この文章ですが、後半に、300行縮めても治らないほどの、空白を入れられました。で、この上に、コピペで、それを直したものを入れてあります。こちらを削除したいのですが、それをすると、また、記事がないと、言う妨害を受けますので、そういう処置をしたことで、お許しくださいませ。
副題1,『この章を書くにあたってのお断わり』
これは、100%前報
春めいた日に、野菜市場、覚園寺、鎌倉霊園を訪問する。墓を壊す人間を探す為に、アンテナをとがらせながら。+フェレット+花輪夫人のフレイル状態
の補遺です。そちらで、加筆した方が、文脈が整い、わかりやすくなるとは、思うものの、こちらも、相当に長くなる可能性があるので、独立をさせました。
ところで、私は一種のブランド住宅街に住んでいるのですが、大規模不動産開発地ではなくて、小規模開発業者の、作った住宅街なので、ご近所様が、21軒しかありません。しかも、空き家とか、別荘に使われている住宅もあるので、実際に人が住んでいて、寝起きをしている家屋は、17軒しかありません。その中で、単身家庭が、すでに4件になっているので、昼間活動をしていると見える主婦はたった9人です。勤務がある女性が、4人いますので、日曜日などは、13人の主婦に出会うことになりますが、ウィークディに活動する主婦は9人しかいません。
自然環境としては、鎌倉駅からも、北を見れば、目に入る丘風の山の中にあるのです。下からは見えない、樹木に囲まれた小さな谷戸になっていて、その中は、ちょうどギリシャの円形劇場の様な、構造です。したがって、山の中で、誰かが誰かと、立ち話をしていると、すぐ、それが、聞こえてくる一帯です。
これが、本日の重要なポイントであって、私は、自分の家の玄関を出た途端に、誰かが、道で、立ち話をしていることに気が付きました。
山ノ下へ降りる道は、曲がりくねっています。で、全部は、我が家からは見えません。
だけど、誰かが、立ち話をしているのは、姿が見えなくても、音によってわかるのです。
私は、すぐさま、その立ち話は、私狙いだと、判断をしました。
で、それに対して、どういう風に対処するかと、いうことを、一瞬に考えて、腹を決めたのです。
実際に、降りていくと、最初の曲がり角を、曲がると、すぐ見える場所に、柳沢昇と、花輪夫人が、立ち話をしていました。
この時に、右側にいた花輪夫人が座っていたのです。それは、79歳にならんとする彼女がどれだけ、長時間、井戸端会議をしていたかを、示していることでした。この山には、同年代の主婦が現在のところ、5人いますが、一人元気な、安野智紗夫人を除いて、すべての人が、どこかに、弱点を抱えていて、フレイル状態です。フレイル状態とは、100%の健康は、維持できていないということ。病気で入院をするほどではないが、ぎりぎりの限界に近い体力であって、それが、好きなら、すでに、老人ホームには、入っていても、おかしくない状態だが、老人ホームの実体を知っているので、まだ、入りたくないし、子供と同居もしたくないとして、頑張っている専業主婦が、4人いるわけですが、その四人は、すでに、無理の利かないからだなのです。
それなのに、花輪夫人は、命令を受けて、長時間、立ち話をさせられていたのでした。で、疲れ切って、しゃがんで、待っていたのです。誰をというと、私をです。
で、私が何時に家を出るかということは、我が家の家庭内会話を、盗聴している人間にはわかるはずで、(盗聴の結果は、安野家には直接入ると、思っている。まあ、パソコンをその状態で、軌道をしておけば、盗聴の結果が、即理解できると、いうシステムになっている可能性が高い。間に警察を通さないでも入るはずだ)それで、午前11時過ぎには、そこを、私が通るはずだと、判断をした、安野夫人と伊藤玄二郎たちが、柳沢昇と、花輪夫人を組ませて、立ち話をさせていたのでした。で、二人は、30分以上の長さで、立ち話を続けていたのでしょう。花輪夫人は、すでに、耐えきれなくて、しゃがんでいたのです。
それが本日のタイトルでもあり、前報でも、その中にそれを書こうとしていた、花輪夫人のフレイル状態と、いうことにつながります。
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副題2、『ここで、もし私が柳沢昇という人間の、人格が高いとか、能力が高いとか、頭脳が優秀だと、認めていたら、ぶっちゃけた話として、…‥どうして通せんぼなんかしているのよ。誰に命令されたの? 安野さん、それとも前田さん。それとも、伊藤玄二郎?・・・・・って、話しかけて、彼ら二人に、自分たちがやっていることが、すべて、オミトオシであり、効果がないことを悟らせたと、思うのだけれど、
柳沢昇のバカさ加減とは、2005年7月26日(日)に、私の猫があそこの夫婦よりも、私の方を好きだと、いった日に、警官を呼んで、大騒ぎを起こしたケースと、
次に、
2016年9月28日に、柳沢昇が、私に暴言を吐き、その直後電話を伊藤玄二郎にかけているので、それは、この殺人未遂につながっていく謀略を計画し、実行をしたのが、伊藤玄二郎であると、自白しているのと同じことだから、「そこまで、あなたは、わかっていて、伊藤玄二郎に電話をかけているのですか?」と、質問をしたくて、ガラス窓を外からコンコンと叩いたら、さすがに伊藤玄二郎の方は、柳沢昇のバカさ加減に気が付いて、電話を、さっと切ったみたいでした。柳沢昇は、何故伊藤玄二郎が電話を瞬殺で、切ったのか、暫時、理解できなかったのではないですか?
