側の大エージェント、その出版社社長・伊藤玄二郎氏を問題にしたいのです。彼の大活躍というか、大暗躍が、大相撲壊滅作戦も招き入れているし、八幡宮様の大銀杏が倒れたことも招き入れていると、判断しているからです。そして、彼が起案したかどうかは別の問題として、大きな流れの中では一連の同等の作戦として、あの菅首相不信任案の提出までいたるのです。
 そして、将来書きますが、この6月7日に平成天皇ご夫妻が、鎌倉鶴岡八幡宮をご訪問なさったのも、彼が、発案者か、発端と成っているのは確かでしょうから、大問題なのです。
 私は、菅首相が好きだから、あの不信任案騒ぎにこだわっているわけではありません。そうじゃあなくて、あれが、この日本という国家に突きつけられた陵辱だからです。からかいだからです。

 国家というと、すぐナショナリズムだとか、右翼だといってけなされますが、そうではないのです。こと、原発に限っても、国家という単位で動かないとどうしようもないのです。イタリアは、国民投票として、原発を拒否できました。これは、ベルルスコーニ首相の、一種の個人的なアッピール欲も寄与していたと思いますが、それでも、被・植民地国家ではないことの幸せを見ます。第二次大戦に敗れたのに、すでに、独立国家として再生しています。ドイツも、日本よりは、自由度が高いのです。

 日本という国家のすさまじくも悲しい状況は、実は、NHKとか、朝日新聞を舞台として、繰り広げられている、文化人を先頭とした、国民への洗脳の作用が、大きいのです。そこを、つこうとしているのが、私の文章を書く目的であり、個人的な復讐を目指すものでは、まったくありません。

 で、この陶芸教室経営者夫妻にまつわるなぞを解明することが、本日は、有意義で大切なのですが、・・・・・

 彼女は自分では、「私は鎌倉の公民館を中心舞台として、総計200人のお弟子さんを持っている」と豪語していますが、こと、猫のトラブルに関しては、微塵も権威とか、立派さを感じさせない人物です。彼女夫婦が2003~5年にかけて示した態度ほど、子供じみたものはありません。最後には、警官を巻き込んだことがその嚆矢ですが、その後で、私は警官たちに、威嚇されることが続いているので、ぜったいにその真実はさらさないといけません。
 だって、あんなおばかさん夫婦の味方をするのは、警察がおかしいと成ります。でも、彼女の背後に隠れている、出版社社長の伊藤玄二郎氏が、この世に並ぶもののないほどの、大エージェントだったら、警察さえ、そのいうことを聞くでしょう。だから、この件を考察し、書き表すことが必要なのです。

 彼女は、個展をやったこともないし、ホーム頁も持っていなかったので、背景と育ちとキャリアーはわからないのですが、それでも、『下品で無教養な水商売上がりが、のさばって、私たち一家に迷惑をかけた。そして引き続き莫大な無駄遣いを警察にさせている』という表現より、

 『高校時代から、あの社長と、彼女は、好きあっていたのよ。だけど、男の方は、名門のお嬢様か何かと結婚することに成って、一種の慰謝料みたいな感じで、会社の名前と同じ、あの大看板をあげたのでしょう。そして、「生徒を募集して、お月謝で生きていきなさい」と体よく追い払ったのでしょう。彼女が、たくさんの弟子をもてたのは、そういうお人よしの部分で生徒たちに魅力を感じさせていたのでしょうね。私だって、見ていて、お人よしだとは、感じるときもありますから。そして、これは、男にとっては、まことにスマートで、後くされのない縁切りでしたね』と、推定する方が、こっちも救われます。

 が、彼女が平沼高校の出身だとすると、平沼高校の名誉を損ないかねない、記述となります。ですから、ここは、『彼女については何もわかっていません。上はあくまでも推察の域を出ないです』と書いておきましょう。

 ところで、名門、平沼高校出身の有名人としては、岸恵子さんともう一人、皆様が見ることのできる映像としては、ブラタモリが横浜を訪問した際に、案内をしたS夫人があげられます。

 オンデマンド放送で見ることができるのなら、ごらんをいただきたいが、上品で頭の良い方です。卒業生の大体が、ああいうタイプの才媛であるはずで、この陶芸家は、範疇から、ずれているのですが、あれほど、鈍感に見えても、それが大物の証拠なのかもしれません。わかりません。
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副題20-3、『問題は、2010年に大騒ぎだった国立大学付属高校の新設ラッシュだ。
                      だが、それが今は収束をしている。なぜだ?』

