おっさんひとり犬いっぴき

家族がふえてノンキな暮らし

お調子者こける

2021-10-11 11:14:52 | 12音詩

 今日は久しぶりに特別な用事もなく、おまけに爽やかな秋晴れとあってこの秋最高の休日だ。こんな日に家でじっとしているのはあまりにもったいないと、朝飯を食べるとすぐにランニングに出る準備に取り掛かる。このところ雑用があったり天気が悪かったりで、長い距離を走るよりも、短めの距離をスピードを上げて走るということを続けてきたので、今日はのんびり長距離を走ってくることにした。

 コロナ騒動以来立ち寄っていなかった日本三大桜のひとつ、三春の滝桜まで久しぶりに走ってこようと、意気揚々と出発する。往復すれば約25キロほどの距離だ。3時間以内に帰ってくるのを目標に、秋の空気を肺一杯に感じながら走る。

 途中、爪先上がりの急な登りが続く道を、汗だくになって走る。目に汗が入って仕方ないが、目をつぶるようにしてよじ登る。とにかく坂のてっぺんまで是が非でも今日は駆け上がりたいのだ。と、頑張っていたら、足元がもつれて思いっきりこけた。左手のひら、左足の膝をアスファルトに叩きつけ、右ひじと右足ふくらはぎにしこたま擦り傷を作った。幸い車も人もいなかったので、誰にも目撃されなかったが、しばらくは全身が痺れまくった。

 これだけ思いっきりこけたのは二度目だ。前回は転んだところを目撃され、おまけに肘と膝から出血したので恥ずかしかったが、今回はとりあえず恥をかくことだけはまぬがれた。とはいえ、これですっかりテンションが下がり、滝桜まで走ってくるつもりが、三春ダムまで走ったところで引き返すことにした。

 人間、テンションが上がりすぎると、途端にしくじるようにできているらしい。帰り道は擦り傷に汗が沁みてヒリヒリと痛む中、オリジナル俳句をひねりながら気を紛らわせて走ることにした。

 お調子者がずっこける

 ついでなので、今日までに作った分も書きつけておくことにする。

 なぜか淋しい秋の風
 夕空青い雲ひとつ
 共に枯れゆく身の周り
 虫の音に囲まれている
 杉のてっぺんに三日月
 星ひとつ街灯ともる

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書くことの始まり

2021-10-10 11:08:06 | 日記

 読み書きについて知りたいと思い、タミちゃんが持っていた「すぐわかる日本の書 飛鳥時代〜昭和初期の名筆」というのを借りた。本というよりはビジュアル重視のパンフレットみたいなものだ。それでも、書について何ひとつ知らない人間にとっては、なるほどと考えさせられることがいろいろ書いてある。

 言われてみればそうだよなと思ったのが、明治になるまで書家という職業は存在していなかったということである。そもそも書とは鑑賞するためのものではなく、生活にとってなくてはならないものだ。看板の文字にしても相撲番付にしても、そこに何が書いてあるかわからなければ意味がない。

 書家という書の専門家がいなかった江戸時代までの書の達人は、今では書家と区別して能書家と呼ばれている。書の専門家ではないが、書のうまい人という意味だ。弘法大師空海にしても、戦国大名にしても、明治維新で活躍した人たちでも、その書はお宝探偵団で高値の芸術品として取り引きされていたりするが、鑑賞のための書を書いた人なんて、昔はひとりもいなかったのである。屏風や掛け軸の賛に文字が書いてあったりするが、それはあくまで書としての独立して存在しているわけではなく、一種のインテリアである。

 大昔、日本人は日本語を喋ってはいたものの、文字は持っていなかった。中国から印やら鏡やらが入ってくるようになると、インテリは中国語を身につけ、中国語を使って自分の意思を書き留めた。今なら、日本の小説家が最初から英語で小説を書くようなものである。それでは世界で通用しても、多くの日本人には読まれない。

