オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

炒飯

2015-06-17 | Weblog

6/17(水) 弁当のメニューも浮かばないままに台所に立った。電気釜の中には残り飯が、茶碗に三杯ほど。ご飯を炊くのは止しにし、これを使おうと決めた。

「オムライス」か「炒飯」か、少し迷ったが「炒飯」にした。菜は野菜中心にしよう、味付けは中華味をメインにと、これも迷いながら決した。

炒飯の具は、ウインナー&ベーコンにピーマン・人参・タマネギだ。野菜煮は、ナタ豆とオクラ・シシトウ・人参、蒟蒻と油揚げが少々加わった。もう一品は、肉ジャガにしたが、肉は豚バラが少しで自家製の新ジャガと人参・タマネギが入る。

                       

これだけじゃ淋しいかと、冷凍の「肉団子黒酢餡かけ」を使うことにする。更に鮭を一切れ焼いて、スタンバイさせた。

                          

以上が今日の弁当だ。出来上がりを見ると、二人前近くの炒飯、菜が余った。これを朝飯に頂いたが、全部じゃないよ。いずれも、半分程度だ。

                          

朝の趣味のお時間が終わり、暫し暇な時間が訪れる。風呂に入る前、CDを聴きながらひと時を過ごすのだが、昨日まではアベマリアやG線上のアリアだったが、今朝は演歌だ。それも「ちあき なおみ」が唄う、昭和演歌のリメイクだ。

このメロディーと詩の、切なさ、やるせなさや哀愁が、淋しい財布と毛髪、くたびれ果てた体に沁みる。旅に出て海を見ていたいな―そろそろ幕を引こうか、そんな気分になる、させるのだ。もう自分の時代は過ぎ去った、それは認識している。が、今一度最後の残り火が燃え立つような仕事に巡り合いたい、したい、そんな一抹の思いを捨てきれない。

朝から演歌なぞ聴くと、そのメロディーが夕方まで脳裏にこびりついて離れない。ついつい、演歌の似合う酒場に足が向くということになりがちだ。今夜はそうはしない、させない・・・・・、つもりだ。

 

 

 

 

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ヤマモモ

2015-06-16 | Weblog

6/16(火) 昨晩は渋谷「奈加野」にて、某社のメンバーと四人で懇談。郷里から昼に帰京したので、安田川の鮎を手荷物で持ち帰った。それと「ヤマモモ」も従姉が持たせてくれた。高知空港に「小夏」があったので、これもお土産用に買った。

手荷物が増えて重かったが、夜の飲み会では鮎を焼いて貰い、小夏はお土産に持ち帰って頂いた。ヤマモモは、奈加野の店主に一箱お裾分けだ。鮎もヤマモモも郷里の味なので店主も嬉しいはずだが・・・。

私の廻りには、ヤマモモを食べてたことのない人が多い。関東では街路樹や植木としても見かけるが、食べないようだ。尤も小粒じゃ美味くないが、食用に改良されたものは粒も大きくて食用としていける。独特の甘酸っぱさ、この色がいい。ヤマモモ酒を作ったことがあるが、ホワイトリカーがピンクに染まり綺麗だった。

ヤマモモは採れる時期が短い、加えて日持ちがしない。雨天の時は採れないのに、梅雨時の今頃がシーズン。扱いがデリケートな果実で、山の宝石とも云えよう・・・。口にしたのは三年ぶりだぜ。

                          

 お客さんに鮎を食べて貰った。店で焼いてもらうのだが、料理人が焼くので焼き方も盛り付けも申しぶんない。馴染の店はこういう我儘ができる。

奈加野で生ビールと伊佐美を飲みながら、取材の話や失敗談で笑い、楽しいひと時を過ごした。二次会はルツール(旧缶詰BAR)で、ハイボール。

学芸大学着は22:30分であったか。駅に隣接するフライ専門店「サボテン」が店仕舞い前の20%引きをやっていた。翌日の弁当用にと、三元豚のトンカツを贖った。手抜きOYAJである。

で今朝は、「カツ煮」をメインに、ちっちゃなホタテのフライ、豚バラの揚げ物、人参・ジャガイモの素揚げに刻みキャベツを敷いた。鮭を焼いてが、これは家人の弁当にしか収まらなかった。七時前に弁当が完成。

                   

 

