夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

ふたたび我が家は、ふたりで一人前の家庭体制となり、私は・・。

2015-07-11 09:14:52 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の調布市の片隅に住む年金生活の70歳の身であるが、
昨日は何かと読書好きで深夜族の老ボーイの私でも、家内が我が家に帰宅となる日なので、
朝は4時過ぎに目覚めて、部屋の掃除、台所、洗面所などを少し丁重に手入れをしたりした。
   
やがて私は、居間でぼんやりと10日ぶりの陽射しを眺めて、
ゆったりすると、疲れを感じたか眠くなり微苦笑したりした。

しかしながら午後1時から見のがしていた映画『わが命つきるとも』がBS3で放送されて知り、
私は居間でテレビを視聴しながらブルーディスクに録画をセットし、
ゆったりとソファに座り、鑑賞した。

もとより映画『わが命つきるとも』は、監督・フレッド・ジンネマン、 脚本・ロバート・ボルト で、
有力な数多くの俳優を配して、1967年に公開され、
やがて第39回アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞など
8部門を獲得した名作品である。

私は無念ながら見のがして名画であったので、眠さも吹き飛び視聴していた・・。

やがて2時半過ぎに、玄関のチャイムが、かろやかに『コッキラコ~ン・・』と二回ばかり居間の片隅に響き、
私は今頃どなたかしらと思いながら、『はぁ~い』と明るく大きな声で玄関に向かった。
            

そして玄関の軒下で、家内が両手に紙袋を提げて、立っていた。

『XXちゃん・・少し早いじゃないの・・お疲れ様でした』
と私は家内に言ったりした。

家内は家内の母宅に滞在している昨夕、私は電話連絡の中で、
日中は熱くなるから、夕方の涼しくなる頃が楽だから、
と私は家内に言ったりしていたが、早めに我が家に帰館としたので、少し驚いたりした。
          

家内は過ぎし6月29日より家内の母宅に11泊12日で行き、
この間は家内は、家内の母の宅で孤軍奮闘しているが、
残された私は我が家で『おひとりさま』の独りぼっちの生活となってきた。

そして何かと愚図で齢ばかり重ねた私は、季節ごとに独り住まいの家内の母宅に6泊7日前後で、
孤軍奮闘している家内をときおり思いながら、
残された私は『おひとりさま』の特別演習かしら、と思いながら手抜きながら生活を過ごしてきた。


やがて夜の6時半過ぎ、お互いに風呂に上がった後、
家内が帰宅の途中で、デパートの地下階のお惣菜コーナーで買い求めた5品ばかり、
私たち夫婦はお互いに缶ビールを呑みながら、夕食とした。

こうした中で家内の母の情況を私は教えて貰ったり、
私の『おひとりさま』の生活の失敗談を話したりして、2時間ばかり談笑し、
ふたりだけの宴会をしたりした。

やがて私は眠くなり寝室に向かった。
            


私は中小業のある民間会社に35年近く奮戦して2004年(平成16年)の秋に定年退職となり、
多々の理由で年金生活を始めた。

当時、家内は専業主婦だったので、家内の日常のペースを出来る限り乱したくないので、
家内は殆ど従来通りの料理、掃除、洗濯などをしてもらい、その間のささやかな息抜き・・趣味ごと、
これを邪魔にするのは、まぎれなく天敵と私は確信を深めていた。

そして一日、少なくとも一回は外出し、家内の自由な時間を作ることと思い、
せめて日常の買物ぐらいはと思い、買い物の担当を引き受け、
独りで殆ど毎日スーパー、専門店に行き、ときおり本屋に寄ったりしている。

その後は自宅の周辺にある遊歩道、小公園などををひたすら歩き廻り、散策をしながら、
季節のうつろいを享受している。
                       
こうした中で年金生活をした当初、独りで近所の遊歩道を散策したりすると、
こんなに自由に働くことなく散歩できるなんて、この世の中で許されても良いのかしら、
と定年直前までの多忙期を思い重ねたりし、戸惑いながら甘受したりした。
          
       
そして何よりも朝の陽射し、昼下りのひととき、そして夕暮れ時に、
ゆっくりと時と共に過ごし、苦楽の激しかった現役時代を思いながら、微苦笑を重ねたりする時もある。
                

定年後の年金生活の日常の大半は、平素の買物専任者の責務を終えた後、
散策したりした後、随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書、
ときおり20世紀の私の愛してやまい映画を自宅で鑑賞したり、
或いは音楽も聴いたりしている。

ときたま小庭を手入れをしたり、退職後の年金生活で過ごして今日に至っている・・。

このような年金生活をしているが、
ときおり家内から、働かなくても私たちの生活できるのだから、ありがたいわ、
と言われたりするたびに、
私は拙(つた)ない自分の半生のひとこまが、走馬灯のように甦(よみがえ)ったりしている。
                    

