夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

水道水『乳児には飲ませないで』、と公言され、もとより人は空気、水、食べ物は欠かせないので・・。

2011-03-24 10:43:31 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨夕、NHKのテレビのニュースで、《金町浄水場で放射性物質が検出された》と知り、
驚いたひとりである。

読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】の掲載された記事を転載させて頂ければ、

《・・
      金町浄水場で放射性物質…乳児には飲ませないで

東京都は23日、都内に水道水を供給する浄水場から、
乳児が飲む規制値の2倍を超える放射性ヨウ素を検出したと発表した。

都は、乳児が水道水を飲むことを控えるよう呼びかけている。

呼びかけの対象地域は東京23区、武蔵野市、町田市、多摩市、稲城市、三鷹市。

検出されたのは、葛飾区の金町浄水場で、22日午前9時に採水したところ、210ベクレルを検出した。
食品衛生法に基づく乳児の飲用に関する暫定的な規制値は、100ベクレルとなっている。

都では、この水道水を乳児の粉ミルクなどに使うことを控えるよう呼びかけている。
ただ、指標は乳児が長期にわたり飲み続けた場合を想定しており、
他の飲用水が確保できない場合は飲んでも構わないとしている。

(2011年3月23日 読売新聞)
・・》


今朝、いつものように読売新聞の朝刊を読み、2面の【総合】面の中のひとつに、

《基準上回る水道水》

《乳児も入浴・洗髪 問題なし》

と見出しされた記事を精読した。

この記事を要約されたのが、【YOMIURI ONLINE】に掲載されている。

http://www.yomiuri.co.jp/feature/eq2011/issue/20110323-OYT8T00975.htm
☆【YOMIURI ONLINE】
         <==《1年余り飲んでも影響なし…入浴・洗髪もOK》☆


過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震、
これに伴う大津波などに寄る壊滅的な大惨事に関して、
大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしている。

こうした中で、何とか避難ができた生存者の方たちは、壊滅的な災害地となった人たちが、
避難所などの中で、日夜で寒さの中、水、食べ物が不足する中で、
困窮した生活をされている人たちは、何よりも具体的に先の見えない日々を過ごされ、
余りにも過酷である、と思いを重ねてきたのである。

この間に、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、
動顚している。
そして東京電力は被災地にある発電所の大被害、そして福島第一原子力発電所で事故が発生し、
その後も相次ぐ事故に関して動顚した。

これに伴い、東京電力の供給量が不足し、『計画停電』が実施されている。

こうした中で、農作物の野菜などが放射性物質が検出され、
北関東地方などの多地域が出荷停止され、
労苦の多い農作物をやむえず廃棄される農家の人たちの無念さ、
幼年期に農家の児として育った私は、涙を浮かべて、テレビのニュースを視聴していた。


そして、昨日に《金町浄水場で放射性物質が検出された》と知り、
都心地域にお住まいの若きご婦人の乳児、幼児を保育をされている方たちは、
大いに困惑して、対処をされていることだろう、と無力な高齢者の私は深く感じたりした。

私の住む調布市は、確か水道水は地元の深井戸から取水し、不足分は利根川から供給してもらう、
と少しボケた私は思っている。
平素の私は、この水道水から瞬間湯沸かし器に頼り、煎茶を淹れて飲んだりしているが、
美味しいと思ったりしている。


もとより人は誰しも空気、水、食べ物は欠かせないので、
昨今の汚染に、特に未来のある乳児、幼児には、多事災難である。


尚、余談であるが私は水に関して最も教示された本として、
富山和子(ともやま・かずこ)さんの著作のひとつ『日本再発見 水の旅』(文藝春秋)の単行本で、
1987(昭和62)年の夏に読み、圧倒的に教示され、喚起されて、
これ以来、多くの水に関しの本を読み始めた貴重な原点となっている。


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東京郊外で、児童たちの防災頭巾の姿を見かけた後、遠い昔の防空頭巾、防空壕などを思い馳せ・・。

2011-03-23 18:30:37 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
家内と朝の9時半過ぎから、駅前の衣料専門店に買物にでかけた。

帰路、地元の小学校の近くを通り過ぎようとした時、
20名前後の児童が防災頭巾の姿と出会い、私は少し驚いたりした。

この後、11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震、
これに伴う大津波などに寄る壊滅的な大惨事に関して、
東京郊外でも、児童たちは春休みのひととき、防災訓練の講習を受けた帰りかしら、
と思ったりした。

東京郊外の私の住む付近は住宅街となっているので、
昨今、地震の余震がときおり発生しているので、激震になったならば、
住宅のガラス、家屋からの破片が舞い落ちてくるのが一番怖いことであるので、
児童たちは防災頭巾で頭、顔、首廻りを保護する為に、このようになった、
と私は思ったりしたのである。

それにしても昨今の防災頭巾は、私は初めて見かけたが、
おしゃれで機能性があると感じたりした。


帰宅後、私はぼんやりと先ほどの児童の防災頭巾の姿を思い浮かべていたら、
遠い昔の綿入れの布地の防空頭巾、防空壕などに思いを馳せたりした・・。

私は1944(昭和19)年9月に、今住んでいる近くの北多摩郡神代村入間(現・調布市入間町)実家で生を受けた・・。
農家の子として、長兄、次兄に続いて生まれたので、三男坊となる。
敗戦の大戦の一年前の頃であるので、もとより戦争を知らない身なので、
後年になると祖父、父、母、叔母の同居する人達はもとより、
親戚の叔父、叔母からも、この当時のことを教えて貰った。

北に飛行機を製造する中島工場、
西に軍事物資を生産する東京重機が数キロ先にあったので、
ときおり近くに爆弾が落ち、空襲警報のたびに、
宅地から少し離れた我が家の崖の雑木林にある防空壕に避難した、
と話していた。

祖父と父か中心となって、程ほどの広さの田畑を耕し、人手の足らない時は小作人の人々の手も借りたりしていた。
そして空襲警報が発令されると、何をおいてもとりあえず防空壕に避難したので、
慌しい恐怖の時代でもあった。

