おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

不易流行

2021-10-21 12:14:35 | 日記

 今日はカフェを臨時休業し、あちこち雑用に飛び回っている。9時の開局を待ってまず郵便局まで足を延ばす。保険の手続きのことでどのくらい時間がかかるかわからないので、忙しいときには最初に片付けておくのが最上の策だ。で、実際1時間以上かかり、終わってみればすでに10時を過ぎていた。

 その後はゆうちょ銀行のカードを再発行してもらっていたので、ちゃんと使えるか確認する。というのも、1年ほど前に紛失したときには、すぐにカードの利用を止めてもらっていたのだが、すぐに見つかることもあるという助言を聞いて、再発行は見合わせていた。が、どこからもカードは出てこないので、いよいよカードを再発行してもらったのだ。ただ、再発行はしてもらったものの、一旦止めたカード利用を再開するという手続きなしに、カードだけ配達されて来たので、もしかしたら停止状態が続いているんじゃないかと心配していたのだが、試してみるとちゃんと使えたので、ひと安心だ。

 その後は、業務用スーパーでカフェの食材を買い、普通のスーパーで我が家の食料品を買い、市場で新鮮な卵を買い(卵だけはここだと決めている)、ホームセンターで洗剤やらテオのおやつやらを買って来た。4軒はしごすると、すでに時計の針は12時を回っている。

 慌てて家に帰ると、昼食を取り、午後は三春町の美術協会の展覧会に出品するために出かけてこなければいけない。会場の設営、持参した作品6点を飾らなければならないのだが、果たして今年はどんな展覧会になるのやら。

 ちなみに近頃の若者は水彩画やら油絵を描くことにはあまり興味がないようで、美術協会のメンバーはすでに定年退職したじいさんばあさんで構成されている。「どうして最近の人は絵を描かないんですかね」と聞かれたので、「今の人は絵を描くといってもアニメですよ」と答えておいた。

 ただ、昔の若者は、画家だの詩人だのフォークシンガーだの哲学者だのに憧れていたが、今時そいう世界に進んで入ってくる若者は少ないだろう。ダンスだとかアニメだとか、ゲームだとか、動画配信だとか、カッコいいと感じるものが確実に違っているのである。

 が、そんなものだって、あと30年もすればじいさんとばあさんだけがやっている、ということになるだろうと僕は思っている。その時代、何が流行っているのかは、誰にもわからない。

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今年は開催することに

2021-10-20 11:10:57 | 日記

 突然ですが、明日10月21日(木)は、アトリエ・カフェ青い犬を臨時休業します。および、24日(日)は、午後3時を持って営業を終了します。ご来店を予定している方はご注意を。

 さて、新型コロナの騒動も、近頃はずいぶんと落ち着いて来たようだ。去年は中止になった秋の三春町美術展も今年は開催するという。ただし、例年なら三春の小、中学校の生徒と、高校の美術部の作品も一緒に飾るのだが、今年はまだ用心して美術協会の人間だけの展示だ。

 となると、作品数が全然足りなくなる。それを補うため、今年はでかい作品3点と小さい作品3点の計6点を出展するようにとのお知らせをもらったので、いつになく気合いが入り、額も手作りした。その展覧会が10月22日(金)〜24日(日)の3日間、三春町のまほらホールという場所である。明日は会場作りがあるというので、1時間ほど出かけてこなければならない。カフェをやっている都合で時間が合わず、例会に今まで顔を出したことがない。いろんな企画にも一切参加していないので、せめて会場の設営くらいは手伝わないと、なんとも申し訳ないのである。

 で、1日カフェを閉める必要は本当のところはないのだが、この際なので明日は1日休日にして、溜まって来た用事を片付けてしまおうという魂胆なのである。

 専門家の間でも、どうしてコロナの新規感染者が急激に減ったのかはわからないようだ。中にはウイルスが弱毒化したという説や、症状が出にくいウイルスの蔓延で、感染していても大したことがないので検査を受けていないのではないかという説もある。どちらにしても、重い症状が出さえしなければ、あとは科学者の仕事で、僕のような凡人は普通に生活するだけなのである。

 そもそもガン細胞にしたって、ほとんどの人が体に抱えているらしいが、増殖して体に悪さをしなければ生活に支障はない。喘息やアレルギーにしたって、症状が出なければ問題はない。用心を怠らなければ、症状が現れず、現れなければ病気とは言うまい。

