オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

ドクダミ草手強し!

2020-03-19 | 弁当

3/18(水)朝から穏やかで春の陽気が漂う一日。朝食の洗い物も終えて、どう過ごすかと思案するとは暢気なものであるが・・・。

先ずは、昨夜知ったAJIRO氏の長男のお悔やみを認めた。二時頃に老と散歩に出掛けることにしたが、それまでの時間を花壇の草取りをすることにした。

花壇の一部に母が「アヤメ」を植えてあるが、其処にドクダミ草がはびこっていた。未だ小さな芽が出ているだけだが、これから葉が茂ってくるのでこれを引いておくことにした。

さほどのスペースでなし、直ぐに終わるだろうと始めたが・・・。なんとなんと、この匂いの強い草のしぶとい根に手こずった。深いところにべったりと根がはびこっているのだ。

取れども取れども・・・はびこった根は出てくるし、取り切れないのだ。一時間ばかりで済むと思っていたが一向に捗らず。膝も腰も痛くなり挫けそうになる・・・。

散歩に出掛ける時間が迫っているはずだが・・・、予定の作業は終わらず。漸く目途が立ったら、広域放送から三時の体操のアナウンスが「当町では健康づくりのために…云々」と流れてきた。

二時間も掛かって狭いスペースのドクダミ草を取っただけのこと、それも完全ではない。堅くなった土の下にしぶとく根を張り巡らしており、取り切るには芽が出始めたアヤメの根を掘り起こさねばならないので半端に終えることになった。花が終わったアヤメの植え替えと併せて取るに如かず。

それにしてもドクダミ草の根の張ようには参ったね。池を隔てた反対側のスペースにも独ドクダミが蔓延っている。これも今のうちになんとかしなければ、と思うのであった。

そんなことで散歩に行けず仕舞い。老に声を掛けると返事がない!。寝てるかと思いきや、ミカン畑の草取りかと思って一人で出掛けていたことが後で判明。ミカン畑は草取りではなく草刈りだ!と教えた。

老の姿がないので妹&姪でお茶をしているところに老から電話が「何処に居るの?、畑で焚火してるけど」とのこと。庭の草取りをしてたんだよ!。と云う顛末だった。

 

夕食は軽めにと老が言うので、ご意向に沿うことにした。一汁ニ菜くらいで良いと云うが、そうもいかないか?。

今夜は「鶏のスキ焼風煮」をメインにして「大根・蒟蒻・厚揚げのおでん風煮」、定番の小鉢「大根おろしのジャコ掛け」「ホウレン草お浸しの茗荷添え」に「茹で豚のニラ醤油掛け」であった。

          

野菜中心の健康食であるが、ホウレン草が美味しかった。飲み物はウイスキーハイボールを老が作ったが、これが滅茶濃~い。その分、美味いのだが!。

料理が粗方出そろうと部屋にに居る老に声を掛ける。出てきた老が、今日は何を飲みます?と言う「ご随意に」と応える。飲み物作りはすっかり老の担当になっている。

 

 

 

 

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穏やかな一日

2020-03-18 | 弁当

3/17(火) 今は日付が変わった時刻になった。間もなく25時になる。

今日は風もなく穏やかな一日。正午にお墓に参り、畑で焚火の火を点けてから老と河原の竹林に筍を探しに行ったが・・・竹根が芽吹く気配なし。

竹林から短い散歩をし、その帰りに電動車いすの従兄に出会う。お墓の掃除に行く途中であった。畑の小屋から雑巾・バケツを持ってきて代わりに墓掃除をした。後で、ていた帰宅すると従兄からビールが届いていた。

老と焚火を囲み、お供えしたお酒を下ろしてきて飲む。パックの酒は水を入れてきたもので、一合瓶の方が酒である。夏場なれば冷えた缶ビールを栗の木の葉陰で飲みたいものだ!。きっと美味いだろう!と思う。

