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情報誌より---曼荼羅の心を読む詩人 作家 高山雷太
彷徨える魂が漂着する異次元の世界。
佛画家・岩淵龍王丸が曼荼羅と劇的な対面をしたのは、仏跡調査を兼ねてインド・ネパール。チベットを旅したときからであった。
「仏画には心がある」躍動する諸尊像。チベット・ラマ寺院で仏画との出会いは、深い感銘を与えると同時に、龍王丸を日常の雑念から解放させ、より高潔に開眼させたのである。
以後、彼は仏画に「こころ」を求め、しばしば聖地を訪ねては、心身ともに磨き上げた。
当然のごとく絵も変貌する。自由奔放に筆がうごくようになったのだ。
そこには詩が生まれ、物語が創られる。
幾多のパフォーマンスを通じて描かれる、龍王丸の曼荼羅世界は、他にるいのないものとなった。
独自の境地を昇華させたものだ。
一般になじみの薄い言葉かもしけないが、曼荼羅とはサンスクリット語の、本質--MANDAを、所有--LRせるものの漢字音写である。
したがって本来の意味は「宇宙の真実の姿」を自己の哲学にしたがって、立体または平面に表現することであり、そおいった面から見ても、龍王丸の描く曼荼羅は理にかなっている。決して亜流ではない。
曼荼羅を描く仏画家・岩淵龍王丸。
彼の特異な才能に敬意を表するとともに、今後一層の精進を重ねることによって、より多くの作品の中で、独自の世界を存分に歌い上げてほしいものである。
少々てれくさいが、今こそ心して創造活動をしなくてはなるまい。
昨日の仕込みスナップより本番・神楽殿にて演奏・ペイントは三角形
彷徨える魂が漂着する異次元の世界。
佛画家・岩淵龍王丸が曼荼羅と劇的な対面をしたのは、仏跡調査を兼ねてインド・ネパール。チベットを旅したときからであった。
「仏画には心がある」躍動する諸尊像。チベット・ラマ寺院で仏画との出会いは、深い感銘を与えると同時に、龍王丸を日常の雑念から解放させ、より高潔に開眼させたのである。
以後、彼は仏画に「こころ」を求め、しばしば聖地を訪ねては、心身ともに磨き上げた。
当然のごとく絵も変貌する。自由奔放に筆がうごくようになったのだ。
そこには詩が生まれ、物語が創られる。
幾多のパフォーマンスを通じて描かれる、龍王丸の曼荼羅世界は、他にるいのないものとなった。
独自の境地を昇華させたものだ。
一般になじみの薄い言葉かもしけないが、曼荼羅とはサンスクリット語の、本質--MANDAを、所有--LRせるものの漢字音写である。
したがって本来の意味は「宇宙の真実の姿」を自己の哲学にしたがって、立体または平面に表現することであり、そおいった面から見ても、龍王丸の描く曼荼羅は理にかなっている。決して亜流ではない。
曼荼羅を描く仏画家・岩淵龍王丸。
彼の特異な才能に敬意を表するとともに、今後一層の精進を重ねることによって、より多くの作品の中で、独自の世界を存分に歌い上げてほしいものである。
少々てれくさいが、今こそ心して創造活動をしなくてはなるまい。
昨日の仕込みスナップより本番・神楽殿にて演奏・ペイントは三角形
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