酒と畑に戯れるオヤジな私

酒を飲み、土を耕し、人と語り、日々に感動しながら楽しく生きるブログ

同窓会

2005年11月13日 | 酒の席
12日はひさしぶりに 高校の同窓会があった

会場の酒亭 池袋の「K」は同窓生のO君がオーナーだ

集った 当時の美少年(?) 美少女は41名

77歳になられた恩師の挨拶で 昼間の宴会が始まった





「頭は少しくらい悪くてもよい ここまできたら 健康が一番」

体育教師の挨拶に 盛大な拍手が湧く


仲間には ユニークなものがいる

昨年 初めて第一子の女の子が誕生した 有名弁護士のI君

目尻をさげて 写真を披露していた





左の髭さんは かのマッド・アマノ君   (写真掲載を心地よく承諾)

パロディーの大家として 名をなした彼

高校時代から 異色の才能を発揮していた

ロッサナ・ポディスタの「トロイのヘレン」を見にいったことがある





今回の目玉は オークションだった

年々 淋しいことだが 飲む量も減ってきた

通信費等の経費も 底をついてきた

そこで幹事の企画が 飲んでばかりでなく 「オークション」の設定だ

各人が 自慢の作品を持ち寄って 競りにかける





30数点 200円の野菜から 3万円!の書道作品までが 揃った

野菜は もちろん私の自慢の作品 大根3本 かぶ10コ 里芋 やつがしら

「埼玉の静かな場所から池袋 オドオドしてます 高く買ってね」

爆笑のなか 見事600円で K嬢に落札された  めでたし めでたし

”3万円”は 皆の掛け声に押されて 弁護士のI君に収まった

これは まことに順当な処置で 出品者のW嬢の嬉しそうな顔がよかった





宴会場に戻って お喋りタイムの再開だ

ゴツイ男性は 当時のニックネームが「ゴジラ」

松井秀喜のご先祖様だが フェッシング界では 名の通っているAくんだ





あでやかな和服で 岡山から駆けつけたK嬢

左は 水泳が得意だった S嬢

黒一点は バスケの選手で 女子にモテモテだったW君だ

連合町会長となり 地域に貢献している


この都立高校は 戦前は名門の女子高だった

そのせいか 当時は圧倒的に女子が多かった

比率が 1対2!

フォークダンスでは 女子が不足

女子同士で 踊っていた

「オツム」のほうも 男子が逆立ちしても敵わなかった


そんな”ウッセキ”した気分も 47年という時間がサッパリ洗い流してくれた

みんな いい顔 いいじ~じ ば~ばになっていた


帰り道 ひそかに ウフフの私でした






オークションでの買い物 ぐい飲み600円 財布1800円です

財布は 細君が使います







越前福井 その2

2005年11月12日 | コミュニケーション
北の庄 勝家とお市の方が自害した城跡

柴田神社は 福井駅の近くにある



その福井県 職員研修での Yさんの話しが印象に残った

彼は出向で 県の東京事務所に勤務している

観光・物産の担当だ

ある日の特産品売り場  おばあさんが電話で苦情を言ってきた

昨日買ったお菓子に 異物が入っていたという

あわてて詫びるYさんだった


上司とともに 自宅を訪問した  その”異物”をよく見ると どこかおかしい

結果的には おばあさんの「虫歯補修」のカケラと判明した

彼女も家人に言われたらしく 恐縮していた

再度の電話をした時には Yさんたちは すでに事務所を出た後のこと

キチンとした身づくろいで 二人を迎えたおばあさん

家人も交え楽しい会話に終始した ひとときだったという


その後 このおばあさん

物産売り場にとって うれしいヘビーユーザーになってくれた

クレーマーを最大の お得意様に変えさせたYさん

なるほど 研修期間中も 仲間との交流がスムース 生き生きしていた

人間関係を 億劫がらないYさんだった


<例によって・・>

研修前夜の 夕食(?)は福井では お馴染みの「さつき」 



主人夫婦は どちらかというと寡黙なほうだ

お酒は 一本義

肴はしめ鯖と牡蠣酢



この主人が カープの話題になると 急に元気になる

東出 横山 そして来年カープ入団の決まった 地元出身の斉藤投手

奥さんも交えての 野球談義に花が咲く


3人のお客さんにも 嬉しい話題だったのだろう

途中から 交ざってきてくれた



世の中は狭い

この愉快だった女性は 博多の出身

カープファンのおじさんふたりは 役所の方々だった

翌日の研修先との関連が深い

別れのとき お互いに名刺交換をしてきた


昼間 傘を貸してくれた奥さん

ここで会った方々 福井にもいい印象が残った私でした  

 



 

渋い家 再び

2005年11月11日 | 無農薬野菜作り
前回 ほんのちょっとご紹介の”渋い家”

皆様の”反響”が想像以上だった 今日は その内部をお知らせすることにする

あいにく持ち主が 現れなかった

次回 事後承諾をいただくことにしよう

まず お馴染みの前景だ



木の陰になった この姿

なかなかの風情が偲ばれる


以前は居間(?)

