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今日の政経記事から(寺島実郎、小沢一郎、「経済観測」氏)  文科系

2008年09月09日 14時43分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
新聞って面白いといつも、つくづく思う。だから、暇に任せて、隅から隅までのように読む。今日もたくさん面白い記事があったが、表記三つを要約してご紹介したい。4日の拙稿や、6日「自民総裁選に彼らの弱さも見よう」の焦点とそこに付けた僕のコメントがほとんど経済原稿であって、以下最初の二つはその記事の延長のようなものだ。現情勢はもちろんまー、誰が考えてみてもほとんどの事項が総て一つにつながっているということなのである。

毎日新聞の連載経済コラム・「経済観測」は短いけれど、時宜を得た、的確な内容のものも多いといつも感心している。今日は「好景気の定義が問題だ」と、前述6日の拙稿、コメントと全く同じ問題提起で始まって、目の前に二つの答えがあると続けていく。
「思うに米共和党の景気指標は株価である。『ウォール街に良いことは米国に良いこと』と信じ込んでいる」
「日本政府・日銀のモノサシは企業収益である。(中略、しかしながら、企業収益は一定上がってきたのに、大幅賃上げはできないと経営者たちが語るから、消費は沈滞したままだと、結んでいく)」
そして上記このいずれもが、庶民の景気定義・「ポケットのお金が増えて、欲しいものが列を作っている状態」からは程遠いと、批判する。分かりやすく、よくできた批判だと思う。

ついで「どうなる日本経済、首相退陣の波紋 その5回目」は日本総合研究所会長・寺島実郎氏のインタビューである。
「福田政権の経済政策の評価は?」という質問に、要約するとこう答えている。
二つの宿命的課題があった。サブプライム問題が起こした世界的な金融混乱が一つ目の課題だと答え、「国境を超えたマネーゲームや21世紀の資本主義社会で肥大化した金融部門をどう制御するかが問われたが、的確に立ち向かえなかった」と結ぶ。二つ目は洞爺湖サミットの議長国として対応が迫られた環境問題だ。これについては「方向付けはしたのではないか」と答えている。
最後の質問、「ポスト福田の自民党総裁選は経済政策が焦点です」には、こう答えている。「目先の対策で『景気重視派』『財政再建派』『上げ潮派』と騒ぐのは間違い。日本が戦後蓄積してきた資産をどう戦略的に使うか長期的な視点が欠けている。例えば、12年間もの超低金利政策の継続で日本からは1兆ドルものおカネが海外に流れ、世界的なカネ余りを助長しエネルギー・食料価格高騰を加速させた。反面、外資は日本の株式市場を支えているがこの問題をどう考えるのか。重要なことは目先のしょぼい議論ではなく、この国の経済・産業構造をどう変え、日本人が10年後、20年後、飯を食べていけるようにするかだ」
このとおりだと、僕も思う。

さて、最後が、昨日あった小沢代表の記者会見記事である。質疑応答記事は、かなり全面的な「官僚機構、全面改革」なのだが、ほぼ本気のものだと僕は読んだ。要約すればこんな内容である。
「自民党政権のトップが変わっても政治行政の実態は官僚機構にすべて握られ、言うがままだ」
「『財源がない』という議論は『役所が作っている予算にまったく手を付けずに新しい政策を実行した場合、財源をどこから持ってくるのか』という議論だ。役所にマインドコントロールされていると言わざるを得ない。(中略)きちんと精査すれば財源は十分にある」
そして、「省庁に100人以上の与党議員を配置するとしているが、その役割は」という質問に対する形で、極めて具体的にこう答えている。
「省庁に五つか六つの『局』があれば、1人で二つぐらいを担当し、その下に今で言う政務官を置く。英国では現実に行われている」

最後に一言。上に紹介した小沢会見記事に続けるかたちで、こんな小見出しの記事があった。「野党3党は共闘で一致」。そこで、共産党の志位委員長がこう答えている。
「政権交代を訴えているが、どこを変えるのか見えてこない。中身が問われる。(小沢氏には)政治の根本をどう変えるのかを示すことが求められている。(政策の)一致点での共闘に変更はない」
志位氏の言葉とは違って僕は、テロ特措法をなくすとか、道路特定財源一般予算化・暫定税率廃止とか、官僚機構の全面改革とかは「政治の根本をどう変えるのか」という問題だと考える。よって、小沢氏がその言葉を真剣で本気に追求していくことを通じて、志位氏が「一致点での共闘に変更はない」と語った3党共闘がしっかり進展していくようにと、僕は切に期待するものである。小沢氏にも、そして志位氏にも。
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「コメント」投稿についてのお知らせ。       管理人

2008年09月09日 09時09分09秒 | その他
    ★この画面しばらくトップに載せます。

★落石さんより「コメント」画面にある数字について、アドバイスがありました。
 至急お知らせします。活用ください。

************************************
 「コメント」の仕方について!!     落石

コメントを書いて投稿しようとすると

 下のほうに4桁の数字があって、
「数字を打ち込んでから投稿ボタンをクリックして下さい、」とあります。

★ この数字を入力する場合は、日本語変換ではなく
 英語変換(半角変換)にして入力して下さい。
 そうしないと、何度コメントしても投稿できません。

☆ このシステムは、エロサイトなどの自動コメントシステム排除の手段のようで す。

    
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私の戦争体験②

2008年09月09日 08時43分05秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
Aさんの戦争体験の続きです。 (落石)

私は昭和3年(1928年)生まれです。
小さい時、確か、昭和8年(1933年)に一家は
満州国(中国東北部)に渡りました。
私は、そこで、幼稚園・小学校・中学校に通い、終戦(敗戦)を迎えました。
当時満17歳になったばかりでした。

