銀座のうぐいすから

幸せに暮らす為には、何をどうしたら良い?を追求するのがここの目的です。それも具体的な事実を通じ下世話な言葉を使って表し、

広い古代遺跡の中で、たった二人だけの人として出会った立花隆の言葉を、スジャータ生クリームを分析する際には、使おう

2023-04-02 20:30:46 | 政治

 この章は、前々報

レイチェルカーソンを思い出している私。植物性クリームとは、乳化剤を使っている筈ですよ。工業製品の一つなのに、駐在員マダムはヘルシーだと信じている。困った事だ

2023-03-30 17:09:58 | 政治

 の続きです。自分の体力が足りなかったので、前報を、いれました。が、前々報の続きがこれです。

第一部・・・・・私は立花隆を、好きではないが、スジャータの生クリームを分析したこの一週間は、彼の叫び声を手法として応用した。まず、自分だけの考えで文章を書き、その次に、グーグル検索をして、自分の考えが正しかったこと確認をした』

副題1、『古代遺跡、特にグレコローマン遺跡については、私は、エフェソス(トルコ)が、一番だと思う』

 最近シリアの、パルミラ遺跡、ヨルダンのペトラ遺跡が、テレビ番組に、よく登場します。しかし、ヨルダンには、しっかりした航空便が日本からは出ていないと思いますし、シリアは、政情不安です。で、ギリシャ、【アテネと、デルフォイ(神託の都市として、非常に有名です。ただし、日本人観光客は少ない)、イラン、【ペトロポリス・・・・平山郁夫さんが、絵の取材をしたと言う事で、有名です)、ローマを、見た限りでは、訪問が可能で、しかもビッグな、古代都市として、トルコのエフェソスは、ナンバーワンだと思います。

 特に現代人に、興味を抱かせる、たくさんの、文明史的、エピソードが、あるので、なじみやすいのです。イギリスが、主に、発掘をしました。ほぼ、1500年間、川砂に、埋もれていたので、保存状態もいいのです。

 最近のテレビ番組では、クレオパトらの、妹が、ここに住んで、死んだらしい。これが、その墓らしいと、言うものが、NHKで、放映をされました。そして、昔から、ここには、マリアの墓があるとして、有名です。

 しかし、私の様な、ミッション系大学を出たもの・・・・・そして、それ以前に、すでに、一種の信仰の人であった人間にとっては、ここは、初期キリスト教、伝道の場所として、有名なのです。

 なお、今、グーグルの地図で、調べるとエフェソス遺跡とは、出ていません。たまたま、マリアの墓はあったのですが、エフェソス遺跡といては出ていません。これも、私が、どれほど、大モノかを示しています。どうか、本屋で、トルコの観光案内書をご覧ください。絶対に見るべき場所として出てくるはずです。

 改訂版聖書(大型版)の最後の方に、パウロの伝道の足跡を描いた地図があります。パウロ程、長い道を歩いて、伝道をした弟子はいない模様です。最初は、シリア北部から、トルコ南東部を回ったのですが、二回目とか、三回目には、ギリシャまで、足を延ばし、四回目には、ローマまで、行っています。新約聖書の著者四人は、これほど、長い旅行はしていない模様です。

 パウロは、非常に広範囲な旅をしていて、かつ、旅で出会った人(信徒、または、信徒になりそうな人)へ、手紙を書いて居ます。手紙で、イエスの事を説明するのですから、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる福音書(イエスが、どういう人であり、どういう事を行ったかを説明している文書)よりは、価値が低いとみなされていて、宗教学の講義などでは、取り上げられることが少ないと、思います。前の四書よりもです。

 しかし、私はペーパーバックですが、The Apostle という厚さ4cmの小説を読んでいるので、パウロが、どれほどの苦労をしたかを知っているので、大きな親しみを、感じます。しかも、最初は、迫害側だったのですからね。そして、文書の量としては、彼の手紙類が、新約聖書の、4つの福音書の、最も長いものよりも二倍以上あるのです。

