松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

まだまだ、花見。

2016-04-30 16:57:31 | 日記・エッセイ・コラム

 近所では一番遅いだろうと考えて、小友舘の桜を見に行きました。

 

 距離的には直線で7km弱ですが、難点がいくつかあります。まず杉林の間を進みます。花粉に弱い方にはつらいでしょう。結構な池をぐるり一回りして、上がって行きます。

 なんたって昔の山城ですから。舗装はしてると言っても、万が一踏み外すと下まで転げ落ちます。

 そんな場所に車が5~6台。山菜取りのようです。徐行しながら物色している車が前にいて、こちらに気が付きません。すれ違える場所は多くありません。

 たまたま去年も同じ日に来ていて、ほぼ満開でした。ことしは遅いようです。桜の木ばかり見ていると、スミレを踏んづけていることに気が付きました。というか、そうでないと歩けない状態に花が咲いています。

 遠くに、セリオンの塔と向浜の工場群の煙が良く見えました。

 セリオンリスタでは、きのうから自販機が復活したそうですね。

 私の興味は男鹿と角館に傾いています。混んでいるのは嫌だから。



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アナザー・ストーリーズ「映画〝エマニエル夫人″官能か?ワイセツか?

2016-04-29 15:31:43 | 日記・エッセイ・コラム

 40代以上の人で、日本で「エマニエル夫人」を知らない人はいないでしょう。興業収入でゴッドファーザーⅡと007を2倍近く離して、15億6千万を稼いだ名作です。名作?そう。ヒットするからには理由があるのです。

 当時街角のポスターに女性の裸が貼られるなんて、あり得なかった時代です。それなのに映画館の前に並んだのは、若い女性。女性が堂々と見られるポルノ映画。それが「エマニエル夫人」だったのです。

 映像はあくまで美しく、自然光の逆光で捉えた官能的なショットが多く使われ、原作のイメージだけを伝えるよう工夫されました。

 視点の1はプロデューサーのイヴ・ルーセ=ルアール。CM制作が専門だった彼は飛行機の機内で恋人がじゃれ合うシーンを思い浮かべました。それが発端です。こういうのを人々は見たいんじゃないか。同じく映画製作の経験はないが、女性の美しさを見抜く目なら自信のあったカメラマン、ジュスト・ジャガン。そしてオーディションで見つけた、オランダ出身のシルビア・クリステル。原作ではグラマーなアジア人だったのが、女性が見て美しいと思う、細身だがぜい肉の無い裸体。全編を通じて女性目線のソフトなタッチを決めた撮影監督リシャール・スズキ。

 こうやって目指す映画は完成しましたが、当時の大統領は超保守派で有名なポンピドー。上映は禁止する。政治家たちには単なるポルノにしか映りませんでした。1974年5月。若いジスカール・デスタン大統領が就任すると状況は一変しました。表現の自由を訴え、検閲を廃止すると発表しました。ぎりぎり夏のバカンス前の6月、公開が許可されました。この論争があったおかげで、人々は映画館に足を運びました。インテリ批評家たちの、くだらない映画だとの論評もなんのその。1年間で400万人以上の観客動員を達成しました。

 しかし日本ではこれは流行らないだろうと、映画関係者の誰もが考えていました。ただ一人、博打好きの宣伝マン山下健一郎だけは違いました。フランスで公開された時のポスターは、なんとも地味な絵でした。

 これを例の籐椅子の大胆な裸に変えたのが彼です。この写真は著名な写真家によるもので、当時100万円したそうです。フィルムの貸付料が同じく100万円でしたから、いかに無謀なチャレンジだったか分かろうというものです。しかしご存じのとおり、この椅子のインパクトは絶大で、おかげで日本では女性まで含めて関心を呼びました。

 シルビア・クリステルは1952年生まれで、だいたい私と同じ年代です。彼女は晩年ガンを患い、脳卒中で2012年他界しました。あのヒットのあと、ハリウッドに移り何本か主演したようですが、鳴かず飛ばずの成績でした。元々女優の素質は無かったのです。フランス語も流暢に話せない彼女を、吹き替えを使ってまで仕上げたエマニエル夫人こそ、彼女の成長過程そのものであり、しかしそれは彼女自身の私生活とはかけ離れたものでした。亡くなる数年前、一般人に混じって地下鉄に乗る彼女には、スターの面影はありませんでした。

 最後の4年を過ごしたアムステルダムのボート小屋。介護施設で働くピーターと一緒でした。「いつもここに座って、絵を描いていたよ。」

 彼女が生きた2つの人生。捨てたかったのは、どちらの人生だったのか。

 親に捨てられ、長女として生活のために選んだ女優の道。片やCM広告収入では生計が立てられず、一発逆転を狙ったプロデューサー。案外そんなところから、映画のストーリーは始まったりするものです。

