副題〇、『この章の一部分を、15日に書き、二日目の16日に入れる、お断り』
今は、16日の午前10時です。この章は、15日には、末尾で、睡魔に襲われ、未完のまま、終わっていました。16日に入って、午前8時半から、続きを書いているところです。ところで、この章は最初の総タイトルを、【一連の解析の結果、CIAAgent たちの核心に触れる事になった私・・・処で、肝心の人シロタさんは既に鬼籍に入っておられたが!?!】にしておりました。が、16日の午前10時に上のものへと変更しました。というお断わりを入れて、最初の文章の頭へ戻ります。
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副題1、『私は、2021年2月15日の午後4時ごろ、シロタ画廊のオーナーが、すでに、2017年の8月に亡くなっていることを、初めて、知った。どうしてわかったかというと、念のために、白田さんの経歴を知りたいと思って、wikipediaを、探した結果だった。今まで、それをしなかったのは、氏が例の鎌倉エージェント(CIA)側に、使役をされている、特に、重要なキーパーソンであるので、そういう人については、wikipediaが、たっていないことが多いからだった。
その種の例として、国際キリスト教大学卒業生の内、特に、対、私攻撃弾丸として、重要な人物である、以下の人々については、そのwikipedia が立っていない。笠松敦子、川名昭宣、古村浩三、野々村泰彦、三輪喜久代、中西輝子、など、すべて、その世界では、エリート中のエリートなのだが、wikipedia が立っていないし。
しかし、本日は、白田さんの変身について、研究をしたくて、初めて、卒業大学を知りたいと願った。ここでいう変身とは、
・・・・・今般の、NHK他が、多大な量で、報道をした、大阪の画商が注文し、奈良の工房で、摺られていた、偽物【?】エスタンプを、画商協同組で告発すべきだと、提案した・・・・・のがシロタ画廊の筈で、その暗喩的効果で、シロタ画廊とそこで、専売的に扱っている、柄沢斉に注目せよと、いわれていると感じていたからだが、・・・・・そういう謀略に、コミットするというのが、白田さんの、通常の生活ぶりからは、信じられないことであり、
・・・・・そこが、変身だと、感じていたのだった。で、無いはずだと、思いながらも、wikipedia を調べてみたのだった。
確かに、本日の私には、白田さんについて、wikipedia は、見つけられなかった。しかし、シロタ画廊が、保持していて、文章を、書いているツィッターに、
先代オーナー白田貞夫の意思を継ぎ、
とあって、私が知っている白田さんが、二代目なのかどうかと、いぶかしく思って、いろいろ、あっちこっち、探しているうちに、
ある個人のblogで、白田さんが、2017年の、8月に亡くなっていることを知り、
それは、私がよく知っていて、
かつ、常に、そういっていた、銀座と、京橋の画廊街で、もっとも賢くて、慎重な人である、白田さん、本人であることを確認をした。夫妻の写真というのが、そこに載っていて、確かに、その人だった。
以下に、そのブログを置いておく。今のところ、氏が亡くなっているとかいう明確な情報が、私のパソコンでは、見あたらないし、氏のwikipedia も、見つからないから、そうさせておいてもらう。
贈り物・・・。シロタ画廊「白田貞夫の聞いた足音」 | 田沼敦子公式ブログ (ameblo.jp)
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副題2、『では、誰が、画商協同組合を牛耳って、このニュースを流す方向で、動いたのだろうか?』
で、この偽物版画という項目で、書き始めた前々報〈後注1〉と、前報〈後注2〉の中で、シロタ画廊のオーナーと書いていた部分は、すべて、違う名前にしないといけなくなった。
それは、大変な手間ではあるが、一方で、いささか、ほっとしている。
私がよく知っている、賢くて、慎重な白田さんが、これほどに、見え見えに、鎌倉エージェントの言うことを聞いて、マスコミに、暗喩的であっても、登場することは、大旋回であって、おかしいなあと、思っていたから、別の人が、その画商協同組合で、提案したと知り、ほっとしているのだ。
では、誰が、その任を取ったのか? 今度は、それが問題となる。
ところで、今、本気になって白田さんではなかったとしたらだれなのだろうと、調査中なのだが、そもそも、日本版画商協同組合の情報などは開示されていないと、思っていたのだけれど、意外にも開示されていた。そして、参加・画廊名も開示されていた。のだが、たった41画廊であり、ユマニテも、ガレリアグラフィカも、シロタ画廊も、その41画廊の中には、入っていなかった。その41画廊の中で、私が画廊内部を知っているのは、NANTENSHI GALLERY, ギャラリー川船、ギャラリー椿、養清堂画廊 の4つだけだ。