         

三時半、帰宅してから花壇の手入れで短時間でを過ごす。一間ほど前に撒いた花の種はいっ向に芽吹かない。

五時となり夕食の準備に入ったのたは何時もどおり。畑で老に言ったメニューに加えて「牛煮と茄子煮」が加わった他は、野菜の「ホウレン草ゴマ和え」「新タマネギのスライスおかか掛け」「干し鯖開き焼き」「奴の刻み茗荷掛け」に、お新香は地場産市場で買った大根&芥子菜の一夜漬けである。

         

ご飯を炊いたが、今朝何時ものお婆さんから届いていた「赤飯」を祀ってあったのでそれを下ろした。老は赤飯のみ、私はハーフ&ハーフと云うところ。

敢えて牛煮と茄子煮を加えたのは、一人暮らしとなった斜前に住む従姉にお裾分けするためであった。

午後八時に夕餉の宴が終わり、老は見たいテレビがあると自室に入った後、洗い物を終えてからコーヒータイムを楽しみながらニュース番組を見ていると、HOYA兄いから電話が・・・。「高松」で飲んでいるとのことで、悪徳不動産?のマッチャン、女将に息子のシュンちゃんと次々に・・・。兄いの気配りで、皆々の声を聞いた。

 

部屋戻り暫くし、サラリーマン時代からの友人AJIRO氏からの電話が。昼間に師からの自家製トウガラシが届き、その御礼の電話をしたが通じなかった。その返電であった。

氏から届いた郵パックの中の丁重な便りで、ご長男を晩秋に亡くされていたことを知った。その悔やみと唐辛子の礼を伝えたが、未だ未だ深い喪失感の中におられた。

氏と出会ったのは三十五年前、東京通信局の業務管理部管理課係長時代のことで、隣の課に居た。その三年後、通信局から支社と呼ばれるようになった広報宣伝部で職場を同じくして以来、長い交流が始まった。

あきる野市の自宅に立ち寄ったこともある。子供達のことも度々聞かされていたので猶更、氏の深い喪失感を理解する。落ち着かれたらこの山里に遊び、新境地を開いてほしいと思う次第である。

友人たちとは遠く離れているが、その縁は途切れることはない・・・・。己の命ある限り。

 

 

 

 

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彼岸を前に・・・

2020-03-16 | 弁当

3/16(月) 今日は朝から北の風が吹いて、寒かった。が、お墓の掃除を終える三時ごろには風も弱まり暖かくなった。焚火の効果もあったが・・・。

明日から彼岸に入るので今日の午前は部屋と仏壇の掃除を、午後からお墓掃除であった。お供え物や花は昨日に用意したので、それを供えた。うちの中で二時間、お墓は一時間強で掃除を済ませたが、墓地を全て綺麗にしたら半日も掛かるかもしれない?。

            

なんでも綺麗にすると気分が晴れる。そんなお墓掃除の後は、隣接するミカン畑で焚火にあたる。性懲りもなく焼き芋だが、芋を埋めた焚火番を老がしていたのだ。処が焦げ焦げになっていた!。

そんな一日の仕上げは夕食作り!。日々のことながら何をメインにするか、それになりに考えるのである。

買い置いた食材の中から、今夜は「ハンバーグ&ピーマン肉詰め」にした。賞味期限が切れたウドンがひとっあるので、これを煮込んで汁もの替わりにした。

定番になったホウレン草はお浸し、大根下ろし、昨日から煮てある大根&筍。目先を変えて冷凍ご飯を焼き飯にしてみた。 

                       

ジョウニ黒のハイボールをジョッキで一杯。変わり映えしないが、以上が今夜の食卓である。

 

 

 

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久々の春巻き

2020-03-15 | 弁当

3/15(日)朝日の当たる朝を迎えたが、今日は風が強くて冷たい思いの一日であった。昼過ぎ、埼玉の自宅に帰る従姉の長女YUKIEを安田駅に下ろしてから老と二人で安芸市内まで買い物に出掛けた。

