この一章は、音声入力で、スマホで、書いて居ました。それをコピペで、このブログの下書きボックスへ、移動をさせたのです。が、誤変換満載で、意味が通らないところがありましたね。今、直しました。
副題1、『いっても無駄らしいが、歌舞伎界を、よくするために、何度も同じことを言いたい』
またまた時間がないので、短く書けるものを書きます。実は歌舞伎座に対する批判です。私はもう7年か8年連続して歌舞伎を見ているのですが、最近は、全部を見ていないのです。演目に繰り返しが多い。と言うこともありますが、歌舞伎座の方針に大いに批判を感じているからです。
最も・・・・・いけないなぁ、これでは衰退に向かうのが、目に見えてますよ・・・・・と思うのが、役者の格付けに、名門の子弟を優先して、外から入ってきた役者を大切にしないと言うことです。特にプログラムがいけません。全くいけません。
三月は、後半だけかもしれませんが、上村吉弥と言う役者さんが体調が悪く、て休演しました。代役に出たのが、片岡千壽で、他の芝居でもずいぶん活躍してるらしいので、3月の目玉商品と言っていい役者です。ところが、親が有名人ではないので、彼へのインタビューがプログラムに載っていません。プログラムは、十年一日のごとく、同じ編集方針で編まれていて、親が有名な歌舞伎俳優は、短い出演時間しかなくても、プログラムにインタビュー記事が載っています。
ところが、このように、じっさいに、大活躍をしている歌舞伎俳優が、親が歌舞伎俳優ではなかった場合には、プログラム内の、顔写真においても、大きさや、序列において、冷遇をされており、インタビュー記事も載っていません。
なお、歌舞伎でも、歌舞伎座以外で上演するときには、プログラムを面白いものに作っている時があります、例えば今回の外部公演はファイナルファンタジーでしたが、主な出演者は親が有名な歌舞伎俳優であるかないかにかかわらず、インタビュー記事が出ています、これは浅草歌舞伎とか御園座歌舞伎とかの場合にも、発見することができる傾向で、歌舞伎座だけが、どれほどに、万ねん一律で、面白くないプログラムを作っています。
私がすでに一回この件で、ブログ文を書いているから、かえって、しつこく、それに、こだわり抜いていて、方針を変えないのかもしれません。
特に菊之助の坊や=丑之助の顔写真が大変大きいです。しかし上に言った。今月大活躍の女形は顔写真が小さい。
さすがに丑之助のインタビューはこの号には載っていませんが、顔写真は大きいです。これはねー、ちょっとというか、大いに、良くないです。
もちろん菊之助が丑之助を名乗った頃から歌舞伎を見ている人には、これでいいんでしょうね。だけど、これからのお客さんはこれでは納得できないと思いますよ。ファン気質があるとして、それはね、まあ、いいんですよ。それは認めます。
菊五郎以来の連綿として続いてファン、その種の、ファン気質を持っている人は、このプログラムで満足するでしょう。
だけど演劇として歌舞伎を見ている私なんかにしてみると、これはひどい。実情と全然あっていないと感じます。これではね。演劇としての歌舞伎がやがて見離される筈です。だって現在の菊之助の子供時代=丑之助の 活躍した時代を知っている人はいずれ死んでいくのです。
現在3階席で見ている、アラフォー、アラサーの女性たちこそ、これからの歌舞伎界を担っていく大切なお客なんですが、彼女たちは婦人画報とか家庭画報の歌舞伎欄をよく読んでいるでしょう。そちらの方が、プログラムやら、休刊してしまった演劇界とか、俳優名鑑よりも、より、実情に沿っています。
多分ですが、歌舞伎座は鎌倉エージェントに強く支配されているために、私がブログで書いた事は、絶対に採用しないのです。しかし、これではね、本当に衰退に向かうと思いますよ。
