棚からぼた餅--岩淵龍王丸

信州の山郷での暮らしと、絵本と無縁になってしまった大人に向けた創作絵本や、芸術活動をお話します。

色の雨

2008-10-24 12:44:48 | 山郷の暮し
小雨がしっとりと降っていますが、華やかな光を感じさせます。
色ずいた茂みの中に、ひときわ輝いている木々が点在しています。
秋の日に照らされた紅葉もいいのですが、今日のように雨に濡れた紅葉色が、溶け出したような柔らかな光もひときわです。

平日の昼間は交通量も少ない国道254。さいぜんけたたましいサイレンが通り過ぎていきました。
交通事故多発道で救急車は珍しくないのですが、先ほどは数台の消防車でした。
大事にたっていなければいいのですが・・。

静けさをサイレンが引き裂いた後は、いっそうしみこむような静けさです。

パフォーマンスの終り-9

2008-10-24 09:46:47 | 創作活動
その後も、各地のイベントに招請されてパフォーマンスをしてきましたが、ほとんどが自前で、資金的にいきずまってしまった。
仲間たちの協力にも限界がある。
その上、私自身の興味もパフォーマンスから、再び辺境地への旅心がわきあがり、どうすることもできなくなってしまった。
たとえれば、同じ歌を5年ほど歌えば、あきてくるように・・。
パフォーマンスを止めてから、3-4年した頃だったか、「イベント企画会社を設立したから、ぜひ企画させてほしい」とありがたいお話があった。

熱帯雨林にくらす人々(ダヤック族)の宗教・文化が探りたくなり、フィホルドワークが始まった。カテゴリー・海外旅行をご参照ください
マンダラ絵画の解説書は山ほどあり、そのうちのこぼれ落ちた程度しか読んでいないが、構図や仏たちの意味は解説されていても、背景の模様についての納得のいく解説はなかった。
マンダラ絵画を制作しながらも、その疑問を解決できずにいた。
高度な精神性の追求解説で、迷い苦しむ迷妄な生身の人間 を置き去りにしている事にきずいた。

熱帯雨林に暮す人々の文化・宗教(原始的といわれているが)に、曼荼羅絵の背景模様の意味を見い出した。
そうです、幾何学模様は人間の本質ともいえる、原始的精神世界を現していたのです。
それより、オリジナルな龍王丸曼荼羅世界 連続する生命体 が展開し、今日に至っているのです。
http://ryuomaru3.web.fc2.com/ren1.html

光の変化

2008-10-23 09:32:12 | 山郷の暮し
空は明るいのですが、小雨が降っています。
目の前のサクラの色ついた葉が、雨露の重みに耐えかね、消えていきます。
谷全体がなんとなく黄味がかっています。昨日にはなかった光です。
こおいう微妙な光の変化は、写真ではなかなか表現が難しい。
この秋雨で一気に紅葉が進むのでしょう。

海外文化交流基金

2008-10-23 08:41:20 | 創作活動
「海外文化交流基金」があることを知る。
大は歌舞伎公演・文化財展示などから、小は個人的レベルらしいが、いったいどこの窓口なのか、それすら判らない。
中央官庁に詳しい方に相談。その道のプロがいるようだが、当然、金がかかる。
可能な限り自分でやってみることにした。
あまり本意ではなかったが、後援・推薦人に地元選出の保守議員などに参加をしてもらう。
議員秘書を伴って、外務省のどこだったか忘れたが、窓口へ。そして、わけのわからぬ書類。

事務次官とか言う人が、規模を小さくすれば、審査も通りやすいとアドバイスをうけた。そんな、役所のテクニックなど全く知らない。参加人数や予算額によって係りがちがうらしい。
そして、一次審査は通過し、予算のやりくりの順番待ちとなった。
たが、その年(忘れました)、補正予算が国会通過せず、この手の予算はたちまちストップしてしまった。(私ばかりではなかった)

かくて、マンダラ・アート・パフォーマンス・ドイツ公演は消えてしまい、私の展示会で終わったのです。

障子戸曼荼羅絵-7

2008-10-22 16:09:00 | 創作活動
光・音・絵画をコラボしたマンダラ・アート・パフォーマンスは、各地のイベントなどでおこなってきた。
そんななか、ドイツの方が東京公演を観覧をしたらしく、突然ドイツ公演の招請があった。

観光・勉強がてら、視察に西ドイツにら渡る。
公演となると具体的に足場などの、資材・ライト・PAそしてミュージシャン等、問題が山積。
ただし、ミュージシャンは現地のアーティストが興味を示していた。
ドイツ在住の日本人プロモーターが中に入ったが、彼らは営業目的。スケジュールがどっさり、当然だが・・・。
だか、私にはまったくそんな意識は無く、創作活動の一環に過ぎないこと。つまり、一枚の作品を創り上げることだった。
即興的に障子戸3-4枚に描くことだったら造作もないが、舞台公演となるとそおわいかない。
ましてや、野外となると大変なことである。資金的なうらずけはなく、招請してくれたドイツ人の熱意と、ベンツ社と商工会議所を公演につけるということだったが。
現地のボランティアによって、移動・輸送はできる、などとかなり気楽なはなしだった。

秋の花

2008-10-22 12:31:04 | 山郷の暮し
葬式でいただいてきた菊の花を10センチくらいずつ切って、挿し木にしたのが6月ころだったか。
けっこう着いてくれるもので、わき芽が伸び出し、蕾をつけてくれました。
プロのように一本立ちの、どちらかといえば味気ない姿より、ボーボーとした形がお気に入り。
花畑は雑草畑ですが、鉢には葬儀の花が新たな生命を咲かせています。
そして・・・一抱えもあった桐の葉が、バサリと音を立てて落ちました。

