昨夜、ネットでニュースを見ている中で、
【頭を打った時、救急車は必要? 4時間内の意識悪化や嘔吐に注意】 と見出しを見たりした。
私が中学2年生の時、1959年(昭和34年)の時、富士山で下山の時に、
火山岩に足をとられて、もんどりひっくり返って、転げた体験がある。
長兄の知人で、実家は御殿場地域で、地元の高校に通っていた時代に、
ボッカと称した荷上げてのアルバイトをして、
幾たびか夏季の時に、御殿場の新2合目より山頂まで登り下りをしていた人がいた。
私は低山の高尾山をハイキングした程度であった。
この当時の1959年(昭和34年)の頃は、御殿場口、須走口からの登山口は、
私の記憶に間違いがなければ、夏季の登山シーズンに限り、
御殿場駅から新2合目まで路線バスがあった。
そして、登りは須走コース、下りは御殿場コースと決め、
この御方に導かれて、次兄と私は歩き出したりした。
おぼろげな記憶をたどれば、
確か夜の6時過ぎに須走口の新2合目から登りはじめて、山頂の早朝時を目指した。
私は山歩きは、まったくの未経験者であったので、ひたすら付いて歩いているうちに、
何とか無事に山頂にたどり付いたりした。
そして、ご来光の時には少し過ぎていたが、快晴に恵まれ、
7月下旬でも寒いくらい涼しかったのが、心の片隅に残っている。
やがて下山の時、御殿場コースを下りはじめた時、
私としては、急斜面で黒い砂粒の厚く積もった砂走りと称された下山の路で、
不安であったが、10分ぐらいすると、5歩、6歩進めて、足元でくい止める方法に馴れた感じをした。
その後、9合目を下って、まもない時、
私は5歩、6歩進めて、足元でくい止めるようとしたが、足元が砂で滑り、止まらなかったしまった・・。
私の身体は、急斜面を走るかのように下りはじめ、
足元を踏ん張ろうとし、幾度も試みたがくい止めるこどできなかった・・。
やむえず横にコースを取れば、斜面は並行となり、もとより下ることはないので、
咄嗟(とっさ)に横に方向したが、下山の路から外れて、
黒い砂粒から爆発時の岩の痕跡となった黒い岩の大小が数々観られたりした。
こうして私は、斜面の横を自身の意思とは違い、踏ん張って止めようとしたが、
一向に止まらず、失速し、私はあわてふためいたりした・・。
そして、動顛した為か、何故か下りに進路を変えたのである。
足速は益々早くなり、失速しながら下った時、
死ぬこととは、こうしたことなのか、
とスローモーションのように実感しながら下った・・。
まもなく、私は大きな黒い岩につまずいて、
背負い投げを受けたかのように、地面に叩きつけられた。
そして、横に転がりはじめ、わずかな草の群生したひと株を、私は握り締めたりした。
そして、上の方から、この御方と次兄が、
大丈夫か、という叫び声を、私はぼんやりと聴こえたりした・・。
私は呆然としながら、ノロノロと起き上がると、
何故か6畳ぐらいの平地で、草がわずかに生えていた。
そして下る方向の数メートル先は、切り落とされたかのような崖となり、
遙か彼方の下界となっていた。
そして私は自分の手足、身体をおそるおそる触れ、
軍手を外し、手は砂粒と黒い岩でわずかに切り、穿(は)いていたバスケット・シューズは所々擦り切れ、
おでこに少しかすり傷ぐらいであった。
この後の私は、この御方と次兄に守られるように下山をふたたび始めて、
この御方の知人が8合目で山小屋を経営しているので、
この御方が、少し休息しょうと、この山小屋に寄ったりした。
私達3人は、お茶を頂ただいたのであるが、
『先ほど・・上の方で・・もんどりひっくり返って転げたひとりを見たが・・ありやぁ・・死んだよ』
と山小屋の主人は、この御方に云ったりしていた。
『あのぅ・・叩きつけられて・・転んだのは・・僕です・・』
と私は元気のないかぼそい声で云った。
『お前さんだったのかぁ・・よく助かったなぁ・・
岩に足を取られて・・もんどり返った時・・偶然に俺は見ていたが・・あれで死んだと思ったょ・・
まして、その先は、千メートルぐらいの崖下となっているし・・』
と私は山小屋の主人に教えられて、私は改めて恐怖で、少し震えたたりした・・。
こうした私は苦い体験を秘めている。
ここ年金生活の中でも、ときおり小庭の手入れをしたりする時、
樹木の枝に頭を打ったりする時もあり、或いは樹木の下草を這いつくばって取った後、
やはり枝に頭を打ったりしたことがあった。
こうした時は、10数秒痛みを感じたりし、やはり頭を打つと大変と思ったりしてきた。
このような心情を秘めた私は、今回の記事を精読してしまった。
この記事は日本脳神経外科学会専門医の重松秀明(しげまつ・ひであき)さんが寄稿文であり、
『山陽新聞デジタル』に6月19日に配信され、無断であるが転載させて頂く。
《・・頭を打った時、救急車は必要? 4時間内の意識悪化や嘔吐に注意
皆さんのお子さんや家族の方が頭を打った時に、
「救急車を呼ぼうか、呼ぶまいか」と迷われることが時々あると思います。
頭部外傷により脳が損傷を受ける病態は、大きく分けて二つあります。
一つは外力が直接脳にダメージを与える場合で、「直撃損傷」と言います。
器物等で打撲した部位が骨折したり、脳損傷をきたす場合です。