歌舞伎座に対して、絶対批判しないで、いい顔する人だけを大切にしてるでしょう。それが世の中って言うものなんでしょうね。
だけど私は預言者は世に入れられるの類で、私の言う事は必ず将来実現してしまいます。ほんとに危ないですよ。現在80歳代の人、および70歳代の人、は、近々死ぬのですよ。
これは紛れもない真実で、その次の世代は、終身雇用制が崩れているから、歌舞伎を見ている精神的余裕及び経済的余裕がないかもしれません。
もちろんパワーパックカップルと言って収入の高い40代はいますよね。だけど彼らはIT的に最先端の技術を持っている、またはそれを理解しているがために、そういう方面にお金を使います。
iPhoneが近々またバージョンアップをするそうです。いや、横浜駅の横須賀線のベンチに、iPhone14の広告が出てて黄色い背面を持つ、新機種が出るそう守です。そういうところにお金を使います。自分たちはお金を持っている。しかし、IT機器にお金を注ごうとなると、歌舞伎にはいかなくなります。
で、歌舞伎座は、危ないですよ。
もっとね、普通の感覚、素人の批判と言うものを入れなくちゃいけません。
今はまだ生きている井上ひさし、と、伊藤玄二郎を重んじすぎです。井上ひさしは、脚本を書ていますよね。また、伊藤玄二郎は、里見頓に、慕い寄っています。
その里見頓には、四男としての、山内静雄さんがいます。
小津安二郎を支援していた名物プロデューサーです。そのラインを通じて、伊藤玄二郎は、歌舞伎座を支配しているでしょう。で、かれの言うことを聞いて、私がブログで書いていることを一切聞こうとも、していませんね。だけど、これはほんとに危ない。
それは言っておきたいです。
菊之助はね。京都アニメーション放火に関して、ナウシカ歌舞伎化の件で、交渉のあった宮崎駿と八田英明社長を結びつけたと私は思っています。したがって菊之助を特に守りたいと言う傾向が、歌舞伎座にあるんですけれど、それはそれとしてプログラムに現れる・・・・私の意見に反対する傾向は、・・・・・このまま進ませる・・・・・と、歌舞伎座及び歌舞伎界の衰退に向かうでしょう。松竹は、二つの高層ビルを建てて、そのオフィス部分からの、賃貸料が入るので、経営は、金銭的にみれば安泰だと、高をくくっている模様ですが、このままでは、人気という面で、危ないです。
一応ですが、中車が、歌舞伎役者として、歌舞伎座に、復活していた模様ですが、彼の、銀座のクラブをめぐる、大騒動は、多分、私、いじめの1つです。ですから、これも含めて、歌舞伎界は、鎌倉エージェントの言うことを聞きすぎなのです。
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副題2、『玉三郎は、相変わらず、スケールが大きい。猿翁が、病に倒れた後の、歌舞伎界改善を目指すリーダーだと、思う』
今回は、もう一つ、話題がありました。それもプログラムに反映されていません。
歌舞伎俳優、春猿の復帰出演がありました。彼は、先代・猿之助=猿翁が要請した、役者で、親が名門でない歌舞伎俳優の1人です。猿翁が病気になって、後ろ盾を失ったと言う形なので、将来、出演の機会に恵まれないであろうと、自ら判断したのでしょうね。
または実際にそういう目に出会っていた可能性が強いです。したがってだいぶ前に逃げ出してしまいました。そして新派に入って、役者の名前を変えました。
今般第三部に、端役ですが出ています。これは玉三郎の、招請で、参加したのでしょう。新派の、主軸、喜多村祿郎が不倫騒動で、たたかれたので、新派は、ちゃんとし公演をやっていないのでは、ないですか?
