副題-1、『驚いた。白田さんは、すでに亡くなっていた』-その二
シロタさんと、いう部分に別の名前を入れないといけません。それは、あとで、致します。
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副題-1、『驚いた、シロタさんは、すでに亡くなっていた』
2017.12.25.夕方、ギリッギリで銀座7丁目 「シロタ画廊」へ・・・。8月に85歳で白田氏が亡くなられ、発表せずにいらしたとのこと・・・。
2日間だけゆかりの方の作品を展示。
上は、下記のblogより、取った情報です。
贈り物・・・。シロタ画廊「白田貞夫の聞いた足音」 | 田沼敦子公式ブログ (ameblo.jp)
これは、私には入ってきていなかった事実です。しかし、思い当たる、むきはありますね。非常に頭がいいと、思っている白田さんが、采配をしているにしては、これは、ばかバカしい行動だと、思うことが、このころ以降に、頻発していましたから。
以下の文章から、シロタさんの名前を抜いて、そこに別の人の名前を入れます。それは、あとで、直します。今は、新しい文章を書いている最中ですので、お待ちいただきたく存じます。
副題〇、「一晩を経て、ここに入れる、この章で、書き表したいこと。そのまとめ』
今は、14日の、朝10時半です。30分かけて、500文字書いたのに、システム異常を用いられて、消え去りました。とても、重要なことを書いているときに、頻発する、出来事です。で、そこを繰り返しましょう。
昨夜は、夜11時ごろから、睡魔に襲われ、ここに書いている項目を書かせたくないと、いう敵方の意思をひしひしと感じました。どうして、そうなるかというと、この章の主役は、雪ノ下二丁目のご近所サマより、社会的活動が、大きい人物なので、より、多くの人に、このブログの存在が、広まることになるだろうと、例のCIAエージェントたちが考えて、それを恐れて、睡魔を肉体に与え、次の日の朝には、パソコンへの攻撃として、文章を、消し去る作業を裏から、やっているわけです。
しかし、昨夜の11時まで、書いているエピソードだけだと、私が他人の恋愛、もしくは不倫を、世間にさらしているだけで、終わりそうだったので、それでは、自分がただの、のぞき見・野郎になってしまいます。で、必至に自分の肉体にムチ打ち、とろとろと、書き進めました。が、むろん昨夜だけで、完成したわけではありません。
この章は、実は、・・・秋山祐徳太子が、どうして、晶文社から、自伝【ブリキ男】を出版することができたか?・・・とか、その陰に、
・・・私の小学生時代の友人・K子ちゃん・が、緩慢に緩慢に殺されていった話(彼女が開いているパソコンの液晶画面を用いて、彼女に心痛を与え続けた話)とか、・・・まで、連続している話なのです。
そして、並行的に語りたいのが、尾崎正志という人物に象徴される、現代日本社会のありようなのです。拝金主義、それから、一夫多妻制度を、富裕層は、実質的に、実行をしている話など、・・・・・それを明文化すれば、恥ずかしい社会であって、日本・上げ・あげ・など、とんでもない社会なのです。欧米の中流社会の住民の間では、まだ、しっかりと、キリスト教精神が残っています。それから、イスラム圏でも、中流階級もしくはそれ以上の間では、宗教的縛りがしっかりと、残っている模様です。しかし、日本社会には無い。
それが、1998年(もしくは1997年だったか?)以来知り合って、22年間の空白を開けて、今般の偽版画問題の報道によって、再び、その存在が脳裏に上がって来た尾崎正志という人物によって、見事にも、表面に浮かび上がってきたのでした。この22年間こそ、とても大切です。まるで、龍宮の玉手箱が開いたみたいに、はっきりとした変化として、私の脳内に、それが出現したのでした。
私は、よく、神様が、この世を統べていると、申しております。今般のメディアを使った報道は、・・・・・私狙いのもので、「シロタ画廊の存在を忘れるな。そして、大原光孝について書くのをやめよ」と、いう・・・・・警告的命令だったわけですが、それに対して、解説を加え、例のごとく、「本当の裏側は、こうですよ」と、いう論考を書く機会を与えられたのですから、ある意味で、ラッキーだったとも言えます。それが、神様の、ご意思が常に私を、守っていると、いうことの実質です。