完全な物置化していた



往時のままの天井



ここは きれいだった  

いまではなつかしい 障子 階段 そして戸棚



二階の天井

かなり 頑丈にできていた  



裏に回ってみた

表に比べて 破損箇所が痛ましい  



               土壁とトタン



ここは まだまだ風雪に耐えていくことだろう  

               
            



やはり なにかの作業で使用しているのだろうか 上の写真 電気がきている


「探検」を無事終了して外に出た

改めて 振り返って見る



9年間 見慣れた建物だが 今回初めて 内部を観賞した

渋さを 改めて実感することが出来た

これも ブログのおかげだろう

それにしても リフォームには かなりの資金がかかるでしょうね



<今日の収穫 里芋>



見栄えといい 大きさといい かなり「渋い」出来でした








浅草 酉の市

2005年11月10日 | オヤジのつぶやき
鷲(おおとり)神社の酉の市

江戸伝統行事のひとつ 酉の市は11月の酉の日に開かれる

今年は 暦の関係で二の酉までだ

9日の夜 散歩がてらに家内とでかけた



三ノ輪大関横丁からの歩道を埋め尽くす 露天商の屋台

カープファンとしては 見逃せない店だ



例年より空いているのは 時間が早いせいか

そう思い入り口まで足を運ぶと  ん ん!