 各県の県庁所在地ほかに、国立大学付属中学があります。ただし、東京と大阪の学芸大学には、付属高校があります。それと、旧制高等師範学校(現在の筑波大学)と、女高師(現お茶大)と、広島大学(旧制、高等師範学校も含まれている)には、戦前から、旧制中学、やら、旧制の女学校が付属としてあったので、それが、自動的に付属高校へ変化しています。しかし、それ以外の付属は、戦後の学制改革でも、小学校と新制中学ができただけで、高校は長らく設置されていませんでした。

の付属は、戦後の学制改革でも、小学校と新制中学ができただけで、高校は長らく設置されていませんでした。

 そして、日本は、どんどん、お金を失っていっています。で、蓮ぽう議員の『二番ではだめなんですか?』という絶叫で有名な国家予算配分見直し政策も遂行されています。

 で、私なども、風の便りに、母校では予算が削られて、存亡の危機に立っているとか、聞いたりしますし、寄付の応募用紙が二種類入ってくるようになったので、それはあたっているでしょう。しかし、一方で、国の周流の流れに反して、国立大学付属高校というのが、乱立といってよいぐらいに新設をされています。・・・・・と、2009年ごろ、大宣伝をされました。横浜国立大学の付属中学では、県立光陵高校が付属高校へと変化したと聞いています。

 これは、2010年ごろまでは、はっきりとこの耳に届いた話であり、全国的に展開した模様だと思っていました。
ところが、今、この文章を書くために、念のためにグーグルで検索をしたところ、東北、秋田、群馬、千葉、埼玉の各県では、付属高校が新設をされていません。しかも内部情報として確かに聞いている、光陵高校が、横浜国立大学付属高校になったという話も、表向きには、名称がいまだに、県立光陵高校と成っていますので、『うっ?』と思います。

 だが、丁寧に各項目を見てみると、小さな一項目として、『2009年度に、横浜国立大学の付属中学と中高一貫教育を行うこととなった』とあります。確かに2009年と2010年にはこの話題は盛り上がり、この鎌倉近辺では大騒ぎというほど、その話題を聞き取りました。

 が、急に表向きの勢いが納まっていて、ひそやかに成っています。これは何なのだろうと、考えはじめて、やっと、答えが出ました。
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副題20-4、『文部科学省は、超ガードが固かった。2010年初夏のこと』

 つまり、この変化は、この3.11以来、ライターとしての私の格が上がって、もう、無視できなく成っていることをしめしていると思います。つまり、私の原発についての文章は、優れていると言うことです。化学をよく知っているし、政治もよくわかっています。だから、根本的なところから問題を洗いなおすことができます。しかも、文体がやさしいので、誰でも読めます。が、相当なエリートが読んでも読むに耐える深さがあります(でしょう?)。だから、急速に無視できなくなっているのです。

 で、私が、これから先に書くことも、当然のごとく予測をされていて、それに対して予防措置をとられているのは、昔から常に感じていることです。それが、この光陵高校のホーム頁に、県立という大文字が明記されているゆえんでしょう。そうなると、先生方のお給料は、横浜国立大学からは出ていないということと成り、実施的には付属高校だけど、私の批判ポイントである、『この国家予算、疲弊の折に、新設高校を、国立で作るとは何事だ。伊藤玄二郎社長の、恣意もきわまれりだ。国家予算の行く末を、昔の彼女の恥をすすぐためだけに左右をしている。だから、彼は大エージェントだと言うのだ』という大変重要な論理の流れが、断ち切られてしまいます。

 『良かった。今、グーグルで、いろいろ調べてから、書いて』とほっとしています。ただし、まだ狐に包まれたような、気分は消えず、自分が昔より大きくなっていて、そのように扱われていることには、半信半疑です。2010年の初夏なんて、すさまじい勢いでこちらが馬鹿にされていて、パソコンが壊れ続けることをはじめとして、大量の物質的な被害が出ていたのです。

 つまり、私のパソコンは常に外で仕事をしていてもハッキングをされるから、その当時、『消された映画』という本を出すつもりだったのは、国際的軍産共同体とそのエージェントたちには、推察できるわけです。『それを出版させるな』という目的で、彼らは、必死だった模様です。たとえば、千葉景子法相の死刑場の公開などというのも、それに100%関連があります。が、当時に、一回書いていますので、後で、その文章を調べて、ここに記載することにして、先に進みます。そして、文部科学省に、行った日のことへ、今日の表現を、集中させます。