今般、急に大原光孝と、いう人物から、筆を離し、尾崎正志という人物に移行をしたのは、なぜだったかというと、その一夫多妻制度、一つをとってみても、大原光孝と、いう人物は、小さい器の人間だからです。彼は、せっかく支配していた一羽の文鳥さえ、手元から、とび立たせてしまった男ですが、それに比較をすると、20年間にわたって、めんどりを支配し、20年目には、二羽目の愛玩対象として、カナリアまで、獲得した、尾崎正志の存在は、私の心をひくのです。皆様におかれましては、ビートたけしという人物の生涯を、思い浮かべて、くださいませね。という前書きを入れて、この章の昨夜、書き始めた冒頭に戻ります。
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副題1、『これは、版画界における、敵は本能寺にありと、言うお話だ』
今回話題になっている、版画のもとだねは、本画と言って、絹本、または、紙に日本画用の画材を使って、丁寧に描いた1枚の絵です。それを、写真製版し、それを使って、オフセット印刷という様式で、作り上げた、一種の版画ですが、それを美術界専門の用語ではエスタンプと、言います。その形式の版画は、素人だましの、嫌な製品だと、私は前報(後注1)で、言っています。最近、言い始めたわけではなくて、大昔から、それを言っています。
そのエスタンプのさらに、質の悪いものが、出て、偽物だと、版画商組合が騒ぎ出して、それが、NHKニュース他が、報道をして、多大な話題になりました。NHKニュースによれば、色などが質が悪いそうですが、そういう意味で、偽物だと、騒いでいるわけではない・・・・・違う目的があって、流されたニュースだというのが、私の見解です。問題は、原画を持っている、所蔵者、もしくは、平山郁夫などの、遺族の許可を得ていない、形で、エスタンプを作っているので、所蔵者、または、遺族に、許可料が入らないわけで、それを許していたら、エスタンプそのものの信用度とか、値段が、激烈に下がるから、版画商組合が、怒っているというわけです。
しかし、私は、このニュースは、目くそが鼻くそを笑うたぐいのニュースであって、敵は本能寺にありで、
本当の狙いは、陰にいるシロタさんの存在に、私が気が付くことを狙っている、そういうニュースだと、言っています。そして、シロタさんの画廊で、専売的に扱っている柄沢斉の役割に、も、私に、気が付いてほしいと、言う狙いを持って、このニュースが、発表をされました。発表をというか、流されました。
シロタ画廊で、専売的に扱っている柄沢斉にも気が付けよというお話です。柄沢斉は、日経新聞の後援によって、大個展を、神奈川県立美術館で、行っています。だから、最初期に、この章の総タイトルに、石塚雅彦さんと酒井忠康氏を入れていたのでした。
だって、これは、犯罪でも何でもないのですよ。本物という方だって、もし、それを買った人の子孫が、50年後に、【なんでも鑑定団】、または類似の番組に持っていったら「印刷物です」と言われて、1万円のお値段がついて、満場の観客から、笑われる類のものです。ここでNHKがいう偽物と、本物の差とは、お墨付きが、ついているか? ついていないか?の差でしょう。
もしついていたと仮定して、そのお墨付きが、偽物だったと、言うことでしょう。本来なら原画の所蔵者、または、遺族の許可を得て、エスタンプを作り、それを一枚につき、50万円で売るのだったら、1枚につき、10万円から、15万円ぐらいが、収入として入るはずだったのです。その、支払われるはずのお金が、遺族または、所有者に入らないと、言うことになります。
私はね。個人美術館を経営している作家の遺族が、美術館の運営費をひねり出すために、エスタンプを作るのは、許容できるけれど、それ以外は、作るべきではないと、思っている人間です。父または祖先が、人気がある画家だったと、言う誇りを、持つだけで、十分ではないかと、思っている次第です。ただ、市とか県とかが、公的資金援助をしていない個人美術館の場合は、運営費を入場料=切符代だけでは賄えない可能性があるから、仕方がないが、それ以外のエスタンプづくりは強欲すぎますよ・・・・・と思っている次第です。