というわけで、2021年2月22日、午後、0時50分に、彼は、私をいじめているつもりだったかもしれないが、反対なので、これは、高枝切り事件と、猫の事で、警官を呼んだ、交通事故の調書の話を再び、展開できると、思って、内心では、大いに、喜んだぐらいですよ。
でね、その程度の人間であって、この山の住民の中では、ひときわレベルが低い彼が、ひときわレベルが高い、花輪夫人と話が合うわけもないのです。
でも、それが、役に立つと考えている、井上ひさしあたりからの、命令で(間に、伊藤玄二郎を挟んでいるか)または、鎌倉警察署生活安全課課長から間に安野夫人を挟んだ命令のどちらかで、動いているわけですから、さぼるわけにもいかないのです。どうしてかというと、安野夫人というのは、どす黒い怖さを持っているいわゆるボスだからその命令に歯向かうことはできないのでした。
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副題3、『それは、京橋の画廊に、乗り込んできた馬越陽子さんと、同じであって、他人から命令をされて、あるいじめ行為をするのだけれど、それが、役に立たない行為だと、わかったときの疲労感は、ひときわ耐え難いものだったのだろう。馬越さんは、「疲れた、疲れた」と、いう言葉を連発した』
私は、画廊では、お茶を飲まないし、滞留しないこととしているのです。で、噂話が、入らない人なので、白田貞夫さんが亡くなっていることを知らなかったのでした。しかし、2017年の夏に、「白田貞夫の利いた足音」と、いう展覧会があって、そこに亡くなったと、書いてあったと、いうある人のブログを読んだときに、ああそうか、それで、と、思い当たることはあるのでした。
白田さんが亡くなった後で、誰が、主人になったかですが、外部から男性を招く可能性はあります。ただし、お子さんに、後継者として、社長業を継がせると、いう向きもあるでしょう。
あそこの画廊は、白田貞夫さんを除いて、四人の女性が詰めて、仕事をしていました。1)、奥様、2)、メガネをかけた、お嬢様と言われる背の高い女性。2)、同じく背が高いが、メガネをかけていない女性。4)、背が低くて、メガネをかけている女性・・・・・その中で、お嬢さんと、呼ばれている女性とは、そのお父さんが亡くなった後では、顔を合わせていないのですが、
その人以外の、女性とは、顔を合わせたことがあって、その三人の態度が激変したのでした。私に対する態度としては、野暮になったというかなんというか。で、やはり、シロタさんの、賢さが、失われた後では、だいぶ、賢さというものが、あそこから、失われたのだなあと、思い当たった次第です。
でね、そういう具合で、私は、画廊のオーナーについては、ほとんどの画廊のオーナーの性格とか、人格とか、勉強家かそうではないかとか、いろいろ、わかっているつもりです。
でも、体力が衰えるにつれて、訪問する画廊の数を減らしましたので、いわゆる作品を売る画廊と、いうのには、あまり、出入りせず、したがって、そのオーナーを知らない画廊も、むろんのこといっぱいあるのですよ。
で、2001年ごろの事ですが、京橋にある画廊で、いいものを見たのです。それは、私には案内状が来ない画廊でしたがって、私が、知っている、女流画家協会と、国画会と、それに、類似した公募団体展とは、全く関係がない作家を扱っていて、しかも毎週は、展示替えがないのです。この画廊は、私が海外へ行っていて、日本を留守の間に回廊をしたらしいし、また、馬越陽子さんが、対私いじめに、使役された一件がこの画廊を舞台にして起きた後では、六本木か、どこかに移転をしてしまったそうです。
しかし、個々のオーナーには、不思議な、頭の良さを感じるのです。お喋りではないのですよ。しかし、毎週は、展示品がないのですが(ということは、貸し画廊が、メインの仕事ではないと、見える)展示品がない日にもオーナーは、きちんと仕事をしているのですね。作業机を出して、版画集を作ったりしている。
でね、私には、美術に関する思いや、知識やうんちくが、わんさとあるわけです。それを、文章で発表するのもいいことですが、目の前にいて、黙ってはいるが理解をしてくれている人に話すのは、楽しいことですね。それで、その画廊で、入り口近辺のガラス壁を通してオーナーがいるなと、思うと、入って、三分から五分。おしゃべりを摺る様になりました。それが尾行とか、盗聴によって把握をされていて、その画廊なら、私が、五分はいるから、鉢合わせができると、計画されて、馬越陽子さんが、入ってきたのです。誰かの車の中で、待機していたのでしょう。その路地は、銀座、京橋界隈では、ことさらに暗くて、人通りが少ないので、運転する人間が中にいる限り、駐車をしていても、誰からも咎められないからです。