で、かろうじて、NANTENSHI GALLERY が、酒井忠康氏に頼まれて、こういう動議を出したと、考えられるが、私が、入ったことのない、ほかの、37の画廊の後ろに、誰かCIAエージェントが働きかけたのかもしれない。
それ以外の、私が、よく中に入って作品を見ている、4つの画廊については、思い入れもないし、オーナーの性格なども、よくわかってはいないので、これから先の、時間で、行う処置としては、シロタさんの部分を削るという形で、解決しておくほかはない。
しかし、この4つの画廊が、エスタンプを扱っているとは思えない。特に、平山郁夫、東山魁夷、片岡球子を扱っているとは思えない。となると、このニュースはやはり、私狙いであって、柄沢斉について思い出せよと、いわれていると感じる。
しかし、前報との、連携でいえば、私がいま語りたいのは、摺師・尾崎正志氏の事である。そこから、大きな政治的構図が見えてくるし、彼と、私、および、シロタ画廊オーナー白田貞夫さんとの関係は、1998年から、2000年にかけてのものであって、古いからこそ、書きやすいことだからだ。
と、ここまでは、夜の、7時半から、11時半にかけて、五時間を費やして、書いた部分です。その前、午後二時から、五時まで、書けて、書いたものが下に置いてあり、そこへ、今から入って行きます
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副題3、『前報で、尾崎正志と、いう有名摺師の、私生活(下半身問題)にまで、踏み込むことになった私だが、それにしても、彼の、1998年から、2000年にかけての諸行動は、不思議極まるものの連続であった。本日は、何故、彼が、そういう不可解な行動をとったのか? その答えを探る一章としたい。これは、彼をターゲットにする文章ではなくて、例のCIA本部をターゲットにする文章である。CIA本体が、内包する謎を、解いていきたい』
私は、常に、CIA側人間としてやまゆり園事件の謀略を練ったり、京アニ放火のアイデアを練ったりする、井上ひさしを、そのアイデアの中に、瑕疵が含まれているので、謀略だと、すぐわかると、いっています。ちなみに、井上ひさしは、まだ、生きていますよ。死んだと、いうのは、責任を取らないで済むということと、あまりにも素早くかつ大量に、文章を書く、私と対応するには、会議や、社交に携わっていると、不可能だと、考えたからでしょう。
彼と二人羽織というほどに、緊密な、連携をとっている伊藤玄二郎は、私の現在の住所の、ご近所住人を動かすことと、銀座の画廊街の人間を動かすために、実際に、使役する予定の人間と、お茶または、お食事をしたり、電話を掛けたり、メールを送ったりしています。安倍晋三内閣、および、菅内閣が、その言うことを聞いているのも、伊藤玄二郎が、直接の連絡を入れたり、それぞれ、適切なコマを動かして、間接的に、行っていると、推定しています。
しかし、その二人よりもさらに、上位にいて、計画を、練る連中がいるのです。なんの計画かというと、それらの、個別の計画ではなくて、長期的視野に立った割と、大まかな計画です。なんのための長期計画かというと、私を弾圧するための長期計画です。それの首謀者、または、発案者が誰かは、まだわかりませんが、川名昭宣、石塚雅彦、成岡庸司の、三人は、そこに、加わっているはずです。
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副題4、『その長期計画には五本ぐらいラインがあるのですが、本日は、版画家としての、私をつぶすと、いう長期計画について、語りたいと、思います。その分野については、今までは、ほとんど語ってきていません。
ところで、いままで躊躇していたのは柄沢斉が、重要なコマとして、使われていると、考えていて、彼について、あれこれ、分析しても、読者が、ついてこないだろうと、見ていたからでした。彼の作品は、木口版画と言って、小さいです。したがって、買いやすいです。有名人の作品としては、値段が比較的安く、手に入るからです。で、大量の愛好者がいるので、私が、彼が敵だとか、悪人だと、規定すると、私の方が嫌われる可能性が高いです。
そこを突破するためには、大きな覚悟をする必要がありました。
で、2021-2-15日には、その大きな覚悟をして、読者が、ついてこなくてもよい。これは、神様への報告書であるから、徹底的に、真実を語って行こうとど決意したのでした。本当は、相当、あと(=将来)で、語るはずの、現象です。例のパーセントとしての、真実の開示率でいえば、80%の段階に達している部分です』
