東京の郊外は、昨日に続き、雲ひとつなく快晴の朝を迎えている。
日中は27度前後の6月下旬のような陽気となるので、
樹木の下の緑陰を享受したり、風を受けたりするのが、
何より心身に心地良い。
私は風吹くさまを5月の時節は、薫風と称し、
三月から4月にかけて、風は甘く、などと称している。
先程、ある辞典で『薫風』を調べていたら、
少しつまらない解説をされていた。
『立夏・芒種は薫風の候なり。
一陣の風、南より吹き来たりて、香気を放つ。
しかして殿閣、微涼を生ず』・・。
中国の古暦は、こんなふうに5月のイメージを表現していた。
5月の風は、確かに爽やかだ。
『吹き来たりて、香気を放つ』。
ここ日本でも、いえることである。
しかしながら、雨や雪などと同じように、本来、風は無臭のはずだ。
それなのに、我々は、なぜ5月の風だけを《薫風》と感じたのだろうか?
その理由は、こうである。
5月は新緑の季節だが、野山の木々の若葉には、
『フィトンチッド』という芳香成分成分が含まれている。
この芳香成分は微細な粒子。
吹く風の流れに乗って、あちこちへ飛びたたよい、
我々の嗅覚をくすぐる。
これがつまり、《薫風の科学》だ。
ゆえに、5月の風は香るのである。
【水野 肇・監修の『健康歳時記』より】
私は幼児の頃から、
この時節に頃はこいのぼりを見ながら、風は気持ちが良い、
と心身感じたりしてきた。
幼児、子供ながら季節を感じ、その時節を深めてきているのである。
《薫風の科学》などの一章は、つまならい余計なことと思っている。
人それぞれであるが、何気なし心から感じる情緒、情感は、
科学の解説、分析は余計なお節介である。
ごく自然に感じ、受けとめながら、育(はぐく)まれ、
心からの発露を私は大切にしている。
そして、ときたま綴っている。
日中は27度前後の6月下旬のような陽気となるので、
樹木の下の緑陰を享受したり、風を受けたりするのが、
何より心身に心地良い。
私は風吹くさまを5月の時節は、薫風と称し、
三月から4月にかけて、風は甘く、などと称している。
先程、ある辞典で『薫風』を調べていたら、
少しつまらない解説をされていた。
『立夏・芒種は薫風の候なり。
一陣の風、南より吹き来たりて、香気を放つ。
しかして殿閣、微涼を生ず』・・。
中国の古暦は、こんなふうに5月のイメージを表現していた。
5月の風は、確かに爽やかだ。
『吹き来たりて、香気を放つ』。
ここ日本でも、いえることである。
しかしながら、雨や雪などと同じように、本来、風は無臭のはずだ。
それなのに、我々は、なぜ5月の風だけを《薫風》と感じたのだろうか?
その理由は、こうである。
5月は新緑の季節だが、野山の木々の若葉には、
『フィトンチッド』という芳香成分成分が含まれている。
この芳香成分は微細な粒子。
吹く風の流れに乗って、あちこちへ飛びたたよい、
我々の嗅覚をくすぐる。
これがつまり、《薫風の科学》だ。
ゆえに、5月の風は香るのである。
【水野 肇・監修の『健康歳時記』より】
私は幼児の頃から、
この時節に頃はこいのぼりを見ながら、風は気持ちが良い、
と心身感じたりしてきた。
幼児、子供ながら季節を感じ、その時節を深めてきているのである。
《薫風の科学》などの一章は、つまならい余計なことと思っている。
人それぞれであるが、何気なし心から感じる情緒、情感は、
科学の解説、分析は余計なお節介である。
ごく自然に感じ、受けとめながら、育(はぐく)まれ、
心からの発露を私は大切にしている。
そして、ときたま綴っている。