で、そこでわざと鉢合わせをする様に計画が練られたうえで、馬越陽子さんが、入ってきたのでした。むろん、彼女にとっては、初めての画廊です。オーナーはさすがの馬越さんですから、顔を知っていたでしょう。で、ご自分の名前は名乗らずに、そっと、斜め前方を見ながら、北京で、個展をしてきて、その結果、凱旋個展を三越でい開くことになったので、「忙しい、忙しい」と彼女は、のたまいました。
私には、この邂逅の意味が瞬間的にわかるのです。それはね。北京で、個展を開く、次に三越で、個展を開く。そういう馬越さんは、お前より、はるかに上なんだよ。お前、偉そうにするなよ」と、井上ひさしが言っているわけです。この時が、いつだったか、パソコンが30台も壊されているので、ブログで、書いていない文章は消えてしまっているので、わかりません。ただ、彼が、公的に、死んだということにした後だったか、前だったかは知りませんが、いずれにしろ、彼は、常に、私を、やっつけて、緩慢な死に至らせたいと、思っていますので、どういう形でさえ、ノイローゼにして、病院へ収容してしまえば、そこで、薬を使って、どうにでもなるので、こちらの勝ちさと、思っているわけです。
それが一瞬にして読めるので、私は馬越さんに向かってそうですか、それは、すごいですね」ともいわず、ただ、黙って、馬越さんに命令したのは、野見山さんでしょうね。まず、山口千里さんが、馬越さんに電話をかけて、その次に、野見山さんが代わって、馬越さんに骨子を命令してその次にまた、千里さんに代わって・・・・・と考えるので、大作家、馬越陽子が、今は、単なる攻撃用弾丸として使われた存在であるなあ・・・・・・とみるわけです。特に馬越さんは、バカではないです。で、ご自分の役目を恥ずかしがっておられるので、私の方を見ないのです。自分よりはるかにしたの位置にいる人間に、自慢をしまくるというのは、馬越さん程度の、教養のある人(東京女子大卒で、芸大大学院卒、父親は弁護士)だと、恥ずかしいことなのです。命令されたからやるけれど、恥ずかしくてたまらないことなのです。
私の方はずっと黙っています。というのも馬越さんに、ぶつけるのに、いわゆるぶっちゃけた話というのはだめなのです。お互いに育った環境が似ているので、おばさんチックな会話がだめなことは、わかっています。それで、私はただ、黙って、1.5m離れたところに横を向いて、立っている馬越さんを見下ろします。繰り返しますが、馬越さんは、バカではない。こういうことを発案する連中ほど馬鹿ではない。で、自分が、命令されたとおりにやっているが、全く目的が、かなっていないこともわかっているのです。で、突然に、馬越さんは、自分がやっていることのあほらしさに目覚めて、「ああ、疲れたー。」と、言い始め、それを連発し、そしてドアを開けて、帰っていきました。私は、画廊のオーナーには、「じゃあ」と言って、そこを辞しました。何にも影響を与えられていません。だって、馬越陽子は、馬越陽子であり、私は私なのです。独立不羈の精神を持っていなくて、なんで、アーチストなど、やっていられますか。ただ、疲れたーを連発した、馬越さんのことは、かわいい人だなあとは、思いましたよ。で、それを、メルマガに書いています。
しかし、この時、馬越さんが連発した、疲れたーという言葉をしっかりと、覚えている私は、花輪夫人が道路にしゃがんでいるのを見て、馬越さんが発した疲れたーを、強烈に思い出したのです。
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副題4、『馬越陽子さんと、花輪夫人は、些少のバリエーションはあるが、骨子は同じだった。つまり、
・・・・・・「この山では、安野夫人を実質的なボスとして、みんなが、そこに、集合している。お前は、仲間はずれで、誰とも立ち話ができないではないか? 花輪夫人の方が価値なんだよ。どうだ、負けて悔しいか? それに通るとき、かの女に無視されたら、ショックだろう。彼女は、いつもはお前を無視しないよね。だけど、本日は、無視してやる様に命令をしておいたから、無視するはずだし・・・・・