にっちもさっちもいかない 芋を洗うほどの人の波

将棋倒しにでもなったら 大変なことになる

正岡子規の俳句  「雑踏や 熊手押しあふ 酉の市」

全員が ゆっくり進み 無事参拝を済ませた

いつものように 一番ちいさな熊手を購入

周りの店を眺めてみる








職人さんが 精魂傾けての見事な熊手だ

購入者の名が貼ってある

石原慎太郎都知事は 毎年お馴染みになっている

商売繁昌を願っての この熊手の縁起

都民の一票を”かっこむ”所存か


そして最終コースは いつものこの店だった



樽の枡酒と 煮込みのセットだ

1000円は 安くないが縁起代で奮発

家内はこれで 充分満足する


家路についたが なにか物足りなかった

そうです あの”満月さん”にひょっとしたら・・の気持ちがあったのは事実だ

そんな偶然もあるはずもなく 空には本物の月が・・・



善男善女を やさしく照らしてた


それにしても 近年の酉の市の”あたたかさ”はどうしたことか

昔の酉の市は寒かった

手はかじかみ 鼻をすすって 首にマフラーグルグル巻いての オーバー着込み

いま 若者の中には 半そでシャツまで出現していた



確実に「暖冬・栄養の差」と ひとことで言えない 気候の変化を感じた



<おまけです>



近くにある 全国でもここだけかもしれない「飛び不動」

昔から 飛ぶ神様を祭ってあったが 近年の飛行機時代

安全お守りが それこそ飛ぶように売れている

外人さんにも 人気があるそうです








越前福井 その1

2005年11月09日 | コミュニケーション
今回の出張は 馴染みの越前福井市だった

越前松平家が17代に渡り収めた福井

路面電車の走る落ち着いた街のたたずまい

人情こまやかで 好きな街のひとつに入る


ぜひ尋ねてみたかったのが「西光寺」だった

橋本佐内公園の脇にひっそりと建っている

訪れる観光客もごく稀だ


この寺には 戦国時代一の武将と呼ばれる 柴田勝家の資料館がある



天正11年4月 秀吉との戦いに敗れた勝家

いま 妻のお市の方とともに この地に祭られていた



どちらかといえば無骨で 不器用な生き方をした柴田勝家

昔から好きな武将だった

一本気な性格 行動にあこがれていたのだろう



その性格は 2階の展示室にあった書面を見ても推察された

家康 秀吉 明智光秀 武田信玄などの武将直筆と比べても どこか豪快だ


あきることなく 戦国時代にタイムスリップ 堪能できた



資料館の脇には 二人の墓がある

勝家63歳 お市の方37歳の生涯だったという


普段 訪れる人も稀な資料館だが 貴重で珍しい資料の宝庫だった

ちなみに ふだんの資料館は閉じられている

見学には 幼稚園の事務員さんに声をかけること

きままに ひとりの見学が可能だ

しかも 無料 うれしい施設でした



<余禄>

うれしかったことを もうひとつ

越前の国の天候は変わりやすい

敦賀のことわざに「弁当忘れても 傘忘れるな」がある

ここ 福井も例外でない

資料館を出たら 激しい雨になった

マンションの入り口で雨をしのいでいた 止みそうもない

そのとき 濡れながら自転車で帰宅した奥さんがいた

会釈する私に「傘はお持ちですか」ニッコリ声をかけてくれた

私の答えを聞いたこの奥さん

「いらない傘だから お返しにならなくてもいいですよ」

部屋まで戻り もってきた傘を渡してくれた



こんな経験は はじめてだ 感激を超越した感情

このときの気持ちは 表現できない

いまでも ほわ~とした心地になっている

翌日 研修担当の方の車を回り道していただき お返ししてきた


越前福井 ますます好きになりました
 






渋い家 一軒

2005年11月06日 | 無農薬野菜作り
天候は曇り 午後からは雨模様という

畑のたまねぎ キャベツの苗が気にかかる

用事があるらしい細君に 同行をお願いして 早朝の出発となった


たまねぎは順調に育っている

問題はキャベツの苗だ

かなり青虫の”食事”となっていた 虫食いだらけ

それでも 二人でなんとか移植を完了



隣地のセミプロにも挨拶



トマト きゅうりの支柱を片付ける



そうこうする内に お待ちかねの 正午を知らせるサイレンだ

ハウスで持参の 鮭のおにぎりの弁当だ

パリパリの海苔を 贅沢に巻いて3コ食べた  実にうまい

普段は感じない 特別の食感だった


食後 少し散歩する

近くに 面白い”家”がある

畑をはじめて9年来 その佇まいが変化したことがない



角度を変えて もう1枚 パチリ



なんとも”渋い”一軒家

持ち主は なにに使っているのか

物置でもない この家

将来 農民希望の後輩が いつもじっと眺めている

購入できたら 私もうれしい

2時間半かけずとも 間近の畑だ

夢は 畑を駆け巡る


今日の作業は 予定通り終了

帰りに 直売所の様子を見に行った

師匠のYさんが いんげんを出荷していた

来年 末の息子さんが 農業関連の大学入試を控えている



         ますます 張り切るYさんでした









ジャパン・レール・パス?

2005年11月05日 | 酒の席
ジャパン・レール・パスをはじめて知った

昨夜は ロンドンからの珍客Y女史 そして友人の男性Kさんとの食事兼飲み会

上野で楽しいひと時を過ごした

そもそもYさんとの出会いは12年前に遡る

Kさんと一緒した海外派遣研修のときだった

バスで巡ったロンドンの行政施設 

現地の添乗員として 各施設の説明をしてくれたのが彼女だった

あとで知ったが 年齢が妻と同じ しかも誕生日が2日違いという


M物産のロンドン派遣社員ではもの足らず 独立したY女史

同行のKさんともども 当初から妙に気が合ってしまった

しばらくしてから 輸出入の仕事についたYさん

年に1~2度 日本に帰ってくる

3人で会うのが 習慣になってきた


そこでの話題が ジャパン・レール・パス



英国で発行されたこのパス

なんと 2週間もの間 JR乗り放題

しかも 乗車券 特急券こみで4万5千円

かなりのお得になっていた

5日に帰国する彼女 北から南 充分元を取ったらしい


そこで 次に私の話題になった

ジパング・クラブだ



男性65歳以上 女性は60歳以上になると 会員になれる

年に20回 JRが割引料金で利用できる優れものだ

最初の3回が 2割引き(これがコスイが・・)

4回目からは 乗車券・特急券が全て3割引きになる

仕事での利用が全てだが 利用者が急激に増えている

2年後の2007年には もっと増えるにちがいない


ここまでの会話で 3人でびっくりしたことがあった

どちらも 新幹線「のぞみ」の利用ができない

これは いかなる理由なのか

尋ねたことがあったが いつも曖昧な答えが返ってくる

外国人と年寄りは「のぞみ」のスピードについていけない

心臓によくない だから「ひかり」で充分

JRのやさしい親心か

その「ひかり」をはじめ「こだま」すら少なくなった東海道新幹線

最後は 多少愚痴っぽくなった3人でした



<付録>

3年前 家内とでかけたヨーロッパツァー

ロンドンの1日 Yさんのお世話になりました

我が家にも 訪問してくれたYさんでもあります














時代祭りIN浅草

2005年11月04日 | オヤジのつぶやき
文化の日 今年で17回目の時代祭り 妻と浅草へ見物に行った

推古36年(628年)猟師の兄弟によって 隅田川で発見された 黄金の観音像

土地の豪族は 自宅を改め寺とした  これが 浅草寺の起源という


近年 私の好きな浅草は 盛り返してきたとはいえ 往時の面影に欠ける

”東京の歴史と文化の原点は 浅草である”