少しばかり遠方にあった軍事物資を製造する場所、軍用機を生産している場所を目標に、
米軍の爆撃機が幾たびか飛来し、爆弾を大量に落としたのであるが、
ときには付近の田畑、雑木林に落下した、
と後年に親戚の叔父さんに私は教えて貰ったりした。

250キロの爆弾と云われても私は定かでないので、
更に教えを乞うと、今で云うとプロパンガスの大きな物ぐらいよ、と叔父さんは私に云われた。
私は大きなプロパンガスのような爆弾が、空から大量に降ってくる状況を想像すると、
身も心も身震いをしたのは、高校生の頃であった。


我が家の実家は、戦時中の頃は、
玄関の中は広い土間となり、その一角の壁面に、各自の防空頭巾をつるしていた。
そして祖父、父、母、叔母の人々に導かれて、
私が生まれてまもない頃の時は、長兄は5歳、次兄は2歳であったので、
防空頭巾をかぶしてもらい、手をひかれながら、防空壕に避難された・・。

私は乳児であり、おしめの取れない時期であったので、
母たちは何かと大変だっただろう、と思い返したりしている。
後年になると、防空壕の内部の土の上に藁(わら)を敷いた上に、莚(むしろ)か茣蓙(ござ)に座り、
家族全員で互いの安否を確認した上で過ごした、
そして2歳過ぎた次兄が一度ばかりであったが、うんちをしたので少し困った、
と後年に叔母たちが話されたので、私達は微苦笑したりした。


私が小学3年生の頃になると、
図画の授業で先生に引率されて、学校の近辺の丘陵の雑木林に行った時、
コンクリートできた高射砲の台の跡が数多く見受けられた。
米軍の飛行機の来襲に備えて、造られた形跡であった。

この頃までは、小学校の帰路に寄り道をすると、数多くの防空壕が見受けられたり、
実家の防空壕も小学の後年の頃までは遊んだりした。

雑木林の崖の一角に、縦横1.8メートルぐらいの入り口に木戸があり、
少し入ってまもなくすると、横に掘られ横幅が広くなり、奥は8メートルぐらいと感じたりした。
少し湿度を感じたりしたが、広間のようにゆったりとしていた。

後年の成人になった私は、
防空壕は入り口からまもなく角度が横になったのは、万一の爆風を避けることであろう、
そして幾分広めの内部は、平素の農作物の保存場所に併用していた、
とおぼろげに思ったりした。


この我が家の実家の防空壕は、私が中学に入学してまもない時、
都道が新設されることとなり、跡形もなく付近の田畑、雑木林も含め、大きく変貌したのであった。

このように戦争を知らない私は、防空頭巾、防空壕、高射砲台の跡、
この程度しか解からないひとりである。


このようなことを思い馳せたりしていたが、
もとより防空頭巾は、アメリカ軍の爆撃機が空から爆弾を落とし、
軍事生産地、住宅街などに大打撃を与え、住民も殺傷する目的を防ぐ目的である。

そして防災は自然災害による地震などで、
ビル、住宅のガラス、家屋からの破片などの落下物を防ぐ目的であり、
天と地のように大きく差異があることは、記すまでもないことである。


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『震災復興くじ』が発売されたならば、たとえ食費を削減しても、私は購入しょうと決意し・・。

2011-03-23 08:35:28 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
昨夜、ネットでニュースを見ようと【YAHOO! JAPAN】を開いたら、

《 復興くじ 申請あれば 最優先に 》

と見出しされ、何のことかしら、と思いながらクリックした。

読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】から配信された、

《 震災復興くじ、申請あれば迅速許可…過去最大に 》

と題された記事と解かり、私は精読した後、思わず微笑んだりした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
         震災復興くじ、申請あれば迅速許可…過去最大に

                          読売新聞 3月22日(火)17時22分配信 


片山総務相は22日、東日本巨大地震の被災県・政令市から震災復興宝くじ(復興くじ)の発売申請があれば、
「最優先で進めたい」と述べ、速やかに許可する考えを表明した。

発売されれば、阪神大震災、新潟県中越地震に続き3例目となる。
今回の震災は被害規模が大きいため発売規模も過去最大となる見通し。
全国自治宝くじ事務協議会は、25日に次回協議会を開き、対応を協議する。

阪神大震災では兵庫県と神戸市が計288億円を売り上げ、
当せん金や経費を除いた収益金計135億円を震災復興事業に充てた。

・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は平素、宝くじのジャンボなどを年に5回ぐらい購入するひとりである。

今回の東日本巨大地震に際して、ここ4日前、年金生活の我が家でも、
ささやかながら義援金のことを家内と話したりした。

家内との共通趣味は国内旅行であり、たまたま5月に東北旅行を予定していたのであるが、
今回の巨大地震で、不謹慎と思い旅行の意欲は消えてしまったのである。
そして、わずかながら義援金の金額のことを話し合っていた。


今回の『震災復興くじ』の提案を知り、これだったならば、
現役世代の働いて下さる諸兄諸姉のお宅と違い、
社会貢献に乏しい無力な年金生活のひとりなので、私は購入しょうと決意したのである。

平素の私は、一汁三菜をこよなく愛し、食事をしているが、
『震災復興くじ』の購入資金が不足したならば、
被災された地域のことを思い馳せれば、食費を削減しょうと思ったりした。

1944(昭和19)年の生を受けた私は、
敗戦後の幼年期に困窮した生活を過ごしてきた時期もあるので、
定年退職後でも年に数回、大根(ダイコン)飯を涙を秘めながら、頂くこともある。

そして、特に社会貢献に乏しい多くの年金生活の方たちは、
かっての現役時代に所得税、地方税などで多々国や自治体に貢献してきたように、
余生の今、『震災復興くじ』が発売されたならば、大いに購入して頂き、
東北地方の被災地の復興に貢献して頂きたい、と思ったりしている。


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最新時の『東京電力の電気使用状況』が明示され、高齢者の私でも解かる、と安堵しながら・・。

2011-03-22 16:42:20 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を開き、

《 計画停電区域、より細分化…利便性高める狙い 》

と題された記事を読んだりした。

そして東京電力に寄る計画停電が実施されている昨今、停電地域の公平感があるのかしら、
と思ったりした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
東京電力は22日、計画停電の停電対象区域をこれまでより細分化し、
早ければ3月末から公表すると発表した。