花輪夫人が、しゃべっているところは、安野家のベランダのすぐ下で、彼女が、聞き耳を立てているので、逃げ出すわけにもいかないのだぜ、「ちゃんと、任務を果たして頂戴ね」・・・・・と言わなくても、彼女は利口だから、ちゃんとわかっているさ。どうだ、まいったか?……と、井上ひさしか、伊藤玄二郎か、鎌倉警察署生活安全課の課長かが、その午後零時50分に、花輪夫人と、柳沢昇の会話を、スマホで、盗聴しながら、それにかぶせて、言っているのをひしひしと感じました。まあ、こういう風に分析をされてしまうと、井上ひさしが、丸見えになるので、彼は、23日の午後五時ごろ、2本のコメントをよこして、「また、妄想女め!」と、言って毒づいてきています。
ここで、どうして花輪夫人が使役をされたかを、推察しましょう。この通せんぼをされたのが、22日ですが、その前の21日に、割と長い(?)会話を、石段の途中で、交わしたので、それが、盗聴をされていて、意外と仲良しなら、それをひっくり返せば、彼女(私のこと)は、嘆くぜ、早くノイローゼになるぜ」と思い至ったのでしょう。誰が、というと、上に名前をあげた三人の鎌倉エージェント(CIA側の特権者)だろうとは、思いますが、
この山に住んでいる人のスマホが、すべて、盗聴可能で、それが、安野夫人のもとに入る様になっていたら、安野夫人が、企画をして、花輪夫人を、中立ではない方向で、動かして、それを見せびらかしてやろうと、したのではないですか? その日は、私は、割と早く出て、(それは、野菜市場に行きたいからだが)午後1時半ごろ、帰宅をして、山の中の石段で、花輪夫人とすれ違ったのです。
上の方で、この山では、実働、9人しか主婦が動いていないと、言っています。ほかにお勤めをしている女性が、四人います。が、21日は、日曜日だったので、会うとしたら、13人の主婦と会うはずでした。玄関で、右側に、花輪夫人の存在を感じたのですが、左側に関本夫人が下のお子様と一緒にいるのを感じました。こちらも、お子様の方に、いささかの問題があると感じました。また、安野夫人か、大原光孝さんが、何かを告げていて、何かがあると、感じました。ただ、この女性が、三井物産勤務かもしれないと、思っているので、タッチしないで、済むときは、タッチしないでおこうと、思っている女性なので、私は左側には顧慮はせず、右に向かって、山の下へ降りていきました。すると安野夫人の真下に、120度の角度で、曲がっているところがあって、そこは、山を下りる人にとっては死角となります。
また、山を上がってくる人にとっては、反対側に隠れていると、それもまた、死角になるので、脅かしの役に立つと、考えられているはずです。それを実行をしたのが富沢夫人で、日時は、2020年12月25日でした。
その富沢夫人の例があるので、今回の花輪夫人の動きも、即座に正解に達したわけですが、富沢夫人のケースを振り返ってみましょう。
実は、2020年12月22日に、新コロナウィルスを武蔵小杉の病院内ドトールで、飲まされたと、語っています。
で、そのリンク先をお読みいただく、必要はないのですが、でも、死ぬな!と、思ったので、次の文章も書いています。相当な覚悟を持って、殺されそうですよと、書いているわけです。それが次のリンク先です。
上の章も、お読みいただく必要はないのですよ。だけど、公開した日付だけはご注意をいただきたいところです。25日の午前三時となっていますが、実際は、24日の深夜書いたと、言ってよいでしょう。で、太陽が上がってから、いったん寝て、そして、午後外出しました。
その日の外出は、散々でした。スマホを持って出たと、言うこともあるし、私のブログが、鎌倉中の私を知る人の間で、広まったらしくて、散々な寝ぬな目に出会いました。
それを書いたのが以下のブログです。すみません、ここで、午前6時になるし、完璧な睡魔に襲われたので、、入眠をさせてくださいませ
@@@@@@ここが書きかけ中の最先端です。
前報を夜10時ごろに、いったん、完成(未推敲だが、骨子は、完成という意味で)としたものの、その五時間後に、引っかかるところがあって、それを加筆しますと、23日に入ってから加筆部分を書きはじめています。
心残りというか、引っかかるところは、4か所あったのです。
最初のみっつは、鎌倉霊園にある、実家の墓が、三年ぐらい前から、徐々に徐々に破壊をされていると、いうことを語り始め、それに関連して、石春産業という、会社に触れていっています。石春産業とは、鎌倉霊園に、もっとも、近い場所で、石屋を経営しています。