松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

日本アカデミー賞を見た。

2015-02-28 19:07:33 | 日記・エッセイ・コラム

 あまり一般市民に評判の良くない日本アカデミー賞授賞式を見た。岡田准一が主演と助演で最優秀賞をダブル受賞。まだ34才にして、役者歴20年だという。SP、警視庁警備部警護課。あの時に初めて役者岡田准一を見た気がする。眼光の鋭さが印象に残った。音楽も良かった。「永遠のゼロ」もやはり目の輝きは、同じだった。ゼロ戦で突っこんでいく岡田准一を、桑田佳祐の「蛍」が追っていく。~涙みせぬように 笑顔でサヨナラを また逢うと約束をしたね~。私の性格として、人が夢中になって見るものは、見ない。ベストセラーは読まない。しかし、自分が見たものが万人に支持されるのは、悪い気分ではない。8冠をもらって、素直に喜びたいと思う。

 大島優子は、助演女優賞をもらっただけで充分でしょう。顔が、48人で歌って踊っていた時とは違って見えた。別人のようだった。ただ、顔より下に目が行くのだった。いいボリュームの胸をしていた。女優としては、AKBの先輩よりは、向いていると思う。「ゼニの戦争」を見ているが、なかなかの演技だと思う。草剛の厳しい表情とは対照的な役回りだ。早く、ベッドの上での迫真の演技を見てみたい。

 ノミネート作品はすべて、見たくなるような作りだった。宮沢りえの「紙の月」。吉永小百合が自ら手紙で参加をお願いして出来た「ふしぎな岬の物語」。岡田准一が助演の「蜩(ひぐらし)ノ記」。あと、佐々木蔵之介の「超高速!参勤交代」これは面白そう。安藤サクラは旅番組で確か秋田に来たが、なってなかった。あれで女優かいな、と不思議だった。

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NASAの苦しい言い訳

2015-02-27 18:55:51 | 日記・エッセイ・コラム

 火星と木星の間にある小惑星帯の中で、まあるい形をした準惑星「セレス」と呼ばれる天体があります。

 ここへ向かった探査機ドーンが、セレスに大小二つの謎の光を発見しました。NASAは慎重で、ドーンが軌道に入り観測するまでコメントを発表しないようですが、その時の説明が、今から楽しみでしかたがありません。間違っても異星人の仕業にはしませんし、あくまで自然現象で片づけるつもりでしょう。そこで思い出したのが、14年前の作文です。多少、情報が古い感はありますが、昔から変わらないNASAの体質が、はたから見て楽しめます。

 その昔、ソ連邦と米国の冷戦状態の頃、米国の軍事偵察衛星の精度に関していろんな説が出ました。例えば30㎝の物が識別できるとか、ソビエトの大統領の「うしろがっけ」まで見えるとか。 今回の戦争では冗談ですが、ビンラディンの人形をわざと空から見える所に置いて、特殊部隊を罠にはめる4コマ漫画がありましたっけ。常識的に考えて高度500キロの宇宙から地面を見たら空気の層のゆらぎやほこりで果たしてそこまで分かるかな、という疑問が湧きます。でも今回は高地アフガンですから、以外と良く見えるかも知れませんね。人工衛星以外にも無人偵察機やらスティルス機やらUFOみたいなのまで飛ばして探しているのかも知れません。
 スペ-スシャトルには合成開口レーダーが積んであって、これは雲のあるなしに関係なく地表はもちろん、地中の様子まで分かるそうです。サハラ砂漠の地下にある伝説の大河バールベラマや大渓谷まで写し出した写真があります。
 さて、これらを踏まえて目を太陽系に転じてみると、地球の兄弟も以前言われていたような味気ない世界とはだんだんとイメージが変わってきています。例えば木星。NASAは昔から木星は太陽になりそこねた惑星で水素とヘリウムの塊と断言していました。ところが1994年のSL9(シューメーカー・レビー9彗星)の大衝突で開いた穴底から大量の水が観測されました。大量の水があると言うことは大量の酸素もある、と言うことです。これを発見したのがイギリスの赤外線天文台だったのでNASAは否定することもできず、最初は「地球の雲と同じ水の粒でできている雲は存在しない」と言い張ってましたが後に「木星の雲の上層部には大量の水が循環しており自分たちの探査機(ガリレオ)はたまたま乾いた空間を降下した」と訂正しました。有名な木星の大赤斑についても相当怪しくなってきています。大赤斑は最大で14キロも大気から盛り上がる高気圧領域であることが確認されていますが、大気圏より上に盛り上がる高気圧状態の低気圧(台風)なんて考えられますか。
 ガリレオには木星の大気探査機プローブが積んでありました。プローブは地球では比べるべくもない秒速180メートルもの暴風に突っ込んでいき、風が木星の底から吹き上がってくる証拠をつかみました。それは風のエネルギーの元が木星の底にあるという証明であり、そこが非常に熱いことを示しています。プローブは降下から通信が途絶えるまでの間、1時間にわたり、24バール(1バールは地球で海面に加わる平均的な気圧)・摂氏150度のデータを最後に消滅しました。それはパラシュートを開いたポイントから約150キロ潜った位置に当たります。ではプローブはその程度の数値で破壊してしまったのでしょうか。1969年に金星に軟着陸した旧ソ連の「ベネラ5号」は摂氏530度・140気圧の中でも破壊せず仕事をやり遂げました。では30年前の技術の方が優秀だったのでしょうか。そうではなくて、そこが地表だったということなのです。つまりプローブは木星の地表となる地殻に激突したため、大破し送信を断ったということです。