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和時計よ、がんばれ。

2016-04-28 16:22:04 | 日記・エッセイ・コラム

 豪州がフランスと潜水艦建造に合意したことは、日本のセールスにとって残念なことではありますが、そうりゅう型潜水艦のトップシークレットの技術が、豪州を通して漏れなかったことは、喜ぶべきことだと思います。日本戦略研究フォーラムの考え方は正しいと思います。

 去年の冬、和時計の動きが鈍くなってきて、くしの歯のような天符が往復するのをやめ、止まるようになりました。暖房のない部屋に置いたため、冷えてのことだろうと思い、おもりを外して休ませました。

 それから5か月近く。だいぶ暖かくなったので、さて動いてみよと、おもりを吊り下げました。何往復かすると止まります。では油の出番だろうと付属の油を、つまようじで注しました。

 何か所かポイントがあって、あと解体しないで見える範囲に与えます。この波型が向かい合ったような歯車を「ガンギ車」といって、最も重要な場所です。「カッチ・コッチ」という音がここから生まれます。

 そしたら随分動きが速くなって、一晩でおもりが地面に着いてしまいました。これは前より速ええわ。おもりを軽くしてもいいみたい。

 もう季節に合わせて調整するのはやめました。ただ動いてさえ、いてくれたらそれでいいです。

 自分で墨を入れた真鍮の彫金装飾が、今でも美しいです。文字盤も墨入れしました。

 1年以上かけて組み立てたものが、無事動いて、それから3年経って、4年目に入りました。いつまで動いてくれるか、私が先か、こいつが先か、行く末が楽しみです。

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「軒の山吹」

2016-04-27 15:53:28 | 日記・エッセイ・コラム

 江戸時代の紀行家、菅江真澄が残した日記によりますと、金足地区には3月24日に山吹の花を軒に葺く習わしがあり、その由来は定かではないが、風流である、と書かれています。

 文化8年(1811年)の3月中旬から6月4日にかけて、金足から下新城、男鹿、潟上、五城目を歩いて記した紀行文(絵日記)には「軒の山吹」というタイトルがついているらしいです。

 このことは、我々の年代は知りませんし、軒に山吹を吊るしている家庭を見たこともありません。旧暦で3月24日と言っても、今頃の季節はちょうど田畑が忙しくなる時期で、それどころではないのかも知れません。そのことを考えると、むしろ昔の人の方が余裕があったし、風流を解した人が多かったのかも知れません。

 そういう風に、祖先が代々伝えてきた行事が途絶えてしまう事は、残念に思います。かといって例えば我が家で十五夜に月見をするかと言えば、親の代では行っていた、お膳に供え物をそろえて縁側に置く習慣は、私の代で廃れてしまいました。ご先祖に申し訳ない、アーメン。

 秋田県立博物館の分館である旧奈良家住宅には、毎年その習わしが復元されていて、立派なパンフレットも用意されています。

 つい最近、博物館にダイオウイカが展示されていて、皆さんバシャバシャ写真を撮っていたので、もしや解禁になったのかと一応住宅の中にいた職員に聞いたところ、やっぱり何かに載せるための撮影は、めんどくさいようです。ですので、外から堂々と撮りました。

 この上手中門から見た、一番奥の部屋が菅江真澄と佐竹義和(よしまさ)公が会談した上座敷で、そのことを司馬遼太郎が「秋田県散歩」の中で書いています。「頭巾のままでよろしいでしょうか」と真澄が言ったらしいです。この奈良家に同級生がいて、小学校時代遊びに行ったことが、私の定番の自慢です。

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大潟村菜の花ロード

2016-04-26 17:25:08 | 日記・エッセイ・コラム

 妻が昨日から大潟村に花見に行きたいと言っていたので、一緒に行きました。長い長い菜の花ロードは、平均30~40km前後でゆっくり進み、平日というのに結構車を止めてシートを広げたり写真を撮ったりする人がいました。これが休日なら渋滞して、駐車スペースもままならなかったでしょう。

 「道の駅おおがた」は、また広くなって、駐車場も拡張して、どこから来たのか買い物客で一杯でした。屋台の「男鹿しょっつる焼きそば」とスモークした鳥ももとプリンを買って、「南の池公園」で食べることに。

 ところが風が意外に冷たく、車の中で食べて、散策だけします。

 おばさんが二人、うまいこと風をよけて横になっています。「コーヒー飲んでいげ」「えーっ、まんず、いっス」

 潟のネコを見たいと言うので、堤防に上がって見ました。この前の犬とおじさんがいて、網を直していました。子猫が3匹、怖がるでもなく、寄ってくるでもなく、日向ぼっこに専念していて、顔だけこっちに向けるのでした。

 ネコ用の缶詰は1個常に車に入っているのですが、開けるものがなくて、あげていれば懐いたかも知れません。でもあのおじさんがいるからなあ。

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