それまでは、日本が中国に侵略したなぞ思いもよらぬことでした。
ただ満州国があり、そこで生活している感覚でした。
内地(日本)外地(満州)の違いがあるくらいの気持ちでした。
しかし、五族協和を謳う満州国でありながら、
日本人の中国人蔑視と中国人への暴行の数々を目にして、
かねがね腑に落ちぬ思いをしていました。
中学校の同級生の中に日本軍高官の子息が居り、
端端に中国人に対する日本軍の暴行を伺わせる話題がありましたが、
気に留めない毎日でした。

住んでいた奉天(瀋陽)はB29の空襲が激しくなったため、
敗戦直前の春ごろ、そこから朝鮮側に(推定100km位)
遠く離れた連山関に疎開していました。
小学校夏季休暇休養地にされていた田舎の平和な小さな山村です。
そこには日本軍の守備隊があり、
若い男子軍属が航空機部品を製造していました。

ソ連軍が一方的に侵攻してきた様子は新聞で知っても
他人事の様な平和な日々でしたが、
続々と日本軍の家族を満載した避難列車が朝鮮半島へ続く有様には、
ただならぬ気配を感じました。
しかし、その時は、その後に続く大混乱までは予想がつきませんでした。


8月15日の敗戦を迎えました。

主権は日本から中国に移りましたが、山の中の小さな山村なので
暫くは平和な日々でした。
ある日、ソ連軍のトラックと毛沢東軍が日本軍守備隊の
武装解除に来て大混乱になりました。
ソ連兵の婦女暴行、腕時計をのみ狙った略奪
(ソ連は貧しく腕時計一つで一生暮らせる)、
武装解除部隊に同行してきた中国人暴徒達の略奪、
地域中国人を対象とした共産主義の思想裁判、
私達日本人は息を潜めて嵐が過ぎ去るのを待つばかりでした。

略奪を受けた日本人は日本占領軍の力を盾に地元中国人から
鉄道建設の枕木資材を悪辣な手段で、ただ同然で
手に入れて巨利を得た人とのことでした。

その混乱の中で私は小銃の近距離狙撃を受けました。
鉄道の向こうで、日本人の若者が数人、銃声に追われて
こちらに逃げてくる有様を見ていた時、すぐで銃声が。
驚いてその方向を見ると、そばの人に振り払い揚げられた
小銃を持った中国人がいました。
どこを狙ってと見回しても、私しか居ません。
良識ある中国人に私は命を助けられたのです。

日本軍の武装解除による銃を渡された中国人が
面白半部に私を撃ったのでしょう。
武器を持つと人間が変わることを心から思い知らされた事件でした。
尚、この騒動で腹部に銃弾を受けた若い軍属の人が
手当の方法も無く亡くなりました。
村にある日本軍守備隊の幾許かの人たちが
ソ連に捕虜として連行されて去り、また平和な日になりました。
その人達がシベリアに送られるなど思ってもいませんでした。
多くの守備隊兵と軍属は、日本人住民の中に民間人として逃げ込みました。
その後、束の間の平和でしたが、村を取り巻く情勢は
北約十数km先に蒋介石国民党軍と毛沢東中国共産党軍との
戦線があり遠く砲声が聞こえる戦線後方地帯でした。
然し治安は驚くほど良い状態でした。
後で体験した蒋介石国民党軍とは比べようにもなく
毛沢東中国共産党八路軍は軍規厳正な軍隊でした。
婦女暴行はしない。略奪はしない。勇敢な世界一の軍隊であったと、
私は日本に帰って始めて或る資料で知ったことでした。

                        続く




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衆議院解散・総選挙の時期は? 10月上旬?         ネット虫

2008年09月09日 07時36分38秒 | 国内政治・経済・社会問題
(2008年9月6日03時05分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080906-OYT1T00019.htm

 政局の最大の焦点である衆院解散・総選挙について、24日召集予定の臨時国
会で新首相の所信表明演説と各党代表質問を行った直後の10月上旬に衆院を解散する方向で、自民党が公明党と調整に入ったことが5日、明らかになった。

 麻生太郎幹事長ら5人以上で争われることになった自民党総裁選の余勢を駆っ て選挙戦に臨むほうが有利と判断したとみられる。自公両党は「10月28日公示、11月9日投開票」を軸に選挙準備を加速させる方針だ。
 最終的な決断は総裁選で選任される新総裁(首相)によって行われるが、複数 の与党幹部によると、9月29日に新首相が所信表明演説を行い、これに対する衆参両院での各党代表質問を10月1日から3日間の日程で行った直後、3日か6日のいずれかに衆院を解散する案を検討している。

 公明党には「新内閣の支持率が最も高いタイミングでの選挙が望ましい」として臨時国会冒頭の解散論も根強い。これに対し、自民党側は「1996年10月の衆院選で、所信表明演説と各党代表質問をせずに解散したところ、論戦を避 けたとの批判が出た」との理由で難色を示し、代表質問後の10月上旬解散案が有力となったものだ。

自民党は、岩手1区など公認候補が決まっていない六つの「空白区」の候補者 選考を党本部主導で進める方針だ。年末年始の解散を想定していた公明党と支持団体の創価学会も、衆院選の準備を前倒しで始めた。

衆院選の投開票日は、公示までに必要な準備期間を考慮すると、10月26日 11月2日、9日のいずれかとみられる。このうち、2日は「土曜日を含め3連休の中日のため、選挙日を設定するのはなじまない」(自民党幹部)との判断から除外する方向だ。

★いよいよ自民党を与党の座から追い落とし、政権交代を実現する日が近づいていますね。

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