オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

牛煮&掻揚げ

2015-06-26 | Weblog

6/26(金) 今朝も目覚めは五時頃か、それでも台所に入ったのは六時だった。昨夜の帰宅も早く、暇だったので今朝の献立を考えてあった。今朝は台所に立ってもウロウロすることはなかった。

牛煮用の肉と焼き豆腐・糸蒟蒻は、昨夜帰宅時に買い準備を整えていた。セカンドの菜だけはちょっと悩んだが、掻揚げにした。明太子を軽く焼き、卵焼きを作ってお仕舞だが、のんびりと調理をした所為で一時間を要した。

 

                         

今朝もボリューム感のある弁当だ。さあ~喰ってくれ、と云うところさ。

掻揚げは、牛蒡・人参・タマネギ・小エビだが、シシトウも揚げた。朝から掻揚げなんぞを作るのは、暇なOYAJぐらいかな?

                       

 

昨夕は五時にNAKAJIMAさんと会い、新丸ビル内の居酒屋で懇談。何時ものように、大手町オアゾの丸善書店で待ち合わせたが、私の背広姿を見るなり「どうしたんだい、そんな正装をして」だった。

『今日は、NAKAJIMAさんにお疲れ様でしたを言う日ですから、気を使ってますよ』と応えた。

飲み始めれば何時もの調子だが、『御苦労さまでした』だけは、しみじみと伝えた。四十余年の勤め人生活だからねえ、頭が下がりますよ。そりゃぁ65歳定年の時代だから、四十年以上のサラリーマン生活はごろごろいる。

NAKAJIMAさんの場合は、単なるサラリーマン人生とは違った生き方をしてきたからね。それを見・聞きしてきた側としては、敬意を表したい。

四十余年を総括すると、どういうことになりますか? と訊くと「よく我儘をとおさして貰ったもんだ」であった。

使命感の強い方だから、仕事となれば強引に進めたことも多々であろう。例えがよくないが、時代によっては悪女の深情け的な上司に仕えて、懐刀と云われていたからね。損な役回りながらもやりとおしてきたから・・・・。

酔いが廻って『貴方だけにはもっと偉くなってほしかったし、なるべきだったよ。そうなってりゃ、あの会社は変わるし、もっといい会社になってる。欲を出さなきゃ…』なんてことを言ってた。

色んな話を聴き、した。ものすごく参考になる話、昔話、これからのこと・・・、その中で四半世紀も前の話が一つあった。新興のゲーム会社の社長に請われた時の話である。

母親にそのことを話すと「あんた、お金が欲しくなったんじゃないだろうね」と、言われたそうだ。中々の名文句だし、潔くと育ててきた母親の思ひが伝わる。そんな母に育てられただけの生き方はしてきたよ。そう云いたかった。が、そこまでは言わなかった。

若しその会社に行っていれば、お金は沢山得ただろうし、また違った人生だ。が、僕らとの付き合いはつづけただろう。そういう方だ。

余談ながら、その会社へは友人を紹介している。何年か後、その友人はキャピタルゲインで数億円(もっとだったか?)を手にしたようだ・・・。

いい話を沢山し、別れたのは二時間ほど経ってからである。五時に会ってからの二時間後だ、真直ぐにかえりゃメチャ早い。前ならもう一軒となるが、先週から酒場巡りの歩みは止まったままだ。暫くはこの生活をつづけよう・・・・、と家路についた。

 

 

 

 

 

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