”浅草の存在と独自性を樹立するため 歴史絵巻を挙行する”

宣伝コピーは大げさだが 庶民には楽しければ それでよい


パレード開始の1時間前から 車道に敷かれたシートに座った

腰が痛くなりかけた頃 3番目に登場の「在原業平 東下り」



「いよ!業平!いい男」 隣の3人組 下町おやじからの掛け声(やじ?)

ニッコリ微笑む平安の歌人だった 若い女性だが 人間が出来ている

これに気をよくしたか スキンヘッドのおやじ連のかしら(?)

この後の行列にも 愉快な野次を飛ばしてた


         昼間の浅草に出現した”満月”


そして この”月光”を浴びて登場したのが ご存知NHK「源頼朝」

北条政子ともども 戦勝祈願で参拝したという


      満月の野次「たけしに似てるぞ!」 なるほど

天正18年(1590年)江戸に入府した 徳川家康

浅草寺を祈願寺に定めた


    「たぬきおやじ!」自分をさしおいての月の声


               参勤交代 会津藩

               

元禄15年(1702年)本所吉良邸で 討ち入りを果たした義士

台東区役所幹部が扮していた


「ごくろうさん!」の野次 向けられたのは 義士か区役所か
 

隅田川の向こうは 水戸街道

はるばる出てきた 黄門さまだ


「印籠あるか!」と満月 疲れてきたか ギャグも冴えない
「あるぞ!」格さん(?)が応じたのが おかしかった

東京浅草組合の「江戸芸者」

おやじ連も 写真など写しまくり 静かにしていた



新撰組! 土方歳三生誕の地「日野市観光協会」の面々だ

この後「官軍」と 派手な立ち回りを披露してくれた

さすがに 見事な動きで賞賛を浴びていた



パレードも明治に移り 最後は人力車に乗った「樋口一葉」

近くに「記念館」があり 順当なアンカーだった




30組 1600名参加の時代祭りだった

浅草の活性化になれば嬉しいことだ


3時間 腰と尻が痛くなったが「舟和のいもようかん」が癒してくれました




  



マツケン26人 勢ぞろい!

2005年11月03日 | オヤジのつぶやき
快晴の昨日 近くの老人福祉センターの作品展を見にいった



はじめての訪問だった

どれも なかなかの努力と工夫がある作品で おもしろい

ひと昔前の 老人会館のイメージと異なるようだ

来館者も 若々しく おしゃれで 生き生きしていた

作品も ユーモラスなものが多い

人気があったのが 使い古したハンカチのリサイクル人形



”不苦労”と”新撰組”

仲間たちと子どもに 人気抜群の おばぁちゃんの作品だという

よくわかる気がした


さらに足を運ぶと そこには見慣れた紙人形の作品群



マツケン・サンバ”26人”が勢ぞろい

20人近くの会員さんの作品だ

指導者のひとりに 我が細君もいたらしい


作品の提供者の中には 身体の不自由な方々もいたという

長い時間をかけての完成は 特別の喜びがあったことだろう

老人力を説いた作家がいたが このパワー まだまだ捨て難いものがある

希望とエネルギーをもらっての ルンルン気分の帰宅でした  


* 過日 ちょびママさんからの アルコール・バトン
  心地よく 受け取っていただいた Cezanneさんのページです
  鶴の記事の後半にあります
  是非 お立ち寄りください
  絵画の上手な男性です



http://blog.goo.ne.jp/xwbft075/e/176c42719d0b87ecc41e92f355b938e7




妻の趣味 その5

2005年11月02日 | オヤジのつぶやき
昨日のブログでは えらそうなことを書きすぎたようです 

みなさまからのコメント ありがたく拝聴しました

なかでも「細君をもっと誉めよ」的なご意見は なにか藪蛇になったようで・・・

そこで あわてて誉める材料を捜しました

今日は予定を変更 彼女の趣味のひとつを”誉める”ことにします 





先日来 なにやら夜遅くまで起きてやっていました

出来上がったのが この作品です


仲間のみなさんと 近くの老人ホームを訪問して 編み方を教えるのだそうです

絵手紙 俳画 紙人形作り 油絵 そしてフラダンス

多趣味といえる 我が女房殿です


いちばん誉めたいのは どれもこれも あまりお金のかからないことでした

じゃんじゃん