計画停電の実施区域をより明確に示すことで、利用者の利便性を高めるのが狙いだ。

計画停電は現在、対象地域を五つのグループに分けて順番に実施しているが、
停電対象でも停電する地域と停電しない地域があり、混乱が生じている。
東電は同一グループを変電所ごとに、さらに5区域に細分化し、停電地域をより明確にする。

4~5月は気温が暖かくなるにつれて電力需要が減少し、計画停電の対象地域も減ることが見込まれる。
グループを細分化し、順番に計画停電を実施することで、不公平感を抑える狙いもある。

また、東電は、22日からホームページ上で、
その日の1時間ごとの電力使用実績やピーク時の供給力を公表する。
電力の使用状況を速報することで、計画停電や節電への理解を求めたい考えだ。

(2011年3月22日12時49分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


この後、私はこっそりとネットで色々と検索した。

http://setsuden.yahoo.co.jp/
☆【YAHOO! JAPAN】<==『東京電力の電気使用状況』☆

このような表が明示され、最新時の使用量、供給量、そして使用率が表示されたので、
驚きながら見つめたりしていた。

そして、この下段には、
『東京電力発表の使用状況グラフ』という項目があったので、思わずクリックした・・。

http://www.tepco.co.jp.cache.yimg.jp/forecast/index-j.html
☆【東京電力】ホームページ
            <==『東京電力発表の使用状況グラフ』☆


私はこの表を見ながら、これだったならば高齢者の私でも解かる、と思ったりしたのである。

この後、現役世代の働いて下さる諸兄諸姉のお宅と違い、
社会貢献に乏しい無力な年金生活のひとりなので、せめて節電に努めるのが、
責務であると確信を深めたりしている。


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『東電の計画停電の長期化』を朝日新聞で知り、東京郊外に住む高齢者の私は、覚悟をきめて・・。

2011-03-22 13:09:18 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、朝日新聞社の基幹ネットの【asahi.com】のひとつの記事を偶然に読み、
ため息をさせられた・・。

《 東電の計画停電、今夏・冬も 大規模火力発電所、被害大 》

と題された記事であり、多々教示されて、
やはり東京電力に寄る計画停電で長期化になる可能性がある、と知ったのである。

もとより首都圏に住む私たちの日常生活にも多大に影響するので、
無断ながら、転載させて頂く。


《・・
       東電の計画停電、今夏・冬も 大規模火力発電所、被害大

                         朝日新聞社の基幹ネットの【asahi.com】
                         2011年3月22日5時40分

東京電力は、計画停電(輪番停電)を今夏だけでなく、今冬も続けなければならない、
との見通しを明らかにした。

東日本大震災の津波で、福島県と茨城県の大規模火力発電所が、
現時点で復旧の見通しが立たないほど壊れていることが分かったためだ。


東電幹部が朝日新聞の取材に明らかにした。
夏冬の計画停電で、家庭や職場の冷暖房の使用が、厳しく制限されるのは必至だ。

夏の計画停電は、気温が高い午後2~3時を中心に実施される見通し。
停電規模は、気温の上がり方次第で大きくなる可能性がある。
首都圏への電力供給が長期間制限されることで、産業界も大打撃を受けそうだ。


大きな被害がわかった火力発電所は、広野火力発電所(福島県広野町)と、
常陸那珂火力発電所(茨城県東海村)。
発電所の設備や、石油や石炭など燃料の貯蔵施設が津波で壊れた。

両発電所の合計出力は480万キロワットで、
同じく津波で損壊した福島第一原子力発電所(福島県大熊町・双葉町、469.6万キロワット)に匹敵する。


2800万世帯に電力を送る東電管内のピーク需要は、
冷房が必要となる夏場が6000万キロワット前後、
暖房需要が高まる冬場が5000万キロワット前後。
これに対し東電の現在の供給力は3500万キロワット前後にとどまる。


東電は、休止している小規模火力発電所を立ち上げるなどして、
4月中に4000万キロワット程度まで引き上げる計画だ。
さらに、ガス会社などの電力卸供給事業者(IPP)からの電力買い取りなどを進め、
夏までに4700万キロワット程度に増やす予定。
しかし、それでも夏時点で1000万キロワット(333万世帯分)、冬も数百万キロワット足りなくなる計算だ。


電力は、水やガスのようにタンクに大規模にためられない。
そのため、需要分だけ供給力を用意する必要がある。
電力会社は自社の発電所で必要な電力を賄えない場合、
ほかの電力会社から電力を融通してもらうが、周波数の違いから、
西日本の電力会社から受けられるのは100万キロワットまで。

東北電力は周波数が同じだが、被災で電力が不足しており、融通は期待できない。
北海道電力からも送電技術の限界から60万キロワットしか受けられない。


東電幹部は「再稼働した火力も、いずれ定期検査に入るので、ずっと発電できない。
今夏、今冬だけでなく来夏も綱渡りが続きそう」と話している。

・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は昨夕、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に於いて、
《 東電、21日は夕方以降も計画停電実施せず 》
と題したニュースで、
《・・定期点検中だった五井火力発電所(千葉県)の稼働などで供給力を3550万キロ・ワットまで確保できる見通しとなり、
計画停電を回避できると判断した。・・》
と学び、
今後も我が家や各家庭で節電に努めれば、何とか計画停電実施の回避できるかしら、と安堵してしまったのである。

東北地方の太平洋側の産業基盤が壊滅的になり、首都圏の産業地に負担がかかるが、
肝要の電力と水の不安定には、生産がままならず、日本経済はますます低下してしまう。

もとより日本は、経済の復興がなければ、明日の見えない社会となり、
社会保障費などは大幅な削減となり、多くの国民は路頭に迷ってしまうのは明白である。


このような思いで、年金生活の無力な私のできることは・・と思いながら、
昨日、このサイトに於いて、
【 東日本大震災で日本の経済損失は、最大19兆円であるが、やがては復興努力で回復のニュース、安堵・・?】
と題して、投稿したりした。

そして、元気こそ何よりも肝要であると、たわむれ風に、
【『家庭の節電ポイント』、高齢者の私でも解かりやすいニュースを読み、思わず微笑みながら・・。】
と題して、投稿したりした。