 そのエフェソスですが、谷間を利用した都市で、下の方に、公共の施設があり、2000人収容するという円形劇場、図書館などが、有名です。上に行くと、浴場などがあるのですが、メイン道路の、しかもメインの場所に、ハドリアヌス皇帝の、胸像があります。

 その時のスケッチ(紙)に、ICUの先輩が、10万円出して買ってくださったのです。が、今、画像が、見つけられないので、それを見つけないで、先へ進みます。

 その先輩は、今のテレビ東京が、10chで、教育チャンネルとか言う名前だった時代に、経済番組のディレクターをなさっていた方で、退職時、400万円を母校へ寄付なさいました。ところが、日経新聞論説委員の、石塚雅彦さんが、ロックフェラー四世と親しいので、私の周辺を、寂しく貧しいものにしてやろうとしたのでしょうね。その先輩(女性)との、仲が切れてしまい、連絡を取ることが出来ません。とても会いたいと思っています。今85歳の筈です。逢いたいです。ただ、ご本人が意地悪だったわけではないので、お名前は伏せます。もう一人、東洋英和から、進学してきた同級生との仲も切られています。彼女が日経新聞にお勤めだったからです。

 そのハドリアヌス帝の、胸像前で、スケッチをしていると、したから、たった一人の観光客として上ってきた人が居ると、上の章の最後の方で、書いて居ます。

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副題2、『私は、2013年の保美死刑囚の、事件以来、非常に丁寧に、NHKニュースをチェックする様になった。私狙いのニュースの始まりだったと思う。まあ、菅直人首相への不信任案(2011年6月)も私狙いだったかもしれないが、平成の八墓村事件は、100%私狙いだった。で、それ以前は、好きな日曜日の、NHK教育チャンネルの番組を見るぐらいで、ほとんどテレビは見なかった。したがって、立花隆の顔を知らなかった。

 エフェソスの遺跡には、午前中は、たくさんのヨーロッパ人が、観光バスで、やってくるのだが、午後は人っ子一人いない。で、そこへ現れた・・・・・私に言わせると、超傲慢で、せっかちで、早口で、子供っぽい男が、田中角栄を追い落した、有名人だなんて、一切気が付かなかった。これが、1980年の事でそれから、15年後、彼は、エフェソスあたりを真ん中とする、地中海沿岸の旅行記を出す。写真は、カメラマンに撮影をさせて、見開き2頁ごとに、文章と写真が交互に現れる書物を、公刊し、

『エーゲ 永遠回帰の海』須田慎太郎(写真)、書籍情報社、2005年、ちくま文庫、2020年  が、出版をされて、書評で、現代の出版技術で、写真と文章が、一頁おきに出ていて、このお値段なのは、安いと、出ていたので、急いで、立ち読みをしたら、

  「トルコではセルチュク博物館が、最も面白かった」と、書いてあったので、・・・あ、あの時の男は、立花隆だったのだ・・・と、納得をした。というのも、彼にセルチュクの博物館へ行く様に勧めたのはあの日、すれ違った、私の主人だったからなのだ。

 私は、この時まで、彼が、立花隆だとは知らなかったし(むろん、アフロヘアではなかったし)何度も自分のエッセーメルマガで、【紫色のズボンをはいた男】と、言うタイトルで、彼について書いて居る。それが、奥っていない筈の立花隆に、入っていたのだった。

 これは、立花隆が、イスラエルに招かれたときに、CIA側に洗脳をされたとみると、理解しやすい。私の文章は、非公開の段階から、下書きの同じ画面を、世界中で、日本語が、読めるCIA要員が、20名は開いてみていると、感じているが、彼らは、立花隆の行動も熟知しているので、この滑稽な男性が、立花隆だと、すぐ気が付いて、彼に、同じ文章をコピペしてメール等で、送ったのだと、思われる。それがいつだったかはわからないが、メルマガは、1999年から、開始している。

