私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
私たち夫婦は、結婚して37年生となっている。
私は外見上は、連れ合いことは、家内としている。
奥方というのも、つなない私でも遥か高貴の家から降下され嫁いできたような方と思い、
女房、というのも、私はあえてさけている。
女房の語源は、平安時代に於いて、宮中で私的事務をつかさどった女官の名称、
と若き頃に、井口樹生・文学博士から教示された。
そして、『房』は部屋を指し、奥ゆかしき独り専用の広い部屋のことらしく、
我が家としては、無念ながら家内専用の広い部屋がないのである。
従って、消却法として、家内、と私は外見上は公言している。
さて、内輪の日常生活の中、XX、と男性が愛しき連れ合いを名前で呼び捨てにしている方たちがいる。
もとより私の世代より齢上の方の男性に多く、私より少し若い団塊世代の人の一部に見受けられるが、
私は何となく存在を粗末にしているように感じ受けしまい、論外としている。
この根底には、私は幼年期の頃から、女性に対して憧憬する悪い癖があり、
齢ばかり重ねた昨今でも、50代から70代の女性の言葉、しぐさに魅せられている。
特に凛とした女性には、圧倒的に弱く、少しばかり眩暈(めまい)を感じることもある。
或いは、XXさん、というのも寝食を共にしているので、他人行儀らしく感じる。
このような幾つになっても可愛げのない独断と偏見のある私である。
私がこの広い世界の中で、家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であった。
私のすぐ下の妹は1969〈昭和44〉年の秋に嫁ぐ前に、私の生家の長兄宅に同居していたが、
結婚後は義父母宅に同居することでなっていたので、
私は妹の新生活の準備の荷物を、幾たびか自動車で義父母宅の一室に運び入れたりした。
こうした時、義父と何かの時に、たまたま文學のことが話題となった。
この義父はある中堅の商事会社の監査役をしていたが、こよなく文學を愛し、
余暇は10畳の書斎の中で過ごし、ある地方の文学誌に寄稿されている方であった。
私は文学青年の真似事をした時期もあったので、
やはり永井荷風は群を抜いた文士でした、と私は言ったりすると、
この義父からは、苦笑されながら、何かと私は可愛がれたりしていた。
こうした縁で、この商事会社に勤めていたひとりの女性を紹介してくれたのは、
1975〈昭和50〉年の秋であり、私たちは交際をはじめた・・。
二度目に待ち合わした時、私はXXさん、と苗字を言っても何かしら他人のように思え、
いきなり相手の名前、XXちゃんと呼んだ。
相手は、驚いたような表情を浮かべた・・。
私の発想の根源は、恥ずかしながら告白すれば、
私が二十歳過ぎた頃に愛読していた小説家・福永武彦さんの『草の花』の中で、
主人公の男性が交遊し好感を重ねていた若き女性に対して、XXちゃん、と名前で呼んでいたので、
流用させて頂いたのである。
私はこれ以降、婚約、結婚、そして子供も恵まれなかったこともあるが、
家内のことを、我が家ではもとより、親族の集いの冠婚葬祭などを含めて、
XXちゃん付けとして呼んでいる。
私たち夫婦は、共通の趣味のひとつとして、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から国内の各地を旅行をしたりしている・・。
ときには団体観光ツアーで各地を周遊したこともある。
バス、新幹線の車内、休憩所の土産売り場、観光ホテルのロビーとかで、
ご一緒に旅をしている人達から、ときおり笑われたりしている。
たとえば、新幹線を下車する直前、旅行のバックを持つ前に、
『あなた・・まわりのお方に注意して・・持ってね・・』
と私は家内から言われたりしている。
こうした時、
『はい!』
と私は明るく大きな声で家内に返事をする。
私は日常生活でも家内から何か言われた時、
はぁ~ぃ、と少しだらけた返事は嫌いなので、短めで明るく大きな声で返事をしている。
こうした返事を、旅先でもすると、 なぜかご一緒から、笑われたりするのである。
そして私は家内を呼ぶ時には、
『XXちゃん・・さぁ・・』
