私は東京郊外に住む64歳の年金生活の身であるが、
午後のひととき、【YouTube】を開き、
シャルル・アズナヴールの『帰り来ぬ青春』、『遠い想い出』、『イザベル』、
『ボエーム』、『愛のために死す』等を視聴したりした。
この後、エディト・ピアフの『水に流して』などを聴いたりしたが、
この曲も数多くの歌手に歌い継がれている。
日本の私にとっては未知の歌手も唄って折、
私は視聴した後、この方は『リリー・マルレーン』の曲も唄っていたので聴いたりした・・。
『リリー・マルレーン』の名曲に関しては、
フリー百科事典として名高い『ウィキペディア(Wikipedia)』に於いて、
【・・
『リリー・マルレーン』(Lili Marleen)は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲。
1915年にロシアへの出征を前にドイツの詩人ハンス・ライプ (Hans Leip) が
ベルリンのある兵営の営門に歩哨に立った時に
創作した詩集 "Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht" に収録されていた詩をもとに、
第二次世界大戦直前の1938年に、作曲家ノルベルト・シュルツェ (Norbert Schultze) が曲をつけ、
歌手のララ・アンデルセンが歌った。
歌詞は、兵営の大門の前に街灯が立っている。
そこで恋人と再会したいと熱い思いを歌ったものである。
男性の気持ちを歌った詩であるが、女性歌手によって歌われることが多い。
第二次世界大戦下では、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流れるこの歌に、
多くのドイツ兵が、戦場で耳を傾け故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。
また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、
北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。
日本ではベルリン出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリッヒの持ち歌として知られている。
第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、
アメリカの市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問、この歌を歌った。
このためにドイツでは彼女は敵側の人間(反逆者)と見なされ、戦後も不人気であった。
・・】
このように解説されているが、
私はマレーネ・ディートリッヒに敬意しながら、彼女の歌声に心酔した後、
著名な海外の歌手の3名のお方のも視聴したりした。
この後、日本語も聴きたくなり、
【YouTube】の検索で、戸川昌子、とキーインしたら、
数々の歌曲が明示されたので、驚いたのである。
♪ いくさに行く前の夜
子どものように泣きじゃくり
私の名前をあなたはつぶやく
※いとしいリリー・マルレーン
いとしいリリー・マルレーン
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
私は37年前の前後、この頃の私は銀座の一角にある『銀巴里』に行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。
そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃いめ水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。
このした中で、フランスはもとより、日本の方の唄ったシャンソンのアルバムを購入し、
シャンソンに無我夢中の時期であった。
アルバムの中で、日本人の中では、特に金子由香里さんに熱中していた。
『時は過ぎていく』、『ミラボー橋』、『スカーフ』、『愛の砂漠』等の50数曲に、
まぎれなく時を忘れたくらいに熱愛したのである。
こうした時に、東芝レコードから、戸川昌子の『失くした愛』と題されたアルバムを知り、
購入して聴いたのであるが、仰天したのである。
私は戸川昌子さんに関しては、推理分野を書く小説家であり、数作品は読んでいた折、
以前に『銀巴里』で唄っていた、この程度しか知らない私であったが、
桁外れに上手いのである。
♪ 窓の下を兵隊の
長い列が町を出る
私を見あげてあなたは叫んだ
※(くりかえし)
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
この『リリー・マルレーン』は『失くした愛』と題されたアルバムの中のB面の一曲目に収録されてあるが、
この曲はもとより、『私はひとり片隅で』、『金曜日の晩に』、『暗い日曜日』、
『人の気も知らないで』、『ボンボヤージュ』等12曲であるが、
深く魅了されて、人生の姉貴である、と敬意したのである。
♪ 夜空の下鉄砲を
抱えたまま眠る歌
汚れた私の写真を取り出し
※(くりかえし)
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
こうして、『失くした愛』と題されたアルバムを百回前後、
レコード・プレイヤーで聴いたりしている間に、
私はレコード会社の本社でコンピュータの専任者で管理畑の身であったが、
洋楽の編成者、責任者に、
『東芝レコードで・・シャンソンで戸川昌子さんの今度のアルバム・・
凄いですよ・・私はシャンソンが好きなので良く聴きますが・・
桁外れに上手いです・・』
と他社のアーティストであったが絶賛し、友人にも話したりしていた。
♪ 地獄のような戦いに
身を捧げて傷ついて
倒されたあなたは最後に叫んだ
※(くりかえし)
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
私は35歳を過ぎた頃、他の分野の音楽に夢中になったが、
ほぼ10年間にシャンソンに熱中し、アルバムとして150枚ばかり残った時、
私にとってはピアフ、バルバラはもとより最上の神であるが、
日本語で唄われたシャンソンは、戸川昌子さんの『失くした愛』が傑作であり、
私はつたない観賞歴であるが、これ以上のアルバムは知らない。
♪ 平和の日は来たけれど
あなたはまだ帰らない
瞳を閉じれば聞こえるあの声
