夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

風光る中、富や名声に無縁な拙(つたな)い私でも、夢幻のようなひととき過し・・。

2023-04-07 10:27:23 | 喜寿の頃からの思い

私は東京の調布市に住む年金生活の78歳の身であるが、
昨日、昼過ぎ月一度の散髪屋(理容店)に行った後、
帰宅後、いつものように独りで散策をした。

私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、私は何かしら解放感を感じて、
こよなく愛している散策路のひとつである。




私は過ぎし3月中旬から桜花の染井吉野(ソメイヨシノ)、そして山桜(ヤマザクラ)、

終幕として八重桜(ヤエザクラ)を愛(め)でながら過ごしてきた。
          











この間、数多く観られる落葉樹は、芽吹き、そして若葉の色合いは、

萌黄色から黄緑色にうつろい、昨今は新緑色に染められいる。







或いは常緑樹は、新芽を伸ばしながら葉色は光沢を増し、眩(まばゆ)い色合いとなっている。



こうした中、天上の気候の神々の采配に寄り、5月中旬のような20度前後の陽気の中、
眩(まばゆ)い陽射しを受け、ときおり吹く風は薫風かしらと感じたりしたので、
風光る時節だよねぇ、と心の中で呟(つぶや)いたりし、微笑んだりしたた。

そして私は小公園に立ち寄って、
欅(ケヤキ)は幼いあまたの葉を広げて、空に向かうように伸びはじめている。        
               
こうした中で、クヌギ、コナラなどは芽吹きが始まり、
これから大きく育つからねぇ、見ていてねぇ、といったような風姿を見せてくれている。

               

新緑の若葉の色合いに魅せられて、長らく見惚(みと)れたりした・・。



私は民間会社のある会社に35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。

そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。

                               

過ぎし私が現役サラリーマンの40代の頃、
若き時期に映画、そして文学青年の真似事をして敗退した私は、
情念の残り火りのように西行、鴨長明、芭蕉が遺(の)こされた作品に思いを寄せることが多かった。

もとより西行(さいぎょう)は、
平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人であり、
  ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ
などを詠まれた『山家集』もある。

そして鴨 長明(かもの・ ちょうめい)は、
平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
『方丈記』が代表作となっている。

松尾 芭蕉(まつお ・ばしょう)は、江戸時代前期の俳諧師。
数多い中で私は、旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、一句に圧倒的に魅せられてきた。

こうした時、私は家内を誘い、吉野山の桜を愛(め)でる旅路をしたりしてきた。



年金生活を始め、やがて62歳の時、現役時代の一時時期に交遊した友も、
無念ながら病死したりした。

まもなく、知人のひとりの50代の奥様が病死されて、 この知人は『おひとりさま』となり、
私たちの多くは通夜の時に哀悼をしながらも、動顛してしまった・・。

こうした根底には、私たち世代の周囲の男性の多くは、
60代で妻が夫より先に亡くなることは、 考えたこともなく、
こうしたことがあるんだぁ、とこの人生の怜悧な遭遇に深く学んだりした。                                                                      

ここ数年は会社時代の少し先輩、或いは後輩の68歳が、いずれも大病で入退院を繰り返した後、
この世を去ったり、 ご近所の私と同世代の知人が、突然に脳梗塞で死去されて、

数か月の先は誰しも解らない、冷厳なこの世の実態に、 
私は震撼させられたりしてきた・・。

こうしたことを思い馳せると、神様か仏様か解らないけれど、
つたない人生航路を歩んできた私は、生かされている、
と思いをしたりした・・。
  


    
やがて私は歩きだして、野川の川端に近い小路は、
この時節は黄色い花の菜の花、そして淡き紫色のハマダイコンの花が、長く帯のように咲くので、
私は遊歩道から見下ろして、ここ10数年眺めてきた情景である。
          




やがて私は、遊歩道から川辺に下り、
先ほど橋の上から眺めていた菜の花、ハマダイコンにお見合いする為、

川端の小道をわずかながら歩いた。          
          
そして菜の花、ハマダイコンを長らく見つめたりした。
          
      

私は幼年期は農家の児として育てられたので、このような野花に今でも魅せられている。


このように平日の昼下がりのひととき、富や名声に無縁な拙(つたな)い私でも、
私にとっては夢幻のようなひとときを過ごしたりしている。

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