ポーポー 初めての果物

2008-10-21 11:19:32 | 山郷の暮し

ご近所の方が「コレ食べるかい。けっこうウマイじ」
と小さなひょうたんのような形や、アケビに似たものなど、見たことも無い実をもってきてくれた。
なんとも甘い臭いに、南国の旅を一気に蘇らせてくれた。
すかさずパクッ! 見た目は黄緑の皮だか゛なんともやわらかく、フワーと甘みが広がる。
似た味があったのだがなんとも思い出さない。
「ポーポーてオモシレー名前だけんど、内のモンは生臭さがイヤだと人気なしせー。原産は南国の果物かいねー。
昔はけっこうみんな作ったもんだけど、いまわあんまり聞かねーじ」

初めてのくだものだが、この生臭さがなんともいい。
果物の王様ドリアンほどではないが、いくぶん似た味かもしれぬ。とりこになってしまった。
寒い信州でこんな南国的な果物ができるとは。
さっそく樹をみにいくと、小さいけれど面白い形をした実がいっぱいついていた。

大きな実は握りこぶしくらいで、中には5ミリ径くらいの実が5-6コはいっている。
ためしてないが、肉腫はこのままパンのジャムになりそうだ。

検索してみましたら明治時代から栽培されていたのでする。
南国の果物流行ですが、このポーポーなんか再発見だとおもいます。
ただし、品種改良して形・大きさなどと、味ッケのないものにしてしまうのでしょう。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%9D%E3%83%BC

ポチポチと紅葉が始まった

2008-10-20 14:08:58 | 山郷の暮し
昨日よりも気温はあがっているのでしょうか。
真っ青な秋の空というより、銀粉を撒き散らしたごとくです。
ゆっくり流れる生暖かい風に、トンボが遊んでいるみたいです。

信州は4つの地域に大別され長野市の北信・南信。そして軽井沢が在る東信と私が住む中信に分かれる。
地域は2000M近い山筋で分かれている。
関東「花の谷」とめいめいしたこの谷は、標高750M前後。
国道254の「三才山トンネル」の山も、標高二千ちかい。
北信地域はすでに紅葉がはじまっているようですが、私の住む谷を囲む山々にも、濃い赤色が点々とみえだしました。
たぶん、山桜がいろずいてきたのではないでしょうか。
目の前の吉野桜の葉も色つき、そよ風に「さよおならーー」とクルクルと飛んでいきます。
花の谷が、燃えるような紅葉になるのも、2週間後くらいでしょう。

パフォーマンス---情報誌より

2008-10-20 09:41:39 | 創作活動
情報誌より---曼荼羅の心を読む詩人  作家 高山雷太
彷徨える魂が漂着する異次元の世界。
佛画家・岩淵龍王丸が曼荼羅と劇的な対面をしたのは、仏跡調査を兼ねてインド・ネパール。チベットを旅したときからであった。
 「仏画には心がある」躍動する諸尊像。チベット・ラマ寺院で仏画との出会いは、深い感銘を与えると同時に、龍王丸を日常の雑念から解放させ、より高潔に開眼させたのである。
以後、彼は仏画に「こころ」を求め、しばしば聖地を訪ねては、心身ともに磨き上げた。
当然のごとく絵も変貌する。自由奔放に筆がうごくようになったのだ。
そこには詩が生まれ、物語が創られる。
幾多のパフォーマンスを通じて描かれる、龍王丸の曼荼羅世界は、他にるいのないものとなった。
独自の境地を昇華させたものだ。
 一般になじみの薄い言葉かもしけないが、曼荼羅とはサンスクリット語の、本質--MANDAを、所有--LRせるものの漢字音写である。
したがって本来の意味は「宇宙の真実の姿」を自己の哲学にしたがって、立体または平面に表現することであり、そおいった面から見ても、龍王丸の描く曼荼羅は理にかなっている。決して亜流ではない。
 曼荼羅を描く仏画家・岩淵龍王丸。
彼の特異な才能に敬意を表するとともに、今後一層の精進を重ねることによって、より多くの作品の中で、独自の世界を存分に歌い上げてほしいものである。

少々てれくさいが、今こそ心して創造活動をしなくてはなるまい。
昨日の仕込みスナップより本番・神楽殿にて演奏・ペイントは三角形

あきまつり

2008-10-19 11:26:03 | 山郷の暮し
朝日の差し込む時間がおそくなってきました。
暖かでゆったりと流れてくる風に乗って、途切れ途切れに「ド演歌」が聞こえます。
今では全く聴かなくなった、古いふるい演歌にいつのまにか、
「清水みなとのー次郎長はー」「どっとよせる--あらなみこえてーー」民謡でした
などなど、いつの間にかあわせ歌っている自分に苦笑。
今日はこの集落の秋祭り。
ポカポカと本当に穏やかな日です。

以前にも記しましたが、田舎暮らしには二とうりあります。
地域に確り根ざしていくか、必要最小限限定お付き合い。
知り合いが田舎暮らしを始め、地域協力型を選んだのはいいのですが、あまりにもこまごました付き合いに根を上げています。
私は「村八分」を選びました。

ryusun

つぶやき

絵本と無縁になった大人に

子供たちに向けたというより、内なるものを呼び覚ます大人への絵本