今日は、10時から浦和斎場である告別式に参列する。八時半に家を出ると10時着だ。生憎夏用の式服は田舎に置いたまま、冬用の服を着る破目になった。曇り空だったので助かった・・・。

 

 

 

 

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ジャガイモを掘り芋苗を・・・

2015-06-15 | Weblog

6/15(月) 10:25分のANAで帰京した。実家を出たのは8:30分、妹夫妻に送ってもらい空港に着いたのは丁度一時間前であった。帰京は順調にいったが、帰郷の方は上手くいかなかったのだ。

週末の金曜日、11:25分のANAで帰郷予定が、空港に着くと満席の表示。航空機の機種変更が響いたようだ。二時間後の便で帰郷となった。妹夫妻の迎えである。実家に向かう車中で、今年の鮎漁の状況を訊くが、あまり芳しくないようだ。何より、HIROKATUも寄る年波か、川で転んで竿を折ったりと散々な目に遭っていた。

途中の安芸市内のスーパーや魚屋に立ち寄り、食材を整えた。刺身が、それも白身魚が好物の母のために「鯛」を一枚贖って下してもらう。粗は潮汁にする。序にカツオのアラを貰った。これは、HIROさんから譲り受けた「微細菌」の培養に使う。

                       

                         カツオの頭で培養中

家に着いて晩飯の準備をしていると、従姉が「はがつお」を持ってきた。この魚は好きでないが、折角なので三枚に下して身を茹でた。生節にしたり、生姜醤油で煮付けにするが、これに味噌を付けて食べるのが好きな人もいるようだ。HIROKATUもその一人だとか。この魚の粗も、微細菌の餌にすることにした。

土曜日、朝から天気が良い。絶好の畑仕事日和である。朝方の用を済ませて、畑に出たのは10時ごろか。それから草刈を始めたが、休み休みと云うべきか、仕事をする時間より休んで一服している方が長い。今年は梅を採ってないので、熟した梅の実が散乱していた。草刈機でこの熟した実が飛んで、大変な目に遭った。

そんなことで、草刈を終えたのは3時近くになっていた。空模様がおかしくなり、ポツリポツリと雨粒が落ちてきた。草刈が終わっても、ひと畝だけだがジャガイモが在る。これを掘って、その後に「安納芋の苗」を植える仕事が残っていた。そぼ降りの雨にうたれながら、小一時間ばかり作業をつづけた。

               

                 

              ジャガイモ               スイカとカボチャ          一つだけ実ったスイカ

安田川は、帰省前の雨で水量が増えていた。そんな中でも、鮎の釣り師は竿を出している。見ていた人に聞くと「ぼちぼち上りゆう]とのことだった。HIROKATUも午後から川に出ている。橋の上から声を掛けると「イカンイカン」とばかりに、手を振った。それでも十匹ばかりは掛けたろう、その鮎を貰って夕餉の菜となった。今年の新鮎である、身は柔らかくても鮎の香りが良かった。

                         

海岸から約6Kmほど上流の安田川に掛かる「正弘橋」から、上流と下流を望む。ちょっと水量が多い。畑は下流側の左手となる。

 

 

 

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カツ煮

2015-06-11 | Weblog

6/11(木) 今朝は早起きだった。五時頃には目覚めており、直前まで見ていたであろう夢の検証と評価をしていた。評価なんかできるのか? と訊かれれば困るのだが・・・・。登場人物やシーンは馴染だったが、デイティールば意味不明なことが多かった。

昨夕は五時過ぎに吉祥寺でTUGAWAさんと会った。野菜に与える微細菌の培養液を受領するのが目的だが、諸々話もしたかった。待ち合わせは、何時ものハーモニカ横丁の居酒屋である。焼き鳥や煮込みなどが中心の安酒場である。

HIROさんは、コの字型をしたカウンターの端に座して既に飲み始めていた。店内は粗満席に近い状態。この店は、安酒場に多いシニア層よりも比較的若い客が多い。俺たち二人が平均年齢を引き上げたようだ・・・。

HIROさんはホッピーを飲んでいた。私は生ビールから紹興酒、そしてハイボールとなった。野菜作りのこと、年明けに亡くなった黒田のこと。我が故郷の話から会社のことと、話は尽きない・・・・。ホッピーの中(焼酎)をどんどん追加していたHIROさんの言葉がだんだんと揺れ始める。