と私はいつものように、家内の名前を口にしたりすると、
車内の付近から、くすくす笑われたりしている
私は家内と婚約する前の交際期間から、ちゃん付けで呼んでいるので、
私は平然としている。
家内が私を呼ぶ時は、
あなた、が多いが、ときにはXXさん、と名前で呼ばれたりすることもある。
こうした時、ご一緒の特に女性グループ方達から、
『あなた達・・いいわねぇ・・』
と笑いながら家内に言ったりしている。
こうしたことは、私はいつもの日常生活で使っているので、
私は戸惑いながら、ご一緒の方達に微笑返しをしたりしてきた。
尚、私は連れ合いをワイフとかパートナーと呼ぶのは、何となく照れくさくい上、
何よりも幼年期に農家の児と育てられ、少なくとも日本男児のひとりであるので、
私としては、欧米文化の日常生活のふるまいに何かと苦手からである。
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私たち夫婦は、結婚して37年生となっている。
私は外見上は、連れ合いことは、家内としている。
奥方というのも、つなない私でも遥か高貴の家から降下され嫁いできたような方と思い、
女房、というのも、私はあえてさけている。
女房の語源は、平安時代に於いて、宮中で私的事務をつかさどった女官の名称、
と若き頃に、井口樹生・文学博士から教示された。
そして、『房』は部屋を指し、奥ゆかしき独り専用の広い部屋のことらしく、
我が家としては、無念ながら家内専用の広い部屋がないのである。
従って、消却法として、家内、と私は外見上は公言している。
さて、内輪の日常生活の中、XX、と男性が愛しき連れ合いを名前で呼び捨てにしている方たちがいる。
もとより私の世代より齢上の方の男性に多く、私より少し若い団塊世代の人の一部に見受けられるが、
私は何となく存在を粗末にしているように感じ受けしまい、論外としている。
この根底には、私は幼年期の頃から、女性に対して憧憬する悪い癖があり、
齢ばかり重ねた昨今でも、50代から70代の女性の言葉、しぐさに魅せられている。
特に凛とした女性には、圧倒的に弱く、少しばかり眩暈(めまい)を感じることもある。
或いは、XXさん、というのも寝食を共にしているので、他人行儀らしく感じる。
このような幾つになっても可愛げのない独断と偏見のある私である。
私がこの広い世界の中で、家内とめぐり逢えたのは、妹の嫁ぎ先の義父からの紹介であった。
私のすぐ下の妹は1969〈昭和44〉年の秋に嫁ぐ前に、私の生家の長兄宅に同居していたが、
結婚後は義父母宅に同居することでなっていたので、
私は妹の新生活の準備の荷物を、幾たびか自動車で義父母宅の一室に運び入れたりした。
こうした時、義父と何かの時に、たまたま文學のことが話題となった。
この義父はある中堅の商事会社の監査役をしていたが、こよなく文學を愛し、
余暇は10畳の書斎の中で過ごし、ある地方の文学誌に寄稿されている方であった。
私は文学青年の真似事をした時期もあったので、
やはり永井荷風は群を抜いた文士でした、と私は言ったりすると、
この義父からは、苦笑されながら、何かと私は可愛がれたりしていた。
こうした縁で、この商事会社に勤めていたひとりの女性を紹介してくれたのは、
1975〈昭和50〉年の秋であり、私たちは交際をはじめた・・。
二度目に待ち合わした時、私はXXさん、と苗字を言っても何かしら他人のように思え、
いきなり相手の名前、XXちゃんと呼んだ。
相手は、驚いたような表情を浮かべた・・。
私の発想の根源は、恥ずかしながら告白すれば、
私が二十歳過ぎた頃に愛読していた小説家・福永武彦さんの『草の花』の中で、
主人公の男性が交遊し好感を重ねていた若き女性に対して、XXちゃん、と名前で呼んでいたので、
流用させて頂いたのである。
私はこれ以降、婚約、結婚、そして子供も恵まれなかったこともあるが、
家内のことを、我が家ではもとより、親族の集いの冠婚葬祭などを含めて、
XXちゃん付けとして呼んでいる。
私たち夫婦は、共通の趣味のひとつとして、国内旅行であり、
子供に恵まれなかった為か、若い頃から国内の各地を旅行をしたりしている・・。
ときには団体観光ツアーで各地を周遊したこともある。