と、語っていて、柄沢斉が、小説を書いたり、日経新聞が、大後援をして、個展を開いたり立派な版画作品集を作るのを手助けしたりするのは、「どうだ。お前なんか、版画家としては、とても、小さいぜ、もう、版画の道は、あきらめろよ」と、いっているわけですが、・・・・・・
今般、尾崎正志さんについて、分析を重ねているうちに、彼の不可解な行動は、すべて、上の2行と同じことを言っていたのだと、気が付いたわけです。
・・・・・私を、版画家として活動をさせないために・・・・・行われた。と、考えると、つじつまがあう事が、わかってきました。
尾崎正志さんに、そういう風に動けと、命令をしたのがだれなのか?ですが、…‥そう、それが、その人、シロタ画廊のオーナーです。別にNHKニュースが、それを発表したというわけでもないし、トレースとして存在して居る、味方としての、美術界の住人が、それを、教えてくれたわけでもありません。でも、絶対の真実でしょう。私を馬鹿にしなさんなと、いいましょう。ここでは、それを、はっきりとさせていきます。特に、1997年から、2000年にかけてのことで、今から、20年は前の事だから、シロタさんは、ぴんぴんしていた現役です。
尾崎正志さんとは、毎日会うのですよ。彼は、午後出社してきて、三階の壁に取り付けられてあった神棚に礼拝をします。まあ、会うというよりも見かけると、いった程度ですが。しかし、その彼が、画廊で、ある作家の個展がありますから、来てくださいと、いうメッセージが入っている個展の案内状をくれて、それを見に出かけて行った日に、見分したことが、もっとも、深い意味を持っていると、感じます。
尾崎さんの当時の工房、プリントハウスOMは三階建てで、その日は三階は、すでに、しまっていて、招じ入れられた二階にも、普段そこを、使っている会員は、一人もいませんでした。しかし、スタッフは、全員詰めていて、全員が、大掃除をしています。
掃除をしていない人間は、私ともう一人、後日、尾崎さんがシロタ画廊の応接室で、熱弁をふるって、推奨をしていた、男性作家です。このビルは、三階と、一回は、しっかりした床が付けてあります。というのも重い、重い、プレスと、いう版画製造用機械を置くからです。
二階は、有名建築家に設計を依頼したであろうモダンな、作りになっていました。一部が吹き抜けになっていたのです。で一階が、見下ろせる形式でした。吹き抜けの周囲を取り囲む様に、手すりが付けられていて、一階を、誰でも簡単に、覗き込める様になって居たのです。
そこに三台の、超・大型プレスが置いてあって、それは、一般の版画家には度肝を抜かれる見世物でした。濡らして絞った洋紙と銅板を置くテーブルと言われるあつさ5cmぐらいの鉄の板が高圧下で、滑って行きながら、銅板についているインクを紙の方へ圧着させるのですが、テーブルが長いのです。普通は、120cmぐらいですが尾崎さんが持っていたのは、600cmは、あろうと、いう巨大なもので、それが、二台か、三台置いてありました。だから、一回は、工房というよりも工場と言った方が近い、風情でした。
その機械で、尾崎さんは、1990年代は、エスタンプを作っていたと確信をするのですが、エスタンプというのは、極言すれば、コピーですから、秘密裡に制作したいものなのです。で、二階から、機械はのぞき込むことはできるのですが一階のドアは、鍵がかかって居て、一般のお客さん(特に作家系の人は入れないこととなっていたのでした。
これは、強調をしておかないといけませんが、その新横浜の工房から、鶴見に引っ越した後は、彼はエスタンプを作っていないと、考えます。鶴見の方には、そんな秘密のスペースはない模様ですから。
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副題5、『子供っぽいところがある尾崎正志さんだが、シロタ画廊の応接室で、自分が推奨するリトグラフ作家、ミスターXを、熱弁をふるって、オーナーに売り込んでいたのは、あれは、お芝居だったと、今の私は考えている。
何が目的のお芝居かというと、私に版画家になるのをあきらめさせる、という目的があったと、考えている。』
その大掃除の日に、私を招じ入れたのは、二階の吹き抜けの回廊をめぐる壁に、展示されていた、作品(個展)を見てくださいと、いうのは、本当の目的ではなかったと、考える。敵は本能寺にありという種類の、目くらましであって、本当のところは、ミスターX の作画場面を見せつけることにあったと、今では考えている。二階の手すり部分には、部分的に、平台が設置されていて、普段は、そこに画集等が、置いてあって、好みのものを買う形式になっていた。ところがその日だけ、それらの、売り物用、画集は片付けられていて、ミスターXが絵を描いていくための紙が、20枚ぐらいずらっと横に並べられていた。