 ところで、月末には選挙があって、デジタル化社会を叫ぶ候補者もいるが、せめて投票所に行ったら紙に書くのではなく、タブレットのタッチパネルで候補者の名前をタップするくらいのことは用意しておいてほしい。今時スーパーのレジだって、打ったその瞬間には本社にデータが集積され、何がどのくらいの割合で売れているか、即座にわかるシステムになっている。投票所にタブレットを用意しておいてくれれば、わざわざ投票箱をひっくり返し、1枚1枚数えるなんて時間も人件費もかかるようなこともないと思うが、今の政治家にはそのくらいのデジタル化もハードルは高いらしい。

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薬があるからといって

2021-10-19 10:56:05 | 福島

 朝起きたら、久々に体が痛かった。昨日は午前中2時間ランニングをして、午後はテオを連れて1時間半散歩をした。買い物にも出かけてきたし、急に寒くなったので、石油ファンヒーターを引っ張り出し、掃除をした上で給油して使えるようにした。そんなこんなで夕べは9時には寝てしまった。

 休日の午後、テオを連れてのんびり散歩をするのは楽しい。普段は早朝と夕暮れの散歩なので、薄暗い中を歩くことが多いが、日中の散歩は秋の深まるのを実感できるのである。

 ところで、新型コロナウイルスの新規感染者が日本中で減少している。政府はワクチンや国民が自粛してくれたおかげだと言っているが、この急激な減り方を見ていると、ワクチン自体が弱毒化したんじゃないかと僕は思っている。

 昨日の福島の新規感染者はひとり。他の県ではゼロというところもある。こうなって来ると途端に「経済を回せ」の声が高くなる。政府も慌てて新たなGo To キャンペーンを用意しようとしているが、世界的には急激な経済の回復で石油が足りなくなったり、物流に目詰まりを起こしている。政治でなんとかしようとしなくても、経済なんて平和になればいくらでも活発になるのである。

 第二次大戦後、敗戦国となった日本は奇跡の復活を遂げたと言われている。当時、池田勇人総理大臣が、「国民所得倍増計画」なるものを打ち出し、高度経済成長を成し遂げたようなことを言う人がいるが、高度成長したのは戦後、国民が死に物狂いで働いたからである。今のように国民が補助金をもらったり、お得なキャンペーンがあったからではない。

 経済を活性化するのに、政治家はいらない。経済を動かしたいなら、ソフトバンクの孫さんだとか楽天の三木谷さんだとか、トヨタの社長が動いた方が手っ取り早いのである。

 昨日早く寝たせいで、今朝はバッチリ4時に目が覚め、それから「歎異抄」を読んだ。今日読んだのは十三条。その中にこんな文章があった。「御消息に、くすりあればとて毒をこのむべからずとあそばされてさふらふは、かの邪執をやめんがためなり」。現代語に訳すと、「親鸞聖人もこんな手紙を残されている。薬があるからといって進んで毒をとるものではない」

 ワクチンや経口薬ができたからといって、自ら進んで感染するような真似をするべきではない、とも解釈できる言葉である。

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なかなか戻らない

2021-10-18 12:02:58 | 日記

 朝は10度を切り、この秋一番の冷え込みとなった。テオの散歩のついでに畑に寄り、春菊を摘んで帰ったが、朝露に濡れた春菊に指先が凍えて言うことを聞かないほどだった。

 朝の冷え込みも、陽が昇れば次第に緩んで来る。朝食後は見事な秋晴れになり、早速着替えてランニングに出ることにした。気温といい湿度といい、体調といい、この数ヶ月で一番のコンディションなのである。この前は三春ダム方面に向かって走ったので、今日は阿武隈川に白鳥が来ているか確かめることした。

 最初の10分はいつも通り重たい体に鞭打つようにして走るが、からりとした冷たい空気のせいで、いつものように汗だくになるということがない。これは快調だなと普段より張り切って走ると、折り返し地点まで42分半で到着した。前回がなんとか45分を切ったところだったので、ずいぶん速く走ったことになる(といっても、他人はもっと早いのであくまでも僕の中での記録ということで)。

 去年の3月に背中にできた粉瘤を切除し、数ヶ月間ほとんどまともに汗だくになるような運動はできなかった。今年は去年の分を取り戻そうと、なんとか都合をつけて1週間に一度は必ずランニングするように心がけていた。ただ、それでも切除手術の前の状態にはなかなか戻らない。以前はそろそろ40分切りが見えていたのである。