 しかし、木星を地殻惑星と決定づけた探査機は実はガリレオではないのです。それはあの、ボクたちを震撼させた、プルトニウムを満タン積んだ土星探査機「カッシーニ」なのです。あの時と同じようにして、木星の引力を利用してスウィングバイ(フライバイとも言う)によって加速して土星に向かいました。その際ガリレオと共同で木星の観測を行ったのです。その時観測した木星の磁気は地球の1200倍もあり電子ビームはイオとつながってさえいたのです。この強力な磁力の仕組みをカッシーニはガリレオと共同で解き明かそうとしました。そしてその結論は、イオが飲み込まれるほどの巨大なドーナツ型をした荷電プラズマを発生させるには木星が巨大な地殻天体でなければ不可能ということが分かったのです。カッシーニはもう一つのハイテク機器、強力なレーダー・マッパーを搭載していました。これは厚い雲を貫通して地表の地形を観測できる、あのスペースシャトルの合成開口レーダーと同じものです。この機械が写し出した木星赤道付近の画像データは、すさまじい規模の山あり渓谷ありの起伏に富んだ地形画像だったのです。
 これで驚いてはいけません。(べつにいいけど)今やカッシーニなしでも、地球上からでも木星画像が得られるほど、技術は進歩しているのです。アメリカは、プエルトリコにある世界最大の固定式パラボラアンテナ(口径305m)とグリーンバンク(ウエストバージニア州)にある世界2位の可動式パラボラアンテナ(口径100m)を連動させるプロジェクトを開始しました。これは例えば炭酸ガスの厚い雲が覆う金星にアレシボ電波望遠鏡から強烈なレーダー波を照射しその反射波を2箇所の電波望遠鏡で受信すると、金星のマックスウェル山周辺のクローズアップ画像、解像度1.2キロと言う鮮明な画像が得られるというものです。そして木星に向けて撮った地表の全体像には、みごとな超巨大火山「クロノス」がちょうど大赤斑の緯度付近にはっきりと写し出されているのです。その輪郭は掛け値なしに木星半径の1/3ほどもあるでしょう。


 これを聞いて喜んでいるのは、さしあたり私を除いてはヴェリコフスキーでしょう。彼は木星から金星が誕生し太陽系を荒らし回って、今の位置に落ち着いたという理論を主張している人です。まさに木星に超巨大火山があれば、その大噴火により原始惑星が誕生してしまう理屈が成立するわけです。彼の理論の根拠は例えば5千年前の古代ヒンズーの惑星表には金星が描かれていないという事。古代ギリシャのピュタゴラス派の人々は金星を(尾のある)彗星と呼んだこと。太陽系の惑星の中で金星だけが自転の方向が逆回りなこと。(地軸が逆転している/ひっくり返っていること)火星が丸裸になったわけ。ノアの洪水の原因を説明できる事など、以外と辻褄合わせるに都合がいいのです。
 この物語は飛鳥昭雄氏が発表しようとする説の受け売りでほとんど全部引用しているわけですが、NASAという機関がペンタゴンの一部であり米国の利益に反することは発表しないだろうと考えると、それほど奇抜なニュースというわけでもないでしょう。十分あり得ることだと思います。次回は、そういううさんくさい米国の一面をさらに補強する、インターネットに関する米国の野望について取り上げたいと考えています。