特に小児は直撃損傷により頭蓋骨骨折を起こしやすく、骨折に伴い「急性硬膜外血腫」が起こることがあります。
急性硬膜外血腫は受傷直後はほとんど症状がありませんが、
徐々に意識障害や麻痺(まひ)が発生し救急搬送されることがあります。
もう一つは「対側損傷」と言います。
これは受傷した部位と反対側の脳が損傷した状態です。
これに回転性の外力が頭部に加わると、脳表静脈の断裂をきたし「急性硬膜下血腫」が起こります。
急性硬膜下血腫は重篤になりやすく、死亡率は55%に達します。
最近では中学生が柔道の練習中に投げられ、急性硬膜下血腫で死亡する例が社会的問題となりました。
頭部外傷を受けた場合に救急車を呼ぶべき症状としては
(1)意識レベルの悪化
(2)麻痺や失語症の出現
(3)嘔吐(おうと)
(4)痙攣(けいれん)発作等が挙げられます。
急性硬膜下血腫や脳挫傷は、外傷直後より意識障害を起こすことが多いのですが、
急性硬膜外血腫は、発症より数時間して意識障害を起こす例があります。
高齢者以外ではあまりありません。
ですから皆さんのお子さんや家族の方が頭を打った時には、4時間は気をつけてあげてください。
4時間以内に意識が悪化したり嘔吐する場合には、
直ちに脳神経外科があり、頭部CT等の検査が行え、処置が可能な病院の受診をお勧めします。
また、外力の受け方も頭蓋内出血には、大事な要因です。
先述のように急性硬膜外血腫は「硬い床に高い所から転落し頭部を直撃した」
「バット等の器物で頭を殴られた」時などに起こりやすいと言われています。
これに対して急性硬膜下血腫は「柔道で内股をかけられ頭から落ちた」場合などに起こると言われています。
また、交通事故を含め、頭部に大きなエネルギーを受けた場合には、直ちに頭部の精密検査を受けましょう。
高齢者では、頭部外傷後24時間以上経過して、少しずつ脳挫傷をきたしたり、
軽微な外傷後1か月から2カ月経過して起こる「慢性硬膜下血腫」という病態があります。
このような場合は、一分一秒を争う手術が必要な事は少ないのですが、
「最近おじいさんに、認知症の症状が出てきた」
「左の方に傾く」等の症状があれば、頭部CT等の検査を受けてください。
早く診断し治療を開始すれば、ほとんど症状を残さずに回復することもあります。
おかしいと感じたら、速やかに脳神経外科のある病院を受診してください。・・》
注)記事の原文に、あえて改行を多くした。
過ぎし2014年12月中旬から、我が家では独り住まいの家内の母が、
陽当たりの良い洋間で、早めに布団を干している。
こうした中で、家内は2階から布団を持ちながら階段を下りる時、誤って滑り転げるように落ち、
やがて病院で精密検査を受けた、苦い思い出がある。
この日の朝の7時半過ぎ、家内は2階の和室の寝室と洋間を整理をしていたので、
私は一階の雨戸を開けた後、家内が居間の二階に上がり付近で、うつぶせになって倒れていた。
私は近づいて聞いた所、2階から階段を降りる時、滑って転げるように落ちてしまった、
と途切れながら、私に言った。
何か頭も打ったりし、手首の近く、左足も打ったり、全身が・・と家内は私に言ったりしたので、
『救急車を呼んで、病院に・・』
と私は言ったりした。
しかし家内は、
『ネットで『救急車を呼ぶ前に』を調べて下さい』
と私に言ったので、私は検索した。
そして指定された電話番号先に、家内は現状の原因と状況を伝えた結果、
近くの大きな大学病院を指定されて、9時より診察開始時間に電話連絡した上、
精密検査を受けて下さい、と家内は言われたりした。
そして応急的にお互いに衣服を整えて、自動車がない我が家として、
私は近くのタクシー会社に連絡したが、空車がないと断られしまった・
やむなく路線バスで私たち夫婦は、指定された大きな大学病院に向かった。
やがて病院に到着すると、電話で指示された救急受付に行き、
まもなく家内は、各箇所の精密検査を受けたりした・・。
私は検査治療室の前の椅子に座り、待機したりした・・。
やがて1時間半過ぎた頃、家内は若き女性の看護師に導かれて車椅子に乗って現れた時は、
私は動顛したが、安静第一ですって、と家内は私に微苦笑しながら言ったので、少し安堵したりした。
そして30分過ぎた後、担当医師から精密検査の結果、今後の要注意点を
私たち夫婦は説明を受けたりした。
結果的には脳、首回り、手足の関節などは異常はないが、各箇所で打撲されているので、
数日は痛みを感じるので、痛みを感じたら痛み止め薬を飲んで下さい、
そして打撲された箇所は冷やして・・、と私たち夫婦は言われたりしたので、安堵したりした。
私たち夫婦は、最初の9時より診察開始時間に電話連絡した時、
検査の状況により数日前後は入院して頂く場合があります、と家内は言われたりした。
私たち夫婦が何よりも心配していたことは、
脳、そして関連した神経で手足などの影響のことなどあったので、
安堵しながら、お互いに微苦笑しりした。
やがて私たち夫婦は、帰路のタクシーの中で、
お互いに若くないので、ちょっとしたことも油断大敵・・と私は家内に言ったりした。
お互いに齢を重ねている中、気を付けなければ、命に係わることもある、
と改めて深く感じさせられたりした。