オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

夜中に目覚め・・・

2015-06-19 | Weblog

6/19(金) 昨夜は蒲団に入るのが早かった。零時前には眠りに就いていたろう。その所為か? どえらく早くに目覚めてしまった。目が覚めて、カーテン越しの微かな明かりを見るが、夜明けは遠い感じだ。

ペンライトの灯りで時計を確認すると、なんと深夜の三時だ。なんだよ! この目覚めは・・・・。後の祭りだ、早々に眠れるはずがない。蒲団の中でまんじりともせず、あれこれとつまらない思念をしていた。

「いつ、河の向こうに渡ってもおかしくない年齢になってしまった。これから、何者かになる(生み出す)可能性は零に等しい。そうであれば、思いを残すことも少ない。そろそろ、友人知人への別離の挨拶状を準備をした方がいいかな。」 そんなことが浮かんだ。

死んでしまえば、葬式があったとしても ―個人的には、葬式も墓も不要論者であるが― 挨拶のしようがない。『俺が死んだら、このハガキを出してくれ』と、準備を整える、と云うことだ。で、その文面を暫し考えてみた。

常套句の生前の御礼は冒頭に記し、「お先に逝って、いいを席を探しておきますので、ゆっくりとおいで下さい、とか。お世話になった皆様に、逝った先からどんな処かを、お知らせする術がないのが残念です。」 とか、幾つかの文面を考えながら、背なの痛みを感じていた。

カーテンの向こうに白々とした夜明けの訪れを感じながら、次から次へと益体もないことが浮かんでいた。そして、何時の間にや再び眠ったのだろう。気がついた時は、七時十分だった。

なんだこれやぁ  だ。弁当が、弁当が・・・・ 。

 

一瞬、諦めようかと思ったよ。然し、長女の分は間にわないとしても、家人用は何の問題もない。大急ぎで、米を磨ぎ鍋飯を炊きはじめたのであった。

菜の方は、深夜の目覚めのお蔭で方針が固まっていた。不幸中の幸い、メニューの想定は完璧だ。「親子煮」「小松菜お浸し」「卵焼き」、最後が「掻揚げ」であったが、これに決まるまでは、コロッケが候補であった。結果的に時間が足りないので「掻揚げ」で正解だった。

                         

ご飯の炊きあがりまで20分、菜も二十分で作る意気込み。が、最後に仕上げる予定の「卵焼き」だけは、タイムリミットが来てしまった。

                           

弁当箱にご飯を詰めはじめた頃合い「お弁当できてるの?」と、長女が登場。何時もより五分遅い登場、これで助かった。二人分の弁当が間に合った。

                           

それにしても、焦ったネ・・・・。夜中に、くだらないことを考えてちゃ、イカンネ! 。

 

 

 

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