 彼は、1980年の夏には、トルコ、及びトルコ人に対して激怒している模様だったが、その12年後に、輪私のメールマガエッセイ(名前は、いれていない。紫色のズボンの男とだけ、表現をしている)を。読んだ瞬間以降は、私に対して激怒した可能性がある。だけど、私の方は、メルマガは、AOLの独自システムを使っていたので、40数台パソコンが壊されてしまったので、消えてしまったので、いつ書いたかは、覚えていない。しかし、私を打ち負かすために、出版された書物だと、はっきりわかっている。

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副題3、『彼との、会話を、逐一再録させていただきたい。その中で、最後の言葉が、特に重要なので』

 彼は、私が日本人だとわかると、のっけから、激しい勢いで、トルコをののしり始めた。汚い。教養がないとか。で、私は、内心で、強く反発した。個人の旅行者は、当時は、ジープを改造した乗り合いタクシーでしか、クシャダスからエフェソスには、来られない。尚、クシャダスとは、ヨーロッパからの観光船がつく、ほぼ、100%で、ヨーロッパ風なリゾート地。団体旅行の人は、観光バスで来るが、それに乗るためには、二か月は前に、ドイツで、申し込んでおかないとだめだから。でも、片言のトルコ語をマスタ-してきた私は、彼らと楽しい会話を交わした。

 テシュキューレ(ありがとう)、メルハバー(こんにちわ)など、42年たった今でも、覚えている。それで、十分に通じるのだった。確かに、立花隆の言う通り、42年前のトルコ人は、ほんとうに貧しくて、汚い服装だった。だが、私は、彼らを、おそれたり、きらったりはしない。だって、イエスは、言っている。「貧しきものよ幸いなれ」と。こちらが、屈託なく、しかも、何の先入観もなく、話しかけると、乗り合いバスの乗客が、すべて、大喜びをしてくれた。日本人と直接接触するのは、初めてだったかららしい。

 もちろん、私はトルコの知識人とも別の乗り物内で、川合を交わしている。サマーウールのスーツを着た、お医者さんだった。乗り物は、高速バス。国内便の、飛行機では、他の人とは、会話が交わせないが、高速バスでは、かわせられるのだった。

 彼が、きわめて強く、ののしったのは、それ以前(1972年)にイスラエルに招かれているので、その時の待遇がよかったので、ことさらに、私費で、回っているトルコが汚く見えたのかもしれない。

 でも、ノミがいて、どうのこうのと、言う話になったので、「あなたは、一泊、いくらのホテルに泊まっているの?」と聞くと「現在のレートで、650円かな?」と、彼が言う。わたくしたち夫婦は、この時、すべて、1万円以上のホテルに泊まっていた。主人の弟が、30代にして、日本トルコ合弁事業(もしかするとODAだったか? するとトルコ側は、大感謝だから、日本人五人を、大切にしたわけで、したがって、初日が、高級ホテルだったが、それ以降、自分たちで、チェックインしたホテルも大体、そういうレベルだったのだ。650円とは、42年前だから、今でいう、3000円から、3000円のホテルで、私達の方が、30000円から、40000円になっているホテルだと思う。で、もし、立花隆だと、知っていたら、「あら、いやだ。田中角栄研究が当たったので、もうかったでしょう。もっと高いところへ泊りなさい」と、言うところだが、彼が立花隆だと、知ったのは、その15年後だから、

 見かけ通りのバックパッカーだと、信じて、・・・・・でも、沢木耕太郎より、品が無いなあ。沢木だったら、こんなに激しく、現地の人を、ののしらないでしょう。軽蔑もしないでしょう‥・・・と、思いながら、ちょっと黙っていて。