この不倫騒動って、言うのは、特権者のさじ加減一つで、大きくいじめられたり、全然虐められなかったりします。まあ、喜多村禄郎がどっちだったかは、あまり、知らない役者なので、判りません。ただ、東出昌大は叩かれ過ぎで、それは、たぶん、私が、好感を持って居るからでしょう。ここいら辺は、傍証付けを、今は、しませんので、「何を言っているのだ」とおっしゃる読者様は、いると思います。が先へ進みます。
ここで、元春猿(現在の、役者名は、河合雪之丞)が、先代・猿之助(=猿翁)の病気で、出演の機会がないですね。そういう状況を見て、玉三郎が助けてあげていたのだと、思います。牡丹灯籠で、主役の、一人だった、中車を誘惑する女を演じていて、新聞批評もよかったです。大変面白かった、文学座版、脚本を利用した牡丹灯籠で、平生してあげたのだと思います。でも三郎は必ず歌舞伎座の第三部、昔で言わせると、夜の分しか出ません。したがって、私は病気の主人を抱えて、また泥棒被害が大きいために玉三郎の演目を見ることが少ないのです。ほぼ3年ぐらい見ていませんね。でも玉三郎は歌舞伎界のリーダーとしては健在でした。演目の選び方においても、マンネリを打破しようと、奮闘しています。今回の髑髏尼、もそうですが、珍しい演目で、しかも暗い終わり方をする・・・・・吉井勇脚本の、演目を選んでいます。
だいたい、演目が、マンネリ化している月が多いのですが、玉三郎は、頑張っているというわけです。
表現するものが新しい。しかも深い。そういうものを取り上げるところに、玉三郎の変わらぬ気概を感じます。
ところで、ここで、お詫びをして、修正をしておきます。下の部分で、福之助と書いている部分・・・・・特に髑髏尼に、出演部分は、歌之助でした。訂正して、お詫びいたします。自分でも何となく、変だなあとは、思っていたものの、プログラムを、自宅ではなくて、一種の別宅としている反町に置き忘れたからでした。雪ノ下でも、必死で探しました。ところが、以前の年度に比較すると、歌舞伎座のプログラムが探しにくい形の表紙になっています。
また相手役に福之助正しくは歌之助を選んでいますね。福之助正しくは歌之助は、芝翫(元橋之助)の子供ですから、いわゆる名門の子供に当たります。でも福之助正しくは歌之助を100%というか対等の相手役として選ぶのは、玉三郎の格から考えると、まだ時期尚早と言う類でしょう。
しかし思いがけずも面白かった白雪姫で、王子様に福之助を選んでいた、その時以来、福之助の演技力を買っているのだと思いますね。白雪姫と王子様では、背の高さと年齢の差があって違和感がありました。でも今回の髑髏尼で、非常に醜い男を演じた、福之助には、歌舞伎俳優には。なかなか、見られない演技力を感じましたから。玉三郎が目をかけるのにあたって、・・・・必然性があったのだ・・・・と言うふうに、4私も理解いたしました。この男の子は、子役として出ていたかどうか、私は実は知りません。そこらあたりは、記憶が定かでないんですけれども、歌舞伎界に進出して以来は、大きく、出世をしている男の子の1人です。
でも、まぁ、許せるなあ。単に母親が、三田寛子だからというわけでもなさそうだと、今回の髑髏尼を見て感じました。
ところで、これは今月の暗い、かつ、文学的、かつ、思想を込めた、髑髏尼からは、離れている余談の1つですが、その・新作・白雪姫ですが、ものすごく面白かったです、わたくし以外のお客様も、「意外だったわね。期待していなかったけれど、面白かったと、帰り道、口々に言っていました。
この演目では、玉三郎は、しどころのない役で、かつ、相手役とは、年齢と、背の高さが釣り合わなかったと思います。しかし、わき役陣が、面白かったですね。特に、母の毒リンゴを食べさせるお妃、と、鏡の声の対話が、ものすごくユニークで、かつ面白かったです。
再演を願っていますが、私が褒めているから再演できないで、いるのでしょう。しょっているみたいですが、そうなんですよ。