 そこで漢字の音だけを利用して、日本語の音に漢字を当てはめて書くようになった。漢字は表意文字というくらいなので、ひとつひとつに意味がある。その意味を無視して、日本語に合わせて漢字を並べた。こうして編集されたのが日本で最初の歌集「万葉集」で、その時に使われていた漢字を万葉仮名といった。平仮名や片仮名は、この漢字を崩したり一部を取り出したりして音だけを表すようにしたもので、本当の字ではないので、仮の名と呼んだのである。

 で、漢字を利用して日本語を書くことができるようになったものの、その頃は共通の活字というものはない。当時すでに様々な書が発展していた中国から、それぞれが好き勝手な書体を選んで日本語を書いていたので、なかなか他人には伝わりにくく、読み書きできる人というのは増えていかなかった。そんな時に、日本人には日本人の気質に合った書を作り、普及させようと考えたのが空海だったのである。

 書の世界には、三筆と呼ばれる書の名人がいる。スラスラ言える人はあまりいないだろうが、空海、嵯峨天皇、橘逸勢(たちばなのはやなり)の三人である。で、この三大名人なのだが、実は同時代の人なのである。特に空海と橘逸勢は、最澄とともに中国に渡り、勉強してきた人間である。最澄と空海は密教を持ち帰り、勉強がちょっと苦手だった橘逸勢は書を勉強してきた。

 空海はその後日本中に仏教を布教して回るのだが、お経を読んでもらうようにするには、日本人には通じる共通の書体がどうしても必要となったのである。というわけで、きっと嵯峨天皇や一緒に中国に渡った橘逸勢に協力をお願いしたのだろう。ここに、日本人らしい書体のプロトタイプが完成するのである。

 さて、こう書いてくると、今でこそ当たり前に活字を読んだりパソコンで文字を入力したりしているが、日本人が日本語を読み書きするようになるには、大変な創意工夫があったことになる。もしお隣の国がアルファベットを使う国だったら、今の日本はアルファベットで日本語を書くという離れ業を演じていたに違いないのである。

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無意識の信仰

2021-10-09 10:21:40 | 日記

 「逆説の日本史」を読み終えたので、今朝から「歎異抄」(梅原猛全訳注)に取りかかった。この本の存在は知っていたが、このタイトルをどう読むかも知らず、ようやくこの歳になって「たんいしょう」と読むということがわかった。

 知っている人には説明不要だろうが、「歎異抄」は浄土真宗の開祖、親鸞の言葉を弟子の一人の唯円が書き残したものである。親鸞の死後30年も経つと、信徒の間でさまざまな勝手な解釈がひとり歩きして行く。先師の信仰と違った教えが広まって行くのを嘆いた唯円が、親鸞から直に聞き、覚えていることを書き残したのが「歎異抄」である。その序にはまずこうある。「故親鸞聖人の御物語の趣(おもむき)、耳の底に留むる所、聊(いささか)之を注(しる)す」

 で、なぜこんな小難しいそうなものを読もうかと思ったのかと言われても、自分でもよくわからない。我が家のご先祖様が浄土真宗の門徒だから、何事かがあれば「南無阿弥陀仏」というお坊さんのお経は聞くが、浄土真宗が何かも全然わからないのである。

 とは言え、全然わからないからといって、信仰がないのかと言われれば、おそらく心のどこかでは古くからある日本の宗教の影響は感じている。

 例えば、「四谷怪談」とか「牡丹灯籠」とか「リング」などの映画はなんとなく薄気味が悪い。それに比べれば「狼男」だとか「ドラキュラ」だとか「13日の金曜日」だとかいうのは、どんなに残酷なモンスターが登場しても、それは怖いだけで薄気味悪いというふうにはならない。

 アパートやマンションの事故物件が安く借りれたりするのは、事故物件の部屋が薄気味悪いと感じるからだ。ここには共通の恐怖が底にある。それは怨念の存在だ。そんなものは科学では証明されない迷信だと保証されても、日本人の多くはサタンやモンスターよりも、無念の死を遂げた人間による怨念のほうが怖いと感じている。おそらくこの感じは、キリスト教やイスラム教を信仰する人たちに分からせるのは難しいだろう。