二時間近くが経った、相当に出来上がったようだ。頃合いだと引き上げることにした。HIROさんの足元が覚束なくなっている。駅の改札で、それじゃまたと別れたが、無事に帰ったであろうか・・・・。

土産に家庭菜園で育てたと言う、バジル等を頂いた。井の頭線にて渋谷駅経由での帰路、宇田川町の「奈加野」に立ち寄るつもりでいたが、面倒になった。来週の月曜日には客人を招いて奈加野に行く予定だ、それでよしとしよう。真っ直ぐに帰宅したが、JRから東横線への乗り換えが滅茶面倒、何度通っても腹が立つ・・・・・思い出すだに腹立しい。ホームも広くしろよ、バカやろ~、ボケオヤジの遠吠えだ!

 

そんな腹立たしさも、学芸大学に着い頃には忘れていた(恨みを残さない性質なんだ)。早いね~、未だ八時だぜ。こんなに早いのは珍しいが、偶にはいいだろう・・・。それでも、就寝は零時前だったか。

で、今朝は五時前に目覚めた次第。昨晩は早く帰り着いたので、弁当用にサボテンでトンカツを贖った。これで「カツ煮」を作ろうと云う算段。他には、鶏肉と野菜のソテー、HIROさんに頂いたバジルを用立てる。

               

「小松菜の胡麻和え」、以上が今日のメニューだ。長女はカツ丼弁当に、家人はカツ煮である。昨夜観たTVで、梅が梅雨時の体調管理に良いと言っていたのを思い出し、家人には梅干しをサービスだ。長女の弁当へは無理だ。

                     

早々と弁当は仕上がり、体も好調と云うことなしの、朝であった。

明日から月曜日まで、月例の帰郷となる。今度は母親の飯作りだが、あまり喰わないんだよな。胡瓜もズッキーニも、もう成っていることだろう。

 

 

 

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二日酔

2015-06-10 | Weblog

6/10(水) だらしないことに、今朝も寝過ごしてしまった。不覚をとってしまったが、昨夜の酒の所為か・・・。昨夜は八時前に会社を出た。「ローカーボ」にて、ギムレット一杯だけ飲んで帰るつもりだった。

酒の一杯も飲んでから帰るのが、大人の流儀と云うものだ。そんな主義を貫いて、早や四十年になろうか。費やした時間と酒代は半端じゃないだろうが、それ以上に面白おかしく過ごしてきた。やりきれなさを酒で流したし、いろんな思いも酒場の隅に埋めてきた。

そんな暮らしもそろそろ潮時かと思う昨今だが、そうもいかぬのが浮世と云うやつだ。「ローカーボ」のドアを潜ると、HOYA兄いが鎮座ましましていた。飛んで火に入る夏の虫、ならぬOYAJとなってしまった。隣に腰を落ち着け、先ずはギムレットだ。久々にギムレットを飲む。

よくシェイクされてキンキンに冷えた酒精は、喉越しにいい。次いでハイボールだ。ローカーボと云えば、ハイボール。ハイボールと云えばローカーボさ。そうこうするうちにHOYA兄さんが、山崎のロックを奢ってくれた。一杯千円かな?ギムレッと同じ値段か。やっぱり山崎は美味いね、竹鶴も美味いが、飲み比べたことがない。そんな高い酒は、OYAJには似合ねえ・・・。

この店で、短い時間ながら結構酔いが廻った。以心伝心、二人して「SEIJU]へと流れた。相変わらず客の姿はない、客は今夜も俺たちだけのようだ。うだうだと下手な歌を唄い(唄ったような気がする)23時近くなって店を後にしたはず・・・。

「ちょっぷく」は灯りを消す前で、最後の客が2~3人。もう片づけも終わって、客の追い出しに掛かっていた。HOYA兄が「YAMAちゃんの顔を見ていこう」というので立ち寄ったが、ここで生ビールを一杯頂いた。勝手に出てきたと云うべきかな、銭は払ってないから。

そんなことで、学芸大学の改札を出た時に零時40分を指していたのは、改札前にある時計。帰宅して蒲団に入ったのは多分25時過ぎかな…、目覚めると7時10分になっていた。連日の寝坊だぜ、おまけ明晰なる頭が妙に重い。これが二日酔いと云うやつか?