今回、朝日新聞で東電の計画停電の長期化を学び、
私は1944(昭和19)年に生を受け、敗戦後の幼年期は困窮した体験もあるので、
夏場にはクーラーに頼らず、窓を開けて、団扇(うちわ)、扇子(せんす)を活用したり、
晩秋は厚着に徹すれば、何とか生活できるのである。

そして極論を発露すれば、病院などは配慮した上で、肝要な首都圏の生産地に、電気を優先的にまわしてほしい、
と思ったりしている。


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『家庭の節電ポイント』、高齢者の私でも解かりやすいニュースを読み、思わず微笑みながら・・。

2011-03-21 20:59:56 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、

《 暖房、照明が効果大=「ピークずらして家事を」-家庭の節電ポイント 》

と題いされた記事を10分ばかりで読んで、少しボケた私でも解かりやすいと思った。

無断であるが、家庭内の節電に関心のある方に紹介致したく、転載させて頂く。

http://www.jiji.com/jc/c?g=ind_30&k=2011032100185
☆時事通信社【時事ドットコム】《 暖房、照明が効果大=「ピークずらして家事を」-家庭の節電ポイント 》☆


私はこの『家庭の節電ポイント』を読み終わった後、
節電できた分で、高齢者の私としては、少し若返る身なりをしたく、
デパートで素敵なスポーツシャツを買い求めよう、と思ったりした。

或いは遠い昔にサントリー・ウィスキーのコピー名文
《 トリスを呑んで ハワイに行こう 》
真似事をして、
節電して、温泉滞在旅行をしょう、と微笑んだりしている。


過ぎし11日の東日本大震災後、何かしら日本の社会は自粛ムードの風潮があり、
経済が萎縮したら、日本経済の復権がますます遅れてしまうので、
高齢者の年金生活の無力な身として、
節電できることは節約した上、せめて少しばかり贅沢なことをして、
わずかながら日本経済に貢献しょう、と思ったりしている。


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東日本大震災で日本の経済損失は、最大19兆円であるが、やがては復興努力で回復のニュース、安堵・・?

2011-03-21 15:12:40 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ネットでニュースを見ようと、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開き、

《 経済損失、最大19兆円=東日本大震災で-世銀 》

と題して、記事を精読した。

もとより日本は、世界の経済主要国であり、今回の東日本大震災の国難により、
私も悲観的な心情で、果たして日本は復権できるかしら、と思ったりしていた。

もうひとりの楽観的な私は、敗戦後、幾たびかの難局を乗り越えてきたのだから、
数年後に復活できる、と考えたりした。

こうした意味合いで深く精読したのである。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
          経済損失、最大19兆円=東日本大震災で-世銀

【ワシントン時事】
世界銀行は20日、東日本大震災による日本の経済的損失が、
1220億~2350億ドル(約9兆8600億~18兆9900億円)に上るとの暫定的な報告を発表した。

国内総生産(GDP)比では2.5~4%に相当し、
阪神・淡路大震災の同2%、1000億ドルを上回る。

世銀は「過去の歴史に照らせば2011年半ばまでGDPに悪影響を及ぼし、
その後は復興努力で回復する」と予想した。


世銀は同日、東アジア・太平洋地域の経済見通しの改定を発表、
この中で東日本大震災による損失見通しを示した。

同地域への経済的な影響に関しては、貿易への影響を重視。
阪神・淡路大震災時には、輸出入とも2、3四半期の減速後に急回復したとする一方、
「今回は自動車、電機産業の生産網が打撃を受けたことで、
問題が長引く可能性がある」との見解を示した。

時事通信社(2011/03/21-11:04)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は無念ながら経済にも疎(うと)いが、今回の東日本大震災に関し、
企業の生産だけを配慮した場合、東北地方の太平洋側の部品、完成品メーカーに多大な被害を受けた。

少なくとも原材料から部品までの加工には、水と電力の安定が前提条件となると思われ、安定となる時期、
何よりそれぞれの分野で、技量を有した人たちが、
従来のような生産形態に、いつ頃に復活できるか、と思ったりした。


日本全般として、震災後にあらゆる分野で、自粛ムードの風潮となってしまい、
各分野の企業は、あたかも萎縮のような状況となっている。

果たして需要の復興は、いつ頃になったならば、活性化するか、
この課題が迅速に解消できれば、日本経済の復権は早まり、
それぞれの世代の人たちが、享受できるのであるが・・と無力な私は考えたりしている。


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悲しみの中、東京郊外の調布市は小雨降る『春分の日』となり・・。

2011-03-21 07:55:04 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先程、小雨降る中、主庭のテラスの片隅に下りたって、
白梅の残り花、しだれ紅梅の花、群生させた日本水仙の純白な花を眺めながら、
煙草を喫ったりしていた・・。

そして、『春分の日』であるので、私の定年退職後は家内と共に、
9時半過ぎに長兄宅に行き、仏壇にお線香を上げた後、
長兄夫婦と他愛ない世間話を1時間ばかりし、長兄宅を辞した後は、
少し離れたお寺の墓地に行き、お墓参りが恒例となっている。

こうした日であるので、明日の午前中まで、雨かょ、
と心の中で呟(つぶや)いたりしたのである。

居間に戻り、ぼんやりと地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時過ぎ11度で、昼下がりには10度前後となり、夜の6時は9度前後で、
横並びのような一日かしら、と苦笑したのである。

しかし私の心は、平常心にしなければと思いながら、平年と違い心が晴れないのである。

もとより過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震、
これに伴う大津波などに寄る壊滅的な大惨事に関して、
大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしている。

こうた中で、何とか避難ができた生存者の方たちは、壊滅的な災害地となった人たちが、
避難所などの中で、日夜で寒さの中、水、食べ物が不足する中で、
困窮した生活をされている人たちは、何よりも具体的に先の見えない日々を過ごされ、
余りにも過酷である、とここ10日は思いを重ねてきたのである。


こうして、居間から、主庭の小雨降りしきる中、
白梅の残り花、しだれ紅梅の花、群生させた日本水仙の純白な花を眺めながら、
ため息を重ね、綴っている。


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『官邸の危機管理 「複合事態」克服へ司令塔作れ』と読売新聞の社説は、まさに至言である・・。

