夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

我が家の年金生活の実態、やはり変貌して、私は微苦笑して・・。

2023-04-30 12:27:39 | 喜寿の頃からの思い
私は東京の調布市に住む78歳の年金生活の身であるが、
私より5歳若い家内と共に、雑木の多い小庭の中で、
古ぼけた戸建てに住み、ささやかに過ごしている。


こうした中、我が家の生計は原則として、
私たち夫婦は、お互いに厚生年金とわずかな企業年金を頂いた範囲で、
日常生活を過ごすことを原則としている。

そして耐久品の購入、冠婚葬祭、そして私たち夫婦の共通趣味の国内旅行に関しては、
程々の貯金を取り崩して、丸18年を過ごしてきた・・。

こうした中で私たち夫婦は、原則として月初めには
家計簿をお互いに確認しながら実施している。



こうした根底の理由としては、47年前、私たち夫婦が婚約する前、
お互いに隠し立ては・・やめましょうねぇ、
と私は妻となる人から言われたりしてきた。

そして私たち夫婦は、結婚以来、毎月家計簿を原則として翌月の初めにしているが、
もとより生活費をお互いに確認した上で、
私、家内が趣味に使える費用を捻出する為に、 毎月確認し、家計簿の月次決算をしている。

このような関係で、本日の午前中、4月度の家計簿を締めたりした。
たまたま4月度は、年金収入があり、もとより2カ月分であるので、
黒字であったりした。

しかしながら、ここ数カ月、私たちの晩秋期に備えて、
寝室とか居間を見直してきたので、ベツトや寝具まわりなど、買い改めたりしてきたので、
支払いがの一部が4月にあったりしたので、程々の黒字だったので、
私たち夫婦は、お互いに微苦笑したりした。




過ぎし年、私が定年退職後のセカンドライフについて、家内と話し合ったのは、
定年退職時の5年前のリストラ烈風の中、私は出向となったのは55歳の時であった。

もとより老後の資金の予定額も必要で、経済にも疎(うと)い私は、
経済ジャーナリストの荻原博子さんなどの数多く著名人の寄稿文を読んだりした。

そしてデフレ経済の蔓延している中、定年時に持家(マンションか戸建て)のローンは返済完了となり、
預貯金が3000万円あれば、公的年金を受け取りながら堅実に年金生活をし、
少しづつ取り崩して生活すれば、少しゆとりのある年金生活ができるかしら、と学んだりした。

このように私は、経済ジャーナリストの荻原博子さんを信頼し、
何かと年金生活のお金に関しての指針のような御方と感じ深めてきた・・。


やがて35年近く勤めて、2004年(平成16年)の秋に定年退職し、
この間、幾たびのリストラの中、何とか障害レースを乗り越えたりしたが、
最後の5年半はリストラ烈風が加速され、あえなく出向となった。

こうした中で遠い勤務地に勤め、この期間も私なりに奮闘した結果、
身も心も疲れ果てて、疲労困憊となり、定年後はやむなく年金生活を始めたひとりである。
                          
そして年金生活は、サラリーマン航路は、何かと悪戦苦闘が多かった為か、
つたない半生を歩んだ私でも、予測した以上に安楽な生活を享受している。




こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは国内旅行であり、
結婚以来、国内の各地をときおり旅路を重ねてきた・・。

やがて2004年(平成16年)の秋に定年退職後、
旅行の日程から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなったりした。

そして季節としては、5月の大型連休が終わった後、
或いは舞い降る雪が恋しく冬の時節に旅行をすることが、多かったりしてきた。


私たちの旅路、定年後まもなく自動車の免許書の更新を中止した私は、
最寄駅の近くにある旅行代理店に私たち特有のプランを依頼して、JR、航空機、フェリーなど、
そして宿泊先を選定したりしてきた。

或いは通販のクラブツーリズムの滞在型で、魅了されたプランに参加して、
幾たびか活用したりしてきた。

いずれにしてもリゾートホテル、観光ホテル、観光旅館などに滞在して、
街中、周辺を歩き廻ったり、郊外の山里の小道を歩いたりして、遊学をしたりしてきた。

このように私たち夫婦は、家内だけは一人住まいの家内の母の介護で、
毎月、6泊7日前後で行ったりしていたが、これ以外は、
私たち夫婦は安楽に過ごしてきた・・。



やがて4年前の
2019年の4月、家内は初期の膵臓がんに遭遇して、
 家内は2泊3日で検査入院した後、
5月12日より摘出する手術で入院をして、この後の経過状況、
やがて回復状況も医師より順調と診断され、19泊20日間を得て退院となり、
我が家に生還してきた。


もとより、この間の私たち夫婦は、最悪の場合を想定することもあったりして、
震撼しながら揺れ動いたりした・・。

そして転移などで死去する確率も高く、家内は身の回りを整理し、
やがて私たち夫婦は、再入院、葬儀、お墓、ひとり住まいなどを、
人生の晩年期の終活を話し合ったりした。



やがて手術後、まもなく4年を迎えるが、体調は万全ではないが、
幸運にも転移していなく、お互いに安堵したりしている。

もとよりこの間、新コロナウィリスの烈風もあり、
私たち国民の多くは、自粛が余儀なくされて、
やっと解放感を享受している・・。

こうした体験も重ねてきた私たち夫婦は、年金生活丸18年が過ぎ、
19年生となっているが、いろいろな人生の体験をしてきたなぁ・・、
とりとめなく思い馳せたりしている。

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