 ともかく、パソコンのGPS機能も使って追跡をされているから、文部科学省へ向かっているのは把握できるので、「絶対に彼女は入れるな」と言う指令が出たみたいです。2006年ごろまでは、自由自在に入れたのです。ところが、その2010年にはまったく不自由で入れません。
 これが何を意味するかというと、『私と担当官が実際に面と向かって、会話を交わせば、どんな嘘も見破られる』と、敵方は恐れているのです。確かにそのとおりでしょう。私はどんな微細な嘘でも、すぐ見破ってしまいます。で、この日、準備していた質問『芸大・大学院・北野講座は、誰の提言(きもいり)で開講をされたか?』に、あいまいな答えを得れば、どんどん進んで、真実へ到達したでしょう。が、誰にも会えないので、真実がわからないまま、帰宅をしました。
 一般の人は、洗脳されているので、これが全うなことだと思っているけれど、まったくもって、全うではないのです。大学院の講座なんて、普通は開講できません。予算配分など、とても厳しいのです。普通なら、ありえないことなのです。
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副題20-5、『翌日、横浜の事務スタッフから電話があったが』

 私は、虎ノ門の文部科学省の本庁ビル内では、何の成果もあげられなかったのですが、
しかし、それゆえに、北野武監督の芸大大学院、教授就任には相当に忌まわしい裏があると確信をしました。で、2010年当時の私は、そこまで、論理を明らかにして文書を書くほどの、立場でもなかったのですが、この訪問のことは、面白おかしくブログと、メルマガで、配信はいたしました。自分の行動をありのままに、書いたのです。

 それが功をそうしたとも思わないのですが、敵方が、『あんまり、長い時間、このことを、放っておいてもだめだな』と判断をしたらしてくて、翌朝芸大、横浜校舎の事務スタッフさんからお電話が入り、30分ぐらい、電話で、話を聞きました。が、希望する項目を教えてもらえたわけではありません。ごく、ごく、表向きの話を聞いただけです。で、その人に、それ以上を、求めることが無理なことぐらい、私にもわかっているから、そのまま、その電話は終わりました。

 横浜は相当に、諜略の場所として、使われている場所です。で、国際交流センターの所長山本正氏とか、国際交流基金の理事長とか、は、相当に深く、この件に関与している可能性を感じます。

 で、この電話では、スタッフさんの伝聞として、北野武監督は、相当に上品に、かつ謙虚に振舞っていることはわかりました。で、危うく、『やはり、芸術家のひとりであり、本当はいい人なんだ』と思い込みそうになりましたが、どうしてどうして、この原発事故がおきてからの動きを見ると、単に鉄砲玉として使役されている人材という以上の、意味がありそうです。つまり、本人も企画までできるエージェントと化している可能性すら感じました。使役されるという立場では、ないかもしれません。
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副題20-6、『私が弾圧されると言う流れから、
          事実そのものを変更していく流れへと変化して来ている』

 で、今日の文章の骨子は、鎌倉発で、いかに大きな諜略行為が行われているかを書き、それを、究明することによって、現代日本政治を良くしていくことにあるわけです。

 ところが、横浜国大付属高校に成っているはずの、光陵高校のホーム頁に県立と大書されてあるのをしると、大上段に振りかぶった私の斧が、落としどころを失うのです。で、さっきから私は、沈思黙考をしているわけですし、筆勢は衰えるし、タイトルは何回も変えないといけないし。そして、疲労困憊してしまいました。この一文を今日は投げ出すかなとまで思いました。そこまではやらなくても、一回引っ込めて書き直すこともかんがえ始めているのです。でも、とろとろですが、一応の落着店まで到達させようとがんばっています。

 で、考察に次ぐ考察を重ねて、『上までに、書いた部分については、まあ、これでいいかな。公開しても』と思うようになりました。2009年や、2010年に私の耳に入っていた情報では、全国的規模で、この国立大学付属高校を作る件は拡大するはずでした。そうなると、また、たった一人の女性の、わがままのために、大金が浪費をされると言う、強者の恣意を見せ付けられることとなります。それは、本当にいやなことですが、鎌倉発のアイデアとして、光陵高校が、実質的に、付属高校化して、公立高校の受験・大学受験での、私学に比べての負けっぷりを、補う方向へ行くことは、文句はつけられないですね。
神奈川県の私学といえば、東電社長の清水さんが、出身した栄光や、聖光、桐蔭のように、早めに、義務科目を終えて、後は、受験問題を解く練習をしているらしいです。それで、合格率が高くなっていますが、公立でも、それに追いつく、ことに成るのは、それは、それで、いいのではないですか。特に学費が高くないと思いますので、それは、教育を受ける権利の平等にかなっています。