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
このようなことを思い重ねて、私は2回ばかり、
20年ぶりに聴いたりした・・。
そして、私は齢を重ねた64歳の身となったが、
今でも戸川昌子さんの『リリー・マルレーン』の唄声を聴くと、
まぎれなく人生の姉貴だ、と感じたのである。
午後のひととき、【YouTube】を開き、
シャルル・アズナヴールの『帰り来ぬ青春』、『遠い想い出』、『イザベル』、
『ボエーム』、『愛のために死す』等を視聴したりした。
この後、エディト・ピアフの『水に流して』などを聴いたりしたが、
この曲も数多くの歌手に歌い継がれている。
日本の私にとっては未知の歌手も唄って折、
私は視聴した後、この方は『リリー・マルレーン』の曲も唄っていたので聴いたりした・・。
『リリー・マルレーン』の名曲に関しては、
フリー百科事典として名高い『ウィキペディア(Wikipedia)』に於いて、
【・・
『リリー・マルレーン』(Lili Marleen)は、第二次世界大戦中に流行したドイツの歌謡曲。
1915年にロシアへの出征を前にドイツの詩人ハンス・ライプ (Hans Leip) が
ベルリンのある兵営の営門に歩哨に立った時に
創作した詩集 "Das Lied eines jungen Soldaten auf der Wacht" に収録されていた詩をもとに、
第二次世界大戦直前の1938年に、作曲家ノルベルト・シュルツェ (Norbert Schultze) が曲をつけ、
歌手のララ・アンデルセンが歌った。
歌詞は、兵営の大門の前に街灯が立っている。
そこで恋人と再会したいと熱い思いを歌ったものである。
男性の気持ちを歌った詩であるが、女性歌手によって歌われることが多い。
第二次世界大戦下では、21時57分にベオグラードのドイツ軍放送局から流れるこの歌に、
多くのドイツ兵が、戦場で耳を傾け故郷を懐かしみ、涙を流したといわれている。
また、ドイツ兵のみならずイギリス兵の間にも流行したため、
北アフリカ戦線のイギリス軍司令部は同放送を聞くことを禁じた。
日本ではベルリン出身のハリウッド女優、マレーネ・ディートリッヒの持ち歌として知られている。
第二次世界大戦当時、ナチス政権下のドイツを離れ、
アメリカの市民権を得ていたディートリヒは進んで連合軍兵士を慰問、この歌を歌った。
このためにドイツでは彼女は敵側の人間(反逆者)と見なされ、戦後も不人気であった。
・・】
このように解説されているが、
私はマレーネ・ディートリッヒに敬意しながら、彼女の歌声に心酔した後、
著名な海外の歌手の3名のお方のも視聴したりした。
この後、日本語も聴きたくなり、
【YouTube】の検索で、戸川昌子、とキーインしたら、
数々の歌曲が明示されたので、驚いたのである。
♪ いくさに行く前の夜
子どものように泣きじゃくり
私の名前をあなたはつぶやく
※いとしいリリー・マルレーン
いとしいリリー・マルレーン
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
私は37年前の前後、この頃の私は銀座の一角にある『銀巴里』に行き、
数多くのシャンソン歌手が近くで唄われるのを、
私はコーヒーを飲みながら、名曲の数々を聴いたりしていた。
そして、近くにあるカフェ・バー形式のような『蛙たち』にも行き、
私は濃いめ水割りのウィスキーを呑みながら、数多くのシャンソン歌手が唄われるのを、
聴き惚れ、心酔していた時期であった。
このした中で、フランスはもとより、日本の方の唄ったシャンソンのアルバムを購入し、
シャンソンに無我夢中の時期であった。
アルバムの中で、日本人の中では、特に金子由香里さんに熱中していた。
『時は過ぎていく』、『ミラボー橋』、『スカーフ』、『愛の砂漠』等の50数曲に、
まぎれなく時を忘れたくらいに熱愛したのである。
こうした時に、東芝レコードから、戸川昌子の『失くした愛』と題されたアルバムを知り、
購入して聴いたのであるが、仰天したのである。
私は戸川昌子さんに関しては、推理分野を書く小説家であり、数作品は読んでいた折、
以前に『銀巴里』で唄っていた、この程度しか知らない私であったが、
桁外れに上手いのである。
♪ 窓の下を兵隊の
長い列が町を出る
私を見あげてあなたは叫んだ
※(くりかえし)
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
この『リリー・マルレーン』は『失くした愛』と題されたアルバムの中のB面の一曲目に収録されてあるが、
この曲はもとより、『私はひとり片隅で』、『金曜日の晩に』、『暗い日曜日』、
『人の気も知らないで』、『ボンボヤージュ』等12曲であるが、
深く魅了されて、人生の姉貴である、と敬意したのである。
♪ 夜空の下鉄砲を
抱えたまま眠る歌
汚れた私の写真を取り出し
※(くりかえし)
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
こうして、『失くした愛』と題されたアルバムを百回前後、
レコード・プレイヤーで聴いたりしている間に、
私はレコード会社の本社でコンピュータの専任者で管理畑の身であったが、
洋楽の編成者、責任者に、
『東芝レコードで・・シャンソンで戸川昌子さんの今度のアルバム・・
凄いですよ・・私はシャンソンが好きなので良く聴きますが・・
桁外れに上手いです・・』
と他社のアーティストであったが絶賛し、友人にも話したりしていた。
♪ 地獄のような戦いに
身を捧げて傷ついて
倒されたあなたは最後に叫んだ
※(くりかえし)
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
私は35歳を過ぎた頃、他の分野の音楽に夢中になったが、
ほぼ10年間にシャンソンに熱中し、アルバムとして150枚ばかり残った時、
私にとってはピアフ、バルバラはもとより最上の神であるが、
日本語で唄われたシャンソンは、戸川昌子さんの『失くした愛』が傑作であり、
私はつたない観賞歴であるが、これ以上のアルバムは知らない。
♪ 平和の日は来たけれど
あなたはまだ帰らない
瞳を閉じれば聞こえるあの声
【 『リリー・マルレーン』作詞・ハンス・ライプ、作曲・ノルベルト・シュルツ、訳詞・なかにし礼 】
このようなことを思い重ねて、私は2回ばかり、
20年ぶりに聴いたりした・・。
そして、私は齢を重ねた64歳の身となったが、
今でも戸川昌子さんの『リリー・マルレーン』の唄声を聴くと、
まぎれなく人生の姉貴だ、と感じたのである。