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私の戦争体験 ①

2008年09月08日 09時18分19秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
私の大先輩のAさん、今年80歳。
戦争に負けて中国東北部から日本に帰ってくるまでの
出来事を書かれた原稿をいただきました。
少し長いので、数回にわたって連載します。 落石

題して「中国に侵略して築いた国(満州)の崩壊を逃れて」です。

   

これは私だけの体験で、私が感じたことです。
日本本土に居られた多くの戦争被害体験と違い、
日本が他国(中国)に侵略して築いた満州国での敗戦体験です。
他国(中国)に侵略した占領国の民間人ですから、
巻き込まれた苦難は大変なものでした。
なにせ日本国同様に信じていた国(満州国)が無くなり、
主人公から中国に侵略した加害者と言う犯罪人に転落したのですから。
私の家族は、父母と子供4人(男2女2)の6人が3人となりました。
末弟は終戦直前、奉天(瀋陽)で貧困な医療のため7歳で病死しました。
次妹は引き上げ途中発病して、上陸した博多の病院に収容されましたが
博多からの引き揚げ病院列車は東京までしか無く、
故郷の山形まで行けず、やむなく東京で下車し、
東京国立大蔵病院に入院しました。
しかし栄養失調による結核で死亡しました。15歳でした。

父は、村の日本軍守備隊のソ連軍の武装解除の混乱の中で、
暴漢に頭部をスコップで殴打されて、金歯を略奪されました。
それがもとで、病身から再起できず、昭和23年(1948)
やっと念願の山形市の生家に辿きましたが、
安心したのか、間もなく亡くなりました。

私達一家は、敗戦を機に起きた蒋介石国民党軍と
毛沢東中国共産党軍の中国内戦に巻き込まれ、
毛沢東軍の野戦病院の看護婦に妹2人が拉致されました。
それを、兄妹3人が力を合わせて父母の元に戻ることが出来たのは、
思えば奇跡でした。
中国人から面白半分の小銃の的にされたり、
身代金目当ての拉致にも遭いました。
思い返せば、私が生きて今日あるのは不思議なくらいです。

                          続く


コメント (2)
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