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副題2、『シロタさんは頭が良い人だ。銀座や京橋で、画廊を経営している、人物の中で、私は、一番賢い、人物だと、思っている。だが、その頭の良さというのは、自分が生きていくのに、どうしたら、一番有利かという部分に、突出して、注がれていると、感じている。このニュースは、その次の人物として、シロタ画廊が、専売している版画家、柄沢斉が、浮かび、それに対して、「気が付け、お前!」と、鎌倉エージェントから、言われている点が控えており、それが最大の狙いであるニュースだ。
もちろん、私は、気が付いている。ところで、柄沢斉が、頭がいいかどうかを私は知らない。
もう一人、重要な人物がいる。それに、気が付けよというのが、このニュースの最大の狙いだ。その人物とは、柄沢斉と同じ美大を出た、後輩としての、大原光孝という画家だ。その人物が、私の近所に住んでいて、自分が頭がいいと信じているのか、または、柄沢斉から、命令されて、それを行っているのか、もう、しっちゃかめっちゃかというほどのバカげた、攻撃を繰り返してくる。騙せると、思っているみたいだが、全部、裏側は見通せている。で、いよいよ、彼が行ったケースの中で、最大の悪辣さを内包している植木鉢の怪と、言う現象に取り掛かろうとしていたところだった。
それを書かせない様にするために、脅かしを仕掛けてきたと、言うのが、この偽版画騒動である。
私は、シロタさんが、頭がいいのに免じて、彼をしかりつける様なことは、今までは、一切、してこなかった。しかし、今回だけは、はっきり、言おう。「シロタさん、あなたは、誰に、依頼をされて、こういうニュースに、一枚加わったのですか? その時に、あなたは、このニュースが、長期低落傾向にあるデパートの、信用をさらに失墜をさせることを、予期しましたか? また、それを、私がブログで、書くことをも、予期していましたか?」と。
「それに、デパート側にも、大迷惑行為でしょう。NHKが、言っていることが本当なら、返金を拠出しないといけません。しかし、赤字続きのいま、それを、拠出するのが、難しく、担当者は、必死でしょうね。だって、エスタンプって、一種類につき、最低、300枚は、作るでしょう。今回10種類見つかっているそうですから、3000枚になります。まあ、全部は、売れなかったと仮定して、2000枚だとしても、合計10億円です。いくつかのデパートに分かれていますが、各デパートの美術商部門が、2億円程度、賠償金を用意しないといけません。今、新コロナ騒動で、お客の出足が鈍っているデパートにとって、大きな痛手ではないですか?」と。
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副題2、『そのシロタ画廊の、応接室で、20年以上の前の、ある日、奇妙な光景に出くわした。ソファに座っているシロタさんに向かって、立って、熱弁をふるっている、尾崎正志さんがいたのだった。彼は、そのころは、髪が黒く、しかも、長髪で、それをポニーテールというか、ちょんまげとして、結んでいたので、見・間違う筈もなかった。
その光景が、今般、急に、記憶に上ってきた事もあるが、エスタンプを、1990年代は、尾崎さんが、作っていたと、信じるので、前報で、突然に、尾崎さんについて、話し始めた。
この章では、今は、副題1に続く文脈としては、大原光孝さんについて、話を進めるべきだとは、思うのだが、実際には、尾崎さんについて、書きたくてたまらない。それで、しばらく方向転換をして、尾崎正志研究を始めたい』
この私が、シロタ画廊に入った途端に、尾崎さんが、熱弁をふるっている姿を見たことは、事前に計画されていたことなのか? それとも偶然のことだったのか? その真偽については、今は、ペンディングとさせておいてください。
尾崎正志さんという人物は、FBで、相当量の情報が出ているし、google検索でも、大量にデータが出てきます。ところで、彼がシロタ画廊で、熱弁をふるっていたのは、彼が、当時(2000年前後のことだっただろうか?)推奨していた、リトグラフ専門の作家・X・を、シロタさんに、専売作家としてもらいたい、と、言うことだったと、思います。シロタさんは、その提案を受け入れなかったと、思いますよ。
どういうことかというと、私はシロタ画廊の事務室で、シロタ画廊が推奨する作家の版画を、何十年間にもわたってみてきているわけですが、その作家Xの、作品を見たことがないからです。シロタさんは、リーウーファンを除けば、わかりやすい、きれいな作品を推奨していると、思います。そして、やはり手が込んだ作品を好きですよね。今シロタさんが、一押しの作家はだれか?などと、わかっていますが、その名前は伏せます。その作家は、シロタさんの、現在の収入源の、生命線だと、思うから。