 

弁当が間に合わぬ、まに合わぬと知りつつも「やむにやまれぬ大和魂」とばかりに弁当作りに入った。さぞや、松陰先生も草葉の陰で笑っていることだろうぜ。

大根・人参・オクラと鶏肉の煮物、小松菜の卵炒め、鮭焼き、豚肉とピーマン・シメジ・タマネギの炒め物。こんなところだが、長女が寄った時点では出来上がろうはずがない。

                

『弁当作っておくから、夕食に食べろよ』と言うと「じゃ、ソラの分もお願い。卵焼きと唐揚げが好きだよ」ときた。なに~・・・、されど泣く子にゃ勝てぬと、「卵焼き・ウインナー炒め・唐揚げ」を大急ぎで追加した。

                 

ヨンドンサリの願いは一つ「ちゃんと喰ってくれよ・・・」お願い!

それでも二日酔いの頭は回復しない・・・。嗚呼無情!

             

体調不良の朝であった。OYAJは不良、体も不良、不良のオンパレードだ・・・・。

 

 

 

 

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豆ご飯

2015-06-09 | Weblog

6/9(火) 「豆ご飯」なんて書くと、なにげに可愛いいイメージが浮かぶのは私だけだろうか? 今朝の弁当は、その可愛いイメージのする〝豆ご飯〟である。

出来上がった代物は可愛くも感じないが、言葉の持つイメージは、私には可愛く感じる。冷凍で取り置いたグリーンピースを使った豆ご飯である。何時もなら、豆と一緒に炊き込みにするのだが、今朝はグリーンピースは別に煮て、炊きあがったご飯と混ぜ合すタイプにした。豆は、ちょっと甘辛めに煮た。

ご飯は、昆布と酒、塩をパラリと降って鍋炊きご飯である。炊きあがってからグリーンピースと混ぜ合わせて出来上がりだ。どうせなら、豆の出汁色を抑えてもっと鮮やかなグリーン色を出せばよかったか、と思った。

昨夜も帰宅は早かった。「ちょっぷく」でハイボールを二杯だけ飲み、土曜にあった鶴見の祭りの礼をYAMAちゃん店長に言って、早々と引き上げた。その帰り道の車中で「明日の弁当や如何に」と思案した。その結果、我が知の宝庫から浮かんできたのは・・・・。知の恵みならぬ、冷凍庫の中、ジャーン!!

凍えきってビニール袋の中で固まっている「グリーンピース」の姿が見えた。早く食べてあげなくちゃ、で思いたったのが「豆ご飯」と云う次第で、何ともイージーである。

菜はなににしようか? ちょっと軽めにスマートにいきたいものだが・・・。なにしろレパートリーが狭い、知の泉も底が浅くて浮かびようがない。軽めで思い立ったのが「オムレツ&ジャーマンポテト」であった。これが軽いかどうかは異論が出るかもしれないが、従来の組み合わせにはないはず。ジャーマンポテトそのもが、本邦初演かな?

他に肉系で軽いものを描くが・・・・浮かばん。冷凍庫には豚バラ・肩肉、鶏、挽肉、鮭・・・・。などと思い浮かべてみると、魚の部に内臓抜きの秋刀魚にアメゴが在るのを思いだした。それで「秋刀魚」を焼くことにした。

肉の部は、野菜を使ったものを考えた末「ピーマンの肉詰め」と相成った。以上が、人形町から学芸大学へと帰り着く32分の間に考えた成果である。駅前の東急ストアでジャーマンポテト用のベーコンと、肉詰め用のピーマンを調達してから帰宅。明朝の準備は万全、万端整ったのである。

 

さ~ぁぁ、朝を迎えた。が、妙に変だ、何時もの朝、明け方の様子じゃない・・・・。なっなんと、時計の針は7時10分を指していたのだ。今更、慌ててもしょうがない・・・。

昨晩の就寝は、零時を過ぎてはいたがそれほど遅くはない。問題は、深夜の三時前であったが、寝汗を掻きそれが冷えて目覚めた。ここのところよく有る、寝汗でかゆくなって目覚めるとか。昨夜は涼しいぐらいだった、それが寝汗をかくとは・・・・、 悪霊でも現れたか?