そして、私が入室したとたんに、ミスターXは、その紙に、墨に浸した幅15cmくらいの刷毛で、ぐしゃっと、一本の線を引き始めた。リーウーファンのごとき、まっすぐの線ではなくて、ぐにゃっと曲がっている線だ。まっすぐの線を引くのは、緊張を要するが、曲がった線を引くのは楽である。
この姿を見て、ある程度は、驚かされた。あまりにも楽々とした作画だったから。あまりにも手抜き工事と、見えた。普通の作家は三階の、静かな部屋の作業机で、きちんと座って(考えながら)作画をする。ミスターXの方は、周辺で、尾崎さんの二人の子供を含む大勢の人が、バックグラウンドこみで、大掃除をしているのだ。
その作業は、私が、取り掛かっていて、その後、ずっと携わるへいたー方式と、比べると作画(製版)だけで、一千分の一ぐらい、少ない労働で済むし、摺る作業についても片づけまで、入れれば、一千分の一で済む。でも、私は、外見に似合わず、成熟した大人なので、人は人。自分は自分と思うから、ああ、そうですか!で、その日は終わった。
で、後日、シロタ画廊の応接室で、摺り上げた単純極まりない、三さんの大きさの例のリトグラフを両手に持って、立って熱弁をふるっている尾崎さんと、うっすらと微笑みながら座って、話を聞いているシロタさんのシーンを見た事を、合わせて、今、理解していることは、あれは、『全部お芝居だったのですねえ』と、いうことだ。
何を目的のお芝居だったかというと、私が行っているヘイタ―方式が、あまりにも手間がかかって、しかも費用対効果が、少ないので、対極にある作家の作品を、誇示し、私が自分のあほらしさに気が付いて、ヘイタ―方式の版画の制作を、自らやめてしまう事を狙っていると、今では、わかっている。
で、お芝居だったから、尾崎さんも過剰な熱意を示していたのだし、シロタさんも、その大熱演に接したのにもかかわらず、その作家、ミスターXの作品を応接室(=第二展示室)の壁に、そのミスターXの作品を置くことはなかった。
ところで、ここで、余波が起きて居る。この様なお芝居に、彼を巻き込むために、相当な、悪口が、彼に、吹き込まれていて、その結果、尾崎さんは、私を人間扱いしなくてもよいと考えて、自分の下半身の、秘密=奥さんをすでに裏切っていて、セックスをするときの肉体的な心地よさは、味わえるが、頭は、悪い事務員と自分との特殊な関係さえ、私に、見せつけたのだった。
しかし、それは、気持ちの悪いことおびただしい現象だったが、あとで、秋山祐徳大使が、何故、晶文社から自伝【ブリキ男】を出版することができたか?とか、私の小学生時代の友達K子ちゃんが、パソコンのシステムを使って、隠微な隠微な方法で、かつ緩慢に緩慢に殺されていったエピソードにつながるので、私の方も使わせてもらっている。彼を誹謗中傷するために、それを使っているわけではない。大きな、そして、隠微すぎる殺人事件に絡んでいるから使わせてもらっている。すべては、フィフティ、フィフティなのだ。彼らCIAエージェントたちが、『これで、勝つ』と、思いこんで、展開する謀略は、私にもある程度の、メリットを与えるのである。
ところで、この図式は、ご近所様にも応用をされていて、銀座の画廊街でも、むろんのこと繰り返されている。ご近所住民渡辺賢司が、この30年間、無効から、挨拶をしてきたことがないのも、こういういじめを利用した言論弾圧の一環だから、何か、ことが起きれば、彼の名前を使わせてもらう。つまり、彼としては、小野寺夫人とか前田清子さんからの命令は、正しいことだと、認識しているらしいが、違うのですよと、常に言っている通り、彼は、政治的な弾圧の道具として使われる、もっとも末端のパイロットランプなのだ。
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副題6、『ああ、今、確認をしたが、柄沢斉の版画集(日経新聞後援)が盗まれている。やはり、やはり、彼が使われていたのだった。つまり、版画界に、私が乗り出すのを阻止する為に、壁となる様に、柄沢斉が、選ばれていて、相当量の、活動を今まで、行ってきているのだった』
ここから、先は、夜書きます。私も生きるための普通の仕事というのがあります。それを行わないといけません。本日の、分を行って、夜、この続きを書きましょう。お待ちいただきたく存じます。
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後注1,
偽物を売りつけたという事でデパートが謝罪。驚いた。白田さんは、すでに亡くなっているー1
2021-02-12 12:13:21 | 政治