松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

飛騨の匠(たくみ)作、大曲古四王神社。

2014-11-23 17:33:11 | まち歩き

 その社(やしろ)は、大型ショッピングモールのあるバイパスから、田んぼに向かって360mの場所にあった。

 戦乱に明け暮れた室町末期、信長の台頭してきた1570年建立。飛騨から来た工匠が建てたと、伝えられる。

 このプロポーション。2.5m四方の母屋に対して、大きすぎる屋根。そして特徴的な、2本の並行線が交わった、襷桟(たすきざん)。

 普通のプロポーションでも、屋根の反り返りを維持するために、かなりの複雑な軒の組み物を必要とする。これは一種の「てこの原理」だ。支点、力点、作用点。見えない内側に軒の垂木(たるき)を支える秘密がある。しかしこれは完全にやり過ぎ。匠中の匠(たくみ)だからこその成せるワザだ。

 昔、京の都にプロの集団がいた。「飛騨の匠」と呼ばれた。それが昭和5年、古四王神社の解体修理で、墨書きの名前が出てきた。それは「古川村、甚兵衛」と読めた。岐阜の方でも語り継がれる名工がいた。古川村の五社神社を建てた匠は、請われて越後へ行き、さらに出羽の国へ入った。ここで1本の線が繋がったが、名前を特定するまでは至らなかった。

 そして今、古川町に屋号が「甚兵衛」と言われる家が1軒存在する。今は途絶えたが、昭和20年に戦死した甚兵衛さんまでは、代々甚兵衛を名乗る匠であったことが分かった。やはり飛騨の匠の中の匠は秋田に来ていた。

 建築家にして建築史家の伊藤忠太(1867~1954)という人物がいる。彼はこの神社を見て次のように言った。「手法、放縦、磊落、端倪スベカラズ。実に奇中の奇、珍中の珍ト称スベキナリ」まあ現代語に訳すと、自由奔放、想像を超えていて・・・というところでしょう。この番組の案内役が壇蜜で、だから行ったのですが、檀蜜はおらず代わりに私のような珍品好きがチラホラ途絶えることなく見学に見えていました。

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クロマンタに登る。

2014-11-22 07:39:51 | まち歩き

 黒又山をナビに登録するのは容易でないから、ストーンサークルを目印にする。

同じ道路上にあるし、距離も3km弱と近い。

 この組石は私には日時計にしか見えない。ちなみに今12時。

   

 これと同じ石が、黒又山頂上の神社の礎石に使われている。

 鳥居をくぐって、参道を登る。脇に4~5台駐車できる空地がある。

杉の木立の中に、立派な松が時折あるのだが、この松は、杉に対抗するかの

ように、まっすぐに伸びている。

 足元の緑がかった石を丹念に見ながら登る。何かの意味が込められていないか

考える。この山は、日本環太平洋学会の調査を22年前に受けていて、ピラミッドとして

認定されている。その根拠はいろいろあるが、斜面の一部を切り開いて行った

地中レーダー探査の結果、テラス(階段)状構造が認められた。つまり人工的に

8段ほどのピラミッドに成型されたと考えられる。このタイプは中南米によく見られる。

 若い木々の多い、探査に使われたと思われる斜面。山の傾斜が良く分かる。

 山頂に鎮座する本宮神社。この礎石に使われた石が、ストーンサークルと

形も大きさも質も、同じものだ。そして中の「かまど」も同じ石で組まれている。

この地面も地中探査の結果、何層ものサークルがあることが分かった。

つまり、山頂に存在したストーンサークルの石が、神社建立の際、使用された

可能性がある。そして驚くべきことに、地下15~20センチ表層を剥ぐと、縄文土器

が現れた。ほとんど続縄文期のものだったが、中には縄文晩期のものがあった。

これは4000年前に既に造られていたことを意味する。少なくともその頃から

何かが行われていたことは、間違いない。

 その他、GPSで東西南北に正確に神社が配置されていることとか、線刻石が

見つかったこととか、謎は多い。中でも頂上から吹き出すように見える何らかの

発光現象は、鳥谷幡山が書いた絵でも注目された。本人がわざわざ「突如、光芒が

山頂に現れる」と注釈を付けている。また、同じものを調査隊のメンバーも目撃

している。

 私には、神社の屋根が「キャップストーン」に見えて仕方がない。

この聖地から、何らの変わった啓示は受けなかったが、

いつもは、長距離を走ったあとに、腰に来るのが、

きのうに限っては、なかった。

 

