夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

思わず好感した『茶ムリエ』に学ぶ人たち・・♪

2009-02-24 17:27:40 | 定年後の思い
私は年金生活の5年生の64歳の身であるが、
日中の午前11時過ぎから、好きな読書をしながら、ひととき昼寝をしたりしていた。
1時間前に目覚め、顔を洗い、煎茶を淹れて飲みながら、
ぼんやりとネットでニュースを見ていた。

こうした時、思わず好感し、読んでいくうちに魅了された記事があった。

【 ただ今、茶ムリエ志願者急増中…五感総動員で試験に挑む 】

と題たれた記事で、
【YOMIURI ONLINE】の『文化』欄の記事のひとつである。

無断であるが、煎茶などにご興味のある方に多く知って頂きたく、
同時に私も学びたく、あえて記事を転載させて頂く。

【・・
味、色、手触り。実技試験の受験者は五感を駆使して茶葉を鑑定する(江東区で)
深緑色のサラサラとした茶葉を
手ですくい、顔を近づけては眺め、香りをかぐ。

江東区内で今月初めに行われた「日本茶インストラクター」実技試験。
専門店に勤務する「お茶のプロ」など、多くが男性という試験会場だが、
若い女性や外国人受験者の姿も多い。
香りを混乱させる化粧品やハンドクリームはご法度。
味や色、手触りなど五感を総動員して、種類の異なるお茶を鑑定していく。

インストラクター資格は、
NPO法人「日本茶インストラクター協会」が認定する、
いわば「日本茶ソムリエ」。
お茶の知識や説明する能力も求められる。
合格率約30%の関門を突破すれば、
日本茶教室の講師や和風カフェのプロデューサーといった道も開ける。
今や全国で約2500人にまで増えた。

「入れ方や産地などによって味ががらりと変わる奥深さを、
もっと知りたい、伝えたいと思い勉強してきました」。
茶葉を見つめる小井戸旬(めぐる)さん(29)の表情は真剣だ。

都内では日本茶カフェも急増中。
ソムリエが解説したり、教室も開いている。

渋谷区の「茶茶の間」で約3年前から開いている日本茶セミナー。
この日参加した7人の女性たちがまず始めたのは、なんと準備体操だった。
「肩が凝っていると鼻腔(びくう)に香りがうまく抜けず、
お茶をおいしく飲むことができないんです」と、
講師の和多田喜さん(30)。
実践的な知識を学びに、セミナーに来るインストラクターも多いとか。

日本茶を通して「日本の心」までも伝える日本茶ソムリエ。
活躍の場はどんどん増えていきそうだ。(写真と文 冨田大介)

(2009年2月22日15時08分 読売新聞)
・・】

以上、記事の全文ですが、原文に改行を多くした。

尚、ネットに掲載された記事に若き女性の謙虚に学ぶ顔立ち、
そして真摯なまなざしが下記のように掲載されていた。


http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090222-OYT1T00472.htm


私は煎茶には日本酒の純米酒の辛口と同様にある程度のこだわりがある。
それぞれのお方もそれなりのお好みがあると確信しているが、
まぎれなく日本文化のひとつであり、
私は日常生活でも旅先でも欠かせない心身の友でもある。

たかが煎茶、されど煎茶であるが、
私は民間会社のサラリーマンを卒業した身で年金生活であるので、
百グラムは千円前後の好みの煎茶を愛飲している。

高価な煎茶には、無念ながら程遠い私であるが、
それなりに丁重に淹れれば、程よい香り、味わいがする、
と思い過ごしているのである・・。

私なりに煎茶にこだわっているのは、
やはり幼年期からの想いでも加味されているのである。


たまたまあるサイトに於いても、
【 お茶を摘む頃に・・♪ 】と題して、
2006年5月2日に投稿しているので、あえて再掲載をする。

【・・
遠い昔、昭和26年の頃だった。

祖父と父が中心となって農家をしていたので、
東京の郊外でも程ほど広い田畑を耕していた農家でも、
お茶の樹を持ち、自宅用にまかなっていた。

母屋、蔵、納戸小屋の2軒の中、宅地からゆるい坂を登りきると、
防風用に欅(けやき)が50数本があった。
2間ほどの間隔で植えられて折、樹高は30メートル以上あった。
隣接した欅(ケヤキ)が互いに寄り添うにになると、片方を伐採して、薪(まき)とされた。

その先は平坦な地で陽当りが良く、苗床が幾重にもあり、
洗濯の干し場にも利用されていた。

この平坦な所を抜けると畑となっていて、その先が村道であった。
この村道と畑の境界線としてお茶の樹が植えられていた。
幅は4尺、高さは5尺程度で、50間前後の長さであった。

5月の初旬の頃になると、新芽を摘んでいた。
一家総出で、分家された人々も手伝いに来てくれた。
私が幼児の3歳の頃は、付近に莚(むしろ)を敷いた上で、寝そべっていた、
と後年に母から教えてもらっている。

新芽を摘んだ後、生葉撰り(なまはより)といって、
お茶の葉から混ぜりものや蝕まれた葉を取り除く選別作業をしていた。

その後、生葉を新鮮なうちに、蒸篭(せいろ)で蒸した後、
団扇などで扇(あお)いで、よく冷(さ)ました。
そして、長方形の大きな台の上に炭火をおこし、
その上に鉄板を敷いて、先程のお茶の葉を揉んでいた・・。

煎茶として出来た後、大きな桐箱、茶包みの箱に収納した。
この煎茶は、家族が1年で使ったり、来宅した方の1部の方に差し上げたりしていた。
最もこの選別は、祖父の一言によった。

私は幼児の頃、いじけていたので、いたずらをして、父からよく怒られた。
祖父は、長兄、次兄に続き、私も男の子であったので、
不憫と思ったらしく、祖父の名から一字を私の名前にしてくれた。

祖父からは、可愛がってくれたが、
煎茶を淹れる時、いい加減な振る舞いで淹れる、と怒られた。

私は、成人してから、煎茶を淹れる時、
ときたま祖父を想いだされる・・。

・・】


このように拙(つたな)い投稿文であるが、
私なりに煎茶への思いは深いので、日常のひとときは丁重にまごころ込めて淹れ、
そして味わっているのである。




ブログランキング・にほんブログ村へ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 長崎駅前で見かけ、感銘され... | トップ | ときには、たわむれに『占い... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

定年後の思い」カテゴリの最新記事