奥さんの家事の手助けをしようと、食べ終わった後の食器を洗って水屋に片づけた54歳の亭主が決まったところに食器が置いてなかったことから、奥さんに怒られたという「亭主の家事介入 寛大に見て」の投書が新聞に載っていました。これを読んだ、69歳の主婦が「家事介入という姿勢が奥様の怒りを買ったのでないか」として「奥様の様子を観察して、気持ちが落ち込んでいたり、体がつらそうだと思われたときに、さりげなく手伝ってあげて」と提案していました。
私も前の会社を退職した直後、自立をめざして家事の手伝いを率先して行いました。食洗機で洗った食器の片付けで、カミさんからさっそくのクレームです。「置き場所が決まっているのだから、勝手な所に置かないで」とふくれています。確かに、自分の机の上のことを考えたら、カミさんが片づけをして、いつものところにいつものものがなくなれば、私も「勝手に片づけるな」と言いましたから「それはその通りやな」と思いました。
そこで、カミさんから、小皿はここ、湯呑みはこちら、どんぶりはあちらと教えてもらい、その通りに片づけるようにしました。わからないときは、そのつど聞きました。何回か、やっているうちに、自然と出きるようになるものです。家事の負担が少しは楽になるとわかり、カミさんは「ほめ上手」になり、私も気分よく家事の手伝いをしています。
食事づくりも「百円レシピ」の本を参考に、夕食を妻と二人分を1か月間、調理しましたが、カロリー過多で二人とも太ってきたうえ、妻のほうが速くておいしいので、今はカミさんに任せています。
私が家事手伝いをするきっかけとなったのは、70歳の先輩の奥さんが急死し、家事のいっさいをしなければならなくなった先輩の途方のくれようを見たからです。預金通帳、実印の置き場所さえ知らないのですから、大変です。しかも、子どもたちは独立して離れたところに住んでいます。料理の本を読んだり、近所の奥さんに教えてもらったりして、少しずつ家事を覚えていきましたが、「奥さんが元気なうちに、家事をマスターしておかないと、えらい目に遭うぞ」と口癖のように言っていました。
投書のご亭主も「家事分担」に徹し、奥さんの家事の手際の良さをほめながら、教えてもらったらよかっのでは、と考えます。よくいうではありませんか。「女房褒めればよく尽くす 亭主立てればよく稼ぐ」と。