Con Gas, Sin Hielo

細々と続ける最果てのブログへようこそ。

「フェーズ6」

2010年05月04日 04時11分24秒 | 映画(2010)
終末世界が平凡に見える不思議。


ゾンビ映画もウィルス感染+高速移動という設定が増えてきた昨今、観る側は並大抵の描写じゃ満足できなくなっている。

世界の終わりをどう描くか。

おそらくR.エメリッヒのライフワークにも繋がるのであろうが、ここが勝敗を分けると言っても過言ではない。

予算があれば徹底的に派手に壊すのも手だろうし、「ゾンビーノ」や「ようこそゾンビランドへ」のようにコメディタッチという変化球を投げる選択肢もある。

しかしそうそうおいしいネタは埋まっているわけでもなく、大概は普通に荒廃した町を描き、普通に衝撃的な感染者を映すしかない。

本作もその範疇を出ることはない。

主人公グループと行きずりの父娘との確執など広がりの可能性を持つ設定はあるが、主人公の選択同様に見切りを付けたら「ハイ、それまでよ」である。

主人公と同行する魅力的な女性との関係もほとんど進展せず、現実的なのかもしれないが話としてはどうしようもなく盛り上がりに欠ける。

歌舞伎町のシネマスクエアとうきゅうのみでの上映という状況が極めて良く理解できる出来映えだ。

(50点)
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「月に囚われた男」

2010年05月04日 03時45分07秒 | 映画(2010)
空気がなければ、人間もいない。


ある意味、一発アイデアものと言っていいと思う。こういうの好きだ。

たった一人で3年間の月面での任務。ある日不慮の事故に遭って目覚めると、何か宇宙船がおかしくなっている。

「2001年宇宙の旅」的な雰囲気も漂うが、話はよくできたエンターテインメントである。

主人公・サムは医務室で何度か目覚めるが、一度目は普通に流してしまうその場面が、時間を追うごとにサスペンス度を増していく感覚がおもしろい。

サムを演じるのはS.ロックウェル(そのまんま)。一人出ずっぱりだが、他者はビデオ映像や声以外出てこない。これってギネスものじゃないか?

そのサムの孤軍奮闘の演じ分けが見どころだが、重要な共演者であるK.スペイシーも、声だけなのに強烈な存在感を与えている。

もはやレトロとも言える外観とスマイルバッジの表情に無機質な彼の声が重なると、どうしても知能が暴走する印象を持ってしまうが、このガーティは意外な行動をとる。

オチが分かってしまったと言う人もいるかもしれないが、だとしてもこの映画の持つ独特な空気の評価は下がることはないと思う。

意外な発想でお金のかからないSFという意味では、「CUBE」なんかに近いノリなのかもしれない。

(85点)
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「プレシャス」

2010年05月04日 02時52分52秒 | 映画(2010)
希望だけでは食べられないが、希望がなければ生きられない。


いわゆる小泉・竹中改革の批判として挙げられるのが格差の拡大である。

格差自体は資本主義社会では必然の話であるが、問題はその格差が固定すると言われることにある。

豊かな家庭に生まれた者のみが高等な教育を受けられるという、あれだ。

本作の主人公・プレシャスが生まれ育ったハーレムは典型的な貧民街。

貧困や無学だけではなく、家族による虐待が暴力までも固定化する。

そんな中でプレシャスを支え続けたのが成功した自分を妄想する瞬間だったのだが、それは悲しいことに他者から暴力を受けている時間と重なっていた。

それでもその希望の灯火が限りなく細い糸を伝うように、彼女を特別教育施設へと導いた。

そこには境遇は違いながらも不器用な青年時期を過ごしている同世代の女性たちがいた。

本当に一歩ずつ進む彼女たちを見るだけで不思議な感動を覚える。何しろ、彼女たちにとっては、こうして普通の日常を積み重ねることこそが重要なのである。

本作のラストは諸手を上げたハッピーエンドではない。むしろ彼女の行く末は明らかに前途多難だ。

それでもどこかしらさわやかな気分になるのは、彼女が明らかに心の中の希望を強く持っていることが伝わってくるからに違いない。

キャストもよかった。新人のG.シディベが今後どうキャリアを積み重ねるかには興味。「デジャヴ」のP.パットン、理知的な美しさに磨きがかかった感がある。M.キャリーL.クラヴィッツのミュージシャンコンビもさすがの存在感。マライアなんて「グリッター」で映画との相性は最悪かと思われたのに、これで払拭だろう。

そして母親役のモニーク。彼女がコメディエンヌと聞いて驚いた。この母親の激しさと悲しさなしにこの映画は成り立たなかったであろう。

(75点)
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「アリスインワンダーランド」

2010年05月04日 02時25分48秒 | 映画(2010)
超資本主義市場は居心地がいいのだろうか。


この映画には致命的欠点がある。それは私が元ネタをほとんど知らないこと。

というわけで、いくらT.バートンJ.デップのコンビと言えども、観る前から期待はしていなかったのである。

結果を言えば残念ながら予想は的中。世界観に観るところはあるものの全体にはすっきりせずじまい。

たとえば、どなたかの記事で見かけたような気がするが、赤の女王の扱いに情けの一つもないというのはどうなのだろう。

生き物の命は奪わないなんて言って、アリスに化け物の首を取らせる白の女王もなんだかなと思うし。

ちなみに2-D吹替版で観たのだが、前半にしっかり眠気に襲われ、白の女王のあまりの下手さに更に萎えた(エンドロールで確認したら深田恭子だって。どうかしてるよ)。

本作を観て改めて思うこと。それはT.バートンとJ.デップの関係である。

二人の相性に疑問があるわけではない。問題はデップがあまりに大きな存在になり過ぎたこと。

故に二人の映画は巨大マーケットを意識した作りを余儀なくされているのではないか。

その象徴がA.ラヴィーンの主題歌だ。

もちろんアヴリルが好きじゃないから言うのだが、あれはエンドロールの中でも浮いているし、あんな起用をしなければいけないところに問題がある気がする。

「エドウッド」のころくらいマニアックなネタを追求する方が二人にとっては楽しいように思えるのだけど、勝手な思い込みか。

(50点)
コメント (2)
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