 

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南の島に、雪が降る。

2015-02-26 19:21:23 | 日記・エッセイ・コラム

 この前、特攻隊の手記の部分を読もうと戦争論を始めから読み始めたところ、不覚にも、そこへいく前の第5章「南の島に雪が降る」で目から大量の汗を流してしまいました。同じマンガで何度も感動できるのが私の特技です。


 「南の島に雪が降る」昭和20年4月ニューギニアの戦線はまもなく敵の一斉上陸が始まるというのでマノクワリにいた兵士のうち半分の1万人が南部バホに向かって転進、これがニューギニア死の行進となりほとんどが飢えとマラリアで死んでいきました。残った方もいつ敵が攻めてくるかと心がすさむ一方です。そこで俳優である加東大介が中心となって「マノクワリ歌舞伎座」という芝居小屋を作ります。昼間の空襲が終わったあと一日一回の興行で、ほぼ一ヶ月ごとにだしものを変えていきました。座席は250人定員。これを唯一の楽しみに、ジャングルに散った兵隊が河を泳いで渡ってまで見に来るのでした。栄養失調の彼らにとっては観劇が生きる支えだったのです。舞台の上に日本を見て「これで思い残すことはない」と言って次の興行まで待つことなく死んでいったそうです。
 ある時「関の弥太っぺ」を上演しました。幕が上がるとそこは一面の銀世界。「雪だっ雪だっ」歓声が上がります。そのたび客席が静まるまで雪見をさせてから(加東と小林の祖父は)舞台に出ていくのでした。何日目かのある日、幕が上がっても歓声がこないので、出そびれた祖父が客席をのぞくと、三百人近い兵隊が全員泣いていました。加東が聞きました「今日の部隊は」「国武部隊ですたい」「どこの兵隊ですか」「東北の兵隊です」もう二人はヤケクソで舞台に躍り出て、泣きながら立ち回りを演じるしかありませんでした。
 気を取り直して手記の方へ行きましょうか。「愛児への便り」海軍大尉、植村真久。『素子。素子は私の顔を見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入ったこともありました。素子が大きくなって私の事が知りたい時は、お前のお母さん、佳代伯母様に私のことをよくお聴きなさい。私の写真帳もお前の為に家に残してあります。素子といふ名前は私がつけたのです。素直な、心の優しい、思ひやりの深い人になるやうにと思って、お父様が考へたのです。私はお前が大きくなって、立派な花嫁さんになって、仕合はせになったのを見届けたいのですが、若(も)しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまっても、決して悲しんではなりません。お前が大きくなって、父に会いたい時は九段へいらっしゃい。そして心に深く念ずれば必ずお父様のお顔がお前の心の中に浮かびますよ。父はお前は幸福ものと思ひます。生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々も素子ちゃんを見ると真久さんに会っているやうな気がするとよく申されていた。またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がって下さるし、お母さんもまた、御自分の全生涯をかけて只々素子の幸福のみ念じて生き抜いて下さるのです。必ず私に万一のことがあっても親なし児などと思ってはなりません。父は常に素子の身辺を護って居ります。優しくて人に可愛がられる人になって下さい。お前が大きくなって私の事を考へ始めた時に、この便りを読んで貰ひなさい。昭和19年〇月吉日、植村素子へ 父。 追伸、素子が生まれた時おもちゃにしていた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ます。だから素子はお父さんと一緒にいたわけです。素子が知らずにいると困りますから教へて上げます。』
 「人生二十年」海軍大尉、牧野 23才。『出撃の日 御父上様、御母上様、人生わづか五十年とは昔の人の言ふ言葉、今の世の我等 二十年にしてすでに一生と言ひ、それ以上をオツリと言ふ。まして有三年も永生きせしは、ゼイタクの限りなり。いささかも惜しまず、笑って南冥(なんめい)の果てに散る。また楽しからずや。・・・・出撃の朝 散歩に行くやうな、小学校の頃、遠足に行くやうな気持ちなり。0300朝めし。すしを食った。あと3時間か4時間で死ぬとは思へぬ。皆元気なり。』
 人ひとりの命は例えようもなく重いのです。それが原爆で30万人死のうと命の重さに違いはないのです。30万分の一に目減りしてしまうことはないのです。ならば五千人の命の重さはどうでしょう。やはり違いはないでしょう。報復といふ名の間違った怒りの矛先はさらに不幸な人間を増やすだけでしかありません。さうじゃありませんか。報復はさらなる報復を生み、その怨念はますます膨れ上がることでしょう。さうは思ひませんか。