 あ、ここからは、スピンオフで、学費と、貧乏という話に入ります。貧乏などという単語は、久方ぶりに使いますし、皆様も、久方ぶりに耳になさるでしょう。
いや、私より、上の世代は、大学へ行くのに、親の経済力が問題になっていたのです。が、私より下の学年は、ほとんどの日本人が豊かになって、親のお金が不十分でも、奨学金とアルバイトをプラスすれば、何とかなったので、大学へ進学することについて、親の財力はあまり問題にはならなかったのです。
が、実際には、一流大学へ進学しようとすると、都会にある、中高一環教育をする私学に負けてしまうのでした。そういう意味で、小学校四年生ごろから、親がお金をかけて教育しないといけない時代になっていたのです。それゆえ、あんまり小さいころから、詰め込み主義を受けることの弊害も現れてきたのでしたが、今はそれを、言っている場合でもないのですが、・・・・・

でも、これからは、それらの中学受験による差別よりも、大学へ行くことそのものが、親に負担になるほど、日本人が、全般的に貧乏になっていくような予感もしますね。
いやなことだけど、これほど、被・植民地国家として苦しめられていると、そうなる予感もしてきます。だって、福島第一原発の後始末だけだって、すさまじい予算が必要なのですよ。それも、ペイしない、非生産的な部分へ使われるお金です。

そして、今は、余裕があるつもりの都会のサラリーマンが、小さいころからお金をかけて育てたエリート青年が、ふっと会社を辞めて引きこもったりして、教育費にかけた、数千万円がまったく無駄になったりするでしょう。その反対に、今の福島県の原発地元民のように、家を失い都会に出て、危機感を持って生きていく家庭から、しっかりした、親孝行な子供が出てくるかもしれません。

さて、ここで、挿入から、元へ戻ります。
 で、土曜日の深夜、これを書き始めたころの、怒りの矛先が、向ける場所が消えたわけですが、それでも、『これも、私やら、この日本という国家にとっては前よりも、一歩進んだ形であると、考え始めました。
 国立付属高校でないのは、そうすると、国家予算との矛盾が現れて、批判をされることは予期したのです。そこだけは、支出元が神奈川県ですから、批判をかわすことができるので、それは、批判するであろう、私を以前より考慮してくれたという証明になります。

芸大大学院の北野講座の新設については、『やられてしまったなあ。2004年、または、2003年のその当時には、私の方もライターとしては、力がないとみなされていたのだ』と、思うのですが、過ぎてしまったことは、逆転はできないですし、それはあきらめるとしても、ただ、裏側は引き続き、研究、追跡するとして・・・・・。
彼と連携しいているはずの、山本太郎君を含めて、樋口可南子、糸井重里夫妻とかを含めて、いろいろ見えてくるものがあるはずです。
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副題20-7、『恐怖心と、鸚鵡返し法』

 本当は修行とは何だということについて触れないといけません。でないと、どうして、あの陶芸教室の夫婦がいけない人であるかが皆様にもお分かりいただけないでしょう。が、先ほどは外で、自分のパソコンのバッテリーが切れそうだったので、そこまで書けないと判断して、中断しました。が、ここで、修行とは安易なのだということを書かないと、どうして、私が陶芸かを、けなし、一方で彼女の方は、自分は偉いのだと信じ込んで、最後まで、謝罪の意sh機を微塵も持たず、結局追い詰められきって、警官を呼んで、私を、私の夫に叱ってもらいたいと、依頼したのでした。私をやっつけることで、やっと、自分たちが、平静になれるほどの、恥を掻いたと感じたのです。

 この警官が呼ばれた大騒動の時は、私は何も彼らを侮辱していません。夫の方の柳沢某が、大声で、「住居侵入で訴える」と、何度も言うから、私の方は、内心では、心から小ばかにしてしまいました。なぜかというと、その大声の裏側に、『自分たちが、今、現在、私の猫を家の中に、隠しているということを、私に、知られたら、本当に困る』という、恐怖心が、見え見えに読めるからです。妻も夫も、図体ばかりは馬鹿に大きいけれど、心蔵は小さいのです。肝っ玉もない。