バス、新幹線の車内、休憩所の土産売り場、観光ホテルのロビーとかで、
ご一緒に旅をしている人達から、ときおり笑われたりしている。
たとえば、新幹線を下車する直前、旅行のバックを持つ前に、
『あなた・・まわりのお方に注意して・・持ってね・・』
と私は家内から言われたりしている。
こうした時、
『はい!』
と私は明るく大きな声で家内に返事をする。
私は日常生活でも家内から何か言われた時、
はぁ~ぃ、と少しだらけた返事は嫌いなので、短めで明るく大きな声で返事をしている。
こうした返事を、旅先でもすると、 なぜかご一緒から、笑われたりするのである。
そして私は家内を呼ぶ時には、
『XXちゃん・・さぁ・・』
と私はいつものように、家内の名前を口にしたりすると、
車内の付近から、くすくす笑われたりしている
私は家内と婚約する前の交際期間から、ちゃん付けで呼んでいるので、
私は平然としている。
家内が私を呼ぶ時は、
あなた、が多いが、ときにはXXさん、と名前で呼ばれたりすることもある。
こうした時、ご一緒の特に女性グループ方達から、
『あなた達・・いいわねぇ・・』
と笑いながら家内に言ったりしている。
こうしたことは、私はいつもの日常生活で使っているので、
私は戸惑いながら、ご一緒の方達に微笑返しをしたりしてきた。
尚、私は連れ合いをワイフとかパートナーと呼ぶのは、何となく照れくさくい上、
何よりも幼年期に農家の児と育てられ、少なくとも日本男児のひとりであるので、
私としては、欧米文化の日常生活のふるまいに何かと苦手からである。
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なんとも羨ましいというか 微笑ましいご夫婦ですね、われわれは呼ぶ時は「あの ちょっと」と言い名前を呼ぶなんてまあありません、どの様に妻が思ってるかは解かりませんが諦めてるのでしょう。
2011-8-13の X JAPAN「THE LAST LIVE」ビデオ・・・・を読みました、オーディオがお好きでなかなかのSP内蔵の大型テレビで楽しまれてますね。
自分は一回り小さいのに 倅から貰った外部スピーカーとアンプを接続してます、只今一人です 周囲は道路と空き地なので気にしないでボリュウム上げ楽しんでます、
63歳の「永ちゃん」を録画しましたので・・・・
私は秘かに高嶺の花と思っている貴女様より、コメントを頂だき、舞い上がり、
嬉しく読ませて頂きました。
確か2010(平成22)年の9月、放置していたブログランキングの『にほんブログ村』に本再加入して、
多くの方のブログを読ませていただき、この中の【プラチナのように輝いて!】と称されたブログに瞬時に魅せられました。
日常生活の中、麗しき女性が独創性ある感性で表現され、魅力のある人と確信を深め、
これ以降は私は隠れキリシタンのように愛読者となっています。
そして、2か月過ぎた頃に、貴女様の【今が一番素敵】を偶然に精読して、
優雅な日常生活の中で、素直に心情を発露される素敵な女性だなぁ、と瞬時に感じ、
やはりこれ以降、私は隠れキリシタンのように愛読者となってきました。
こうした中で、ご主人は大手の民間企業を栄達され、第一線を退かれた後、こよなく映画を愛される人、
貴女様の設計した家、庭はもとより、日常の家具、置物、洋装などの気品ある状況が解り、
そしてご家族の状況も推測でき、中流家庭の最上層の方たち、と確信を深めています。
こうしたことは私なりに波乱万丈の生活を過ごし、
我が家は何とか中流家庭の下層にいられると思っている私は、感じたりしてきました。
何よりも貴女様に魅せられたのは、お嬢様育ちの貴女様が、どのようにふるまっても、
いやしくない気品を秘められていることです。
このことは貴女様のブログを読んだ一部の心の貧しい方は、
こうしたことが察知できず、貴女様に悪戯のあるコメントを出して、
貴女様はいたたまれずコメント欄を閉鎖されてしまった、
とこの当時ブログ6年生の私は推測していました。
この後、私の秘かに隠れキリシタンのように愛読しているブログの中で、
貴女様と夢路様が、ご姉妹と知った時、
広い世界でこのようなことはあるの、と大変驚いたのは、昨年の2011〈平成23〉年の1月でした。