2011-03-20 21:44:38 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
今朝、いつものように購読している読売新聞で読んだりし、
3面にある東日本巨大地震に関する【社説】のふたつの記事を、多々教示を受けた。

特に『官邸の危機管理』と題し、見出しに《「複合事態」克服へ司令塔作れ》と明記された社説記事に、
まさに至言である、と私は深く感じた・・。

この社説記事は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】にも掲載され、
無断であるが、添付させて頂く。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110319-OYT1T00805.htm
☆【YOMIURI ONLINE】
       <== 読売新聞 3月20日【社説】『官邸の危機管理 「複合事態」克服へ司令塔作れ』、☆



私は政治にも疎(うと)く無力な身であるが、今回の東日本巨大地震後の多大な大惨事の国難に関して、
テレビでNHKニュースを視聴し、ネットで各紙のニュースを読み、
各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆している・・。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、動顚している。

そしてハラハラとして注視してきたが、肝要の政府に、民間会社の中小業に35年はかり勤めてきた私さえ、
歯がゆい心情である。

今回の社説の記事の中で、
《・・
首相や閣僚は、まず官僚や専門家の意見に冷静に耳を傾け、
巨大な官僚組織の能力を最大限引き出すことに心を砕くことが大切だ。
官僚が「政治主導」を言い訳に積極的に仕事をしない状況こそ、避けねばならない。
・・》
まさにこのひと言に尽きる、と深く同意させられたのである。

民主党の政権は、平素から「政治主導」といいながら、官僚の秘める能力を活用していなく、
まして今回の大惨事の対処、今後の復興などに鈍く反応し、
官僚組織の能力を最大限引き出し、活用しなれば、この国難は迅速に克服できないのである。


余談であるが、
《・・首相が自ら東京電力本店に乗り込んだり・・》
私は管首相が遠い昔に市民運動をなされた延長戦のような感じ、大局的な感覚が乏しい方と感じたり、

《・・蓮舫行政刷新相に節電啓発担当を兼務させたり・・》
素人(シロウト)のような方に、節電啓発担当を兼務させるのは、もとより不要である。


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巨大地震後、日本の社会は大きく変貌し、東京郊外に住む私は、何よりも平常心と思いながらも・・。

2011-03-20 09:20:47 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震、
これに伴う大津波などに寄る壊滅的な大惨事に関して、
購読している読売新聞で読んだり、テレビでNHKニュースを視聴し、ネットで各紙のニュースを読み、
各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆している・・。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、動顚している。

そして大惨事の被災した地域で、亡くなわれるた方が日ごとに増え、
私はただ呆然としながら、犠牲者の多数に悲しみに、ときおり黙祷をしたりしている。

こうた中で、何とか生き延びられた生存者の方たちは、壊滅的な災害地となった人たちが、
避難所などの中で、日夜で寒さの中、水、食べ物が不足する中で、
困窮した生活をされている人たちは、何よりも具体的に先の見えない日々を過ごされ、
余りにも過酷である。

こうした間に、大惨事の被災した地域で、被災者の救出、救援などに関しては、
政府はもとより、各自治体の関係者、警察、消防、そして自衛隊の方たち、
米軍はじめとする主要国の救援隊などに、日夜奮闘されている状況を、
無力な私はハラハラとしながら、救出される人たちの状況を感動させられながら、
テレビのニュースで視聴したりしている。


16日の夕刻に天皇陛下が東日本巨大地震に関し、
被災者を案じ、救援関係者をねぎらい、
国民が深い悲しみの中にも希望を捨てず、苦難を分かち合って乗り越えることを願いを発露された。
もとより天皇陛下が、国民に映像を通し語られるのは、初めてのことである。

いかに今回の巨大地震に、敗戦後の長い65余年の中で、最大の大惨事であり、
日本の社会は大きく変わり果てた、と私は思ったりした。


もとより被災された方たちの前に於いては言葉もないが、
私たち首都圏に住む人も、度(たび)重なる余震におびえたり、
電力不足が予測されるので、東京電力による『計画停電』が実施され、
対象地域、時間による停電が行われたりしている。

そして、公共交通機関は節電に協力に伴い、終日運休や部分運運休などが実施されて、
働いて下さる現役の諸兄諸姉が往復路で大混乱となったりしている。

こうした首都圏の昨今の実情は、
被災地でもないのに、ガソリンや食料などの買いだめの具体的な動きがあり、私は動顚している。


私は定年後は判断力の衰えたので、自動車免許書は更新を取りやめたので、
殆ど歩き廻り、年に数えるばかり公共機関を利用したりしている。

そして平素の買物担当をしているので、最寄のスーパーに10分ぐらい歩いて行ったり、
ときおり幾つかの駅前に15分から30分ぐらい歩いて、スーパー、専門店で買物をしたりしている。
そして、年金生活の高齢者となった今は、自動車などに頼らず、
何よりも歩くことが健康のもとであると、確信を深めている。


11日の震災後の翌日、いつものようにスーパーに行ったが、
営業時間が短縮されたり、入店人数の制限をされたり、
店内は私のような買物客で混雑し、食料品などが品薄すとなり、どうしてなの、と思い帰宅したりした。

そしてまもなく、パンの棚は、わずかに残ったパンの棚に、お一人さま二つ限り、と明示され、
お米の棚は、からっぽとなり、ご家族様一袋限り、と札が掲げられていた。

平素はあふれるようなあるバン、麺類、米などの食料品があり、
需要より供給力があるので、デフレの一面がある社会情勢の中、
被災地の困窮した状況でもないのに、と私は苦笑するばかりであった。


一昨日、我が家では平年ならば家内との共通趣味の国内旅行に出かけたりし、
或いはこれからの旅について話し合ったりしている時節であるが、
当面自粛しょう、と私たち夫婦は言葉を交わしたりした
そして、義援金の良き風潮に関して、我が家もささやかながら、と話し合ったりした。


昨日、私は買物をし帰宅する時に住宅地の道を歩いていた時、
沈丁花(ジンチョウゲ)の香りを感じ、
昨年の今の時節は、春のお彼岸入りであったり、
学生たちの一部は卒業式を迎えたり、そして学生は春休みの頃になっていた、と私は感じたりしていた。



