夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

蓮(ハス)、そして湧水(わきみず)、愛惜感を秘めた私、ささやかな想いは・・。

2016-08-15 14:49:57 | ささやかな古稀からの思い
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住む年金生活のまもなく72歳の身であるが、
今住んでいる地域に、結婚前後の5年を除き、66年ばかり住み、
戦後から今日まで急速に変貌してきたことに、何かと心を寄せたりして愛惜感もある。

          
           ☆掲載した写真は、ここ一か月、都立・神代植物園に訪れた情景である☆

私は今住んでいる近くに生家があり、1944年〈昭和19年〉の秋に農家の三男坊として生を受け、
やがて兄2人、そして妹二人の間(あいだ)で、サンドイッチのように育ったが、
何故かしらいじけた可愛げのない屈折した幼年期を過ごした。

私が地元の小学校に入学した1951年〈昭和26年〉の春の当時は、
祖父と父が中心となり、小作人だった人たちの手を借りながら、程々に広い田畑を耕したりしていた。
そして母屋の宅地の外れには土蔵、納屋小屋にあったりし、周辺には竹林、雑木林に囲まれた農家であった。
 
こうした中、この当時の周辺の情景は、京王腺の駅付近には商店街があるだけで、
周辺は田畑、竹林、雑木林など拡がり、緑豊かな村里の情景であった。
       
このような状況で、私が小学生の前半までは、父、祖父が病死されるまで、農家の児として育てられた。

私は地元の小学校に入学した頃は、独りで下校する時が多かったりした。
          

こうした時、通学路から外れて、田圃の畦道を歩いたりし、
ある日、小雨に降られた後、七色の虹が視えて、
この世でこんなに綺麗なことがあるの・・と長らく見惚(みと)れたりした。

或いは通学路を下校する時、祖父の知人宅に寄り、
70歳ぐらいの小父さんに、白い梅の花、桜より好きです、と私は言ったりして、
変わった児だねぇ、と私は言われたりした。

或いは祖父が所有していた田んぼの中には小川に流れたり、ある処には湧水(わきみず)があったり、
この近くに150坪ぐらいの半反程度の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。
          
私は何かと湧水(わきみず)に魅せられて、
夏の季節であっても、冬の時節に於いても
コンコンと湧き出る水を、どうしていつまでも湧いてくる、と不思議そうに眺め、飽きることがなかった。
そしてこの湧水(わきみず)は、田んぼの中央に流れる小川に流れていった。

初夏になると湧水(わきみず)の周辺は、夏のお盆に使う紅紫色したミソハギの花が咲いたりしていた。
          
            ☆都立・神代植物園に隣接した『水生植物園』で撮った☆

後年、私が結婚した後、家内と湧き水を観に旅行をしたりした。
富士山の伏流水が湧き出る三島郊外の柿田川、或いは忍野八海の湧き水を観に行ったりした。

そして伊豆地方の湯島に宿泊した時、湯ヶ島にある山葵(わさび)が植えられている処があり、
杉木立の斜面の外れに湧き水があった。
小さな湧き水が四箇所あり、コンコンと湧き出て、やがて小川となっていた。


蓮(ハス)専用の水田に関しては、7月の下旬の頃になれば、蓮の花は莟(つぼみ)となり、
やがて8月の初めに私の住む地域はお盆を迎えるので、祖父か父が6本前後採ってきた・・。

そして私は祖父に懇願して、大きな葉をひとつ貰ったりした。
私はこの大きな葉に水を少し入れると、水玉になり、陽射しを受けると、
キラキラと水玉が輝きを帯びたりするので、幼児なりに魅了されて独り楽しんでいた・・。

そして泥だらけの中で、どうしてあんなに綺麗な白い花が咲くの、と子供心に不思議に思ったりした。
          

やがて生家のお盆は、古来より8月1日は『お盆の日』となっている。

そしてお盆の迎え火は、7月30日の夕方に行われるが、
この日の午前中には、仏間にある仏壇から位牌と仏具一式を取り出した後、
仏壇の扉は、このお盆の期間だけ閉じられていた。