 逆に、キリスト教やイスラム教の信者が、「神がいなければ1日たりとも生きていけない」ということを言うが、このことを身にしみて実感している日本人は少ないのではないだろうか。彼らにしてみれば、神なしでも生きて行けると思っている人間など、あり得ないのである。

 日本人は自分たちのことを無宗教だと考えているというが、科学で証明されない不合理なことをなんとなく信じている、というのが実は宗教である。日本教には、聖書やコーランに準ずるような教典は存在しない。が、外国人に説明できないけれども、歴然と日本人が信じているものというのは確かにある。

 僕のご先祖様たちが、何を信じ、どう生きようとしたか、そんなことを知らなくても生活に支障はないが、生きて行く中で知らず知らずに影響を受けていると思うと、少しは知っておいたほうがいいかなと思う、近頃のアベさんなのである。

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仲秋の句

2021-10-08 10:29:49 | 12音詩

 子供の頃、今頃の季節と言えば運動会一色だった。9月に二学期が始まってからは毎日のように運動会の予行練習が続き、小運動会、中運動会を経て、10月10日の体育の日近辺が大運動会だった。運動に関して平凡な人間だった僕としては、どう頑張っても1等賞になれない運動会は憂鬱な日でもあったが、昔の田舎町では一年で一番大きなイベントでもあり、競技はサボりたくても、運動会には参加したかったものである。

 近頃はこの近辺で運動会と言えば、春に行うものに変わってしまったようだ。おまけに父母に祖父母、親戚まで一堂に介して校庭の一角を陣取り、弁当を広げるといった光景もなく、運動会に合わせてお面や綿菓子といった出店もなくなり、ひっそりと行われている。弁当を広げるどころか、運動会自体がお昼までに終わるらしい。おまけにコロナ禍により体育館でひっそりやっているので、朝の打ち上げ花火がなければ、子供のいない僕のような人間には、子供たちの運動会がいつ行われているのかまるっきりわからないのである。

 運動会の簡素化には、シングルマザーなどの問題が関係しているとも聞く。片親で仕事が忙しいという人もあれば、弁当持参で出かけても、親子ふたりだけの食事では、なんとなく肩身の狭い思いもするらしい。子供の少ない村では、子供以上に村人のイベントでもあった盛大な運動会がなくなってしまったというのは、なんとも寂しいものである。

 秋も深まり、散歩の時にひねくり出している俳句も、だんだん寂しいものになって来た。新年早々始めた句作も、いよいよ残り3ヶ月ほどで1年になる。

「中秋の名月のかけら」

「歩き続けて日が暮れる」

「陽は落ちて枯れ草の道」

「赤い空舞うはコウモリ」

「夜空飛ぶフクロウの影」

 日毎、稲刈りが終わった田んぼが増えて行く。稲を干すはさ掛けがあちこちにできているが、これが撤去されると、いよいよ東北は冬枯れの気配が漂い出す。

「稲架がけ早速雨に濡れ」

 

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幟を立てる

2021-10-07 10:00:58 | 日記

 秋の全国交通安全週間というのがある。今年はもう終わったようだが、テレビでは飲酒運転による居眠りで、児童が死傷したというニュースが流れていた。加害者は少しくらい酒を飲んでも、正気を失うほどにはなるまいと思っていたのだろうが、ほんのちょっと居眠りした瞬間に、大事故は起こってしまった。

 交通安全週間になると、「交通安全」と書かれた幟が、道のあちこちに立っている。交通安全とタスキをかけた人が、あちこちに立っている。が、そんなことで交通事故がなくなるなんて誰も考えていないだろう。

 もし本気で飲酒運転を辞めさせるなら、この世から酒を締め出してしまうのがいい。が、それは現実的ではないので、飲酒していたらエンジンがかからないというような車を開発するのが一番実情にかなっているかもしれない。

