私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
昨日、昼過ぎ月一度の散髪屋(理容店)に行った後、
帰宅後、いつものように独りで散策をした。
私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、私は何かしら解放感を感じて、
こよなく愛している散策路のひとつである。
私は過ぎし3月中旬から桜花の染井吉野(ソメイヨシノ)、そして山桜(ヤマザクラ)、
終幕として八重桜(ヤエザクラ)を愛(め)でながら過ごしてきた。
この間、数多く観られる落葉樹は、芽吹き、そして若葉の色合いは、
萌黄色から黄緑色にうつろい、昨今は新緑色に染められいる。
或いは常緑樹は、新芽を伸ばしながら葉色は光沢を増し、眩(まばゆ)い色合いとなっている。
こうした中、天上の気候の神々の采配に寄り、5月中旬のような20度前後の陽気の中、
眩(まばゆ)い陽射しを受け、ときおり吹く風は薫風かしらと感じたりしたので、
風光る時節だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりし、微笑んだりしたた。
そして私は小公園に立ち寄って、
欅(ケヤキ)は幼いあまたの葉を広げて、空に向かうように伸びはじめている。
こうした中で、クヌギ、コナラなどは芽吹きが始まり、
これから大きく育つからねぇ、見ていてねぇ、といったような風姿を見せてくれている。
新緑の若葉の色合いに魅せられて、長らく見惚(みと)れたりした・・。
私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。
こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。
若き時期に映画、そして文学青年の真似事をして敗退した私は、
情念の残り火りのように西行、鴨長明、芭蕉が遺(の)こされた作品に思いを寄せることが多かった。
もとより西行(さいぎょう)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人であり、
ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ
などを詠まれた『山家集』もある。
そして鴨 長明(かもの・ ちょうめい)は、
平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
『方丈記』が代表作となっている。
松尾 芭蕉(まつお ・ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師。
数多い中で私は、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、一句に圧倒的に魅せられてきた。
こうした時、私は家内を誘い、吉野山の桜を愛(め)でる旅路をしたりしてきた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/db/31b162d0f666c08246846cbbbdf6e65b.jpg)
年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。
まもなく、知人のひとりの50代の奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは通夜の時に哀悼をしながらも、動顛してしまった・・。
こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。
ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、
この世を去ったり、 ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、
数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、
私は震撼させられたりしてきた・・。
こうしたことを思い馳せると、神様か仏様か解らないけれど、
つたない人生航路を歩んできた私は、生かされている、
と思いをしたりした・・。
やがて私は歩きだして、野川の川端に近い小路は、
この時節は黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が、長く帯のように咲くので、
私は遊歩道から見下ろして、ここ10数年眺めてきた情景である。
やがて私は、遊歩道から川辺に下り、
先ほど橋の上から眺めていた菜の花、ハマダイコンにお見合いする為、
川端の小道をわずかながら歩いた。
そして菜の花、ハマダイコンを長らく見つめたりした。
私は幼年期は農家の児として育てられたので、このような野花に今でも魅せられている。
このように平日の昼下がりのひととき、富や名声に無縁な拙(つたな)い私でも、
私にとっては夢幻のようなひとときを過ごしたりしている。