ところで、その、私の方が、今は、名前さえ忘れてしまった男性のリトグラフ版画制作作家については、その制作現場を新横浜時代の、プリントハウスOMで、直接見たことがあるのですが、太いブラシ(刷毛)に、墨をたっぷりと含ませ、横に並べた、20枚程度の白い紙(サイズは、三三 606×455)の上に、ばしゃーっと、言う形で、くねくねとしたラインを、一本引いて終わりと、言う形象です。そして、一枚の紙に、一本の線を引くだけだから、あっという間に、20枚の、原画制作は終わりました。
その制作中のXの、横顔を見たのですが、まあ、品が良いお坊ちゃま風ですが、どこに、・・・・・・この単純な形象を生み出して、これで良しとする・・・・・過去の履歴があるのか? または修練があるのかが、さっぱりわからないのでした。
この時、尾崎正志さんの方は、すでに、エスタンプを作っていたわけですから、そのお金儲け主義と対照的な作画をする男性なので、エスタンプ制作の毒消し用に、この子を売り出そうとしているのかしら?と、思ったりしましたが、いずれにせよ、本当に不思議に思いました。
今になると、彼を極端に支援することで、私を無視してやれっと、例のエージェントから、すでに命令を受けていたのではないかと、思います。というのも、その日は、個展のお招き場をもらっていたので、訪問をしたのですが、その案内状が、作家本人から来たのか、それとも、尾崎さんが出したのかが、今となっては、わからないからです。
それは、1999年の年末だったと、思います。その22年後の、今では、改名した尾崎正志・版画工房で、展示をしてある作品は、相当に違います。改名と同時に、りっちも、変えました。引っ越した先の、ホーム頁で、紹介されている版画は、数点ありますが、女性作家が、制作した、丁寧で、わかりやすい形象の作品群でした。で、『これなら大丈夫ですね』と、思う様な作品群ですが、あの22年前の、X押しの、熱狂は、どうしても理解しがたいところがあったのです。だって、つまらなさすぎる作品でした。ミニマリズムだったとしても、ミニマリズムに至る作家の信念とか、生き様というものがまるで、見えてこない作品だったのです。単なる、子供じみた遊びで作り出される原版でした。
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副題3、『その日は、大掃除だったので、奥さんと、お子さんも来ていた。リトグラフ作家、Xも含めて、全員13~15名が、二階で、作業をしていて、私は、そういう二階へ、招じ入れられたのだった。
この時に、私は尾崎正志という人物の性格を本当に疑った。というのも彼が、自分で、その人との特殊な関係を示唆した、愛人(事務職スタッフ)と、奥様とお子さんを、同じ場所で、同じ作業に向かわせていて、愛人の方が、苦渋に満ちた顔をしていたからだ。そのエピソードは、順序が逆だが、次の章、副題4で、書くはずだ。
その上、奥様は、利根山行人の娘だと、言われていて、尾崎正志という人物が版画界で、大物へと、階段を上っていくにあたって、その結婚が、役立ったと、聞いていた。
田中角栄と、言う人物の正式な結婚と、その後、秘書を愛人とした、関係と似ていた。田中角栄・夫人という人は、その佐藤昭さんという女性の存在は、知っていた。が、角栄氏に、向かっては、「宮中に参内するときは、私を連れて行ってくださいね。(でも、それ以外は?・・・・・)」と、言っていたそうだ。カッコ内は、私が付け加えた、言葉で、実際には、どういう発言をされていたかは知らない。
私は、この二階での、シーンを見ながら、『尾崎正志は、非常に残酷な人間だ』と、思い至った。奥様は、田中角栄夫人とは、違っていて、何も気が付いていない模様だった。
私は、人間観察にたけた種類だから、奥様の特徴と、愛人の特徴を比べて、なるほどと考え込んだ。奥様は背が高く、健康スポーツ・ウーマン風なな感じで、すでに、おばさん顔に近い風情だった。でも、性格は、明るい。一方の事務員の方だが、若い。奥様よりも20歳は若くて、背が低い。体の筋肉は、ふんわりと、柔らかそうだった。これは、いかにも、男性が抱きしめたくなる様な、肉体なのだろうと、ようふくの下に隠れているものを想像をさせた。性格は湿潤で、あんまり、はっきりとした主張はできないタイプだと、思われた。