 が、今年になりいくら頑張っても45分を切るのがやっとで、ちっとも記録が伸びないことにうんざりしていた。歳のせいにはしたくないし、おそらく限界まで力を出さない悪い癖が着いてしまったんじゃないかと思うようにしていた。

 で、今日の記録に、やっぱりサボり癖がついていたんだと確信した。若い頃のように自己記録をどんどん更新していくというわけには行かないだろうが、続けていくうちに少しは進歩というものは見られるのである。

 それにしても、スポーツ選手がケガで手術をして1年をリハビリに費やしたりしているが、若い頃のピークは短いだろうから、復活劇を遂げる人というのは、僕らの想像を絶する努力がなされているんだろうなと、おぼろげながら想像するのである。

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字のうまい人

2021-10-17 11:56:29 | 日記

 この前から読んでいた「すぐわかる日本の書」というのを読み終わった。写真たっぷりのビジュアル版といったものなので、読んだというより見たというのが近いかもしれない。で、少しだけ書についての知恵がついたので、今度は江森賢治著「字と書の歴史」というのを読むことにした。日本書道普及協会というところが出している本なので、初心者にはちょうどいいだろうと思ったのだが、前書きに早速、「決して専門的なものではなく、国民的教養として、これぐらいのことは知っていてもよいと考えられる程度のものです」と断り書きがある。

 日本人としてこれくらいのことは知っていて当然というところなのだろうが、考えてみれば、小中高を通じてこういうことを習った覚えはないので、どうやら今の教育は、国民的教養などというものは教えないことになっているのだろう。

 さて、僕の浅はかな知識によると、書の歴史の簡単な流れを紹介するならこういうことになる。

 そもそも中国で発明され、発展して来た漢字という文字は、唐の時代に大きく発展する。発展する時というのは、必ずそれを推し進める有名人が出て来るものだが、「初唐の三大家」というのが出て来る。欧陽詢(おうようじゅん)、虞世南(ぐせいなん)、褚遂良(ちょすいりょう)の三人だ。ちなみに今パソコンで名前を打ったら、三人とも一発で変換できたので、よほど有名人なのだろう。

 同じ唐の時代だが、少し時代が下って顔真卿(がんしんけい)という人が出て来るので、この人を含めて、「唐の四大家」とも呼ぶらしい。

 この頃、ちょうど日本では国ができたところで、先進国だった唐へ勉強させるために人を派遣するようになっていた。学校で習った覚えのある遣唐使だ。この遣唐使の中に空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)が混じっていて、中国の最新スタイルの書を日本に持ち帰った。これを嵯峨天皇とともに、日本に広めたので、この三人を持って「三筆」と呼んでいる。

 企業でもそうだが、創業者だけでは会社は発展しない。大きくなるには中興の祖と呼ばれる普及に尽力した人たちが登場する。「三筆」が広めた日本人向けの漢字をさらに改良し、日本の文字としたのが、小野道風(おののみちかぜ)、藤原佐理(ふじわらのすけまさ)、藤原行成(ふじわらのゆきなり)で、この三人を「三蹟」と呼ぶ。

 時代は下り、江戸時代の寛永の頃に三人の書の名人が出て来る。これが近衛信尹(このえのぶただ)、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、滝本坊昭乗(たきもとぼうしょうじょう)で、「寛永の三筆」と呼ばれている。この頃は町人文化が盛り上がり、金持ちの商人などがせっせと芸事に励んでいたのであった。

 で、このくらい知っておくと、書の歴史の大まかなところは掴んでいることになる。どうしてこんなことを書いているのかと言えば、書くことで僕が覚えるかなと思ったのである。

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睡眠について

2021-10-16 10:46:50 | 日記

 ネットニュースを見ていたら、「婦人画報」に掲載された認知症についての記事が転載されていた。認知症全体の7割をアルツハイマー病が占め、15〜20年をかけて発症することから、60代後半から発症すると仮定すると40代から病気の芽が大きくなるという。

 その原因は脳内にあるタンパク質が蓄積して行き、それが神経細胞を損傷して脳萎縮が起こるらしい。その予防にはまず生活習慣を見直すことが必要とあり、肥満、糖尿病、高血圧、歯周病などの生活習慣病が認知症と密接なつながりがあることから、これを避けなければならない。

 と、ここまで読んで、この1年、せっせと歯医者に通い歯周病の治療をして来た甲斐があったと、ちょっとホッとした。とりあえず肥満、糖尿病の気配はないので、気をつけるべきは歯周病なのである。