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大地震の災害支援、米軍指揮官が宮城県の知事訪問、互いに礼節ある言葉を発露され・・。

2011-03-19 21:46:33 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震に関し、
災害支援などでアメリカ軍が日夜奮闘されているのをニュースで私は読んだりしている。

先ほど、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】の配信した記事のひとつを読み、
まぎなく日米の長年の同盟の結晶のひとつだ、と喜んだひとりである。

無断ながら、転載させて頂く。

《・・
      米軍指揮官が知事訪問=大地震の災害支援-宮城

東日本大震災で自衛隊と米軍の共同災害支援活動のため、
陸上自衛隊仙台駐屯地(仙台市宮城野区)に設置された日米共同調整所の
米軍側指揮官のクレイグ・ティンバーレイク大佐が、
19日、宮城県庁で村井嘉浩知事を表敬訪問した。

日米共同調整所は双方の連絡機関で、日米から各15人の計30人で編成されている。

ティンバーレイク大佐は
「日米両国の長年の同盟から得た教訓を、今回の支援に生かしたい」とあいさつ。

村井知事は
「私は元自衛隊パイロットで、米軍の力の大きさをよく知っている。
自衛隊と力を合わせ、宮城県と東北の被災者のため、尽力してもらいたい」と応じた。

時事通信社(2011/03/19-21:09)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


こうした互いの挨拶を読みながら、礼節ある言葉を秘めた挨拶を互いに交わされた、
と私は深く感じた。

今回のアメリカ軍の強力な災害支援などに関しての私なりの心情は、
このサイトに17日に於いて、
【 自衛隊、米軍は頼りになる、と山川草木を愛する無力な私さえ、改めて確信を深めて・・。】
と題して投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/175f0e25afde7222b752be4897df3371
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   3月17日:【 自衛隊、米軍は頼りになる、と山川草木を愛する無力な私さえ、改めて確信を深めて・・。】☆

恥ずかしながら私の信条が見え隠れとなった投稿文でもあり、
お読み頂ければ幸甚である。


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『買い占めないで ポスター』に、首都圏に住み買物をする高齢者の私は、絶賛して・・。

2011-03-19 15:43:12 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
先ほど、ニュースを見ようとして【YAHOO! JAPAN】を開き、

《 買い占めないで ポスター続々 》

という見出しがあり、首都圏に住む方たちの昨今の買占めのことかしら、
と思いながらクリックした。

【産経新聞】から配信された記事であり、精読した。

無断であるが、この記事を転載させて頂く。

《・・
      ツイッターで買占め防止ポスター「ガソリン10リットル→ケガ人を搬送4人」
                             産経新聞 3月18日(金)17時57分配信

首都圏で食料品などの買い占めが問題となる中、
ミニブログのツイッターで、若手デザイナーが作った
「みんなで分け合えば、できること」
と題したポスターが大きな反響を呼んでいる。

ポスターを作成したのは松本隆応さん。
ツイッターでみかけた書き込みを図案化し、
「トイレットペーパー12ロール→トイレ1000人分」
「ガソリン10リットル→ケガ人を搬送4人」など、
買い占めが及ぼす影響を分かりやすく示した。

16日に公開したところ、
「素晴らしい」
「印刷してコンビニに張ってもらった」
「マンション掲示板に張った」
といった声が多数上がり、
ツイッターの伝搬力により急速な広がりを見せている。

日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会の杉本まさ子常任理事は
「意義ある活動。
掲示があれば一つのブレーキになる。
今は被災地のことを第一に考え、助け合いの精神で行動すべきだ」
と話している

・・》
注)記事の原文に、改行を多くした。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110318-00000636-san-soci
☆【YAHOO! JAPAN】
        <==【産経新聞】《ツイッターで買占め防止ポスター「ガソリン10リットル→ケガ人を搬送4人」》☆


私は首都圏の調布市に住む高齢者の2年生であるが、定年退職後、平素の買物を担当している。、
11日の東北の太平洋側の震災後、何かしら買占めのような買物客があり、
どうしてなの、と驚いているひとりである。

今回のニュースで、この記事に添付されている「みんなで分け合えば、できること」と題したボスターの
各項目を長らく見つめた後、絶賛した。

この発案された若手デザイナーの松本隆応さんに対して、
総理大臣は、国難時に適切なポスターの功績で、
少なくとも感謝状を差し上げるべきである、と私は深く感じたりしている。

しかし感性に乏しい管首相は、どのように判断するか、
無念ながら私には解からないのである。


尚、昨今の買占め騒動に関しては、私なりの心情として、このサイトに於いて、
【『私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが・・』のお言葉、首都圏に住む私たちは・・。】
と題して、昨日の18日に投稿している。


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街の灯りの中で生活されている方は、『夜の闇(やみ)』の世界は、ご存知ですか・・?

2011-03-19 07:29:18 | 時事【社会】
過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
壊滅的な災害地となった人たちが、避難所で困窮した生活をされている。

こうしたニュースを購読している読売新聞で読んだり、テレビでNHKニュースを視聴し、
或いはネットで各紙のニュースを読んだりすると、
夜の寒さの中、電気が欲しい、寒さを防ぐ石油ストーブが欲しい・・
と記事を読んだりすることが多い・・。

このような記事を読むと、たとえば電気の灯りの切実な思い・・、
圧倒的に多い私たち街の灯りの中で生活されている方は、
果たして『夜の闇(やみ)』の世界は、理解されているのかしら、と私は思ったりしている。

私も東京郊外の調布市のはずれの世田谷区と狛江市に接近した住宅街に住み、
毎夜『夜の闇(やみ)』の世界を知らず、生活しているが、
ささやかながら『夜の闇(やみ)』を体験してきたひとりである。


私は今住んでいる地に近い処に実家で、
農家の三男坊として、1944(昭和19)年に生を受けた。
そして、1951(昭和26)年の春に地元の京王線の金子駅(現在・つつじヶ丘駅)の近くにある小学校に入学した。