 その次に、「ホテルの人とは英語で、話をするの?」と、聞いた。ホテルマンとの会話からだって、このエフェソスの案内を聞くことはできると思うので。「まさか、彼らが、英語を話すわけないだろう」と彼が言うので、「あなた、このエフェソスにマリア(イエスの母)の墓があると、言う伝説があるのを知っている?」と、聞くと、彼が、「知らない」と、言うので、「あなたねえ。事前に少しは調べてきた方がいいんじゃあない❓(内心で、もったいないという思いがあったので。それに、私は、銀座で、画家に話しかけている際にも、まるで、お母さんみたい・・・・と言われる人で、常にだれを相手に話をしても、自分の方が成熟しているなあと、感じている人間なので、この時も、そういう感じで)たしなめる為の、発言をした。

 すると、彼が、声を荒げて、「僕は、物書きなんだからね。誰か、他の人間の書いたものを、事前に読むことはしないのだ」と、言ったのだ。

 もしかすると、この時、「あなたは何を書いたんですか? なんていうタイトルの書物?』と、質問をすればよかったのかもしれない。しかし、私は、この会話の10分も前から、彼が坂を上がってくるのを見ていて、何しろ、紫色のズボンをはいている、それだけで、格下げをしているし・・・・・・(画家だから、紺のトップスに、紫色のボトムスなんて、そんな、色の配合は、許しがたいと思っている)・・・・・

 義弟夫婦と別れて、主人と二人きりで、自由なスケデュールで、旅行をしていて、絵も描けるのだからトルコ大好きになっているし、のっけから、トルコをののしった、彼に対して、尊敬の気持ちが無いので、

 私は、それ以上の会話をやめてしまって、絵に向いて、それを描くことへ、取り掛かった。

 私は、美術にしろ、文章系にしろ、オリジナリティの大切さは、むろんわかっている。しかし、【地球の歩き方】ぐらいは、その文章に、特別な、オリジナリティとか抒情性があるわけでもないと、思う。エフェソスの発掘を行ったのが、イギリスであり、千年以上砂にうずもれていたので、これほど、微細に、かつ大量な建物が残っていると、言う事ぐらい、事前知識として、入れて置いてもいいと、思うのだ。

 そして、私は、彼に「もう、喧嘩をするのはやめましょう。私は、絵を描くのを再開しますね」というフォローの言葉を出さなかった。これも彼を傷つけたのかもしれない。だから、その一時間後ぐらい、ひまわり畑の中の細い道で、すれ違った私の主人に向かって、「遺跡の上の方に、すごく生意気な、日本人の女がいる」と、地団太、踏まんばかりにして、怒りを表明したそうだ。それも含めて、テレビとかメディアを利用する人間は、特権を持って居ると自覚をして、平均以上に傲慢になるのだと、考えた。それでテレビで、何か、困ったことを言う人は、常にチェックしている。で、このブログは外部からメディア論としてとらえられているらしい。

 だけど、天国にいると思う立花隆に言いたい。・・・・・あの時の絵を、10万円で買ってもらえる様な画家に向かって、「お・ん・な」ですって。非常に下品ですよ。【知の巨人】だそうですが、それなら、女性と、言う語彙を使わないとだめです。どういう場合でも、理性的でないとだめですよ・・・・・と。

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第二部、『スジャータ・製品の分析について、また、それを製造する、めいらくという会社についての分析』

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副題4、『植物性であろうと、まず、自分一人だけで、考えて、それを書いた後に、ググってみて、自分が正しいことを知る』

 トルコへ来る時に、生クリームを買ってきてと、1980年に、義妹から依頼をされた私は、南回りで、当時23時間かかる、旅行中、生クリームが傷むか、いたまないかで、心労をしぬく。その苦労ゆえに、イスタンブールに到着した、次の日の午前中仮死状態に陥るのだが、恨み骨髄の、スジャータの生クリームについて、

 最初は、何も検索しないで、書いて(それは、立花隆の、最後の言葉の応用でもあったが)、書いた後に、検索をして、自分が正しかったことを知った。ともかく、それがヘルシーだと、信じている駐在員マダムの、被・洗脳状態を、暴露したいと思っている。化学屋にとって、スジャータの生クリームがヘルシーであるかどうかは、大いに疑問があるからだ。