ところで、その意地悪なお后が、児太郎で、鏡の精が梅枝でした。児太郎が歌舞伎座で、演じた各演目の中で、これが、一番面白かったです。彼にもある可能性を感じるコメディアーセンスが、発揮されている役だったので、非常に面白かったのです。意地悪な中年女性、一辺倒ではなくて、きらびやかなうっちかけを着た、美しい女性で、おかしみを、ばらまく女性でした。
彼の父、福助については、私は、小学一年生まで、親に連れられて歌舞伎を見ていますが、その後、60年間のブランクがあるので、生の福助は、病後の物しか見ていないのです。
私は福助が病気になる前の動き方や、演技については、映画になっている『降るアメリカに、袖は、ぬらさじ』しか見ていないのですが、歌舞伎に通である人がよく言っている「福助には、コメディーセンスがある」と言うことが、その映画では、よくわかります。
それが、息子の児太郎にもよく表れていて、彼が、白雪姫の、母・妃=女王を演じるときにそれが芝居に大変面白いニュアンスを与えています。
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副題3、『これは、言いたくもない、話の一つですがファイナルファンタジー上演の裏側について、ちょっと、一言』
元に戻ります。うーん、これを言い始めると長くなるぞというのが、歌舞伎座を利用して、いろいろな弾圧が,
私に対して、行われて居て、1962年の18人の英会話での同級生、野々村康彦さん、を救うために、私が1階5列16番と言う席を買わざるを得ないと言うふうにさせられ、隣に駐在員時代、野々村家と仲良くしていたと、言うご婦人が座ったり、たり、大金持ちである小学生時代の友人、市瀬紀美子さんが突然、4階か3階のエレベーターに乗り込んできたり、・・・・・・彼女はスクエアエニックスの大幹部の奥様になっているので、3階とか4階で歌舞伎を見るはずがないのですが、・・・・・私がすでに乗っているエレベーターに、わざと一緒に、乗ってきて、これまた、わざと、無視する作戦に出てきたり、
それですがね。ご近所人間が全く同じことを、盛大に過去にやってきています。そうですね38年間に1000回以上行ってきているいじめの、1つの、典型的な手法なんですが、それを歌舞伎座のエレベーター内で、行われました。私は、そういう攻撃であることが、瞬時に、わかって来てるからこちらから、市瀬紀美子さんに声をかけましたよ。そして、小学生時代の、クラスメイトから、いじめられると、言う、謀略は、一応突破いたしました。だって、ご近所人間(私の方が、40代を過ぎてから、付き合い始めた人たちと、10歳のころから、付き合っている人間とは、感情移入のレベルが違います。
で、一応会話が始まったのですが、日吉まででも、同行しようとすると、銀座で、用事があるので、ここ(=歌舞伎座前で)別れましょうと、言われます。夜九時の銀座で、78歳の女性が、用事を果たすお店はありません。で、ご主人が、待っているのだなあと、推察しました。
後から思うと、ご主人は、菊之助とあっていて、ファイナルファンタジーXの歌舞伎化を、相談しているところだったのでしょう。京アニ放火の件で私が書いて居ることが正しいがゆえに、ファイナルファンタジーの歌舞伎化に取り組んで、京アニ放火と、菊之助の関与を薄めていこうとする作戦だと思います。
菊之助としては、自分は何をしたんだっけと、言うほどに、よくわかっていないでしょう。ただただ、一緒にお食事をしただけですよ・・・・・という様なものでしょうね。
だけど、CIAエージェントの動きって、大体同じです。いつも、そうなのです。実は、嘘が大量に含まれている謀略でも、一部に、実在の有名人を取り込んで、仕上げるのです。
一般庶民に対しては、菊之助がナウシカを歌舞伎化して、ナウシカ上演時にだけ、使う特別な幕に、宮崎駿が絵をかいてあげたという部分しか、公開をされていませんけれど・・・・・
これは、四月三日の、昼に初稿を書いて居ます。しかし、公開するのは。。5日からです。
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副題4、『そのファイナルファンタジーXの歌舞伎化を、豊洲のIHI劇場で、見てきました。でね。芝居よりも、豊洲とか、IHIについて、感想を抱いています。それを語りたい』
