オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯

2015-06-17 | Weblog

6/17(水) 弁当のメニューも浮かばないままに台所に立った。電気釜の中には残り飯が、茶碗に三杯ほど。ご飯を炊くのは止しにし、これを使おうと決めた。

「オムライス」か「炒飯」か、少し迷ったが「炒飯」にした。菜は野菜中心にしよう、味付けは中華味をメインにと、これも迷いながら決した。

炒飯の具は、ウインナー&ベーコンにピーマン・人参・タマネギだ。野菜煮は、ナタ豆とオクラ・シシトウ・人参、蒟蒻と油揚げが少々加わった。もう一品は、肉ジャガにしたが、肉は豚バラが少しで自家製の新ジャガと人参・タマネギが入る。

                       

これだけじゃ淋しいかと、冷凍の「肉団子黒酢餡かけ」を使うことにする。更に鮭を一切れ焼いて、スタンバイさせた。

                          

以上が今日の弁当だ。出来上がりを見ると、二人前近くの炒飯、菜が余った。これを朝飯に頂いたが、全部じゃないよ。いずれも、半分程度だ。

                          

朝の趣味のお時間が終わり、暫し暇な時間が訪れる。風呂に入る前、CDを聴きながらひと時を過ごすのだが、昨日まではアベマリアやG線上のアリアだったが、今朝は演歌だ。それも「ちあき なおみ」が唄う、昭和演歌のリメイクだ。

このメロディーと詩の、切なさ、やるせなさや哀愁が、淋しい財布と毛髪、くたびれ果てた体に沁みる。旅に出て海を見ていたいな―そろそろ幕を引こうか、そんな気分になる、させるのだ。もう自分の時代は過ぎ去った、それは認識している。が、今一度最後の残り火が燃え立つような仕事に巡り合いたい、したい、そんな一抹の思いを捨てきれない。

朝から演歌なぞ聴くと、そのメロディーが夕方まで脳裏にこびりついて離れない。ついつい、演歌の似合う酒場に足が向くということになりがちだ。今夜はそうはしない、させない・・・・・、つもりだ。

 

 

 

 

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