 が、その先に睡眠と認知症についての記述もあり、睡眠不足が悪者のタンパク質を溜め込む要因にもなるとなって、再び心配の種が芽を出した。というのも、成人には6~9時間の睡眠時間が必要という説があり、僕の睡眠時間は若い頃から全然足りていないからである。

 睡眠をウィキペディアで調べてみると、歳を取るとともに早寝早起きになって行くのは1日のリズムを図る神経細胞が加齢とともに減少するからという。それにより睡眠時間がどんどん前倒しになって行くのだ。とは言え、放っておけばそのうちひと回りして元に戻りそうだが、そうは簡単には行かないようだ。

 認知症にならないための質の良い睡眠を取ろうと思えば、人類が長い時間をかけて今の体を作り上げて来たことを中心に考えなければならない。現代人の多くが不眠症に悩まされているというが、産業革命以後、8時間労働が当たり前のようになったことが、人間のリズムを壊している恐れもあるという。というのも、産業革命以前の人々の暮らしは、日没後数時間眠り、夜中に起きて再び活動し、日中もう一度寝るということも当たり前にあったようだ。スペインやイタリアの昼寝の習慣などは、その名残りかもしれない。

 睡眠時間というのは、個人差が大きい。中にはショートスリーパーという人たちも確かに存在するようで、まったく睡眠を取らなかった人がいることも広く知られているという。そういう人がいることを思えば、毎日4、5時間は寝ている僕などは、ショートスリーパーとも呼べないのかもしれない。

 さて、質の良い睡眠を取るにはどうしたらいいのか。それは起きたらしっかり日光を浴びることである。日光を浴びた後は1時間以内に食事を摂り、就寝の数時間前には運動や入浴などで体温を上げ、睡眠の30分から2時間前から照明をしっかり落としておくのが良いとされている。メロトニンやらセロトニンといった脳内物質を出すのが大切になるらしい。

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この季節の野鳥

2021-10-15 11:51:54 | 福島

 買い物に行こうと車で家を出た途端、道の端っこをトコトコと雄のキジが走っているのに出くわした。キジは僕の車に追いかけられているとでも思ったのか、こちらを振り返り振り返り懸命に走っている。こちらとしてはスピードを出したいところなのに、道路の端っこからどいてくれないものだから、仕方なくキジの走るスピードで車を走らせる。と、ようやくジャンプすると、道路脇の民家の庭先へと羽ばたいていった。もしこの時、その家の住民が庭仕事でもしていたら、さぞビックリしただろうなと思いながら、その場を後にした。

 キジはこの辺りの里山では年中いるようだが、住宅街にまで紛れ込んでくるのは珍しい。一度だが、我が家の裏の空き地をトコトコと歩いているところを目撃したところがあるが、色鮮やかな体の大きなキジを間近で見ると、ちょっとテンションが上がるのである。なんたって日本国を代表する国鳥でもあるのだから、目撃した時には手を合わせるくらいはしたほうがいいのかもしれない。

 秋風が吹き始めると、夏の間目撃していた野鳥に変わり、冬鳥たちの姿を見かけるようになる。今、頻繁に目にするようになったのはモズだ。モズは大体1羽でいることが多く、木の梢や電線に止まり、長い尻尾を上げたり下げたりしている。その動きだけでも遠くからモズだとわかるが、体に比べ頭でっかちなスタイルだから、そのシルエットからでも見当がつく。

 まだこの秋は見ていないが、そろそろジョウビタキも姿を現わす。オスは黒い顔とオレンジのお腹が特徴的で、群れるということはしない。度胸があるので、近づいてもすぐに飛んで行くということがないので、割り合いに写真が撮りやすい野鳥だ。キジもそうだが、ジョウビタキも雄の派手さに比べ、メスの羽の色は地味である。その代わり、クリクリとした黒目がちの丸い目をしているので、可愛さにおいてはエナガやヤマガラに引けを取らないくらい可愛らしい。

 冬の渡り鳥と言えば、北国では白鳥である。猪苗代湖にはすでに飛来したというニュースが流れていたが、この近くを流れる阿武隈川にはまだやって来ていないようだ。空を飛ぶ時には、群れを作り大音量で鳴きながら移動するので、我が家にいてもその声は聞こえてくる。