 仮に、交通安全協会の人たちが各家庭を回り、交通安全を徹底させるために、「交通安全」の幟や「飲むなら乗るな」のポスターをたくさん作りたい。そのためにも寄付をお願いしたい、それ以外に交通事故をなくす手段はないと申し出てきたら、僕ならお断りするだろう。

 こう書いてくれば、おそらくほとんどの人が同意すると思うが、これが憲法9条となると途端に話がおかしなことになってくる。平和憲法と呼ばれる9条では、「戦力の不保持」が明記されている。が、実際には自衛隊という武力を備えた部隊を保持している。自衛隊は軍隊ではないと言う人もいるが、自衛隊も軍隊も戦力を保持していることには変わりはない。憲法9条を厳守するなら、自衛隊も持ってはいけない、というのが日本国憲法である。

 憲法9条があれば戦争が起きないと考えているのであれば、それは「交通安全」の幟を立てれば事故が起きないと言っているのと変わりはない。悪意はなくても人はうっかり事故を起こす。同様に善意からでも人の世では諍いが起こる。これが現実だ。

 国防というのは、戦争をするばかりが能ではない。災害や伝染病から国を守るのも国防だ。その点でも自衛隊の存在をなくすということは考えられない。では、本来なら憲法違反である自衛隊の存在をどうするのか、これはちゃんと議論して決めておかなければならない。

 何事かが起こってからでは遅すぎる。原子力発電所は絶対安心だといい、だから事故は起きないと言い張ってきた。事故が起きたときの避難マニュアルも必要ないし、避難民の移住先も用意する必要はない。核のゴミを処理する最終処分場も当然のことながら必要ない。これが日本政府と東電が進めてきたやり方だ。

 太平洋戦争の時も、原子力発電所が稼働していた時も、本気で反対した人たちというのはごくごく少数だっただろう。が、何事かが発生すれば、多くの人が二度と起きないでほしいと慎重になる。動物は痛い目に遭えば、次はないようにと反省する。が、物事が進行している時には、その危うさは自覚されにくい。

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人生を楽しむ

2021-10-06 11:45:22 | 日記

 子供の頃、宇宙を舞台にしたアメリカのテレビドラマ「スター・トレック」というのをやっていて、その内容はすっかり忘れているものの、アメリカという国はあんなに科学が進歩してるんだと感心していた。ほかにも、「宇宙家族ロビンソン」とか「巨人の惑星」とか「謎の円盤UFO」だとか「スペース1999」だとか、その頃のアメリカのドラマをいくつも挙げることができるが、そのくらい宇宙はロマンに満ち、夢いっぱいの世界だったのである。

 今では民間の企業がロケットと飛ばす時代になり、大金さえ払えば宇宙パイロットでなくても宇宙旅行ができるようになった。

 そんな民間企業のロケットに、「スター・トレック」の主人公カーク大佐を演じていた役者さんが搭乗し、地球を飛び出すという。本人は、「自分が生きているうちに、自分が演じた舞台の宇宙に実際に行けるとは」と感慨深そうにしていたが、年齢を聞いてビックリだ。90歳だという。いくら技術が進歩したとはいえ、宇宙に飛び出すにはかなりの体力が必要になるに違いない。テレビに映るその顔は、90歳というには若すぎるようだ。体つきも喋りもしっかりしているし、下手をすればその辺の60歳より若いくらいだ。よっぽど普段から鍛えてるんだろうなと、宇宙に行くことよりそっちの方に興味が湧いた。

 昨日はノーベル物理学賞の発表で、日本人の真鍋さんが受賞したと大騒ぎになっていたが、真鍋さんも90歳で、いまだ現役の研究者だというのだから恐れ入る。

 そもそもノーベル賞は、そのあとの研究をサポートするために賞金を出しているので、いくら功績があっても死んでいては受賞はできない。とはいうものの、90歳になって受賞して、その後の研究資金の足しに、というのはどうなんだろうと思うが、現役だというのだから賞の趣旨からは外れてはいない。