 長い文章、お読み頂きありがとうございます。これは2001年9月19日のものです。つまり、あの9.11の後、ブッシュ大統領が「テロは戦争だ」と言って、報復することを宣言した直後に書いたものです。ブルガリアが国家機密にしていた予言を紹介しましょう。「恐れ、恐怖。鋼の鳥に襲われた後、アメリカの双子が崩れ落ちる。狼が藪の中で遠吠えし、罪なき血が流される」

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しつこいけど角館・桜皮細工センター

2015-02-25 19:31:33 | 日記・エッセイ・コラム

 ABSのニュースで、「雛めぐり」の変わりびな、ということで「渡部なると餅店」を取り上げていた。何だか悔しい。それで細部を改めて見ていくと、このカマクラの中の「茶道具」はかなり細かい。餅も良く焼けている。

 ここは実はパンフレットに載ってない。あるのは「角館樺細工伝承館」入館料300円。こっちは無料。かば細工の商品が色々置いてある。どーも、売っているものは今ひとつ輝きを感じない。かば細工は、手に取って、撫でて、手油をべたべた付けることによって、てかりが出て、奥行きが生まれて貫禄が増す。店員は、暇を見て触りまくるといいと思う。

 ここにも、古いお雛様がいた。

 この立体的というには薄いが、紙のようなというには厚い、微妙なニュアンスがいい。

  奥には蔵があって、お宝が眠っている。

 大正時代の日本全図。樺太、琉球及台湾、朝鮮半島が日本だった頃。

 屋外の行事で使った、湯沸かし器。1分で湯が沸く、かどうかは分からない。この日、蔵の中が一番寒かった。頭がキュッと締め付けられた。蔵の保温効果が良く分かった。

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角館・生もろこし、唐土庵本店・見学工場

2015-02-24 12:16:21 | 日記・エッセイ・コラム

 雛めぐりで、なると餅を買ったあと、駅まで行ってみた。こちらは内陸線のホーム。これでも例年より雪は少ないはず。角館の町は、カメラをぶら下げてどこを歩いても、「しょしぐない」。撮影ポイントは、あちこちにある。もう一軒、生もろこしの店を探した。武家屋敷通りには、元祖を名乗る店を探せなくて、橋を渡る前に見つけた看板の店へ行ってみた。

 いきなり、試食用ですと、山盛り出された。広い店内にオレ一人。相対するは、女の子一人。今、お茶を出しますから、という。

 恐縮しながら、1個だけ食べた。味は知っている。普通、お茶菓子を食ったあと、飲むお茶は、むしろお茶の味が引き立ち、菓子が脇役になりがちだ。しかしこれは違った。生もろこしの方が断然うまかった。そこで考えた。お茶の葉を、一段下げて出しているのでは、あるまいか。売りたいのは、菓子の方なんだから。

 おひな様はこの時期当然だが、オブジェにも凝っている。ガラス製の水飲み場か手洗いか。反対側には、

 趣味のいい空間がある。この日は、日曜で、ガラス張りの向こうの工場は休みだったが、動いていると、にぎやかだろう。それに300円で、手作り体験ができる。この生菓子は、生といっても日持ちがする。対照的に、なると餅は、暖かいせいもあるが、半日で笹の葉が乾き、もちも固くなってきた。とても足の速いお菓子だった。

 造花かと見紛うばかりの盆栽の、桜が満開だった。

 

 

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