団塊タケちゃんの施術日記

一人二人生の旅立ち

人は見かけによらぬものです

2016-05-20 09:34:29 | 健康・病気

関ヶ原合戦図屏風など関ケ原の戦いの資料を集めた関ケ原町歴史民俗資料館を高校時代の友人の男性4人と訪ねました。東西両軍の陣形と戦いの流れを電光で示した大型ジオラマを前に、その1人が陣形が示す意味や戦いの流れがどのように変わったかを話し始めました。明治時代、日本陸軍を指導に来たドイツ陸軍の戦術家が、陣形を一目見て「西軍の勝ち」と判定したことは知っていましたが、ジオラマを見ながら、彼の説明を聞いて、そのわけが理解できました。

西軍は、東軍を見下ろすかたちで布陣を敷いてました。徳川家康は桃配山に本陣を構えましたが、ここは壬申の乱で大海人皇子(天智天皇の弟)が天智天皇の子・大友皇子と戦った際、陣を構えたところで、大海人皇子が勝利したことから、家康は必勝を期して選んだことも教えてもらいました。

彼が歴史好きというのなら、納得できる話なのですが、典型的な理系人間です。高校時代、小説など文科系の書物を読んでいるのを見たことがありません。大学は工学部で大手電機メーカーに就職し、技術畑一筋の人生を送ってきたのですから、関ケ原の戦いの知識の深さに、正直、驚きました。技術力と後輩への丁寧な指導力で、古希を迎えたというのに、技術顧問として今も勤務しています。

関ヶ原の戦いの基礎的な知識は、高校時代の日本史の先生に教えられたことだといい、「でも、大学入試には一問も出なかった」と笑います。びっくりポンだったのは、東西両軍の武将の名前を毛利輝元、小早川秀秋、島津義弘、大谷吉継などとフルネームで話したことです。「人は見かけによらぬもの」と改めて思いました。

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