 どうしたらその年齢まで頑張れるんだろうと思うが、おそらく「頑張れる」というのがすでに間違っていて、どうしたらその年齢まで楽しめるんだろうと考えなければいけないのだろう。

 そう思いながら、一昨日の休日が車の点検が潰れてランニングができなかったので、今朝は朝食後に走ってきた。あいにくの雨で、途中でずぶ濡れになり、傍目にはまさに年寄りの冷や水に見えただろうが、構うものか。ゼーゼー走っている人間に、他人の視線を気にする余裕なんてないのである。

 走るのはそんなに楽しいのだろうかと思う人もいるだろうが、走るのが楽しいのではない。自分の限界まで力を出していることが、他人に分からなくても、本人にはとっても楽しい時間なのである。

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ポンコツ

2021-10-05 10:54:23 | 日記

 昨日、車を定期点検に出した。午後1時の予約で1時間くらいかかると言われていたので、店内で点検が終わるのを待つつもりで読みかけの本を持参する。

 どこか変わったところはありますかと言うので、「前に見てもらった時と同じで、アクセルを踏み込んだ時にギアチェンジしたみたいなギクシャクしたところがある」と説明すると、3つほど原因が考えられるので調べてみたいとのこと。そのためには今日一日時間をいただきたいので代車を出します、というので本を読むのを諦めて一旦家に戻ることにする。

 3つほど考えられるという原因は、僕が考えていたようなギアやクラッチといったミッション系ではなく、一番可能性があるのがガソリンに点火しているプラグの劣化ではないかという。プラグと言えば、タミちゃんの前の車もプラグがダメになっていると言われ、数万円出して交換してもらったが、それから1年経たずに走らなくなり廃車にしたので、いよいよ僕の車も同じ症状かとゾッとする。

 新車で買ってまだ11年ほど。距離も10万キロで壊れるには早すぎる。ただ、最初の2年で5万キロほど走り、それ以外にも福島と大分を何度も往復するという車にとっては過酷な使い方をしているので、劣化が早くても仕方がないところがある。とは言え、車を買い換えるとなるとそれなりに心の準備とお金の準備が必要なのである。

 家に戻ったものの、点検結果が気になって本を読むどころではない。テオを散歩に連れて行ったり、夕食の用意をしたりして時間を潰していたら、ディーラーから電話があった。

 点検の結果、プラグではなく、ターボエンジンのどこかしらが錆びて作動しにくくなっているという。油を注したりして動くようになったので、エンジンがギクシャクする症状は消えましたというので、ようやくホッとする。結局、アクセルを吹かすと本来ならターボが作動するところがうまく動いてくれないために、ガクンガクンと変な動きをしていたのだ。

 閉店時間前に車を取りに行き、今回の点検の詳しい説明を受ける。聞いているうちに、僕の愛車がどれほどポンコツになっているかを痛感したので、「そろそろ買い替えを本気で考えないといけないですね」というと、ディーラーのほうから、「普通買い替えは15年、15万キロで勧めるんですけどね」という。おまけに「ニュースでご存知ように、世界中で半導体が不足していて、車の納車に数ヶ月かかっている状態なんですよね」と、車の買い替えを勧めるような雰囲気は全然ない。

 だったら、こっちが冷や汗をかくような説明はするなっつうの。「もう少し乗れますね」くらい言ってくれると、安心して、日々安らかな気持ちで過ごすことができるのだ。

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人気と人脈

2021-10-04 11:21:18 | 日記

 時々カフェに顔を出してくれる近所の人が、スリコギを作ったからと持って来てくれた。ついでに柿の実と田中角栄を特集した雑誌も持って来た。「面白いから読んで見たら」と言う。政治と経済については、昔からまるっきり興味が湧かないが、最近の政治家の体たらくを見ていると、絶大な人気のあった田中角栄という人がどういう人だったのか、概略だけでも知っておいていいかなと本を開いてみた。

