勉強が好きになるのに教師の教え方による影響は大きい。まずは歴史。
日本史も世界史もまったくおもしろくなかった。当たり前だ。年号と事実の暗記
それしかなかった。卒業してだいぶして、というか今、歴史とは人間が作ったものだ
ということに気がついた。ひとりひとりの人間の物語が歴史だったのだ。
当時の人間がまわりの状況の中で、何を考え、なにをしようとしたのか。
そのつながりで、芋づる式に、関連した事実を教えてくれたら。歴史は自分の中で
つながっていたのに。
数学が論理を教える学問だと分かったのも最近だ。すじみち立てて順序よく
思考を積み重ねていって、最後に必ず答えにたどり着く。それが数学の醍醐味
だったのだ。
国語に至っては灯台もと暗しだった。竹取物語を今では古典のまま読んで
何となく意味が分かるところがある。それもそのはず、京の都を中心に同心円状に
広がったのが昔の言葉だったからだ。いなかにはその名残がある。方言の中に
京言葉が混じっていたのだ。
英語に関しては今の人は気の毒だ。僕らにはビートルズがいた。サイモンと
ガーファンクル。新しい音楽とは洋楽のことだった。しかも分かりやすい
イギリス英語が多かった。あこがれの曲を歌いたくて何度も聞き歌詞を見て
真似して覚えた。
ぼくはゆとり教育が間違っていたとは思わない。少なくともその発想は
間違っていなかったと思う。文科省も教師も意図を理解できなかったのだと
思う。まず興味を持って、自分から学んでいく気持ちがあれば
きっと違う結果が出ていたかも知れないと思う。