 姿を見ることはほとんどないけれども、夜中に屋根の上で鳴いているのがフクロウだ。ホーホーホロスケホーと鳴くから、フクロウの声だとすぐにわかる。一度だけ電線に止まっているところを懐中電灯で照らしたことがあるが、それ以外はほぼ夜空を飛ぶシルエットくらいでしかフクロウは見たことがない。

 ほかにもツグミなども冬になるとどこでも見かけるようになり、春先になると姿を消してしまう。今年はまだお目にかかっていないが、そろそろやって来る季節だ。

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豊かな食生活

2021-10-14 10:12:35 | 福島

 月曜日にケンくんの飼い主さんから玉ねぎの苗をもらった。以前のようにケンくんと走り回ることはできなくなったが、家の前を通る時にはなるべく声をかけるようにしている。

「まだ玉ねぎ植えてないなら、苗を持ってけ」というので、ありがたく頂戴したが、「明日から雨だからすぐに植えておいたほうがいい」と言われ、すでに夕方であたりは薄暗くなりかけていたが、それからタミちゃんとふたりで畑で作業をした。

 で、天気予報通り月曜日の夜から降り始めた雨が、水曜日の昨日いっぱい降ったり止んだりした。

 今朝は雲もなく秋らしく晴れ上がったので、散歩の途中で畑に立ち寄り、玉ねぎの苗の状態を見に行くことにする。と、植えてすぐに雨が降ったのが良かったのか、植えた時にはペロンと倒れていた苗が、どれもピンと元気よく空に向かっていた。これでもう大丈夫だろう。我が家の畑のほかの野菜たちもすくすくと育ち、例年になくうまく行っている。ニンニクの芽も出てきたし、白菜はそろそろ結球しそうだ。間引いて一本立ちにした大根も、手首くらいの太さになっている。春菊は今が柔らかく食べごろだし、植え替えたネギもそろそろ食べられそうだ。ほかにもまだ掘り出していないサツマイモと里芋が我が家の畑には植わっている。

 それにしても、世間は野菜の値段が高騰しているということらしいが、我が家では一切影響を感じていない。

 今年の初夏に収穫した玉ねぎは屋根の下にぶら下がっているし、ジャガイモも山ほどある。最後に収穫したナスやピーマン、万願寺唐辛子もまだまだ残っているし、唐辛子は食べきれないほど収穫した。

 加えて、近所の人から野菜をもらったりするので、我が家の野菜でさえ食べきれないほどだ。里芋、サツマイモ、ゴボウ、キャベツと、早く食べないと腐らせてしまいそうなほどである。

 昨夜の晩ご飯は、もらったキャベツ6割、我が家の庭の大葉1割、それにミンチ3割、たっぷりの生姜を混ぜて野菜たっぷりあっさりパリパリ焼き餃子を作った。スープはナスと万願寺唐辛子、それと唯一買ってきたモヤシに余り物の油揚げを入れて中華風にした。ご飯は冷やご飯が余っていたので、玉ねぎと食べ残しの焼きタラコ、玉子でシンプルなタラコチャーハンにした。

 とにかく毎食、食べきれないほどの量を胃袋に詰め込んでいるが、野菜が中心のせいか、この10年間というもの、痩せも太りもしないのである。

 そろそろ新米の季節でもある。お米はいつもタミちゃんの実家からもらってくるので、我が家では買ったことがない。ああ、秋っていいな。

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無神経な言葉

2021-10-13 10:42:04 | 日記

 近頃、ニュースを見てると、頻繁に車の盗難事件が報道されている。昔の鍵と違って、今はリモコンでドアも開けばエンジンもスイッチひとつでかかるから、盗む方としては仕事がやりやすくなっているに違いない。便利なことというのは、それ以上に厄介な不便さをもたらすという事例なのだろうか。

 もっとも、僕が気になって仕方がないのは、アナウンサーが盗まれた車のことを「高級車」と連呼することだ。ただ単に「車」でいいと思うが、なぜだか「高級車」と言いたがる。ということは、その辺を走っている車には、高級な車と低級な車の2種類があるということなんだろう。僕の車などはそろそろ買い替え時期を迎えているが、今度ディーラーに行ったら、「僕が欲しいのは低級車なんですけど、ここにありますか」と尋ねてみようかと思っている。

 車だけではない。腕時計にも「高級腕時計」と「低級腕時計」があるらしい。わざわざ「高級」なんて言葉をくっつけなくても、腕時計は腕時計じゃないのかと言いたくなる。最近だと「上級国民」という言葉も使われているようだが、国民に上級も下級もあるものか。そういうことを言いたがる人に限って、なんでも差別化したいのだろうと思ってしまう。