そして、不幸にもご主人のこ病気の状況、貴女様の介護、医師の接し方・・そして貴女様の体調・・
愛読者の私としては、ハラハラドキドキしたりしながら、読ませて頂いています。
こうした中で、いつも感じることは、広島の地でご両親に育まれたご姉妹が、
やがてそれぞれ嫁ぎ、その後にご両親の看病をなされて、無念ながら亡くなわれ、
その後はお墓参りをされている状況・・
私は長き歳月に思いを馳せながら、仲良しのご姉妹が、
それぞれのご家族を大切にして過ごされているご様子に、圧倒的に魅せられて今日に至っています。
余談ですが、貴女様は日常のお料理・・手を抜くこともなく調理されていることに、
感心させられています。
恥ずかしながら、我が家は家内が疲れた時など、
近所の寿司屋さんから、出前をお願いして、寿司だけを食べながらビールを吞む、
こうした安易なこともすることもあります。
これからの秋の時節は、朝夕肌寒い日々が続きますので、
御主人、貴女様は、程ほどにお身体をご自愛下さい。
>なんとも羨ましいというか 微笑ましいご夫婦ですね、
>われわれは呼ぶ時は「あの ちょっと」と言い名前を呼ぶなんてまあありません、
>どの様に妻が思ってるかは解かりませんが諦めてるのでしょう。
私たちの世代より上の貴兄の多くは、奥様を呼ぶ時は、名前を呼び捨てにする方が、圧倒的に多いと思います。
そして日常生活の中で、普通のご家庭でしたらお子様がいますので、
お父さん、お母さん、とお互いに呼び合うと思っています(笑)
>2011-8-13の X JAPAN「THE LAST LIVE」ビデオ・・・・を読みました、
>オーディオがお好きでなかなかのSP内蔵の大型テレビで楽しまれてますね。
>自分は一回り小さいのに 倅から貰った外部スピーカーとアンプを接続してます、
>・・周囲は道路と空き地なので気にしないでボリュウム上げ楽しんでます、
私の独身時代は、ラオックスのプリアンプ、メインアンプを中核に、
レコードプレイヤー、スピーカーを通して聴いたりしていましたが、
結婚した後、数年後に家を建てた時に住宅関係のローンの返済に四苦八苦し、
やがて壊れ、簡素なステレオセットに移行して、昨今はCDラジカセで聴いたりしています(笑)。
たまたまテレビを昨年の春に買い替えた時、せめてオーディオの良い製品と思い、購入した次第です。
私も外部スピーカーとアンプを接続して、テレビを視聴したいのですが、
家内から、これ以上大きな音は・・と反対され、小心者の私は断念している次第です(笑)
>63歳の「永ちゃん」を録画しましたので・・・・
過日、NHKで『矢沢永吉ライフ』を放送していましたが、私は苦手でして・・。
しかしながら、私が現役時代に勤めていた日本フォノグラム に於いては、
「キャロル」というバンドで大活躍していました。
確か1972年晩秋の頃から、解散される1975年まで、レコードはヒットし、
特にベストアルバムの2枚は、それぞれ30万枚以上売れて、私は驚いた記憶がありました。
その後、ソロとして矢沢永吉さんは、奮戦しながらヒットを重ねて、多くのファンがいことは、
周知の通りてす。
誤
私の独身時代は、ラオックスのプリアンプ、メインアンプを中核に、
正
私の独身時代は、ラックスのプリアンプ、メインアンプを中核に
40年前の頃でしたので、間違っていました、
お恥ずかしい限りです。
ラックスのアンプを使用とはなんとも贅沢な事 スピーカーは輸入品 JBLかグットマンそれともダイヤトーン でしょうか?
私の独身時代の最初は、プリメインはトリオ(現・ケンウッド)、スピーカーはソニーでして、
この後に確かオーディオ季刊誌の『ステレオ・サウンド』を見たりした後、
ラックスのプリアンプ、メインアンプを購入し、
いつの日にかタンノイのスピーカー(確かこの当時1本20数万だったと思います)を、
買い求めようとしていました。
そして結婚した後、数年後に家を建てた時に、居間の一面の床を強化しましたが、
住宅の他の部分に経費が要し、住宅ローンの返済に四苦八苦し、
タンノイは幻(まぼろし)のスピーカーとなった次第です(笑)
昨今はCDラジカセで聴いたりしていますが、
オーディオ・セットを120万円ぐらいで改めて購入するよりも、
家内と国内旅行の経費に使った方が有意義と思っている次第です。