 もし彼らが、本当に大人で、しっかりした人物だったら、その時点では、もめにもめているし、自分たちの望みなど、すでに部屋の中だけで飼うことを始めて、『猫は貸しません』と言う意思を強固に示している私には通じないとわかっているから、家の中には入れないはずなのです。だけど、わがままいっぱいで、幼稚園児並みの人間だから、『うわ、来た。うれしい。今日は返さないでおこう。いや、ずっと返さないで、おこうか』と思ったのでしょう。

 私は猫がかわいそうだから、午後二時前後には毎日庭仕事を兼ねて、そとに出して遊んでやっていたのです。だが。その日に限って、制限を加えられることへの怒りがあったのでしょうね。ふっと、いなくなってしまったのです。夏だし、猫って、ほんの小さな隙間でも潜り抜けられるのです。あれから、6年後の今では、相当に大人になっていて、絶対にあちらへはいてはだめだとわかっているみたいでですが、あのころは、猫も子供だったのです。

 どんなに、大きな声を張り上げられようが、私にはちっとも怖くないのです。心理学のことは一通りマスターしています。だから、投影現象はシャットアウトとします。ここで、いう投影現象とは、彼自身の恐怖心を、私側には、伝播をさせないことです。

 で、阿修羅というか、きちがいというか、平常心を失っている相手をどうするかです。それこそ、警官を呼んで、「精神病院に入れてください」というべき状態でした。で、どうするかを考えた挙句、オウム返し法を使ったのです。これも心理学で言う技術語です。相手をなだめたい、言い聞かせたいばあい、特に相手の状態が、処置なしというほど荒れている状態のときに、使う方法です。

 相手の言葉と同じものを返すのです。「住居侵入で訴えるぞ」と言われれば「住居侵入で訴えるぞー」とおなじくらいの音量で、返すのです。これが、驚くべき助けを、私に与えました。つまり、私の猫が心配して、外へ、出てきたのです。そして、猫語で、必死に私に呼びかけました。

 「おかあさん、おかあさん。どうしたの。怖いよ、この男が。それに、この場所も怖いよ。早く、私たちの、本当のおうちへ帰ろう」と。猫が一匹で、さっさと逃げ帰ってもいいのに、ちゃんと、私を心配して、呼びかけて待っていて、くれるのですよね。感動しました。猫って本当のところは、非常に愛情が深いのです。猫嫌いな人間は、本当の深い愛情を知らない人たちです。
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副題20-8、『国際的軍産共同体が、この山を支配していますね。完璧に』

 そのときに、本当に相手夫婦は、追い詰められたのです。長年、長年、自分たちのほうが川崎千恵子より格上だと信じて来ていて、その象徴が、猫が「自分たち夫婦のほうを好きなのだ」という一点に集約をされていたから、猫を毎晩返さなかったわけです。迎えにいっても、長らく寒い中で待たせるなどのいじめを、楽しんでやっていたのです。

 しかし、このときに、彼ら夫婦に助け舟が出たのです。それは、石井夫人という常識がある女性です。彼女が道端で、心配しきっている私の猫を抱き上げて、「ほら、川崎さん、猫がこんなに心配しているからつれて帰ったら」と言ってくれたので、私もやっと、柳沢昇という男に背を向けることができました。背を向けたら最後、殴ってくるのではないかと思うほどの狂気の発露だったので、背を向けて帰ることさえできなかったのです。出、石井さんに助けられました。でも、石井さんは平等な態度を取った人で、私が帰る方が、陶芸教室夫妻にも良いことだったのですよ。追い詰められた柳沢昇は、あのままだと、本当に殴りかねない勢いでしたから。そうしたら、傷害事件となるところでした。それほど、気が狂っていました。だから、直後警官を呼んだわけでしょう。せっかく石井夫人がまとめてくれたのに。

 しかし、この石井さんが、引っ越していったのです。それが、実は、横須賀市根岸2-103でおきたこととそっくりなのです。国際的軍産共同体側の人間が、やってしまった悪事がそこにあるわけです。それは嘘ではないことは、北久里浜駅裏に、有料のエレベーターが設置され、池田分譲地へ上がる人は毎月1500円のパスを利用すると、足で山へ上がらないで済むそうです。つまり、悪事を露見させないがために、住民へ利益を供与しておこうというわけです。特に最初の二ヶ月ほど、無料だったということで、みえ、みえの策謀です。このエレベーター設置の件があるので、井上久と同じく、瀬島隆三が生きているのも確かだと思います。地下潜行して、アイデアを練っているのでしょう。