この前に畳一帖ぐらい台に盆棚と称せられたこのお盆の時だけの棚が設置された後、
この盆棚に移された。

そして盆棚の中央の奥に位牌を置き、周辺に野菜、果物を供えられ、
胡瓜(キュウリ)に割り箸のような足を付け馬を見立て、
茄子(ナス)も同様な形で牛に見立てたものを飾っていた・・。

後年になると、叔父さんから、馬は祖先の霊に乗って、この世に戻り、
牛はお墓に戻る時に乗って帰られる、と私は教えられたりした。

台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮の葉に茄子を小さく刻んだのを浮べ、
淡い紅紫色のミソハギを小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の百合の花などの草花を飾り、この中で蓮(ハス)の花が中核となっていた。
          

やがて夏休みが終わった頃、蓮(ハス)の田んぼに行くと、
花が終り、可愛い蜂の巣のような実となっていた。

数週間過ぎた頃、この実を採り、少し剥(むく)とどんぐりのような形した白い実が出てきて、
食べたりした後、少し甘い香りが残った・・。

やがて蓮(ハス)の葉が枯れる頃になると、
祖父、父が泥だらけの地中から大きくふくらんだ蓮根を取り出し、
青果市場に父は出荷した後の残りが、生家の食卓を彩(いろど)った。

私は蓮(ハス)と呼んでいたが、
後年になると、レンコン、と世間の多くの人が言ったりしているので、
戸惑いを覚えたりしている。

このような想いでがあるので、
公園などで淡い紅色した華やかな大賀蓮(オオガハス)観かけた時とか、
名所と知られているある寺の観せる美麗な蓮(ハス)は、
あれは単なる鑑賞専用の蓮(ハス)であって、私が愛惜を秘めている蓮(ハス)じゃない、
と幼児の思いに還ったりしている。
          

定年退職した2004年(平成16年)の翌年の夏、
ある書物で、黒羽山の大雄寺の高僧が、蓮(ハス)のことについて、綴られているのを知った。

《・・泥中に生じ汚れなく、幽香を漂わせる蓮(ハス)の花は、
清浄、柔軟、可憐から、他の植物にはない特徴があることから、
仏教の象徴的な意味を持つものとなっている。

泥の中で成長し根を張り、清楚な美しい花を見せる。
そして、普通の花は、まず花が咲いてから実をつけるものだが、
蓮は花をつけると同時に実を中に詰めたつつみが出てくる。

このことから蓮は、過去・現在・未来を同時に体現しているとされている。・・》
このようなことを遅ればせながら学んだりした・・。

私の生家は仏教の曹洞宗で、齢ばかり重ねた私は、何かと無知なことが多いが、
蓮(ハス)は泥の中から茎を出し、純白な花びらを見せてくれるのに、
圧倒的な思いで魅了されている・・。


改めて蓮(ハス)の純白の花を眺めたりすると、
何かと定年退職するまで卑屈と劣等感の多かった半生の歩みを、
浄化してくれる随一の花と思っている。
          

このように私なりに深い思いを秘めているが、
私が小学生2年に父が病死し、この翌年に祖父も死去し、
生家は衰退したが、私の住む周辺は1955年(昭和30年)の初めに頃になると、
田畑、雑木林は急速に消え、もとより蓮(ハス)の水田も消え去り、やがて住宅街に変貌した・・。

そして、この間に曲がりくねっていた近くに流れる野川も、本格的に大きな川として護岸工事の上、
整備されたり、遊歩道や小公園も新たに設けられたりした。

こうした中で、私が農家の児として育った原景は、殆ど消え去ってしまった・・。

そして私は家内と共に国内の旅行をした時、
旅先で偶然に、田んぼある蓮(ハス)の花を見かけたりすると、
しばらくのあいだ見惚(みと)れながら、まぶたが熱くなってしまうことが多くなっている。
                  
     
こうした思いのある私は、愛惜を重ねるように、都立『神代植物公園』の園内を歩き廻ったり、
雑木林、かえで園の数多くのモミジ林などに、身に心も安らぐひとつとなっている。

或いは近くにある『水生植物園』に行ったり、田んぼの情景、湧水を眺めたりして、
私が育った小学の低学年の頃までの情景を思い重ねて、見たりしている。
          

このような心情を秘めた私は、都立の神代植物公園こそが私の心の第二の故郷(ふるさと)として、
少なくとも四季折々に訪ねて、園内を歩き廻ったりしている。

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