「美しい村」の議員日記

南アルプス山麓・大鹿村在住。自給自足農業、在宅ワーカー、2011年春より村議会議員。

死刑制度

2009年06月27日 | 非戦・平和・社会
 先日、父の見舞いに行って、病室でたまたま見せてもらった俳句の同人誌に「大道寺将司」の名前を見つけて、びっくりする。まさか父のところでこの名前を見るとは思わなかったから、一瞬、同姓同名の別人かとも思ったけれども、「悪名」と題して幾つか並んでいた句は、確かに死刑囚という立場に置かれた人の心境がうかがえるものだった。(六曜(むよう)俳句の会

 その少し前、6月17日の朝日新聞のオピニオン欄に「犬と日常と絞首刑」と題した辺見庸さんの文章が寄稿されていた。辺見さんは不自由な体で犬の糞の始末をしながら、死刑執行のニュースを聞き、「丸太ん棒でしたたか打ちすえられたような衝撃を背に感じた」そうだけど、死刑制度に疑問を抱きながらも、特に何をするわけでもなく、死刑執行のニュースをある種の諦念とともに聞き流していた私には、辺見さんの文章はずしんと響いた。
 「とりわけ日本における死刑制度のありようは、その秘密主義、その隠微、その曖昧、その多義性、その非論理性においてまことに独特である。それはなぜかことなる磁極のように天皇制ともどこかで微妙に引きあい、すでに文化や思想、社会心理の基層部にまでなごやかに融けこんでいるのであり、死刑廃止はしたがって自己像の解体にひとしいほどむつかしいだろうと私は内心おもっている」
 「死刑くらいこの国の日常と文化とそれらのすさみにうまく融けこみ、よくなじんでいる国家的儀式はない」
 本当に、日本では、凶悪犯罪が起こるたびに、遺族感情の名の下に「犯人を極刑に!」の世間の声が、マスコミの報道と相まって勢いを増すけれども、EUの加盟国はすべて死刑を廃止していて、死刑廃止はEUの加盟条件でもある。欧州好きの日本人のどれだけがこの事実を知っているのか、これにどのように反論するのかと辺見さんは問う。
 つい最近も足利事件の菅家さんが釈放されたばかりで、冤罪は決して昔のことではない。何より「暴力の連鎖を暴力で断ち切ることはできない」と私も思う。
 「日常がこれでよいわけがない」

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