こうした中で、私たち夫婦の共通趣味のひとつは、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若き新婚時代から、数多く旅を重ねたりしているが、
定年後は旅程の制約から解放されて、5泊6日前後で観光ホテルに滞在し、
周辺を歩いたりして遊学している。

このような旅路が多いが、私たち夫婦がそれぞれ意欲と体力があるうちに、
ノコノコと出かけて歩き廻ることが多いのである。
                              
          
そして私はこれまでの60代の日々は、幸運にも大病に遭遇せずに過ごし、
家内も心身溌剌としている。

もとより健康でなければ自身の日頃のささやかな願いも叶わないこともあり、
実践のひとつとしては、何よりも怖いのは、痴呆症などであり、
これだけは回避したく、ひたすら歩いたりしている。


我が家は年金生活を始めた時、我が家は無念ながら金庫がないので、最寄りの銀行の貸金庫を利用している。
こうした時、私たち夫婦は重要な不動産に関する書類、定期貯金通帳などをあずけているので、
私たちは出し入れをする時は、間違いないようにも、必ずふたりで確認してきた。

或いは人通りの少ない道に家内が出かけたり、ときおり家内の要望で駅前に買物をしたり、
年に4回ぐらいは都心の新宿のあるデパートに買い物をする時は、
体力の衰えた高齢者の私でも、一家の主(あるじ)の責務と確信を深めて、
家内のボディーガード兼お供、そして荷物持ちで、共に出かけたりしてきた。
          
ときおり小庭の手入れに関しては、私の責務の範疇となっているが、蚊の出る5月下旬頃から10月頃を除き、
体力の衰えた私を見かねて、家内の支援を受けている。

こうした理由の根底には、私が定年後まもなくして、
ご近所より少し広い我が家は、植木屋さんに年に数回依頼すれば、数10万円と教えられたので、、
家内は3泊4日ぐらいの私たちの旅行が2回ぐらいできるわ、と私に言い、強力な支援の根源となっている。
                    

初夏の陽射しが射す頃には、我が家は家内の指揮のもとで、 簾〈すだれ〉を各部屋に掛けているのが、
ここ10数年の習〈なら〉わしとなっている。

洋間であったら、雨戸、網戸、ガラス戸があるが、この季節はカーテンを外して簾〈すだれ〉とし、
和室も同様に、雨戸、網戸、障子となっているが、簾〈すだれ〉を掛けたりしている。

そして居間を中心に、和室、洋室、玄関、洗面所、トイレの窓際まで、
簾〈すだれ〉を付けている。
          
こうした時は、納戸に保管している簾〈すだれ〉を家内の陣頭指揮のもとで、
私は頼りない助手となって、取り付けたりしている。
          
このように私たち夫婦は、ふたりで一人前だょねぇ、とお互いに微苦笑してきた。


我が家の戸締りの責任者は、もとより主(あるじ)の私であり、
夜の9時過ぎには、玄関、台所、お風呂場などを点検する時、
『ハイ、OKです!』
と指差し確認し、若き自衛隊の諸兄に負けないように、元気な声で言ったりしている。

この後、居間でテレビを視聴しているか、雑誌を読んでいる家内に、
『戸締り・・終了致しました!』
と私は家内に報告したりする。

その直後、『ご苦労であった!』と家内は私に言うのである。

私の現役時代に於いては、ご苦労さまでした、と家内は何かと従順で優しく労(ねぎら)いの言葉をしていたが、
どうしてなの、と私は不思議に思ったりした。

その後、思い当るとすれば、家内は以前にNHKの連続ドラマの『篤姫』を視聴した頃からで、
お姫さま、或いは奥方に影響されたのか、
このような言葉を私にするようになっていることが多い。
                              

ご近所の方の奥様たちから、私たち夫婦の年金生活を見かけ、
仲良しねぇ、と社交辞令のお世辞を頂いている。

しかしながら実際は日常生活の中で、ときおり私が失敗事をしたりすると、
平素は『あなた・・』と呼ばれるのに、
『ボケチンねぇ・・』と家内から微笑みながら私に苦言される時もある。

私たち夫婦の結婚生活は、私が定年するまでは波乱もあり、この先に何かと憂いたりしてきたが、
定年後の年金生活は、私が65歳高齢者となった頃から、体力の衰えを共に感じて、
ときおり私は、二人で一人前だよねぇ、と家内に言ったりして過ごしている。
                      
         
このように老後の生活を迎えている私たち夫婦は、甘味な年金生活を続ける中、
いずれは私か家内か大病となり、やがてどちらかが『おひとりさま』となるので、
私たち夫婦としては、今が人生最良の時期かしら、と思ったりしている。

しかしながらこればかりは天上の神々の采配に基づく範疇なので、
日々を大切に過ごせばよい、と深く思ったりしている。

余談であるが、本日の日中は、お中元参り、買物メール老ボーイの責務もあり、
平素より早めの投稿時とした。

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