 死んだ親父もよく「角さん、角さん」と口にし、まるで親しい知り合いのように話をしていたが、とにかく年配の人たちの角さん人気は凄いのである。

 小学校卒で努力して総理大臣になったこと、「日本列島改造論」をぶち上げたこと。ロッキード事件という金と政治の問題で失脚したことくらいは僕でも知っていたが、どちらかと言えば昔ながらの声と態度がでかいだけの政治家の雰囲気があり、僕はあまりいい印象を持っていない。東大を出ていながら器の小さいほかの政治家に比べれば大したものだと思うが、「日本列島改造論」では、土建屋が大儲けし、日本中がコンクリートで埋めつくされ、日本の美しい自然は食いつぶされてしまったと僕は思っている。

 が、田中角栄さんのビジョンというのは、今の政治家にはない大きなもので、日本中に道路や空港を作ることで、大都市一極集中ではなく、どんな田舎でも隅々まで平等に富が行き渡る国を作りたかったのである。

 政治家とは心理戦争が得意でなければならないと言っていたそうだが、苦労人として若い頃から何度も騙されたり利用されたりして身につけて行った処世術なのだろう。人の心が読めない人間に、人が使えるわけがない。

 田中角栄さんはとにかく人の名前を覚える天才だったという。それもフルネームで。名前を忘れていたときはどうするか。これは僕でもすぐに使えそうなやり方で、こういうことひとつでも、人脈の広さがあったんだろうなと思わせるものだ。

 それは名前を忘れた本人に、「名前はなんでしたっけね」と尋ねるのだが、「鈴木です」と答えると、すかさず「そんなことはわかっている。下の名前のほうだよ」と言い、名前を忘れられていた人を傷つけるどころか、喜ばせることができるというから、なかなかうまい方法だ。

 人気があるが、人脈のない人というのは、人気が下がれば途端に見捨てられてしまうが、豊かな人脈を築いた人は、人気が衰えることはないという。

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アウトドアの楽しみ

2021-10-03 11:20:08 | 日記

 台風が通り過ぎ、昨日今日とびっくりするような秋らしい快晴だ。こんなに天気がいいと、カフェをやっている場合ではない。と言って臨時休業して出かけるわけにも行かない。

 先日、三春の美術協会に所属する人がカフェに遊びに来て、おしゃべりをして行った。暇があれば旅行に行き、日本国内ならほとんど行っているんじゃないかというくらい旅好きのうえに、登山もやるので、いつもそんな話で盛り上がる。ただ、最近はあちこちに病気を抱えているため、旅行どころではなく、せっせと病院通いだ。

「そろそろ気候も良くなったし、どこかの山にでも出かける予定は」と聞いてくるので、「犬猫がいるので無理ですね」と応える。「そうだよな。猫までいるんだもんな」

 テオを愛護センターから引き取った時には、一緒に旅行すればいいと思っていたが、アンを拾って来てからは、犬猫がいるうちは旅行も山登りも留守番をさせることになる以上、可哀想な気がするので行くつもりはない。十数年たち、テオもアンもいなくなったら、それからボチボチ出かけようかと思っている。

 もともとインドア派だった僕がアウトドア人間になったのは、トトを飼い始めたからである。最初は散歩の延長で人のいないところに連れて行っていたのが、次第に登山口まで、次には山の取り付きまでとだんだん足を伸ばし、ついにはあちこちの山に登るようになっていた。

 ただ、犬連れだと整備された登山道のあるような人の多い山にはあまり連れて行けない。どちらかというとマイナーな、山登りの間、ひとりに会うか会わないかくらいの静かな山を歩き回った。岩場に架けられたハシゴや鎖があれば、トトを小脇に抱え根性で登り、下りの崖ではトトに先に飛び降りてもらったりしていた。

 あちこちの山に出かけるようになると、車での移動時間が長くなる。1日では着かないと途中で車中泊もしなければならず、登山口に到着しても夜が明けるのを車で待つことになる。そういうわけで、車中泊についてもかなりのベテランになり、福島と九州の往復十日の旅行に、ドリとトトの2匹を連れ旅行した時も、途中、オートキャンプ場をハシゴしながら、トトと僕がテント、ドリとタミちゃんが車でと分かれて宿泊した。