・・・・・まだ、成功をしていない男にとって、もし、こういう女性が、妻だったら、成功しないのではないかなあ? てきぱきした、内助の功は、期待できないタイプだ。だけど、成功した後の男性は、慰安を求めて、こういうタイプを愛するのだろうか? この二人は、違うタイプで、だから、両方を味わい尽くす尾崎正志という人物は、今太閤になった気分なのだろう。エスタンプがそれほど、儲かるのだろうか? まあ、最盛期には、2億円から、5億円に喃々とする、年間・純利益が出ていたと、思うけれど・・・・・などと、その時に思い至った。
お金、お金、お金なのだ。お金が、彼に、こういう自由を与えている。
ここで、尾崎さんの、愛人問題を語るのは、それが、エスタンプが、影響を及ぼす。陰湿な部分の反映だと、思うから・・・・・が、一つであり、
もう一つは、尾崎正志という男性が札幌で、育ったということを、この2021年2月11日に初めて知り、
保坂涼子(現在は、航子という名前で、活動中)=相馬市出身とか、長瀬いずみ(国画会会員)=秋田県に住んでいるはずだとか、前田清子さん(静岡大学の出身だと、聞いているので、22歳までは、静岡県在住だと、思われる)、とか、何歳まで、高知にいたかは知らないが、高知県出身の画家としてくくられている、大原光孝さんだとか、私の息子の職を謀略をもって奪った西原理恵子などと、同じく、田舎で、育った人間だと、言うことが分かったということだった。
ということは、
私が常に言っている、都会のブランド住宅街に育つと、角を矯めた牛状態に、陥ってしまう恐れはあるが、一方で、東京圏のブランド住宅街で、育つ限り、用心深さは、涵養できる。近所にどういう人間が住んでいるかがわからないから、常に、突拍子もない行動はとらない。どういう人間がという部分だけれど、昔のことわざみたいに、悪い人間が住むという意味ではなくて、上等な人間が、ひそかに羽を休めているという意味で言っている。したがって、慎重で、用心深い行動をとる・・・・・という、態度を涵養するのだ。
上に名前を挙げた、人物たちは、私に言わせると、それが、全くないレベルの未熟で子供じみた人間なのだけれど、この年末の二階のプリントハウスOM内で、見せた、尾崎正志の態度も、それに該当すると、なる。
尾崎正志という人は、それが、正しい行動だと、彼が、思うことを、1998~2000年にかけて、私に見せ続けたのだったが、その相手が、22年後に、こういう文章を書いてブログに発表をすることを予期していたのだろうか? それが、東京圏の特にブランド住宅街で、育った人間が、熟知している怖さなのだけれど、尾崎正志は、札幌で、育ったので、そういう怖さを知らなかったと、推察する。
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副題4,『ここで、ビートたけしが、愛人との仲を、週刊誌に書かれたことを怒って、編集部に、軍団を率いて、殴り込んだことを思い出す、私だった。
男って、若い愛人ができると、それほどに、狂うものだろうか? 尾崎正志さんが、1998年のある雨の夕方、私に示した態度も、今思うと、驚天動地の態度だったが?・・・・・ああいう、とてつもない態度をとる理由の一つが、エスタンプがもたらす、大金のせいだっただろうか?』
ここで、私の学習態度を申し述べないといけません。私は、これっと、思うと、集中するタイプで、そのフィールドに対して、ある程度の目鼻がつくまで、お金をかけて、集中的に学びます。園芸がしかりだし、歌舞伎がしかりです。で、1997年(?)だったか、1998年だったかも、同じことで、新横浜のプリントハウスOMで、版画を習い始めると、集中的に、学習するので、たちまちに材料が、大量に、要る様になりました。
で、そのころは、始めたばかりだったので、版画用の材料をどこで、買っていいかを知りません。今だと、秋葉原に、専門店があり、プロ化している人間だと、用具や資材を、口頭で、頼めるので、そこに、電話で注文を出します。紙も、銅板もインクもウエースも、汚れ落としようの溶剤も、全部そこへ注文をします。紙は、50枚、とか、100枚単位で、注文をするのですが。
