中野みどりの紬きもの塾

染織家中野みどりの「紬きもの塾」。その記録を中心に紬織り、着物、工芸、自然を綴ります。

第7回紬きもの塾――布を織る

2014年11月21日 | 紬塾 '13~'16


櫻工房の大山桜が紅葉し始めた11月上旬に紬塾の織り実習が行われました。
丁度「紬の会」の準備中で忙しさのピークの時でしたが3人の方のために機を空け、織ってもらいました。

毎年のことながら、みなさんの機に臨む真摯な姿勢に感慨深いものがあります。

「人は布を織るように生まれてくる」と私はいつも思っているのですが、それは好き嫌いや、楽しい楽しくないなどということではなく、人の遺伝子には布を織らなければ生きていけないという重く厳しく、でも豊かな仕事が課せられていると再確認する時でもあります。

自己表現や手慰みではなく、糸や色や織りの仕組みと真剣に向き合う緊張感、焦燥感、高揚感、満足感を目の当たりにして、みなさん必ずご自分の布を眺め「美しい・・・」とうっとりと言葉を漏らします。
力ある経糸のお陰もあって、ふっくらとした本当に美しい布が織れました。
小さな自分の世界に固執することではなく、自分を解きほぐすことができたなら良いと思います。

改めてそれぞれの方に気づきなど書いてもらいました。
少し長いですが、織る人も織らない人も時間のある時に是非読んでください。

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足元をしっかり固めて・・

自分で紬いだ太い糸を入れる。
糸つむぎ
いちばん簡単そうに見えて、実はわたしにとってはいちばん難しい作業でした。
真綿を引く、という感覚がまずたいへん。そして、絡んだ糸を面倒みるのが、糸と仲良くできずにおやおや、という感じでした。
真綿を台に掛けたときの風合いは、他で見ることのできない柔らかさで、とても心が癒されました。

糸染め
色素を煮出すのは長時間ぐつぐつだと思い込んでいたので、色が出てわずかな経過で火を止めるのがとても意外性ありました。
また、桜が媒染で変わっていくさまが不思議で、金属の働きについて、あらためて知りたいと感じています。(これでも理系なので)
染めが面白かったので、このあと別のところに3回も染め体験にかよってしまったのは内緒です。


スーパー不器用なので、なかなかうまくいかないだろうと思いきや。
思ったよりも手足が動いて驚き、また、楽しい体験になりました。
設計をするのも楽しく、だいたい思っていたとおりの縞が織り出されてきたときには、なんというか、やるじゃんあたし<( ̄^ ̄)>な気持ちになりました。
多くの色を使うことも考えたのですが、自分の糸を活かすには、あのくらいかなーと今思い返しても、そうそう、と思います。

こうして、布を作ることの基本作業を体験してみて、着物や帯の価格の妥当性に思い至ることとなりました。
また、今日は、引退なさる藍染師の工房を見学してそれらの作業の重労働であることを知り、日本経済の歪みが全ての分野で起きていること、価格破壊って生活破壊なんじゃないか…と頭を抱えてしまったのでした。 M.T.

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絵を描くようにデザインを決めてきたのですが半ばで予定変更・・・

糸を紬ぐところから染め、織りと体験させて頂きましたが、
同じ作業でも、全てに三者三様の個性が出るのが面白かったです。
織り上がった小さな布は、まるで自分そのもののようでした。
絹から返ってくる反応はとてもストレートで、
紬ぐ時などはこちらの集中度合いがすぐ太さや風合いに表れるように感じました。
素材としての絹がとても好きになりました。

設計の時は先生に色で見てしまっていると指摘して頂いたのですが、
なかなかそこから抜け出せないで、意味もよく理解できていませんでした。
悩んでしまいその日のうちに終わらず、家に持ち帰り仕上げて来たのですが、
いざ織り始めると、色数が多過ぎて、その通りにするのは大変でした。
ベタ塗りの連続で、想像したのとは違う、苦労の割りにはのっぺりしたものが出来てきました。
途中で先生に、「糸を交互に混ぜると良いですよ」とアドバイスを頂き、やってみると
糸の表情が動き始め、織るのも楽しくなってきました。
そこからは色数の多い設計は無視し、感覚で3・4色を使って織り始めました。
設計を気にしながらちょくちょく止まっていた最初の方とは違い、
手や足も徐々にリズムを掴んで、いつの間にか一心に集中していました。

楽しくなってきたところであっという間に時間が来てしまいましたので、
課題の「自分の糸の形を見ること」をちゃんとできたのか…。
気を使わなくてはいけないことが沢山あり、他のことに囚われ、
自分の糸と向き合えたのか反省をしています。
ですが最後の方に、ちょっとだけ、糸との対話ができたかも知れません。

設計は時間を有効に使う為のものであったのに、色を詰め込み過ぎていたので、
使いものになりませんでした。自分の創造力をフルに活用する作業だなと感じました。
この設計でも細い糸だったら綺麗になったかもねとも言って頂いたのですが、
使う糸の特徴を生かしこちらから寄り添う設計が必要なんだなと感じ、
また、面白く思いました。

織り上がりは最初の方と最後の方で全く別物のようで、
わあ、変なの織れちゃった、と沈みましたが、
写真を撮り、帰った後で冷静になって見てみると、これはこれでまあ良いかと、
だんだんと好きになってきました。

織り上がったものを見るだけではわからない深さを、
この体験を通じて感じ取ることができました。
垣間見ただけですが、たて・よこの中がなんでこんなにも深くて広いのでしょう。
不思議な位です。
難しくないけど(複雑ではないけど)深いのですね。
この感覚を体験だけで終わらせず、展示を見ることや布に触れる機会を
通して、自分のものに育てて行けたらと思います。
貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございました。 T.S.

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織る背中にも真剣さが・・

自分で紬いだ糸としっかり向き合うシンプルなデザイン。
自分の紬いだ糸がどう見えるのか、糸と向き合うという考えれば考えるほど難しい課題でした。何を感じることができるのだろうか、緊張していました。
教わるだろうことを守り、丁寧に行うこと、それだけは心に決めていました。

今、振り返り一番に思い出すこと―それは、さっと通した自分の紬いだ淡い色の糸が、たまたま良い角度で入り、それは思いのほかきれいに紬がれていて、とんと納まった時の情景です。三寸程の中でただ一越の瞬間が鮮明に残っています。何かわかりませんが、すごいと感じました。
このような「きれ」があるのだという静かな驚きでした。風合いのあるあたたかな「きれ」とはこういうものなのかと思いました。

この実習のように、糸一本一本を見つめて、一越一越を考えながら織ることは(ほとんど準備していただいたことなのですが)大切で尊い作業でした。それ故に、何かしらを問われているような気がしています。何かを突き付けられました。
とはいうものの、実際は、いろいろと注意しながら織りを繰り返すことでいっぱいで、 「糸」、「きれ」を見つめる余裕はあまりありませんでした。
織りあがった「きれ」を見て、触れて、再び考えてみたいです。
ありがとうございました。 N.K.





コメント
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