 この三月26日頃、私はなぜ、義妹が、生クリームを、スジャータのものと指定したのかを、考えていた。生クリーム自体、トルコにもってきてと、頼む方がどうかと思うのだった。まず、前日にスーツケースに入れたら夏だから、腐る。結局、当日の朝冷蔵庫から出して、スーツケースに入れたけど、結露が大いに心配だった。生クリームだけではなくて、杉木、千枚漬けという、冷蔵しないと、いけない頼まれ食品が多かったからだします。洋服やら、スケッチブックが濡れます。しかも買うのが大変です。横浜高島屋には、売っていない。どこで売っているか、と、青山の紀伊国屋まで、行ったと思いますよ。ものすごく大変だった。

 大金を日本から持ち出す大きなプロジェクトをたった、五人の日本人で、指揮するわけで、大変な厚遇を受けるわけだから、贅沢三昧になっていると、思うのだが、なぜ、スジャータなのかを考えて、

 ああ。そうか。それって、きっと植物性なのでしょうね。それで、ヘルシーだと言う事で、人気が高いのですね。と、思い至って、まず、それを書いた後に、ググってみた。すると当たっていた。そこまでを書いたのが以下の章。

私が有名教授の助手になるのを断った理由の一つを、本日急に気が付いた。スタップ細胞疑惑もICU1966年卒と関係があるだろう

2023-03-29 00:44:26 | 政治

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副題5、『駐在員マダムが、好むのだから、外国の会社だと、思い込んでいた私は、一回目の検索で、それが、日本の会社、めいらくHDの子会社で、製造部門だと知る。ひどく驚いて、次に会社名の由来から、ものを考え出しはじめた。その結果、の考察は、間違っていたのだ。が、その過程も書いて置きたい』

 ともかく、ひらがなで、めいらくと書いてあるのですが、そのめいは、名古屋の名だと、考えていました。で、グーグル検索をする前に、

 名古屋の会社だから、生乳がたくさん入手できない。・・・・・したがって、植物性の、生クリームになったと‥・・・考えました。

 しかし、会社について、丁寧に、丁寧に、検索をすると、乳業メイカーとして発達したのではない模様です。静岡の食料品店から、出発したのだそうです。それは、雪印等とは、全く違うのでした。

 しかし、なんで、めいらくと、言う名前なのでしょうか? 牛乳に関係のある会社が、主に使っている【らく】と、言う字を使うのかというと、所謂コーフィー・ポーションで当てたみたいなのです。

 新幹線で、提供されるコーフィーのポーションで当てたらしいのです。今、アマゾン等で、コーフィーポーションを見ると、5,6種類のメーカーが出しています。

 しかし、別のサイトで、見ると代表的なものとして、スジャータのポーションの分析結果を上げましょうと開いてあったので、スジャータのポーションというのが、圧倒的なシェアを占めていると、みなします。

 チェーン・コーフィー店が提供する、ポーションは、たいてい、常温で置いてあります。それは、圧倒的なシェアを誇る、スジャータのものかもしれません。小さい容器なので、製造元などは、書いてありません。

 私は、ずいぶん前から外で、コーフィーを飲むときにはこのポーションを使わないのだった。それは、舌でわかると言うか味でわかるので、乳製品ではないと思っていたからだった。

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副題6、『私は、最近では、白いクリームが乗ったようなケーキは、自宅では作らない。もっぱら茶色の焼き菓子ばかりだ。昔は、クッキーだけを一週間に三回ぐらい焼いていた。そこにはバターしか使わなかった。だけど、素人製のクッキーは固いので(しかし、子供がいた時代には、大量にお菓子が欲しいので、週に三回は焼いていた。子供に言わせると究極のスローフードだそうだ。硬いがおいしい。しかし、子供がいなくなったうえに、自分たち夫婦が老人になったので、柔らかいお菓子の方がいいと言う事になって、パイ(パイシートを使う)とか、パウンドケーキに変更になり、生クリームを買う様になった。

