松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

テレパシーの出来る家

2022-05-31 17:56:28 | 日記・エッセイ・コラム
 日本が誇るスパコン「富岳」が、計算速度を競う部門で1位の座を明け渡した。アメリカの「フロンティア」が2.5倍速かったそうだ。人工知能(AI)の開発でよく使う計算の指標「HPL-AI」も2位だった。

 しょうがないよな。追われる立場ださかい。でも他の2部門では、相変わらずトップを維持した。それは、物理現象をシミュレーションする際の処理性能を測る「HPCG」と、ビッグデータの解析性能を示す「Graph500」。 こっちも大事でしょ。実戦で使えるってことだから。2年半、存在感を示している「富岳」は、さすがだと思う。

 とんねるずの木梨憲武が早寝でビックリした。18時にご飯食べたら、19時半には寝てるそうだ。それで朝は2時半から3時起き。睡眠は充分。
 負けたワ。オレも今日、3時に目を覚まして、こっそりパソコンのスイッチを入れたら、サスケがすかさず入って来た。アイツ、テレパシー出来るんじゃないか。油断もスキもあったもんじゃない。とりあえずは、外に出しておいて、新聞が来るのを待った。

 妻とは、トイレを催すタイミングが一緒で、大変カラダに悪い。だから一度、フェイントを掛けておいて、先に済ませたのを見てから入る。
 1才の孫は、母親以外はオレに一番懐いている。多分、テレパシーのせいだ。オレは話し掛けながら同時に頭の中で、その「イメージ」を送っている。
 我が家は、テレパシーで、成り立っている。

 テレパシーは隠し事が出来ない。おそらく縄文人もテレパシーを使っていたに違いない。言葉と文字が必要なかった。だから争いも起きなかった。
 これは「恋愛」に関しては便利だろうねえ。告白の必要がないからね。女性は浮気にも、寛容だったんじゃないかな。「男ってやつは全く。しょうがない生き物だな。」ぐらいに、思っていたかも。
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アカシアの天ぷらの季節

2022-05-29 16:56:11 | 日記・エッセイ・コラム
 「17才の帝国」を、見るともなしに凝視しているんですが。
 一番困っているのが、音声信号のダイナミック・レンジが広すぎる事。
 小さい会話を聞こうとボリュームを上げると、バックの音楽がすごい重低音をボンボン響かせて耳が痛い。あれは低周波障害の部類に当たる。ゴーッという波動が鼓膜を震わせて、難聴になりそうです。誰か、助けて~。スピーカーで聴いているオレが悪いのか。

 マリウポリの港湾を支配したロシアが、金属資源を奪って、本国に送ろうと港の復旧工事をしているそうだ。その金属の価値が200億円だという。
 映像で見たが、薄くした鉄板を、トイレットペーパーのように巻いた製品が所狭しと置かれていた。ニュースでは、それ以上のことは言わない。なぜあの鉄板のように見えるモノが、そんなに高額なのか。疑問を持たなかったのだろうか。
 金銀等貴金属が大量に含まれているのか。レアメタルが入っているのか。鉄だけじゃ、そんな金額にならんだろ。取材した人は、そのことに気が付かなかったのだろうか。不思議だ。

 この土日は「東北キズナ祭り」が秋田市で開催されているんだけど。行かない。なーぜか。天気も悪かったし、我が家も行事があった。残念。
 最低、ブルーインパルスの曲芸飛行を見たかったんだけど、前日金曜のリハーサルの日も雨だったし。チャンスを逃してしまった。

 今、道の両側でニセアカシアが盛りだ。別名ハリエンジュ(針槐)。見ると花を採取したくてたまらない。天ぷらにして食うためだ。しかし一番好きな娘は、1才の息子を抱えて仕事だから、それどころでない。
 今年は食えないかな。無限に存在するんだが。もったいないこった。
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火野正平の「こころ旅」が続く理由

2022-05-27 08:17:17 | 日記・エッセイ・コラム
 NHKの「こころ旅」は、2011年に始まった。えっ、あの震災の年から。 
この番組は、固定ファンも多いらしいが、良く続いていると思う。なぜだろう。ただダラダラと、割とどこにでもありそうな田舎道を、チャリオと共に走る姿を見せられる。主役の正平ちゃんは、俳優としても歌手としても、大した実績があるわけでもない。強いて言えば、NHKのドラマには、端役でちょいちょい出さしてもらっている。

 庶民の代表みたいな、若い子好きの冴えないおっちゃんが、結構行く先々でモテるんですよね。畑仕事のおばちゃんから「あら、見たことある。火野正平さん?」すると「良く言われるんですよ」と、とぼける。
 あっ、そうか。忙しい俳優さんには無理だ。スケジュールが空いてないと。

 で、暇な時(いつも暇で~す)NHKのBSプレミアムを見ていると、「トラムの旅」いうのが流れている。ヨーロッパを行く路面電車から沿線の見どころを含めて紹介する番組で。
 あれを見ていると、今は北部の寒そうな風景が続くのだが。街並みがちっとも面白くない。大きな建物が、両側に続くだけの景色が流れる。あれを見て思った。やっぱり日本の風景の方が落ち着く。同じ都会でも、日本はこちゃこちゃしている。統一の取れていない建物群に、カラフルな看板がびっしり。郊外に行けば、箱庭のような景色が、どこに行っても見られる。