そんなことが有った所為かな、寝坊をしてしまったのは。何れにせよ失態であった。昨晩考えたメニューの実現や如何に! 風前のともし火だ。

正直どうするか迷ったね。家人の出勤には十分間に合う。が、長女には間に合わぬ、そろそろ立ち寄る時刻だ。

こうして記すと、随分考えているようだが、その間は精々二分だね。兎に角やれるだけのことはやろう、と台所に立った。鍋ご飯を仕掛け、グリーンピースを鍋に、挽肉を取り出し、オムレツ用の材料を下拵え、ジャガイモを電子レンジで茹で、と続く・・・・。

         

長女が現れて曰く「なんだ、ないんだ」と、昨夜の残りのカレーを弁当に入れて行った。だらしねぇOYAJでスンマセン・・・

 

何とか定めたメニューが仕上がった時は、八時になっていた。さて、二人前プラスαを目途に作っている弁当で、今朝も同様だ。先ずは、家人の弁当に詰める。未だ未だ十二分に残る・・・・。

                

ヨッシ!久々に弁当を持って行こう。と、自分用の弁当が久々の登場となった次第だ。

 

 

 

 

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潮田神社祭り&チンジャオロースー

2015-06-08 | Weblog

6/8(月) 一昨日の土曜日、鶴見の「潮田神社」の夏祭りを見に行った。というのは、人形町安酒場NO1の「ちょっぷく」の店長YAMAちゃんが此処に住まっており「賑やかだから見に来いよ」と、何度かの誘いがあった由。

YAMAちゃんらの町会、本町通り一丁目までは鶴見駅から歩いて十数分を要したか。潮見橋を越えると直ぐに商店街がつづき、そこからが本町通りで一丁目から三丁目まであるようだ。その通りを車両通行止めにして屋台が軒を連ねていた。

長女と孫娘の〝そら〟が一緒だったので、屋台をみて大喜び。それはいいのだが、あれが欲しいこれが欲しい、ヨーヨーだ金魚すくいだと果て無し。こっちは、美味くもない唐揚げを齧りながら生ビールを飲むぐらいだ。土曜日の午後、未だ人出は少なく祭りの熱気は伝わってこなかった。

暫くすると、宮入をしていた神輿が戻ってきた。町内練り歩き前の、お宮から町会事務所まで戻る間の景気づけの巡航があった。YAMAちゃんや、店の助っ人隊の面々の姿も在った。

                    

                 真ん中YAMAちゃん                   YAMAちゃんとその孫

日曜日もあると言われたが、流石に行く気にはなれず、自宅の朝顔の植え替えなどをした。こんなことで、土・日は会社に出なかった。

僕らが子供の頃、地域の神祭ともなれば、各家庭はご馳走を作り酒肴を用意して、親戚や知人を呼んで酒盛り(土佐風にいえば、お客)で祝った。大人は酒を飲んで談論風発、若者は祭りで血肉をたぎらし、子供らはそれを眩しげに見ている。そんな光景を目にしなくなって久しい。すっかり生活・風習が変わった。

これが、進化なのか文明と云うやつの結果なのか。でも、あゝ云う習慣・・・・、皆で氏神を奉り寿ぐ風習は残したいものだ思う。貧しかった時代。人々は肩を寄せ合い、力を合わせて生きていた。お金というやつが、其々にそれなりに廻っていく時代になった結果か?

 

今朝は六時過ぎの目覚めだった。昨晩眠りについたのは25時頃か、深夜に束の間の目覚めがあり遅い起床となったようだ。

今日は「チンジャオロースー」がメイン。さりとて出来合のパック品だ、ピーマンと筍を細切にして炒めるだけのこと。

                      

これと「春雨と野菜(オクラ・人参・キャベツ)のサラダ」「小ジャガイモの煮っ転がし」「卵焼き」以上であった。

                    

弁当の方も十年一日の如く、進化も変化もない。神祭の風習の変わり様の年月からすれば、今しばらくはこのままで、良しとするか・・・。

                       

 

 

 

 

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OB会

2015-06-05 | Weblog

6/5(金) 今日は10時から、サラリーマン時代のOB会総会がHグランド・パレスであった。先輩からの思召しで役員の端くれに連なっているので、義務的出席である。このホテルは、私が結婚式を挙げたホテルなので忘れr難い。あれからどれだけの年月が経ったことか・・・・。

義務的出席とはいいながら、こう云う機会には色んな方に会える。仕事上のメリットを考えれば計り知れないだろう。が、それほど熱心に挨拶を交わすわけではない。今日、話をした方は三十人に満たないだろう。