皆様は、お認めにならないでしょうが、私が大モノゆえでしょう。私には、ファイナルファンタジー歌舞伎化に関する情報は、全く入ってきませんでした。
たまたま、歌舞伎座のエスカレーターを使ったときに、真正面の壁に、その広告が貼ってあって初めて気が付いたのです。真横ではないのですよ。エスカレーターを降りる時に見える、正面の壁だけに、広告が出ていたのです。
もう、びっくりしました。が、副題3に言っていることが正しいので、私には、情報が入らない様に、処理されていたのです。
こういう風にインターネットを通じる情報には、各個人、夫々に、違う処理をなされた結果が入っている可能性があります。桜田門は、すでに、一般人には、非公開の情報処理技術を使っている可能性を感じています。それには、以前から、気が付いていました。が、さらに、自分の苦境分析にも、納得がいくのでした。ご近所様の、ネット環境にもそれぞれ、違う処理がなされている事を、確信をします。だから、平気で、攻撃をしてくるのです。安野夫妻と、平木さん一家には、私のブログは、入らない処理がなされていると思います。
で、住人のほとんどが、私のブログを読んでいません。で、『ああいう事が平気で出来るんですね』と、言うケースが、頻発します。で、私は、それを逐一書くと言う事になります。
鶴岡八幡宮にも私のブログは入っていないと、見えます。
それから、テレビですが、私が好きなテレビは、音量が下げられます。NHKの朝ドラおちょやんでは、おちょやん役の、杉咲花のセリフだけが、聞こえませんでした。服部萌音をテレビで、初めて聞いた時は、彼女のバイオリンの音だけが、聞こえませんでした。
さて、【クラシックTV】です。清塚信也、鈴木愛理、そして、ゲストの、会話部分が、音量が下げられていて、ゲストの演奏で、急に音量が、五倍程度になります。ラジカセで、CDを聞こうとするとだめなのは、10年以上前から、始まっているし、RPG ドラクエなどを、やろうと思うと、vでエジプトらしいダンジョンに入ると、だめになって進めません。大昔やったことがあるので、カセットが、壊されるのだと、思います。
で、現在80歳の私がドラクエを知っているのは、子供たちが学校へ行っている間に、こっそりと、やってみたからでした。それは、子供たちがやり終えていて、もう、使わないヴァージョンの物を遅れて、やっていたので、ばれて居なかったと思います。(苦笑)
で、発売時よりも、ずっと遅れて、ドラクエをやっているころ(1985~7)にかけて、ファイナルファンタジーが、出てきました。で、子供に言わせると、ファイナルファンタジーの方には、思想が有るんだそうです。で、子供がやっているのを後ろから見ていると、色彩が、良くないのです。ドラクエの方が、色彩が、はるかに美しい。したがって、ファイナルファンタジーは、子供に隠れて取り組むということはせず、
・・・・・・これは、最初期のカセットで、ビットで、進んでいくタイプですよ。・・・・・
ストーリーも、面白さも、一切知らないのでした。
ただ、ただ、小学生時代の、友人だった、市瀬紀美子さんの、ご主人がスクエアエニックスの大幹部であると、言う事と、そのご主人を通して、市瀬さんが、いじめて来るから、見ないといけないだろうと思って行ったのです。
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で、ここから先は、政治問題に入っていきます。というのも、このIHI芸場が近々閉鎖されると、聞いたからです。
それは、この劇場を造った際の、コンセプトが、詰め方が甘くて、お客にとって、必要なロビーとか食堂がないのですね。テント内で、ベンチに座って、食べるのです。目の前の人など、劇場側が準備した、6500円のお弁当を食べているのに、寒風吹きすさぶテントで、たべるのですよ。机は、長テーブルで、いすはベンチです。エンタメの、のちのお食事がこれでは、興ざめも、いいところです。