それでも、事情がさらに分かってくると、ロッドが小さい注文は、配達してもらうよりも、神田神保町の、文房堂で、買ってきた方が早いなあなどと、わかってくるのです。
でも、1998年当時の私には、全く、未知の世界ですから、OMの、事務所に、買いに行くし、そこにないものは「取り寄せてください」と、頼むわけです。 当時のOMの事務室には、二人の若い女性が、詰めていました。一人は眼鏡をかけた、美大卒の女性で、もう一人は、上で、言っている、若い女性です。愛人と、私に悟らせたり、感じ取らせたりした、女性です。美大卒の女性はまともで、しっかりしているのですが、商品類の購買は、もう一人が担当しているそうです。
しかし、彼女がダメ女なのですね。注文を処理できない女だったのです。私の方は、たちまちに、多くの注文が、生じたのですが、そこに準備していないものが、多かったので、カラーインクの注文をしたいと、思いました。
一般的な銅板画だと、黒いインク、数種類で、済むのですが、私はカラーインクを大量に使うヘイター方式を、面白いと、思い始めたので、カラーインクを多種類ほしいのでした。ところが、チューブ形式のインクの備蓄がないのです。エスタンプを制作しているのですから、缶に入っている形式のインクは置いてあるのでしょうが、少量のサイズのものは、置いていないのでした。で、「注文をしておいてくださいね」と、言うのだけれど、次の機会に行っても、まだ、用意していないのでした。
こういうことが三度ぐらい続いたので、仏の顔も三度という形で、「ちゃんと、準備しておいてください」といったのです。私は、叱り飛ばしたという記憶はないのです。しかし、元来の顔が、非常に柔和なので、とてもおとなしくて、弱々しいと、感じ取られているらしくて、この女子事務員も、そう考えて、私の注文に対して、いい加減だった、向きがあるのでしょうが、言うべき時は、きちんと、かつはっきりというのが、私なので、その時になって、初めてというか、急に、私の恐ろしさに気が付いたと、言うことになるらしいのです。で、私の叱る感じの態度を、恨んだらしいのでした。
その彼女の恨みを晴らす機会が、ある雨の日に訪れました。そのエピソードは、まことに面白いものなので、詳細に語らせてくださいませ。
版画を、会員(お客)の方が制作する部屋は、10mX15mぐらいの広い部屋なのですが、窓がない形です。壁は、素(または、白木というべきか?)のべニアで囲まれています。で、三階にあります。エレベーターが、無い形式のビルなので、とんとんと、階段を、一階まで、降りて、玄関まで来て、はじめて、雨が降っていることに気が付きました。
私が、今の様に、おばさんチックな、ぶっちゃけた会話ができる時期だったら、二階の事務所に戻って、「使っていない傘はありませんか?」と、質問をしたと、思います。だって、社員が、10人は超す会社です。そして、お客の方は、延べ人数を言えば、100人を超す会員がいたと、思います。合計110人の人が、何年にもわたって何度も、出入りするのですから、当然に、忘れて帰ってしまった傘は、あるはずで、それを借りに行こうかなあと考えている、その瞬間、二階から、とことんとことんと、二人の人間が下りてきました。尾崎正志さんと、例のとろい事務員です。
時制が、逆順になって、表現していますが、前の節、副題3で、その苦々しそうな表情を発見してしまった事務員です。
二人は、私の顔を見ました。だけど、何も声をかけず、一本のビニール傘を相合傘にして、歩み去ったか、それとも二本のビニール傘を使って仲良く歩み去ったのか、傘の本数については、その詳細は、忘れましたが、ともかく、「俺たちは、非常に仲がいいのだ。お前なんか、これを見て反省しろ、この女性に、生意気な口をきくんじゃあない」と、尾崎さんが、言っているのは、感じ取りました。
ただ、ただ、驚きました。「あなた、何をやっているのよ。私の方は、お金を払って、お宅を使っているお客ですよ。お客様は、神様だって、三波春夫が言っているではないですか? それなのに、自分の身内の方を大切にするなんて、どういうこと! これは!」と思いました。
で、仕方がなくて濡れながら、新横浜駅まで、公称8分を歩きました。でもねえ。そりゃあ、いやな気分を味わわされましたよ。だって、そこで見たボディラングエッジは、イメージとして、尾崎正志さんが、突然ズボンの、チャック(ファスナーを下ろして、股間の黒い叢を見せつけたという感じのものでしたから。