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東日本最大級、脇本城址。

2014-11-07 07:05:30 | まち歩き

 OCNから誘導されて、gooブログに20名くらい参加されたようですね。

良かったです。ずっと心細かったです。2か月のブランクを思い切り

解消して下さい。右上に窓が二つあって、このブログ内で「SOHO」とかUFOとか

入力すると、関連した記事が出て来ます。私は忘れっぽいので、よく活用しています。

日付が分かれば、カレンダーでも検索できます。

 小笠原の中国漁船には、頭に来ます。日本人は北海道沖の悪夢を忘れていません。

自分の領海内で操業しているのに、銃撃され、拿捕され、長い間帰れなかった漁師や

犠牲になった方もおります。ロシアに習えとは言いませんが、なぜ銃撃できないのか。

あれは中国の常套手段で、民兵なんです。今までの仕業から確実です。

ただの沿岸漁民が、魚探とソナー以外に、外洋を航海できる高価なGPSと

レーダーを装備できると思いますか。忸怩(じくじ)たる思いは、庶民も同じです。

ここで深呼吸しないと、頭から湯気が出そうです。スー・ハー、スー・ハー。

 さて、

男鹿の友人からアサガオの鉢を回収に行った帰り、海の色が見事にきれいだった

ので、てっぺんからの景色を思い出し脇本城へ登りました。高低差100m。

きつかったです。階段を国道脇から登って、気が付いたら横に道路がありました。

案内所まで車で来られるんですね。てっきり神社用かと思いました。

生鼻崎のトンネルは、必ず皆さん通るはずです。その上が中世の山城だということは

ご存じでしょうか。この上からは、海が200度くらいに見えます。北から入道崎を回って

入る船も、南の秋田方面から攻められても全部丸見えです。その上、この山自体が

広大で、天然の要塞になっています。

工事中の現場が見えますか。これです。

ここは城のうちの、「内館」と呼ばれるほんの一部です。

今の城主は、彼のようです。カメラを向けても動じません。レンズ交換の間、

待ってくれました。

こちらは、秋田方面です。もう1~2m行けたのですが、恐ろしくて踏み込めませんでした。

緑の水面が広がっていたのに残念です。高い所がお好きな方にはお勧めのスポットです。

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県道4号、湯の越から上岩川までの旅

2014-10-02 07:18:28 | まち歩き

最初に噴火で犠牲になった47人の方のご冥福をお祈りします。

私は魂の存在を信じているので、亡くなった方々は、「オレたちは、四十七士と呼ばれているぞ」

くらいに考えています。宗教は、今いる生きている家族を救えなければ、ある意味、

何の存在意義もありません。

いつも国道ニーパーゴを通っていて、入ったことのない県道4号線を探検しました。

五城目側からいうと、ここが始点になります。五城目道の駅を通過して、まもなく立派な

信号のある交差点が見えてきます。左折します。

太鼓橋があって、まわりの山は、さすがに杉だらけです。

ちっとも紅葉しそうもないし、今では持て余し気味の木材です。花粉症の元でもあるし。

ただ、湯の越というところは、いい温泉があります。海からさほど離れてないけど、硫黄泉が出ます。

一軒宿ですが、考えていたより集落の規模は広いです。内川小学校が4年前に廃校になったらしい

です。ほんの最近です。昔は賑やかだったろうと、しのばれます。

花の手入れも、行き届いて、桃源郷的雰囲気の集落です。

地図上で唐松神社を発見したので、探しにいきます。

上岩川は郵便局もあるし、しかもログハウス。ここの小学校も5年前に統合されて

今はないようです。でも住民の皆さんは頑張っているようです。

盛り上げようと、先に立つ人がいることを、教えてくれます。

そこここに、看板が立ち、注意を引きます。こういうところを、何とかしたいですね。

地元の人によると、唐松様にあったものは、40年程前に協和町の本宮に奉納されて

今は岩川神社があるのみでした。無数のトンボが、出迎えてくれました。

 

 

 

 

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キノコ採りでも自殺願望でもないが、山に惹かれる。

2014-09-24 06:34:42 | まち歩き

この頃、車で行ける範囲で、山に入って行き、何かを探している。それが何かは

分からない。けど、呼ばれている気がして仕方がない。たかだか600~700m級の

森なんだが。近づくほどに、畏敬の念が強くなる。強くなって、怖くなる。これが

山岳信仰の源泉なのかも知れない。きのう上新城の奥から戻って、市民生協の

前で、同級生に会った。お前、そんなことしてたら間違われるぞ、と言う。

何と間違われるかは、想像がつく。

でも、紅葉したら綺麗そうな場所は見つけた。川をさかのぼって行くと集落があって、

田んぼがある。まさかと思うところまで、集落がある。それは林道のすぐ手前に当たる。

自然乾燥の米を見ると、なぜかうれしい。これがオレのイメージする農村風景なのだろう。

一番山奥の田んぼに、家族連れがいて、3世代で稲刈りをしている。狭い農道を軽トラと

すれすれかわして進む。邪魔しているようで、申し訳ない。その家族は子供用自転車を

3台持ち込んで、嫁さんが娘たちの、割と暇そうな遊びを観察している。いい風景だった。

写真撮らしてもらうんだった。戻ったら変に思われるだろうと、やめた。

井川、上新城と行ったから、次は五城目と上小阿仁の萩形ダム方面から

攻めてみる。もし、戻らなかったら、その辺を捜索してください。

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