これは、この劇場を設計した人が、機構としての、斬新さは、追及したが、ご本人が演劇とかミュージカルなどを見ないい人間だった可能性があるのです。
また、埋め立て地だから、地価が安いのでしょう。各、ビルの敷地が広いです。しかし人がいない。で、寒風吹きすさぶという感じを、もろに受けてしまいます。それはね。横浜駅構内と、周辺の商業モール(ほとんどが、建物の中なので、寒風にさらされることがない)、とか、川崎駅、東口の人出の多さとか、渋谷駅周辺の人出の多さとは、まったく違うものなのです。最近、池袋と、新宿に行っていないので、そこに言及することができないのですが、
まあ、銀座は、特別な街だとして、人出が少なくてもつぶれたり、消えたりすることはないでしょうが、
このIHI円形劇場が、開場6年にして閉鎖とは、
ゆりかもめ周辺の、すべての、ビル群が、採算が取れているのか、どうか、心配になりました。この国は、今、本当におかしいです。
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なお、IHIって漢字でいうと、石川島播磨造船所なのです。播磨の方では呉造船所が、大きな、位置を占めていて、・・・・・旧海軍工廠で、戦艦武蔵を作ったところです。
そこの1960年代の所長夫人が、母の学友で、
主人の父がそこに勤務して居て、主人の弟も、そこに勤務したのです。ですから、トルコで、1980年代に、日本人五人が、引き受けていた大プロジェクトというのは、石川島播磨造船所が作った、大型ベルトコンベアーだったのです。(あと註1~3へ)
この弟ですが、やがて、石播をやめて、某私大の事務長として転身をしていきます。法学部出身だから、どういうフィールドでも、応用可能だと、言うわけです。
私は、その時、『あ、私が義妹を嫌っているから、あの弟は、出世していきましたね。石播時代より、きっと、お給料が高くなったのでしょう』と思いました。
これは、私と何らかの関係がある人を出世させ、収入をあげさせ、社会的地位もあげさせ、ただ、一人、私だけを取り残していくという、ケースで、それ以前にも気が付いていた、四人を合わせると、五人目のケースでした。
これと全くそっくりなケースが、五歳年下の、広瀬由紀子さんという女性にも応用されました。彼女は、最初は日産自動車のデザイナーだったのですよ。しかし、寿退社したのちに、リコをした、独立した、デザイナーでしたが、「バブルがはじけて、デザイナーの仕事も、注文が減って、心配なので、中小企業診断士の資格を取った」と言っていました。
どうして、五歳も年下の人と、ここまで、深い内容の話をするかというと、彼女とわたくしは、お茶大付属高校の同窓会のサブサークルである、OPCの仲間だったのです。OPCとは、戦後、戦争未亡人となった、お茶大付属高校の卒業生が、お互い助け合う為に作った組織なので、1900年から、1920年頃までの卒業生が、最初はメインの会員で、1937~1947年まで、生まれの人は、数が少なくて、ごんぐらいしかいませんでした。で、その後人が、よく神田の学士会館のカフェで、二次会としての、お茶のみを一緒にしていたのでした。だから、上から、下まで、年齢差、10歳の、五人ぐらいがとても仲が良かったのです。そのグループの最年長が、旧姓西大寺さんで、安倍晋三元総理大臣が奈良の西大寺で、銃撃されたのは、「お前、西大寺さんに、捨てられているのだろう、悲しめよ」と、カソリックの信者である井上ひさしが、私を脅かすのが、目的だったと言っている通りです。西大寺さんは、最大のメンターの一人で、主に鎌倉や、逗子、葉山で、デートをした先輩でしたが、カソリックの信者なので、2003年ごろから、裏から、井上ひさしに、手を回されて、離れていった先輩です。
なお、高木清子文学博士(父親が数学専門の理学博士で、文化勲章受章者にいして、元東京女子大学長)は、年齢が、24歳は、上なのです。が、OPCのトップをなさっていた時期があって、その時に、部下として、私をお使いになったので、よく知り合っていたのです。
