オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

「ぶにせ」

2015-06-04 | Weblog

6/4(木) 昨日の昼、訃報の連絡を貰った。五年前まで監査役努めてもらった「鈴木 孝」さんが亡くなったとの知らせであった。昭和6年生まれときくので、83歳になろうか。葬儀に関する詳細は未だ届いてないが、お悔やみに行かなくてならぬ。

鈴木さんに最後にお会いしたのは、辞められた五年前になる。ご自宅の最寄り駅にある寿司屋で、昼酒を嗜みながらこれまでの御礼を申し上げた。その後、ご無沙汰だったので申し訳ない思いだ。

そんな連絡を受けた後、YOSHIOと昼飯に出た。貧乏飯ばかりつづくので、たまにゃパーッといこうぜと「高松」で蕎麦を食べることにした。パーッとやってもこの程度が関の山だ。『お前、モリソバにしろよ。俺は鴨セイロだけどよっ』そんな与太を言ったが、「こんな贅沢していいのかな」と言いながら、同じものを喰った。

鴨セイロは「ベローチェ」のアイスコーヒ&ジャムサンド(310円)に比べると、700円ほど高いのだ。ベローチェで三回以上喰えたな・・・・、そんなことを云いながら店を出た。「ロリオ」でお茶飲んで帰ろうと云うと「今度は俺、奢りますよ」なんて言いやがった。『止しなよ、あそこのコーヒーは200円じゃなく、400円だぜ』とたしなめた。

一昨日もYOSHIOと一緒にランチだったが、店はベローチェ。YOSHIOは何時ものコーヒー&ジャムサンドで310円。オイラは同じセットでもサンドイッチが230円の二つ入り、〆て430円と高額なやつだ。チョット差をつけて見せつけてやった。午後になって、余りにも暇になるので気分転換のランチ外出なんだ。決して飯を喰いたい訳じゃない・・・・・。

                             

                             手前がオイラの!

昨夕は後輩のKAKIUCHI君と神田で落ち合った。仕事でトラブルがつづいたとかで忙しくしていた。神田の店は不案内なので、適当に探そうと路地をぶらぶら・・・。と「さつま」と云う看板が目についた。この店に入ったが、選んだのはKが薩摩の出身だから。五十路を過ぎると、故郷恋しの思ひが強くなるのか?

「さつま」の店名どおりに鹿児島の芋焼酎が並んでいたが、どれも知らない銘柄だ。Kの方は流石に地元、結構知っていた。彼の進める焼酎を飲む。最後に飲んだのが一杯分だけ残っていた「ぶにせ」と云う田舎町の焼酎。吹上浜のある町だそうだ。Kが新人だった頃、この町も電報配達のエリアだったと、懐かしそうにした。

                             

「ぶにせ」と云う意味を訊かれたが、薩摩言葉が分ろうはずがない。Kによると〝鈍いとか、醜い 〟とかのようだ。まさにオイラが飲むに相応しい。おまけに置いてある焼酎の中で、芋の匂いが一番強いとのことだ。

Kが大阪で勤務した頃の話から、菊池の「雉おじさん 松ちゃん」に世話になった話、田舎の両親のことなどを訊きながら酒が進んだ。そこにショートメールが届いた。銀座の某酒場のママさんからだ。半年もご無沙汰をしているので、Kの都合が良ければ顔を出す心算だった。計ったようなタイミングだ。

返信メールに『枕営業かい?』と、今流行りのワードを入れたのは勿論のこと。で、銀座に向かった。時間はまだ八時前、早かったので店内に客の姿なし。感心なことに、半年も前に入れたボトルを、ちゃんとキープしてあった。

二人で馬鹿っ話をして騒いでいたら、サラリーマンの二人連れ(上司と部下か)が来店。Kは、この二人も巻き込んで騒いでいた。(営業力がついたようだな・・・・)

                     

                         初見の客を巻き込んで・・・(左がK)

二時間近く騒ぎ、次の客の来店を潮に引き揚げることにした。帰宅は23時前と早かった。

 

そして迎えた朝、なんと四時のお目覚め。幾らなんでも早すぎると、一時間ほど蒲団の中に籠っていた。

今朝のメニューは「親子丼」がメイン。昨夜のうちに決めてあった。先ずは、これを仕込む。

                        

後の菜は、「うどんのパスタ風サラダ」意味が判らんだろうが、要は乾麺うどんを茹で、塩揉みした胡瓜と人参を加える。味付けは塩胡椒・オリーブオイル・青紫蘇ドレッシング。茄子・ズッキーニ・ピーマン・ベーコンのオリーブ炒め、卵焼き。以上となった。

              

 

 

 

 

 

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