夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

初詣、私は敬遠して、のんびりと冬晴れの中を歩き、冬の花にめぐり逢えて・・。

2020-01-03 09:39:40 | ささやかな古稀からの思い

私は民間会社に35年近く奮戦して2004年〈平成16年〉の秋に定年退職を迎えた後、
多々の理由で年金生活を始めて、丸15年が過ぎ、早や16年生の身である。

私たち夫婦は子供に恵まれず、たったふたりだけの家庭であり、
そしてお互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂き、程ほど貯金を取り崩しながら、

ささやかに過ごしている。

こうした中、東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の地域に住み、
住宅街が広がる中で、少しばかり広い雑木の多い小庭の中、築後40数年の古惚けた戸建に住んでいる。

そして私の生家も近くにあり、私自身としては結婚前後の5年を除き、
この地域に住んで、早や70年となり、この地域の原住民かしらと思う時もある。

こうした中で、最寄駅としては、京王線の場合は、『つつじが丘』、『仙川』の両駅は徒歩15分であり、
或いは小田急線の場合は、『喜多見』、『狛江』の両駅は徒歩20分となっている。

そして私が長年通勤で利用した小田急線の『成城学園前』駅は徒歩30分となっているが、
何かしら京王線と小田急線にサンドイッチされたかのような辺鄙(へんぴ)な地域に住んでいる。

いずれの最寄駅までの路線バスの利便性は恵まれて、たとえば都心の新宿のデパートに買物に行っても、
電車を利用すれば、我が家よりデパートの店内に45分ぐらい、
或いは東京駅でも我が家から一時間前後となっている。

               

      
昨日の朝、私は都立・神代植物園に訪ねようと思い立った・・。
そして隣接している深大寺は、初詣で人出で混雑しているので、今回は敬遠しょうと、
思いながら家を出た・・。

          


この都立の『神代植物公園』は、園内にある雑木林があり、
私は幼年期に農家の児として育った為か、身に心も安らぐ所となっている。

             
                                      
こうした根底には、私が通った地元の神代中学校の付近にあり、
入学した1958年(昭和33年)の当時は、神代緑地として存在し、この周辺は雑木林、畑などであった。

やがて1960年(昭和35年)の春に中学校を卒業した後、
確か翌年の1961年(昭和36年)の秋に、拡大と整備され上、
神代植物園と改称して、都内唯一の植物公園として開園された・・。

この間の私の中学時代は、生家より自転車で通学し、ときおり開園前の雑木林の中とか周辺を下校の時などに、
学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。
               
そして私が心に迷ったりした時などは、樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
心の濾過をして浄化されたりしてきた。
         
                                
定年後の年金生活してきた中でも、殆ど独りで、四季折々訪ねていたが、
ここ数年は二十四節気(にじゅうしせっき)のように月に二回ぐらい通い、
数多くの落葉樹、常緑樹、花木、花を移りゆく情景を一期一会と思いながら鑑賞している・・。

そして今回は、雑木林、椿を鑑賞し、そしてロウバイ(蠟梅)にめぐり逢えたら・・
という思いであった・・。

やがて私は雑木林を歩き廻りながら、冬木立に心を寄せたりした・・。

            

            

この後、福寿草、クリスマス・ローズなど早春の花は、莟(つぼみ)もなく、あと数週間待ち侘びれば・・と思いながら、
『うめ園』コーナーの片隅にあるロウバイ(蠟梅)を訪ねたら、私は微笑んだりした・・。

今年も早々とめぐり逢えて、私は幸運だょなぁと思いながら、
感動の余り少し震える手で、デジカメで撮ったりした。

            

 
           

やがて私は『つばき園』で、数多く椿に魅了されながら、記憶のかたみとして、撮ったりした・・。

           

           
 
           
 
           


やがて私は、神代植物園を辞して、深大寺に向かった。

私は初詣に関しては、高校時代から都心の学校に通った頃から、
きまぐれに幾たびか原宿駅に近い『明治神宮』、鎌倉の『鶴岡八幡宮』、
或いは我が家から3キロばかり歩いた『深大寺』などに、参拝したりしてきた。

やがてサラリーマンを定年退職してから、人出の多い中が苦手となり、
込み合う季節は避けて、参拝したりしてきた。

私は本堂の前に参拝される長い列を見て、平素働いて下さる多忙の数多く御方が
せっかく年始休暇で初詣に来て下さっているので、もとより最優先であると思い、
私は年金生活の身であり、しばらくした後日に、初詣をすればよい、と独り微苦笑をしたりした。      

やがて人出の込み合う山門を出た後、門前街のような数多くの蕎麦屋さんなどの食事処の通りも込み合い、
私は通り抜けて、帰宅に向かったりした。

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