総会の後は講演会があり、正午から懇親会であった。懇親会への出席者は二百数十人か、新年会に比べると少ない。会長の挨拶にもあったが、年々会員が減っているのが課題だ。OB会なのだから、新加入が増えなければ年寄りは死ぬので会員は減る。我が母校の同窓会なんぞは惨憺たる状況だ、それと比べちゃいけないが、まだまだ大丈夫だ。

大懇親会の後は、引き続きお手伝いを頂いた会員と役員で会食があった。それに出て、人形町に戻ったのは三時過ぎ、雨がポツポツと落ちてきた。雨用の靴を履いてないのが気に掛かる・・・。

さて、今日の弁当だが・・・・。今朝はなんと、四時前に目が覚めたのだ。寝汗を掻いたせいかな?そのまま風呂に直行した。それから弁当作りとなった。

「鶏肉とトマトの煮込みパスタ」「鮎の甘露煮」「茄子・シメジ・キャベツの味噌炒め」「味付けの豚ロースステーキ」、以上が今日の菜である。

                  

何時もながら、コッテリ系だ。自然にそうなってしまうのは、コッテリが好きなのか、コッテリしない性格がそれを求めるのか?。自分の弁当は持たないので、お味見代わりに朝飯で残り菜を食す。ウ~ン、美味い!

                          

昼間から飲むと、眠くなるね~。暇なOYAJだぜ!

 

 

 

 

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「ぶにせ」

2015-06-04 | Weblog

6/4(木) 昨日の昼、訃報の連絡を貰った。五年前まで監査役努めてもらった「鈴木 孝」さんが亡くなったとの知らせであった。昭和6年生まれときくので、83歳になろうか。葬儀に関する詳細は未だ届いてないが、お悔やみに行かなくてならぬ。

鈴木さんに最後にお会いしたのは、辞められた五年前になる。ご自宅の最寄り駅にある寿司屋で、昼酒を嗜みながらこれまでの御礼を申し上げた。その後、ご無沙汰だったので申し訳ない思いだ。

そんな連絡を受けた後、YOSHIOと昼飯に出た。貧乏飯ばかりつづくので、たまにゃパーッといこうぜと「高松」で蕎麦を食べることにした。パーッとやってもこの程度が関の山だ。『お前、モリソバにしろよ。俺は鴨セイロだけどよっ』そんな与太を言ったが、「こんな贅沢していいのかな」と言いながら、同じものを喰った。

鴨セイロは「ベローチェ」のアイスコーヒ&ジャムサンド(310円)に比べると、700円ほど高いのだ。ベローチェで三回以上喰えたな・・・・、そんなことを云いながら店を出た。「ロリオ」でお茶飲んで帰ろうと云うと「今度は俺、奢りますよ」なんて言いやがった。『止しなよ、あそこのコーヒーは200円じゃなく、400円だぜ』とたしなめた。

一昨日もYOSHIOと一緒にランチだったが、店はベローチェ。YOSHIOは何時ものコーヒー&ジャムサンドで310円。オイラは同じセットでもサンドイッチが230円の二つ入り、〆て430円と高額なやつだ。チョット差をつけて見せつけてやった。午後になって、余りにも暇になるので気分転換のランチ外出なんだ。決して飯を喰いたい訳じゃない・・・・・。

                             

                             手前がオイラの!

昨夕は後輩のKAKIUCHI君と神田で落ち合った。仕事でトラブルがつづいたとかで忙しくしていた。神田の店は不案内なので、適当に探そうと路地をぶらぶら・・・。と「さつま」と云う看板が目についた。この店に入ったが、選んだのはKが薩摩の出身だから。五十路を過ぎると、故郷恋しの思ひが強くなるのか?

「さつま」の店名どおりに鹿児島の芋焼酎が並んでいたが、どれも知らない銘柄だ。Kの方は流石に地元、結構知っていた。彼の進める焼酎を飲む。最後に飲んだのが一杯分だけ残っていた「ぶにせ」と云う田舎町の焼酎。吹上浜のある町だそうだ。Kが新人だった頃、この町も電報配達のエリアだったと、懐かしそうにした。

                             

「ぶにせ」と云う意味を訊かれたが、薩摩言葉が分ろうはずがない。Kによると〝鈍いとか、醜い 〟とかのようだ。まさにオイラが飲むに相応しい。おまけに置いてある焼酎の中で、芋の匂いが一番強いとのことだ。