彼岸が直ぐなので仏壇用のお菓子や、お墓に供えるシキビと花の他、食材や庭で使う道具なども買ってきた。明日、仏壇やお墓の掃除をしなければならぬ。

今夜の夕食は「春巻」をメインにした。春巻を作るのは久しぶりである。ハンバーグかピーマン肉詰めも作る気でいたが、老がそれほど食べれないと云うので断念した。

ご飯の代わりにホウレン草と豚バラの鍋、大根と筍の煮物、春大根をおろし、春雨のサラダとウルメを焼いた。以上が今夜の夕食であった。

                 

食事の用意や洗い物は私がやるが、酒の用意だけは老にお願いしている。今夜もジョッキで濃~いハイボールを飲んだ。

かくも のんびりとした日々を送っているが・・・。昨夜遅くに家人が肩を骨折したとの連絡があった。転んで肩を打ったそうだ。

手術をするかどうか、明日改めて診察を受けて決めるとのことだ。仕事ができないのは勿論だが、家事もできないので子供たちが当番を決めてサポートする体制を作るようだ。

状況によっては帰京も視野に入れておいた方がいいか・・・。

 

 

              

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日本遺産を歩く

2020-03-15 | 弁当

3/14(土) 夜明け前の五時には降っていなかった雨が、八時前に目覚めると雨になっていた。その雨も昼前には上がり、やがて陽ざしが・・・。

11日に旦那の葬儀を終えた従姉も少し落ち着きつつあるようで、外での姿が見えた。が、戻っていた長女のYUKIEが明日は埼玉に帰るとのことで一人暮らしとなる。

そのYUKIEが我が家の仏壇に来て長い間座っていた。子供のころから家の母に色々と教えて貰ったと感謝しており、仏前に何かを語っていたのであろう。

従姉も寂しくなれば家に食事にくればいい。二人も三人分も飯を作るのは大したことじゃないから。ご飯を食べれば元気が出る!美味い飯?を出してやるよ。そんなことくらいしか出来ないが。

 

陽ざしが戻った午後、老を誘って散歩に出ることにした。妹に声を掛けると一緒に行くとのこで、三人で川向こうの日本遺産の森林軌道跡を川上へと風の冷たい中を歩いた。

「エヤ」隧道を過ぎて1Kmほど上流にある倒れたバナナの樹を妹に教え、さらに上流へと進む。与床橋まで来ると、老と妹はこれ以上行くのは嫌だという。二人を置いて更に上流の暗い「バンダ島」隧道を抜けて、二段の堰堤が見える地点まで行ってから引き返した。

           

一時間四十分の散歩を終えて自宅そばの正弘橋の上まで来ると、背中の汗が川風に冷えて気持ちが良かった。歩いた距離は往復で7km程度であろうか?。久々の長歩きで気持ちが良かった。

 

帰宅後はひと休み!夕食作りまでの時間を読書で過ごす。そして決めてあったメニューの夕食を作る。

今日のメインは新筍だが、筍は昨日スーパーマーケットで買ったもので、昨晩に茹でて置いた。これで「筍ご飯」と、頭の方を茄子やレンコンと一緒に天婦羅にした。

他には「海老フライ」「牛筋と大根&蒟蒻の煮物」「ポテトサラダ」「カボチャ煮」に、定番の「ホウレン草ゴマ和え」「大根おろし」である。

ジョッキ二杯のハイボールを飲みながら、ゆったりとした夕食を終えた時は九時になっていた。ちょっと過食?だったかも!。

         

筍ご飯とポテトサラダは妹にお裾分けしたが、揚げ物は最後に仕上げたので渡せなかった。

 

 

 

 