この現象を見たことと、それから、そこの工房が、最長で、三時間しか使えないことを、知っていたので、『これは、自分のプレスを持ち、自分の工房を作らないとだめですね』と、感じ入った次第です。そういう流れで、作った逗子のアトリエです。たまたま、文化庁の在外研修生として、1998年の秋にパリに行き、自分には、海外住まいが向いていると感じました。一人暮らしをするのが、最初の目的ではなくて、プリントハウスOMの主宰者、尾崎正志氏に、股間を見せつけられたいやな感じを二度と味わいたくなくて、作った工房です。しかし、そこで、寝泊まりをする様になると、まず、安野智紗夫人がそれに目をつけて、冬物セーターなどを取りに来る私に、自分が見ているわよと、顕示して、やがて、ご近所人間に、「川崎さんは、家出をして、離婚をするらしい」と、言いふらし始めます。彼女は、この期間、鎌倉エージェントの支援によって、銀座で、染め物の個展をしたそうです。しかし、この36年間、彼女の着ているものを見続けてきていますが、色合いも悪ければ、質も悪いものばかりです。国画会主催の、国展には染色部門があります。で、初日のパーティでは、作家とも会うわけですが、100%、違います。
結局は私を悲しませるのに役に立つとして、CIAエージェントたちに、個展を準備された単なる主婦さんです。だから、彼女が「離婚をするはずよ」という噂をばらまいても、「また、バカがうろちょろしている」で、終わりです。
同じことを大原光孝さんから、いわれたときは、ちょっと違います。彼の、言動は、将来文章化しようと、決意しています。それを彼自身にも、20年前から告げてあります。それなのに、それを言えば勝つと、思ってバカげた捨て台詞をはいてきます。で、そちらで、妻の恵美子さんが家出をしたら、それが、六年を超えた時点で、しっかりと文章化していきます。
上で、ビートたけしの、講談社襲撃事件を語っています。それを、世間は、忘れています。しかし私は忘れません。言論弾圧を暴力で、実行した事件です。それゆえに、それ以降、ビートたけしという人は、CIAエージェントにごひいきにされていて抜群の出世を遂げています。そして、数年前に、ビートたけし・・・・・いや、ご出世なさって北野武監督になっておられるわけですが、・・・・・は、糟糠の妻と離婚をして、ある女性と、再婚をしました。その相手は、講談社襲撃事件の引き金となった、ピアノ教師だと、推察していますが、週刊誌等が、一切追いかけません。
一方で、東出昌大君の、不倫騒動は、大騒ぎだったみたいです。私は、一切、そのニュースショーは見ていませんが、大きくたたかれたみたいです。こういう風に、ケースによって、集団リンチの対象になったり、ならなかったりするのは、国民の気分を暗くします。法治国家ではないと、国民が感じるので、不安になるからです。
でも、国民の気分が暗くなるのは、CIAとか、世界的大富豪たちにとっては、うれしいことなのです。この国を支配し、富を略奪していくためには、その支配下の国民が、去勢をされていた方が、支配が楽なのです。
私は、ビートたけしと、尾崎正志さんは、濡れ手で粟と、言うほどの大金を、儲けた人として、類似性がある様な気がするのです。すると、尾崎さんの引っ越しは、地価の安い物件に引っ越したわけで、元の奥様(または、その人との間に生まれた子供)に、あの新横浜の、物件を、譲り渡して、地価の安い物件に、引っ越したのではないかと、思うところがあるのでした。
ところで、午前4時になりました。ここで、筆をおいて寝ないといけないのですが、尾崎さんの、あの一連の行動が、エスタンプという後ろめたい仕事で、大金を稼いでいたせいで、起きている、不可思議な出来事か?
それとも、尾行等で、この新横浜の工房に通っていることを察して敵方が尾崎正志さんに、私を、いじめる様に命令をしていたからなのか? が、問題として、残ってきています。
が、 ここで、午前四時になりました。ここで、激しい睡魔に襲われ続けたからだが限界に達して、パソコンのそばを離れました。この続きは、冒頭の、副題〇に続きます。そして、今は14日の午後3時ですが、途中を、推敲したので、14日だけで、5時間を費やしました。で、本日の、ブログに、消費する予定の、労働と、時間は、十分だと、考えます。で、この章は、ここで、終わりとさせていただいて、ここで、パソコンのそばを離れます。続きは、後日、別章を立てて語ります。
後注1,