 つまり、この日本における摩訶不思議な現象は、すべて、このような国際的軍産共同体の案出によって、動く、人間が起こしているのです。ただ、今まで瀬島隆三についてあまり生きていますと、主張しなかったのは、たとえ、生きていても、90を超えているわけだから、それほど、頭を使えないでしょうと思っていたのですが、この北久里浜駅裏の有料エレベーターの設置を聞いて、『ウ、生きている可能性が高い』と感じます。

 その方の事件歯、地籍変更届というものを利用したものだったので、実印を押して、それを賛成するという関係者が、12人いるのですが、その中で、最も頭がよくて全貌をわかっているのが、私です。それから、お隣もわかっている。一軒おいたおとなりは、悪人側の見方をするように最初から巻き込まれています。そのさらに、一軒遠い側の、お宅は、主人と会社が同じ日産づとめです。しかも奥様は、表面には目だたせないが、心の中では、私を頼ってくれていて、夜、お子様に事故が起きたりした時は、私に電話がかかってきて、私が呼び出されて、私が、解決して助けてあげたりしていたのです。

 電話が盗聴されているとすれば、表面はともかくとして、中身としては、ふたりこそ、ご近所の中で、一番親しいと感じ取られていたのでしょう。し、彼女宅は、夫も妻も、まったく揺るがない常識の路線で、考える人たちでした。悪者に洗脳されないタイプなのです。だから、将来私側の味方となるのを恐れて、敵に、引越しをさせられました。子供同士とても仲良しなのに、彼女が引っ越し先を教えないで、去ったのは、そういう理由があったのでしょう。「今のものよりも、条件のよい家を、安く、紹介してあげたのだから、川崎さんへは、行き先を告げないでね」と、言い含められていたのです。

 その経過は、石井夫人が私に行き先を告げないで、引っ越したのと、そっくりです。石井夫人と私は別に親しくはないが、最も心身ともに健康だなと感じていた奥様でした。まっとうなのです。ひねくれてもいないし、悪い方向へ流れるはずもない人です。

 で、こちら、鎌倉側で起こされた、とても似ている土地が絡んだ、一種の詐欺事件、アジサイ畑欺もう事件というのも、そもそも、瀬島隆三が、私をいじめ苦しめるために、前の会長中谷氏に、そうするように教唆したのだと、わかってきました。
 直接か、それとも、中谷氏の親友を通じてかどうかはわかりませんが。

 この山の人全部に好かれていて尊敬をされていた中谷夫人が、私の目の前で、「あなた、そんなことはおやめなさい」といっているのに、中谷氏が、私のもち山を削ったり、アジサイ畑をコンクリートうちにして、実質的にぬすむのを強行したのは、絶対に裏があります。最初の会長古沢氏だって「途中からは反対に回ったのですよ」と、後で、いっていましたし。

 アジサイ畑欺もう事件というのは、そのいきさつの詳細を、どこかに書いた覚えがあるので、あとで、その日にちでも探してここに入れておきましょう。

 中谷氏はカリフォルニア育ちの帰米二世です。鳩山由紀夫さんも、上杉隆氏もカリフォルニア留学です。そこには・・・・・対日、心理操作、洗脳要員、養成センターみたいなものがひそかにしつらえてある・・・・・のではないかな。またはカリフォルニア大学に、それなりの教授がいるとか。
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 この後、二千字ぐらいを、ニ時間以上さらしていたのですが、『修行とは何だ』と、考え始めると、延々と終わらないことに気がつき始めました。で、今回はそこまで踏み込まないことにいたしました。

 ただ、苦難のさ中にある方へは、告げたいです。そのあなたの苦難を、『自分は、ひとまず、まっとうに乗り越えたなあ』と、感じるときに、あなたは、『完璧に、一段階の修行をなさった』ということとなるでしょう。で、その繰り返しのうちに、『あ、わかった。あ、わかった』と思うことが増えてきて、最後の難問である、死さえも、わかったと成ることを指すのではないかなあ? 死を従容として迎えられることが、修行を積んだ人といえるのではないかな? で、結局のところ、自分の身に不幸が押し寄せてくることを恐れる必要はないとなります。それは、修行のチャンスを得ることだから。
、今日はこれで。2011年6月18日の深夜から書き始め、20日の23時に無理に終わらせる。                    雨宮舜(本名、川崎 千恵子)

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