さて、広瀬由紀子さんと電話をよく交わしたというのは、私の側の、特別な事情がありました。主人は、私が電話をするのを非常に嫌がりました。呉の家は、四人兄弟で、男ばかりなので、長電話をする習慣がないからでしょう。特に高校時代までは、長電話をしないと思います。
ところが、私の方は、小、中、高、大、まで、裕福で、情感豊かな、友達が多い学校だったから、電話で、長話をする相手が多いのです。で、1999年の1月から逗子で、一人暮らしをすると、電話が、やっと、解禁となったのですね。その時、57歳です。男性も女性も仕事を持っている人が多いので、それ以前は、かかってくる電話は夜が多いし、こちらが掛けたい場合も夜だったので、主人に嫌な顔をされて、本当に不自由だったのです。
逗子で、やっと電話が解禁になったので、気にかかっていたこととか、を、解消することができる様になりました。人生の途次で、わからなかったこととか、いろいろなことが解消し、かつ、大いなるお勉強をしました。相手の方に悩みがある場合など、真夜中、4時間も話し合いました。ご主人が、どうも愛人宅に行っていると、彼女は推察していたので、不安で、不満でもあったのです。「トイレに行こう、いったん休憩よ」と言って5分程度中断しました。が、なお、延々と話し続けました。私の方ですが、主人に対しては、そういうポイントでは悩みは無かったです。
で、広瀬さんとは、長話には、ならなかったのです。が、結構な回数、特にお金の使い方について、とか、お金について話題にしない様にとか、注意を受けました。この時に、1965年以来、私の頭の良さゆえに、背後にへばりついていたCIA軍団は、北久里浜の、大・実質的詐欺事件において、再び、私の頭の良さを知ることとなり、さらに、攻勢を強めていて、
私が電話を交わす相手のうち、少しでも、ライバル関係になりそうな人には、相手が喜びそうなご褒美を挙げて、対私より、優越する様に諮り、私が、悲哀に、満ちて、ノイローゼに早くなり、精神病院へ、収容してしまおうと、図っていたのです。
で、広瀬由紀子さんは、個人事業主だったのですが、まず、日本工業大学(私立)の広報部長になりました。これは、電話で、聞いたと思います。「やはりうれしいわ。給料をもらうほうが、ずっと楽ですから」と、言っていました。この時は、裏側を、さして強くは感じませんでした。彼女が卒業した大学は、千葉大で、ここを卒業した人は、画家として、有名人になっている人は少ないでしょうが、日本産業界において、綺羅星のごとき、役職についている人が多いでしょう。国画会の大ボス島田章三さんの父君も、ここの卒業生で、浦賀ドックで、船舶内インテリアを担当していたそうです。その後、横須賀市議会の議長にもなったそうです。ほーっと、驚くばかりですが・・・・・
広瀬さんは、デザインの仕事の上に、中小企業診断士として、幅広い知識を得たのですから、人材登用に耐える能力を持っている人なのでしょう。
しかし、次に、「東京学芸大学の特任教授になりました。仕事は広報担当です」というお知らせをはがきでもらった時は、裏に、CIAの手が動いているのは、はっきりと感じました。
この逗子での、長電話で、相手が出世していったケースとしては、渡辺幸子さんがいます。一時期は、彼女から、悩みを打ち明けられていました。悩みは、二種類あって一つ目は、新制作協会で、会員になれないことでした。この悩みを打ち明けられたのは、22年は、前なので、もう、なっているかもしれません。が、22年前は、それが、大いなる悩みだったのです。
私も同じ悩みを抱えていると、彼女は考えて、私にそれを打ち明けてくれたのでしょう。つまり、ICU卒だと、有名美大卒の、人間より不利だと、言う話です。会員になれるのは、決して、力量だけではないのだと、言うのは、二人共、共通して、抱えている悩みだったのです。
しかし、逗子で、一人暮らしをしている際の、私は、内心で、もう、公募団体展(国画会と、女流画家協会)をやめようと決意していました。でも、そういう団体って、抜けるのが、ひどく大変なのです。会員になると、一ねんに一作制作するだけでいいので、会員になった人は、脱出はしないでしょう。しかし、会員でもないのに、抜けると、裏切り者扱いを受けるのです。