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竹林彷徨えど・・・

2020-03-12 | 弁当

3/12(木) 今日も朝から上々の日和であった。さりとてなんの予定もない一日を迎えただけのことだが・・・。

遅い朝食を摂ってから、「正午になったら畑で紙くずを焼こうよ」と、私以上の暇人である老を誘った。今日はごみ収集日であったが紙屑は畑で焼くようになっている。

正午のサイレンを機に、徒歩五分、川向こうの、ミカン畑に向かう。灰を掘りゴミを燃やして薪を乗せ、本格的な、焚火の態勢となる。老はせっせと剪定したミカンの枝をくべる。

灰が温まり炭火が出来た頃合いに持参した芋を灰の中に埋める。焼きあがるまで時間を要す。陽気もいいし、そろそろ筍が出ているかと思い立った。

鍬を片手に畑から徒歩五分、親戚の竹林に行ってみることにした。猪止め柵の扉を開けて竹林に入った・・・。老が後から付いてくる!。

                

石ころだらけの竹林を目を凝らし、足裏の感触を確かめながら彷徨うが頭を出している筍の姿は見当たらぬ!。見当たるのは、なんと!猪が掘った穴が!それも、そこここにあるではないか。

                

よくまあ~掘ったものだ、穴の周りに小さな筍の皮が散乱している。いけども行けども、あるのはそんな光景ばかり!。老は立って地面を眺めている。「それじゃ筍は見っからないぜ」と、厳しく指導するが・・・。

二十分ばかり探したが諦めた。夕食にと考えた「筍ご飯」も夢と潰えたのである。帰りの歩み重いこと・・・。

畑の戻り「焼き芋」の仕上がり具合を見ながら、持参した餅を焼く。最近、焼芋の焼き方が上手になった。頃合いよく焼けた芋を食し、焦げた餅を食べる。喉が渇いたという老にミカン(清美)を取ってやる。二日前は数輪だったサクランボの花が増えている。

                  

こんな、ノンビリとした時間を三時間ばかり過ごしてから畑を後にした。筍掘り惨敗の余波か、帰る足取りが重い・・・。

 

ひと休みし、夕食の仕込みに入る。先ずは大根煮を仕掛ける。メインのメニューが決まっていないので、冷蔵の食材を見ながらあれこれと思案する。

賞味期限がきた鶏肉があったので、これをトマト煮にすることにした。トマト・人参・茄子・ピーマン・しめじの野菜群と一緒に煮込む。田舎暮らしとは、野菜食のことなのだとばかりに。

サラダを準備し、茄子のピリ辛煮、老のリクエスト「ホウレン草の白和え」と、野菜&野菜である。鶏肉のトマト煮は、イタリアンティストのはずが、これも老の好みであるカレー味に変身してしまった。今日は敬老の日か?。

最後に、これも老の好物「鯖文化干し」を焼いて、夕餉の支度が整った。飲み物は、薩摩焼酎「熟柿」のソーダ割をジョッキで頂いた。

              

 

 

 

 

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新型コロナ不況!

2020-03-11 | 弁当

3/11(水) 11時からの従姉のところの告別式に出たが、出棺を見送っただけで火葬場には失礼した。

と云うのも、佐賀からの客であるNAKAMURAさんが夕方の便で帰るが、その前に高知城を見たいとのリクエストがあり案内した。

出棺を見送った後、葬儀場から近い田野駅で室戸岬に行ってきたUSUI老とNAKAMURAさんに合流して高知市内へと向かった。午後二時過ぎにお城に近い「ひろめ市場」の駐車場に入った。

お城を観に行くNAKAMURAさんに「高知城は大手門から天守閣が望める唯一の城だからね」とアドバイスし、私と老は「ひろめ市場」で飲みながら待つことにした。帰りの運転は老に任せ、一人でアルコールを口にした。

一日中観光客で賑わっていた市場が閑散としていた。市場の入り口には、明日から日曜日まで臨時休業の張紙があった。

新型コロナウイルスの影響であろうが、場内を一周するもこれほど静かな市場を目にしたことはなかった。閉めている店も散見され、活気にあふれていたかつての姿はない。

                