この当時の情景は、駅周辺は商店街があったが、この街を過ぎると、田畑が広がり、
雑木林、竹林などで緑豊かな地域であった。

私の生家は金子駅より15分ばかり歩いた処で、
程ほど広い田畑、竹林、雑木林があり、祖父と父が中心となって農業をしていた。

もとより夜になれば、家から出れば、宅地さえ真っ暗となり、
私は幼年ながら、付近の農道を怖さを感じながら歩いたりすることができた・・。

この後、1955(昭和30)年頃から、次第に都心のベットタウンに変貌し、
私の住む地域も住宅街となり、『夜の闇(やみ)』世界から遠ざかった。


この後、私は大学でワンダフォーゲル部に所属し、
山、山里を歩き廻りで、夜にテント生活をしたりすると、灯りのない『夜の闇(やみ)』を、
幾たびか体験した。


最近としては、私達夫婦は国内旅行が共通の趣味のひとつであるが、
たまたま2008(平成20)年の6月中旬、
上高地の山の旅舎と称された『五千尺ロッジ』に宿泊した。

そして上高地NPG(ナショナル・パーク・ガイド)に導かれて、
ナイト・ハイクと称される夜の散策に参加した・・。
この時は鮮烈な記憶が、今でも心の片隅に残っている。


夜の8時からの『ナイト・ハイク』と称せられた夜の散策コースに私達夫婦は参加した。

NPGの好意に寄り、真っ暗な上高地の森の小道を散策するのであるが、
私達のグループ10名は、ガイドの懐中電灯の足元を照らす光、
そして星と月明りの中をガイドに導かれて歩いた・・。

私は夜の闇は幼少の頃は歩いたが、
この齢になっても真っ暗の中は独りで歩いたならば、
恐怖心がつのり、ただひたすら謙虚になる、
と改めて自覚させられたりした。

そして忽然に視界が開かれ、穂高連峰が観え、
沢の幾筋の残雪が雪明りとなり、周辺まで山すそが観えたのである。
そして頂の上空には、星が煌(きらめ)いていた・・。

私は神々(こうごう)しく厳粛な心持となり、
立ちすくんでいた。

こうして1時間ばかりの闇の中の散策であったが、
深く心に残った。

そして解散後、私達の宿泊している所からわずかに河童橋にあるので、
私達夫婦は橋の中間点に立ち、山すそを眺めたりした。

月が山すそに隠れ、わずかな月の光を観て、
そして30数分の後、恥ずかしげに月が頂(いただき)の上から現(あらわ)れたのである・・。

私は夜の散策で、星の光、沢の雪明り、そして月の光を鑑賞できた稀(まれ)な体験をし、
寝付いた時、夢の中で再来するかしら、と深く思ったりしていた。


このようなささやかな『夜の闇(やみ)』世界の体験があるが、
今回の東日本巨大地震に伴い、壊滅的な災害地となった人たちが、
避難所で困窮した生活をされている人たちは、過酷である。

夜の寒さの中、水、食べ物が不足する中で、
せめて灯りが欲しい、寒さを防ぐ石油ストーブの灯油が欲しい・・
こうした現実の中で、具体的に先の見えない日々を過ごされる避難所の人たち・・
私はこうした状況を思い浮かべる時、胸が熱くなる。


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大津波に耐え、そして18時間も冷水につかり、やっと家に帰還した男は、原発の避難となり・・。

2011-03-18 16:48:59 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震に伴い、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】のひとつのニュースを読んだりした。

大津波に耐え、そして18時間も冷水につかり、やっと家に帰還した男は、やがて原発の避難となった、
記事であったが、私は読みながら圧倒的に感動させられ、
読み終わった後、気が付くと涙が流れたいた・・。

無断であるが、この男性の言動を賞賛致したく、転載させて頂く。

《・・

「ゴー」。
11日午後3時20分頃、仙台港で、運んできた荷物をトレーラーから下ろした直後、
福島県・南相馬市の運送会社員(40)の耳に、地鳴りのような音が響いた。

海の方を振り返ると、数百メートル先に津波が見える。
高さ約10メートル、壁のような波の上で、コンテナや車がクルクルと回転していた。


「少しでも高いところに逃げないと」。
とっさに、近くに並んで止まっていたトレーラーの中で、一番高い荷台に飛び乗った。

運転席近くに張ってあった鉄製ワイヤに、しがみつく。
すぐにたたきつけるような波が襲ってきた。
「ダメかもしれない」。
何度も流されそうになりながら、ちぎれそうになる指に、力を込めて体を支えた。


「助けてくれー」。
隣のトレーラーが横転し、荷台にいた同僚が、叫び声を上げながら水にのみ込まれた。

津波が過ぎ去っても、首から下は、水につかったまま。
周りを見渡すと、周囲の建物は消え、残骸となった立体駐車場だけが残っていた。


日が暮れた。
上空から自衛隊のヘリコプターのサーチライトが、付近を照らす。
凍えて体に、力が入らない。
何とか片手を振ったが、気付いてもらえない。

余震の度に水面が揺れ、近くで起きたコンビナート火災の「ボン」という不気味な音が、
暗闇に響いていた。


その時だった。
「死ぬんじゃねえぞー」。
流されたはずの同僚の声が、遠くで聞こえた。

同僚は救助され、少し離れた倉庫2階に避難していた。
「大丈夫だ」。
大声で返す。

寒さで意識を失いそうになるたび、同僚の励ましの声が聞こえ、気持ちを奮い立たせた。
「妻子を残して死ねない」。
自分に言い聞かせ、耐えた。


長い夜が明けると、少しずつ水が引いていった。
午前10時頃、荷台から下り、水の中をがれきに、足を取られながら40分かけて移動し、
同僚らのいる倉庫に引き上げられた。


その日、同僚の車で約4時間かけて、南相馬市の会社にたどり着いた。
心配して社に駆けつけていた妻(36)、長男(10)、長女(2)と抱き合った。
自宅は無事という。
涙が止まらなかった。
「生きていることが自分でも信じられない。
こんなことがあるんだと思った」