 最近はキャンプブームが到来しているようで、キャンプの楽しみがよく紹介されている。が、現地に到着しても、そこで料理を食べるだけなので、車にごっそりと道具と食材を積み、その様子はアウトドアというよりも、キッチンとリビングをそのまま移動させたような雰囲気である。

 僕が考えるアウトドアの楽しみというのは、最小限の持ち物でやり繰りすることだと思っている。山登りに重たい荷物を背負って行きたくはない。スプーンひとつだって軽いものを使いたい。食べ物も死なない程度で十分である。

 車だって体を伸ばして横になれれば十分で、シャワーやキッチンがついたキャンピングカーなんてのは、邪魔なだけである。今時の日本で、車で移動できるところに、温泉もコンビニもないなんて、ちょっと考えられないのである。なるべく身軽にして出かけ、あとはなるべく現地調達するというのも、旅とアウトドアの楽しみでは大きな位置を占める。

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失礼な勘違い

2021-10-02 11:19:36 | 日記

 「逆説の日本史 日英同盟と黄禍論の謎」を読んでいると、今までなんとなくそう思っていたことが、かなり間違った理解だったことがいろいろあって目から鱗だ。

 例えば、文部省唱歌というのがある。「もーもたろさん、もーもたろさん」の「桃太郎」とか、「むっかしーむっかしーうーらしーまはー」の「浦島太郎」とか、「なーつもちーかづーく、はーちじゅーうはーちーや」の「茶摘み」とか、子供の頃に口ずさんだ歌である。ただ単に子供向けに作られた歌くらいに思っていたが、実は明治政府がどうやって日本人に西洋音楽を身に付けさせようかと苦心惨憺したものなのである。

 それまでの日本のメロディーは、ドラミソラの5音だった。「ファ」と「シ」はなかった。そういう国民にいきなり西洋の歌を歌えと言っても、存在しない音があるので歌えなかったのである。そこで子供の教育に西洋の音階を使った歌を作り、親しみを持ってもらおうとした。

 前出の文部省唱歌は、すべて作詞作曲者は不詳ということになっている。が、これは詠み人知らずみたいなことではなく、作詞者も作曲者もわかっているのだが、文部省扱いということで不詳にし、のちのち著作権問題など起こらないようにしたのである。でなければ、どこかの学校で歌うたびに著作料を払わなければならなくなって大変なのである。

 「荒城の月」などは作曲者が滝廉太郎とわかっているではないかというが、当時だって不詳にしていたものの、誰の作曲家はわかっていた。今でこそ堂々と表記しているのは、著作権が切れたからに違いない。

 ちなみに文部省唱歌と童謡は違うものである。文部省唱歌のような子供のための歌を聞き、民間の人たちも子供の歌を作るようになった。それを文部省唱歌と区別して童謡と呼ぶ。こちらは作詞者も作曲家も不詳とはなっていない。

 日本の国歌である「君が代」は、僕は天皇を讃える歌だと思っていたが、この歌詞が天皇を讃えるためのものだとしたら、実は不敬罪に問われるくらい失礼な歌詞なのである。

 天皇を讃えるなら、「君が代」ではなく、「大君が御代」としなければ、タメ口をきいていることになるのである。「君」は天皇を指す言葉でなく、私ではない第三者を呼ぶ言葉である。つまりこの歌は、みんなの長生きを祈る歌なのである。

 どうして天皇を讃える歌だと勘違いしていたのかと言うと、太平洋戦争の時、当時の軍部によってそういうふうに間違って宣伝されたためで、いまだにその誤解が一部にあるというのが真相のようだ。

 学校の先生の中には、卒業式の時に「君が代」を歌わないというポリシーを持っている人もいるようだが、すべての人の健康を祝すという意味では、実に民主的な歌なのである、と言ってもいいようだ。

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