 鎌倉には、辰巳浜子さんがいた様に、手塩にかけて、原材料から作る人が多いので生クリームも常時置いてある。生クリームは、タカナシのものと、もう、一社置いてあるが、私はタカナシしか買わない。

 それはどうしてかと言うと、タカナシは、横浜に本社のある会社で、それが、

 画家・高梨潔氏と、関係があるのではないかと思っているからだ。その方は、わかりやすいし、色の美しい、しかも、心和む風景画を主に描く人だった。横浜港とか、海外の、風景が多いのだが、ともかく、見ていて楽しい。それは、描くご本人が絵を描くことが好きで好きでたまらなくて、何にも無理をしておられないからだ。

 で、今生きておられたら、93歳の筈だが、私は、氏を60年近く、いやもっと前から、知っている。父とも知り合いだった。で、ご本人とも会話をしたことがあるが、女性では、上條陽子さん、男性では、高梨潔さんというほどに、性格の良い方だ。

 絵は、ホキ美術館に収集されるほど、厳密ではないし、佐伯祐三ほど、デフォルメされているものでもない。それから、佐伯程、何らかの苦悩を、表現するものでもない。

 だけど、・・・・・メディアには、載っておられない方で、横尾忠則とか、〇〇〇〇などとは、収入に差があると思う。だが真に、実力のある画家だと、思う。病院へよく行くと、絵が、寄贈をされているが、さすがに高梨潔さんの絵は置いて居ない。それは。次から次へと、買い手がつくからだと思うので、うちの中に残っている絵が無いから、そうなると思う。

 しかし、そんなに人気のある作家でも、濫作(または、乱作)家では、ないので、それほど、お金持ちという風には、見えない。しかし、おっとりとされている。で、私は、タカナシさんは、タカナシ乳業・創業者の、お子様、または、甥御さんなど、だったのではないかと、想像をしている。それで、タカナシを選んでいる。

 こういう純粋に牛乳から作る、生クリームは、おいしい。しかし、それと違って、植物油から作るクリーム(たいてい、泡立て済みで、ホイップという少し違う名前で、売り出されている)のは、いろいろな、添加物(香料や、乳化剤)が、入っているので、それを、ヘルシーだと、言う人の、考え方は、受け入れがたいのだ。だって、透明な油脂類が不透明で白くなるためには、工業的、作業とか、添加物(特に乳化剤)が、必要だから。

 なお、今調べたら、高梨潔さんの絵が、すごく安く、売っていました。だが、気を付けてください。それは印刷物のはずです。紙です。大量生産されている複製品です。亡くなって、13年がたつので、本物は流通していないと、思います。気を付けてくださいね。印刷物だと、判って、買ってください。なんでも鑑定団で、『(同情されて)、一万円です』と、言うたぐいのものです。

 ただね。台紙に張って、はがして飾ることが出来る様な画集の中の一枚だと、断りが付いています。その画集に、高梨潔の絵が、20枚、貼ってあったと仮定しましょう。すると、画集を、持って居る画廊、または、画商にとって、一冊が、30万円ぐらいする・・・・・そういう印刷物です。その画集を、或る画商が、50部作ったと仮定して、全部うりあげたら、売り上げは、1500万円になります。画商には、500万円は入るでしょう。そういう意味で、人気作家です。死後ますます、人気が出る・・・・・良いことです。

 となると、大量生産品だと言っても、同じ時期で、同じ作品を持って居る人は、日本国内で50人と言う事となります。作家の価値を落とさないために、そのくらいの部数ではないかなあ? すべて、想像ですが。

 だから、美しいものとしては、美しいものです。ご自分が楽しむためなら、どうぞ、お買い求めください

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