松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

「軒の山吹」

2016-04-27 15:53:28 | 日記・エッセイ・コラム

 江戸時代の紀行家、菅江真澄が残した日記によりますと、金足地区には3月24日に山吹の花を軒に葺く習わしがあり、その由来は定かではないが、風流である、と書かれています。

 文化8年(1811年)の3月中旬から6月4日にかけて、金足から下新城、男鹿、潟上、五城目を歩いて記した紀行文(絵日記)には「軒の山吹」というタイトルがついているらしいです。

 このことは、我々の年代は知りませんし、軒に山吹を吊るしている家庭を見たこともありません。旧暦で3月24日と言っても、今頃の季節はちょうど田畑が忙しくなる時期で、それどころではないのかも知れません。そのことを考えると、むしろ昔の人の方が余裕があったし、風流を解した人が多かったのかも知れません。

 そういう風に、祖先が代々伝えてきた行事が途絶えてしまう事は、残念に思います。かといって例えば我が家で十五夜に月見をするかと言えば、親の代では行っていた、お膳に供え物をそろえて縁側に置く習慣は、私の代で廃れてしまいました。ご先祖に申し訳ない、アーメン。

 秋田県立博物館の分館である旧奈良家住宅には、毎年その習わしが復元されていて、立派なパンフレットも用意されています。

 つい最近、博物館にダイオウイカが展示されていて、皆さんバシャバシャ写真を撮っていたので、もしや解禁になったのかと一応住宅の中にいた職員に聞いたところ、やっぱり何かに載せるための撮影は、めんどくさいようです。ですので、外から堂々と撮りました。

 この上手中門から見た、一番奥の部屋が菅江真澄と佐竹義和(よしまさ)公が会談した上座敷で、そのことを司馬遼太郎が「秋田県散歩」の中で書いています。「頭巾のままでよろしいでしょうか」と真澄が言ったらしいです。この奈良家に同級生がいて、小学校時代遊びに行ったことが、私の定番の自慢です。

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