松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

こんな教師がいたら良かったのに

2013-02-08 03:29:18 | 受験・学校

勉強が好きになるのに教師の教え方による影響は大きい。まずは歴史。

日本史も世界史もまったくおもしろくなかった。当たり前だ。年号と事実の暗記

それしかなかった。卒業してだいぶして、というか今、歴史とは人間が作ったものだ

ということに気がついた。ひとりひとりの人間の物語が歴史だったのだ。

当時の人間がまわりの状況の中で、何を考え、なにをしようとしたのか。

そのつながりで、芋づる式に、関連した事実を教えてくれたら。歴史は自分の中で

つながっていたのに。

数学が論理を教える学問だと分かったのも最近だ。すじみち立てて順序よく

思考を積み重ねていって、最後に必ず答えにたどり着く。それが数学の醍醐味

だったのだ。

国語に至っては灯台もと暗しだった。竹取物語を今では古典のまま読んで

何となく意味が分かるところがある。それもそのはず、京の都を中心に同心円状に

広がったのが昔の言葉だったからだ。いなかにはその名残がある。方言の中に

京言葉が混じっていたのだ。

英語に関しては今の人は気の毒だ。僕らにはビートルズがいた。サイモンと

ガーファンクル。新しい音楽とは洋楽のことだった。しかも分かりやすい

イギリス英語が多かった。あこがれの曲を歌いたくて何度も聞き歌詞を見て

真似して覚えた。

ぼくはゆとり教育が間違っていたとは思わない。少なくともその発想は

間違っていなかったと思う。文科省も教師も意図を理解できなかったのだと

思う。まず興味を持って、自分から学んでいく気持ちがあれば

きっと違う結果が出ていたかも知れないと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする