おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

意は似せやすく

2021-10-27 10:07:43 | 日記

 今朝も早起きして良寛さんの本を読んだが、こんな話が紹介されていた。禅を日本で始めたのは道元さんだが、中国のお寺で修行していたとき、500人ほどいる修行僧のために高齢の用和尚が干し椎茸を作っていた。それを見た道元さんは、そんなことは人夫にでもさせればいいのではないですか、と進言すると、「他人にやらせたことは自分でやったことにならぬ」ときっぱりと答え、道元さんはその言葉に感得したのであった。道元さんを勉強していた良寛さんは、この故事を知ると、率先して炊事係を引き受けていた和尚さんのことをバカにしていたことを痛感したのである。

 そんな良寛さんも、いよいよ修行も終わり、禅僧修行の修了書をもらう。それは偈文(げぶん)といい、お師匠の和尚さんからいただく言葉なのだが、その中に「とうとうとして運に任す」のいう一文があった。意味は、万事を尽くして天命を待つといったところだろうか。やることをやったらリラックスして、あとは運命に任せよといったような意味である。

 が、「とうとうと」のほうには、「万事を尽くして」の文章が持つような、どことなく悲壮な決意みたいなものがなく、やるだけやったんだから、あとはなるようになるだろうというトボけた感じがあって、座右の銘にしてもいいかなと思ったくらいだ。

 本居宣長さんの言葉に「姿は似せがたく意は似せやすし」というのがある。中身を真似るのは簡単だが、姿を似せるのは難しいという意味だが、この言葉を聞いた人の多くが、反対じゃないのかと思うかもしれない。外見を真似するのは簡単だが、中身を似せるのは難しい、と。

 が、よくよく考えてみれば、意味を似せるというのは案外簡単なものである。「万事を尽くして」と「とうとうと」はほぼ同じような内容だ。が、同じような意味であるにもかかわらず、その言葉の姿は全然違っているのである。

 僕の好きな言葉に星野道夫さんが書いていた「人生とは何かを計画しているときに起こる別の出来事のこと」というのがあるが、これも意味としては「人生何が起こるかわからない」と同じことだ。だが、その姿は全然違ったものだ。僕にとっては、後者の言葉はちっとも心に響かないのである。

 映画「アレクセイの泉」では、おそらくロシアのことわざなのだろう、こんなセリフがあった。「とにかく始めることだ。そうすればいずれ終わる」。これなんかも「とにかく始めなければ何も始まらない」という言葉とよく似ているが、その姿はまるっきり違っている。

 有名アスリートの使っている道具や衣類を身につけたことで、本人はそのアスリートに少しでも近づいた気でいるかもしれない。が、そんな気分になっているのは本人だけである。たとえ同じ道具や衣類を身につけたところで、他人の目には似ても似つかない姿をしているのである。姿は似せがたく意は似せやすし。

 

 

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