 最近のオレは、「こころ旅」をガイジンの目で見ていることに気が付いた。そうなのよ。日本は、どこへ行っても自然が豊かで、ありふれた景色があるのよ。それはまるで箱庭のように安心する風景だ。しかしそれでも場所によって少しずつ違う。
 自転車の速度でなければ、気が付かないような、何か異変があればすぐに止まって近づけるようなスピードだからいいのよ。居ながらにして日本各地の匂いを嗅いで回っているような。そういう感覚がいいのよ。

 してまた投稿者のエピソードによって、その人の話を聞いてあげているような。感情を共有することが出来る。
 良く出来た番組だと思う。この頃、少し老化の進んだ正平ちゃんは、坂道が辛そうに見える。マイクロバスが用意してあると、あきらめが早く、素直に従うようになった。なるべく下り坂の多いルートにしてあげて頂戴。

 あの「こころ旅」の風景が、実は日本の代表的な風景ではないかと思う。そこに「ガイジン」のオレとしては憧れる。

 日本って、いいなあ。

 奇跡的に、いいなあ。
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「ねむの丘」で食べる250円のソフトクリーム

2022-05-25 18:46:24 | 日記・エッセイ・コラム
 象潟道の駅「ねむの丘」のソフトクリームはイチジクソフトが美味しいらしい。ここのは花立牧場のジャージー牛乳を使用している。360円。

 でも、私が行くのは4F展望温泉の前にある軽食コーナーで買える、250円のソフトクリームだ。これも向かいの高原のジャージー牛だが、土田牧場直送だと聞いた。

 義母は売り場の人と馴染みなので、ちょっと恥ずかしい。まずはエレベーターから出ると、靴を脱がないといけない。ここで風呂に入らず、右手を見ると軽食コーナーがある。

 前はメニューに軽食があったらしいが、今はコーヒーとソフトぐらいしかない。そのソフトは、値段の割にすごーく美味しい。盛り方もずっしりと重い。

 これをもらって、広い畳敷のテーブルを確保する。義母が座っていいか一応訊ねたので、空いている場合だけかも知れない。ただこれだけ広いと、宴会でもない限り座れる。

 あ~。風呂に入らなくても、心が休まる。なにしろ景色が最高にいい。この日は鳥海山が姿を隠していたが、九十九島がポツンポツンと眺められる。山に続く高原は左右に数十キロに亘って見えるので、はるか昔の「山体崩壊」をしのぶことが出来る。

 この台地を仁賀保の人は仁賀保高原と呼び、本荘の人は由利原高原といい、矢島方面では鳥海高原と呼ぶ。そのくらい町村をまたいで、本荘の手前まで広がる。

 「鳥海山・飛島ジオパーク」ですよ。

 私は常に地元民と一緒なので、これしか食ったことがない。そろそろイチジク味を試してみたいと思う。それだって360円なら安いもんだ。デフレって、いいなあ。
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マンタラメ植物園のシャクナゲ

2022-05-24 18:40:00 | 日記・エッセイ・コラム
 秋田市仁別字マンタラメに秋田市植物園がある。年に数回はお邪魔している。またシャクナゲの大株を目当てに行ってみた。

 まず駐車場から大木の間の芝生を超えるのだが。地面は無数の花に覆われて、足を置くのがもったいない。出来るだけまばらな場所を選んで進む。

 すると義母がハンカチの木を見つけた。見事なハンカチが新緑の葉と共にぶら下がっている。義母は落ちているハンカチを拾い始めた。

 ちょうど令和高校の生徒たちが戻って来た。いつぞやも遭遇したな。生徒たちは管理棟に入って、先生の話を聞き始めた。ここでトイレに行きたければ、話の間を割って進まないといけない。家から35分くらいだから、まだ大丈夫。

 レンゲツツジやシャクナゲを鑑賞しているうちに、生徒たちは再び奥の方へ進み始めた。本日はお日柄も良く、ナメクジに邪魔されずに行ったようだ。

 彼らの居なくなった管理棟は、ことのほか静かに感じられた。そう言えば車から降りるなり、ウグイスの歓迎を受けたのだった。その声は森に木霊し、大平山の奥行を教えてくれる。

 僕らはトイレを済ませた後、パンフレットを眺めながら、腰を上げることが出来なかった。普通はいつ来ても、この静寂が迎えてくれるはずだ。

 トイレが和式だと妻が文句を言った。いつも来てるじゃないか、いまさら。その変わり、カメムシに気が付かなかった。床や窓に結構居たのに。

 帰りがけ、和洋女子高校と書かれたバスと、うちの車の間に女子の二人連れが駐車してやってくる。年の頃が全く分からない。腰は曲がってない。マスクに帽子に完全山歩きの恰好をしてすれ違った。
 これから登るんだろうか。
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