必死の思いで戻った我が家。
だが、「奇跡の生還」から2日後の14日、
福島第一原発3号機で爆発が起きた。

足は凍傷になっており、医師からは入院を勧められたが、
家族と避難することを決めた。
「放射能が広がったら危ない。
家族を守らないと」


福島市で避難所暮らしが始まった。
原発の脅威は増すが、ガソリンが足りず移動手段もない。
つらい生活は続く。
だが、前を向いて生きようと決めている。
「命があって家族といられれば、それでいい。
みんなで苦しみを乗り越えたい」

(2011年3月18日14時42分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。

参考として、原文を添付する。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110318-OYT1T00584.htm
☆【YOMIURI ONLINE】《大津波から生還、原発から退避…「でも生きる」》☆

この後、私は改めて再読し、涙を浮かべ読んだりしている。


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『私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが・・』のお言葉、首都圏に住む私たちは・・。

2011-03-18 12:44:35 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の66歳の身であるが、
過日の11日に発生した観測史上最大の地震の東日本巨大地震、
これに伴う大津波などに寄る壊滅的な大惨事に関して、
購読している読売新聞で読んだり、テレビでNHKニュースを視聴し、ネットで各紙のニュースを読み、
各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆している・・。
その上、福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故に関して、動顚している。

そして大惨事の被災した地域で、被災者の救出、救援などに関しては、
政府はもとより、各自治体の関係者、警察、消防、そして自衛隊の方たち、
米軍はじめとする主要国の救援隊などに、日夜奮闘されている状況を、
無力な私はハラハラとしながら、救出される人たちの情景を感動させられながら、
テレビのニュースで視聴したりしている。

こうした中で、16日の夕刻に天皇陛下が東日本巨大地震に関し、
国民に語りかけられたメッセージを公表され、私は外出していたので、夜のNHKニュースで知った。


私は1944(昭和19)年に生を受け、敗戦後は農家の児として幼年期は過ごし、
祖父、両親の教育のもとに、天皇陛下を敬(うやま)うを教えを受け、
数多く国民の人たちと同様に育ったので、今回の詳細のお言葉を知りたくて、
読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】で精読した。

無断であるが、記載させて頂く。

《・・
          天皇陛下、東日本巨大地震でメッセージ

(略)
天皇陛下が東日本巨大地震に関し、
国民に語りかけられた約5分半のビデオメッセージを発表した。

16日収録。
この中で陛下は、被災者を案じ、救援関係者をねぎらい、
国民が深い悲しみの中にも希望を捨てず、苦難を分かち合って乗り越えることを願われている。
災害を受け天皇陛下が、国民に映像を通し語られるのは初めて。

          ◇

東日本巨大地震について天皇陛下が16日、ビデオメッセージで語られた内容は次の通り。


この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9・0という例を見ない規模の巨大地震であり、
被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。

地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。
一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。
また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、
関係者の尽力により、事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。


現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、
厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、
極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。

その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、
人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。
そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、
これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。


自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、
諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、
余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。

今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、
その多くに各国国民の気持ちが、被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。
これを被災地の人々にお伝えします。


海外においては、この深い悲しみの中で、
日本人が、取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。
これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。

被災者のこれからの苦難の日々を、
私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。
被災した人々が決して希望を捨てることなく、
身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、
また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、
被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを、見守り続けていくことを心より願っています。

(2011年3月16日17時26分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110316-OYT1T00665.htm
☆【YOMIURI ONLINE】 《天皇陛下、東日本巨大地震でメッセージ》☆


こうしたお言葉を拝読して、首都圏に住む私たちは、東北の太平洋側の震災後、
そして福島第一原子力発電所で事故が発生、その後も相次ぐ事故の中、
もとより各地域で甚大な災害に、知るたびに驚嘆したり、動顚している・・。

そして大惨事の被災した地域で、多数の被災者が最寄の避難所でギリギリの窮乏生活を強いられる中、
政府はもとより、各自治体の関係者、警察、消防、そして自衛隊の方たち、
米軍はじめとする主要国の救援隊などは、被災者の救出、救援などに日夜奮闘されている状況を、
テレビのニュースなどで知ったりしている。

こうした中で、私たち首都圏に住む人も度(たび)重なる余震におびえたり、
電力不足が予測されるので、東京電力による『計画停電』が実施され、
対象地域、時間による停電が行われたりしている。

そして、公共交通機関は節電に協力に伴い、終日運休や部分運運休などが実施されて、
働いて下さる現役の諸兄諸姉が往復路で大混乱となったりしている。


こうした首都圏の昨今の実情は、
被災地でもないのに、ガソリンや食料などの買いだめの具体的な動きがあり、私は動顚している。

私は定年後は判断力の衰えたので、自動車免許書は更新を取りやめたので、
歩いたり、公共機関を利用したりしている。
そして平素の買物担当をしているので、最寄のスーパーに10分ぐらい歩いて行ったり、
ときおり幾つかの駅前に15分から30分ぐらい歩いて、スーパー、専門店で買物をしたりしている。

11日の震災後の翌日、我が家はふたつばかりある懐中電灯があるが、
万一、震災があったならばと思い、電池の予備がなかったので、
最寄のスーパー、コンビニに探し求めたのであるが、平素はあふれんばかりの電池は全くなかったのである。
帰宅後、やむえず蝋燭(ろうそく)を家の保存場所から出したりした。

その後、いつものようにスーパーに行ったが、
営業時間が短縮されたり、入店人数の制限をされたり、
店内は私のような買物客で混雑し、食料品などが品薄すとなり、どうしてなの、と思い帰宅したりした。

昨日もいつものようにスーパーに買物に行ったが、
パンの棚は、わずかに残ったパンの棚に、お一人さま二つ限り、と明示され、
お米の棚は、からっぽとなり、ご家族様一袋限り、と札が掲げられていた。

平素はあふれるようなあるバン、麺類、米などの食料品があり、
需要より供給力があるので、デフレの一面がある社会情勢の中、
被災地の困窮した状況でもないのに、と私は苦笑するばかりであった。


そして、帰宅の途中、天皇陛下のお言葉を思いだされたのである・・。

《・・被災者のこれからの苦難の日々を、
私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います・・》

首都圏の私たちは、被災者でもないのに、
私も平素より菓子パンをひとつ多めに買い求めたので、恥ずかしいと赤面しながら、
家に向ったのである。


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