 ニュースではないが、コマーシャルを見ていると、やたらに「大切な人のために」とか「かけがえのない人へ」といった言葉が使われている。CMを作った人は美辞麗句のつもりなんだろうが、知らず知らずのうちに社会の中には「大切な人」と「そうでもない人」とがいると言っていることに気づいているのだろうか。ジェンダーレスだと声高に政治家や企業が叫ぼうと、こうした無神経な言葉はあちこちに転がっている。

 「いやいやそんな大層なことではない、大切な家族くらいの意味合いだ」と反論する人もいるだろうが、高級があれば当然低級が存在するように、大切な人や大切な家族のことを考えれば、当然それ以外の人はあまり大切ではないということになる。

 で、どうしてこんなことにこだわるのか言うと、元総理の森さんが「女性がいると会議が長い」と言ったのと同じで、自分は差別している気はなく、何気なく言ったつもりでも、心の根っこの部分で差別しているから、他人が見聞きすれば毒されている言動を、自分では気づかないということになる。

 昔読んだ第二次大戦の話で、こんなのがあった。あるドイツ人の男は、仕事が終われば家族と一緒に食卓を囲み、子供が誕生日の時にはバースデーパーティーを開いて祝い、夜更けには暖炉の前でソファに身を埋めモーツアルトを聴く、というような生活を送っている。そして朝、出勤するとユダヤ人をせっせと焼却していたというのだ。彼にとってそれが国家から与えられた仕事で、その役目を忠実に果たしていたに過ぎない。

 なぜそんな残酷なことができたのかと、今に生きる人は言うだろうが、彼にとって世の中には、大切な人とそうでもない人がいたからである。

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完全なる自己放棄という教え

2021-10-12 11:05:59 | 日記

 少し前から「歎異抄」を読み始めた。序言があり、それから十八条があって後序まで、全部で20話だ。ひとつの文章が数行から数十行なので、通して読めばほんの数ページで終わる分量である。が、そうは簡単に行かない。なんたって昔の言葉で書いてあるから、とりあえず原文を素読し、注に目を通し、それから現代語訳を読んで、再び原文を読み返すということを繰り返しているので、1日1話しか進まない。おまけに書いてあることが、わかったようなわからないような、普段使わない部分を酷使しなければならないから、すぐに脳みそが飽和状態に達するのである。

 さて、親鸞聖人といってもどんな教えかわからない人も、自力本願、他力本願と聞けばなんとなくわかるだろう。親鸞聖人は他力本願をせっせと説いた人である。学生時代、他力本願という言葉だけ聞いて、すべて人任せにすれば願望が叶うなんて、なんてぐうたらな教えなんだろう。もっともそれだから、あっという間に世間に広まったんだろうと思っていた。自力本願のように修行を積み、仏の道に精進するのが、人として大切なのではないかと考えていたのだ。

 が、これがとんでもない勘違いだったことが、「歎異抄」を読めばよくわかる。親鸞聖人が死に、30年も経つと、他力本願の教えを勘違いする人々が出てきた。それを嘆いた弟子の唯円がお師匠に直に聞いた言葉が「歎異抄」であり、自力や他力という言葉を理解するのは、当時から大変難しかったのである。

 で、他力とは阿弥陀さまにすべてを任せるということである。私たちはただ念仏さえ唱えておけば良い。念仏を唱えないのはどんな悪行以上に悪行なのだから、今まで悪行を犯した人も、せっせと念仏さえ唱えれば阿弥陀さまが救ってくれる。

 極楽に行くために善行をしようなどと考える必要もない。善を行うというのは、どこかに自分自身に対して企みがあることであり、自分に期待するということは、その分阿弥陀様にすべてをお任せするということに反している。

 最近流行となった言葉に、「自分が頑張る姿を見せることで、誰かを元気付けたい」などというのは、親鸞聖人に言わせればエゴイズム以外の何者でもないということになる。完全な自己放棄こそが、世の中を平和にするというのが、親鸞聖人の真骨頂なのである。

 だが、本気で他力を目指すというのは、社会生活を営むにおいては、過激な考え方だ。従って、親鸞聖人の教えは実はあまり流行らなかったのである。流行らないどころか、放っておけば歴史に埋もれていただろう。今でこそ日本の仏教の世界では信者の多い浄土真宗だが、それを発展させるには中興の祖と呼ばれる宣伝の天才、蓮如の登場が必要だった。

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