吉原の女郎が足抜けをすると、こういうことに成るのだろうなあと、言う処遇を、10年以上にわたって、国画会関係者から受けました。
で、渡辺幸子さんの、新制作の会員になれないという悩みは、私にとっては、熱を入れて議論をするべき話題でもありませんでした。
ところが、次の話題には、私の答え(忠告)は明瞭でした。で、それを言うのですが、彼女は、実行しませんでした。次の悩みというのは、彼女は田沢茂氏のスケープゴートになっていて、心理的に振り回され切っていたと、言う事です。
田沢茂さんは、美大を出ていません。それでも、新制作の会員になったわけなので、相当に気を使って工夫をして、人生を送っている人でした。非常に言い方が悪いけど、その工夫の中に、もっと恵まれて、育った人、例えば、小関利雄さんなどには、許せない部分もあったのです。小関さんの方は、出身大学は忘れましたが、当時の職業は、横浜国立大学の教授でした。いや、私がであった頃は、すでに、80歳であり、退官後でしたが。
小関利雄さんが、率いるグループ礫の面々にすると、田沢さんは、食えない人となるのです。実際に画廊で、絵を見ているときに背後から、田沢さんに声をかけられて、お教室に来ないか?と、言われたことがあって、私は、470人も児童がいる、幼稚園のPTA会長をして、いろいろなタイプの人と知り合ってきたので、礫のメンバーが言っている話は、本当だろうと、思いました。
田沢先生は、収入の面からも、社会的地位の維持の面からも、弟子たちを増やし、弟子たちを離反させない様に、必死だった模様です。
ある人数のグループを統括し、離反をさせないためには、ある一人を、スケープゴートにして、苛め抜くのが、便利で楽な手法です。私は、1955年、中学一年の時に、担任の先生が、本間君という、バイオリンの上手な男の子を苛め抜くのに、困り切っていました。それが、A組で、二ねんの時に、B組へ追い出されていて、それには、本当にほっとしました。
それと、同じことを田沢茂さんは、渡辺幸子さんにやっているのでしょう。60近い大人同士だから、あくまでも絵の批評としての言葉が来るのですが、それが、朝令暮改で、昨日の指針と、今日の指針が違うのでした。田沢先生にとって、幸子さんは愛する弟子ではなくて、道具の一つなのでした。これだけは「やめなさい」といいました。しかし、もし田沢茂の弟子をやめたら、さらに、ひどいことに成るだろうと、考えたのでしょう。幸子さんは、やめませんでした。
そういう長電話を交していた幸子さんは青木繁大賞展の大賞をとります。これは、私と関係のある人にお金や名誉を与え、私を、一人取り残すと、言う措置だったでしょう。賞金が百万円で、ガレリアグラフィカの、個展も提供されると、言う、もらった人にとっては、喜びに満ちた賞でした。
というわけで、私は、40人近くの人に、お金と名誉が、降ってくるのを指をくわえて、見ていることと、CIAから、されていくのでした。それは、1999年から、メルマガ配信をし始めたのと軌を一にして顕著になって行きます。
何か、暗い終わり方で、すみません。ただ、「ヨブ記」を読んでいる私は、自分自身は、平安なのですよ。どうして?というと、・・・・・ああ、物書きとして、ここまで到達できたか・・・・・と思うからです。
私への弾圧は、すべて、秘匿されて、本当の狙いは、隠された話として、実行をされます。だから、いつもミステリーを解いていると、言っています。この一文は、そのピースの一つなのです。全体の整合性のために、必要なピースです。
例えばNHKのバタフライエフェクト戦争責任者の回と言う放送がありました。主に取り上げられた印象的な人物はフルトヴェングラーと火野葦平でした。2人とも戦争協力者として、戦後、糾弾されれます。しかし弁解を国民レベルで、またはフルトヴェングラーの場合は世界レベルで、受け入れてられたとは思われない形のまま、なくなっています。そういう人に比べると、本当に小さな範囲でも、ちゃんと自分自身について説明ができている そういう現場に 私は満足をしているのです。