一軒の店で「売り上げはどうなの?半減してる?」と訊くと、「半減どころじゃないよ、更に半分だね」との応えが・・・。飲み屋街も閑古鳥が鳴いていると聞いてはいたが、これじゃ商売人は日干しだ。地方都市でさえこうなのだ!。

飲食店はもとより、中小・零細の企業は業種の違いはあろうが厳しい状況が続くであろう。かつて零細会社の経営をした身としては他人事ながら案じる。ましてや東京には親しい飲食店が数件ある。

必要以上に自粛ムードが蔓延しないよう願うばかりだ。山里でノー天気な日々を送る我が云うのもおかしいが?。

 

NAKAMURAさんを空港に送り、安芸市内を通過したときは五時半を回っていた。大山岬に差し掛かると右手の洋上に夕日が映えていた。海を臨む道の駅に寄って夕日と夕靄の海岸線を暫し眺めた。

                         

 

 

 

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今夜はジビエ!

2020-03-10 | 弁当

3/10(火) 今夕、18時から従姉のところの通夜。明日の告別式と同様に、友人が滞在中ながら参会しなければならない。とは言いながら夕方までは時間があるので、昼に温泉に行くこととなった。

隣町、田野町に在る「たのたの温泉」に行くこととした。近場ということと改築しているので綺麗なのだ。三人で空いた温泉にゆっくりと浸かった次第。

帰路、NAKMAURAさんがTVで見て興味深々という「大心劇場」に寄った。併設の豆電球と云う喫茶でコーヒーを飲みながら劇場のオーナー 周吉氏の話を聞き、劇場を見せて頂いた。

この山里に劇場を作ってから65周年になるとのことである。興味深々のNAKAMURAさんは、館内を感慨深げに見た。古い映画ポスターが壁の全面に200枚以上張られている。好意で、十分ばかり上映してくれた。

劇場がポツンと建つ森林軌道跡の道を川沿いに上り帰路に就く。途中、藻くずカニの生簀で夕食用に二匹を持って帰った。

帰宅後は夕食の仕込みに入った。NAKAMURAさんを待たせての外出になるので、帰宅後は直ぐに夕食を出せるようにと。

猪鍋スキ焼を作り、お通しになる採りたての「山葵葉の酒粕揉み」、鮎の下焼、鹿肉のルイベ、カツオの叩きを土佐風に盛る。そんな準備をしてから老と二人で通夜に行ったのである。

19時頃に帰宅。すぐさま夕食を並べたが、ジビエ最後のメニューカはカニ汁。生かしておいたカニ二匹を割って味噌汁に仕立てた。

           

鮎は妹夫妻、カニは従兄、猪は従姉からである。今夜のジビエ食材は全て身内のおかげである。

ジビエの他には、茹で豚のニラ醤油、昨夜から残っている土佐寿司など。おまけに通夜の食事の折り詰めが三折も届いた。とてもじゃないが食べ切れぬだろう・・・。こんなに残っている!。明日も食べろよ!!。

                

 

 

 

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来客ありて・・・

2020-03-10 | 弁当

3/10(火) 夜明け前に目覚めると雨音が・・・、窓を開けて暗い外を見ると池表に大粒の雨がはじけていた。

昨日の十時、高知空港にて佐賀から来たNAKAMURA氏を迎えた。コロナ騒動で上京もままならず、暇なので遊びに来たとのことだが、観光はさておきノンビリしたいとのことだ。

さりとて何処かへと、学生時代に訪れたことがるという「桂浜」まで案内した。

             