Kが大阪で勤務した頃の話から、菊池の「雉おじさん 松ちゃん」に世話になった話、田舎の両親のことなどを訊きながら酒が進んだ。そこにショートメールが届いた。銀座の某酒場のママさんからだ。半年もご無沙汰をしているので、Kの都合が良ければ顔を出す心算だった。計ったようなタイミングだ。

返信メールに『枕営業かい?』と、今流行りのワードを入れたのは勿論のこと。で、銀座に向かった。時間はまだ八時前、早かったので店内に客の姿なし。感心なことに、半年も前に入れたボトルを、ちゃんとキープしてあった。

二人で馬鹿っ話をして騒いでいたら、サラリーマンの二人連れ(上司と部下か)が来店。Kは、この二人も巻き込んで騒いでいた。(営業力がついたようだな・・・・)

                     

                         初見の客を巻き込んで・・・(左がK)

二時間近く騒ぎ、次の客の来店を潮に引き揚げることにした。帰宅は23時前と早かった。

 

そして迎えた朝、なんと四時のお目覚め。幾らなんでも早すぎると、一時間ほど蒲団の中に籠っていた。

今朝のメニューは「親子丼」がメイン。昨夜のうちに決めてあった。先ずは、これを仕込む。

                        

後の菜は、「うどんのパスタ風サラダ」意味が判らんだろうが、要は乾麺うどんを茹で、塩揉みした胡瓜と人参を加える。味付けは塩胡椒・オリーブオイル・青紫蘇ドレッシング。茄子・ズッキーニ・ピーマン・ベーコンのオリーブ炒め、卵焼き。以上となった。

              

 

 

 

 

 

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掻揚げ

2015-06-03 | Weblog

6/3(水) 朝から雨になった、何時ごろから降りだしたのか?六時半に台所に立った時には降っていた。今日は「掻揚げ」にした。昨晩、冷凍庫の小エビと豚バラ肉を冷蔵へ移しておいた。

掻揚げは、小エビ・タマネギ・人参・牛蒡である。豚バラは塩胡椒で薄味をし、衣をつけて揚げる。小茄子と新ジャガもついでに揚げた。

                    

小松菜を軽く茹で、胡麻油で炒め、卵とじにする。鮭を焼き、小さい卵焼きを作る。以上であった。作り手からすると、物足りなさが残る弁当だが、量的には丁度よかった。

                        

 

昨夜は予定なし、七時過ぎに会社を後にして「ローカーボ」に顔を出した。客の姿は未だなかった。軽くハイボールを二・三杯流し込んで帰るつもりでいた。二杯目を口にした頃、HOYAの兄さんが姿を見せた。「明日は朝から現場だ」と、作業服を着込んでいたが、これが良く似合っている。

顔付きあわせて飲んでいる内に、以心伝心「Seiju」でカラオケとなった。Seijuは相変わらず閑であった。腰を下ろすなり、選曲を始めた。HOYA兄さんの味わいのある声を聴きながら、焼酎ソーダ割りをちびりちびりとやる。

                         

私は、ママに取って置きの歌だよと「新宿情話」を唄った。これを唄うのは、前夜に続き二度目である。この詩は〝新宿は西口の 間口五尺のポンタの店が とうとう潰れて哭いてるヒロコ・・・・・〟、ヒロコの処は、ママさんに変えるのだが・・・・。

前は「ちあきなおみの〝あかとんぼ〟」が、もっぱらだったが、ちあきのCDに入っていた〝新宿情話〟に変へたのだ。あかとんぼの詩は〝新宿駅裏あかとんぼ・・・ 今日でお仕舞店仕舞い・・・〟何れも店が潰れてしまう歌だ。こんな歌を唄うのも、何時潰れてもおかしくない閑な店への、私流のエールなのだが・・・・・。

とうとう我らの居る間に、客の姿を見ることはなかった。送り出す時のママさんの言葉「明日も待ってますから」であった。『なんだよそれやぁ、ちょっぷくのYAMAちゃんと同じセリフじゃねえか。バカヤロ~』と、笑ってやった。

そうなんだ、YAMAチャンが客を送り出す決め台詞が「じゃ明日も待ってるよ」なんだ。こんなセリフを聴いた所為か、HOYA兄いが「一杯だけやって帰ろうよ」と、直ぐ先に在る「ちょっぷく」に寄った。本当に一杯で終わったが、前夜と同じようなコースである。

懲りないOYAJであるが、一杯のお蔭で、帰宅は23時20分と順当であった。

 

 

 

 

 

 

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