高知城もはりまや橋も結構とのことなので、早々に帰ることにした。途中、安芸市内の魚寺尾」にて夕食用の魚を贖った。

我が家に向かう安田川沿いに入ると「うちの光景と似ている」と、山に囲まれた田園と川の景色に喜んでいた。

お茶を飲み一服してから川向こうのミカン畑まで出掛けた。焚火をし、取り残しておいたミカンを食し、焼芋をして餅を焼いて過ごした。これこそが田舎最大のもてなし!。

             

小さなサクランボの樹に、花びが数輪咲いていた。今年も小さなを実をつけるだろうが、あっというまに小鳥が啄んでしまうことだろう。福島は三春桜の子孫と云う枝垂れ桜は蕾させ膨らんでないが、暖地用の桜桃の花は早い。

陽光の下でそんな時間を過ごし、夕食は「鍋」。ほうれん草に白菜、銀フグの鍋である。鯛の刺身に、ホウレン草の白和え・胡麻和え、大根下ろしのシラス掛け、大根煮、沖ウルメ&小魚焼きを肴にして燗酒で懇談。

             

NAKAさんはすっかり酔ってしまい、ゲロを吐いて早々と部屋に引き上げたのであった。

 

 

 

 

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訃報

2020-03-08 | 弁当

3/8(日) 昨夜の22時40分、携帯電話が鳴った。道路隔てた斜向かいに住む従姉の旦那さんが亡くなったとの連絡であった。癌の末期で一月以上入院をしていた。

看護師をしている長女が先週の始めに長期休暇を取って帰省し、自宅介護の予定であった。病院から自宅戻す調整の最中、昨日の夕に血圧が低下したとのことから急遽自宅で看取るために連れ帰ったが、その数時間後に亡くなったのだ。

病院から戻ったばかりに訪ねると、骨と皮にやせ細った姿で布団に横たわっていた。その姿を見て、素人なりに一日~二日であろうと思った。

治療法がないと診断されて自宅にいたが、体調が悪化して入院をした。その見舞いに行く従姉を病院まで送るのを日課のようにしていたが、新型コロナウイルスで病院の面会も五分以内、それも二日に一回となっていた。そんなことから、子供たちが自宅介護することにしたのだが・・・。

今朝、頃合いを見計らって弔問した。やせ細っていながら穏やかな顔をしていた。

逝去と云えば、NTTアド社で出会って以来の付き合いであった後輩の土田征雄君が先月の十四日に亡くなった。通夜に出た帰りと、当時のメンバーKATUATAさんからのメッセンジャーの連絡で知ったが。彼もすい臓癌から肝臓に転移し、十年近くも病気と付き合う日々であった。

元バトミントンの選手で夫妻揃って世界的な活躍をした経歴を持つ。その彼と日本で開催された国別対抗戦の大会運営に携わってから四半世紀以上が経った。日々、このBLOGを見ていると言っていたのだが・・・。

命あるものは何時か臨終を迎える。形あるものは何時か、その形を失う。数多の人との永久の別れ、数多のものを壊し、無くしてきた。今更なにがあろうと、驚くことも、悲しむこともないが、胸の中に在るものがふとした折に甦ることがままある。

従姉の処の通夜、告別式と週が明けると有るが、週明け佐賀の友人が来高する。あっちも、こっちも義理がたつように時間調整しなければ・・・。

 

こんな日に飯の話で恐縮ながら、このBLOGの性格上から今夜の夕食だけ紹介したい。

何時ものように野菜中心の食事で、ネギとニンニク葉がたっぷりの牛小間のスキ焼風煮をメインに、絹ザヤの卵とじ、揉み茄子の甘酢、小魚干物焼き、大根下ろしのシラス掛け、ホウレン草お浸しの削り節掛け、などであった。これに従姉から大根の牛筋煮&切干大根(私製)炒めが加わった。

           

ジョッキでハイボールを頂き、ご飯は極て軽めに。こんな食事の後、昨日採った金柑の甘露煮を作ったが、何を思ったのか金柑の赤ワイン煮まで・・、果たしてこんなものが美味いのか?。

                

 

 

 

 

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